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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

樺太(千島)に存在していた市は?

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記事数=6件/更新日:2002年12月24日/編集者:あっちゃん

日本統治時代の樺太に存在していた市についての話題から、戦後のソ連時代以降の市町村の変遷の話題へと発展していきました。当ホームページが誇るロシア(樺太)ネタです。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[19]2000年1月29日
じょにー
[37]2000年3月7日
前田 宏治
[56]2000年9月9日
Issie
[2593]2002年8月16日
ニジェガロージェッツ
[2601]2002年8月16日
Issie
[2683]2002年8月21日
ニジェガロージェッツ

[19] 2000年 1月 29日(土)00:28:29じょにー[小野田] さん
消滅した市について・・・
 以前、お世話になりました小野田です。消滅した市についてまたもや気に
なることがあります。南樺太に存在していた市ですが、中心都市の豊原市は
知ってますが、それ以外の市については分かりません。もし、ご存知でしたら
お教え下さい。(そうなると朝鮮半島は?と話しが膨らみすぎてしまうので、
気にしない方がよろしいかも知れませんが・・・)
 後、話が変わりますが、藤田さんの町村合併以前の市町村行政区画図について、旧版地形図で一つ一つ探すしかないと思いますが、どうでしょう???
かなりしんどいかも?私も興味がありますので調べたいと思っております。
[37] 2000年 3月 7日(火)23:25:42前田 宏治 さん
旧樺太の市
 はじめまして。
 [19]で話題に出ている旧樺太の市ですが、豊原(現・ユジノ
サハリンスク)の他には真岡(まおか、現・ホルムスク)がありました。
他に町が3箇所だったと思います。
[56] 2000年 9月 9日(土)20:26:06Issie さん
樺太は「豊原市」だけ
調べてきました。
真岡(まおか)は,1945年8月の敗戦まで“町”のままで市制は施行されませんでした。
したがって,樺太に設置された“市”は1937年7月1日に発足した「豊原市」だけということになります。
厳密には,設置当初の「豊原市」は内地(北海道以南)の“市”と完全に同じものということはできません。植民地である樺太には,内地のための法律である「市制」は適用されなかったからです(実は「市制」というのは“市の制度”をさす言葉ではなくて,法律の名前です。戦後,「地方自治法」の施行によって廃止されました。したがって,1947年5月3日以降に設置された“市”について「市制施行」という言葉を使用するのは本当は間違いです)。
樺太には「樺太市制」という別の法律が制定されて,「豊原市」はこの法律に基づいて設置されたものです。戦時中の1943年4月1日に樺太は“植民地”から“内地”に編入されて,「樺太市制」も内地の「市制」に統合されました。という意味では,「豊原市」が内地の“市”と完全に同一のものになったのは,1943年4月1日ということになります。
なお,同じく植民地であった台湾と関東州にはそれぞれ個別の「市制」が定められましたが,朝鮮には“市”の制度はありませんでした。したがって,植民地時代の朝鮮には「市」は1つも存在しません。「京城府」以下の“府”が内地の“市”に相当します。現在では,韓国にも北朝鮮にもそれぞれ“市”の制度が存在します。
[2593] 2002年 8月 16日(金)01:12:16ニジェガロージェッツ さん
樺太の市町、戦後の推移
Issie様のHP、驚きと感動をもって拝見させていただいております。
とくに面白かったのは「樺太市町村変遷表」です。以前に樺太に関する書き込みが何点かありましたが、当方、最近になってパソコンを購入した初心者で、そのときの論議に加われなかったのが残念です。
実は樺太には1989、1990、1994年の3度旅行で行った事があり、現地で入手した資料や20万分の1地形図に加え、ロシアのHPで得た情報を基に、人口の推移と言う形で各都市の盛衰をまとめてみました。
樺太庁時代のの変遷については前出のIssie様のHPに書かれていますので、ここでは、ソ連・ロシア連邦統治(不法)下の南樺太、北樺太、千島および北方四島の人口を書きます。
 注)サハリン州(樺太全島、千島列島および北方四島)には行政区分として
   Gorod・・市、Posyolok gopodskogo tipa・・都市型集落(便宜上「町」とする)
   Posyolok selckogo tipa・・農村型集落(便宜上「村」とする)があります。
   サハリン州全体の人口は2000年1月1日現在598.0千人、うち都市人口(市+町)518.4千人
   とあり、都市人口は下記の2000年人口の合計数と一致します。ということは、人口の記し
   ていないノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は地図記号によればそれぞれ5千
   人以上の人口を有しているようですが、独立町ではなくユジノサハリンスク市に付随する
   町として、ユ市の人口に含まれていると考えられます。
   また、「村」については下記以外にたくさん存在しており、旧樺太の町村役場所在地以外
   の「村」は略しました。

・・・1941年末人口(実数)_現行ロシア地名・・・1959年・・1970年・・1979年・・1989年・・2000年
【南樺太】406,557                      単位(千人)
豊原市・・・・37,160__ユジノサハリンスク市・・・85.5・・・106.0・・・139.8・・・159.3・・・179.2
豊北村・・・・・3,487__ノヴォアレクサンドロフスク町(小沼)
・うち豊北、草野__ルコヴォエ町
川上村・・・・・5,720__シネゴルスク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7
落合町・・・・25,135__ドリンスク市・・・・・・・・・・・・・14.8・・・・13.7・・・・14.8・・・・15.6・・・・14.0
・うち内淵、美保__ブイコフ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.9
・うち深草、川北__ウグレザヴォーツク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.7
・うち大谷_____ソコル町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.0
栄浜村・・・・・4,094__スタロドゥプスコエ村
白縫村・・・・・4,109__ヴズモーリエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.9
大泊町・・・・21,779__コルサコフ市・・・・・・・・・・・・・32.9・・・・38.2・・・・42.3・・・・45.0・・・・37.0
千歳村・・・・・2,474__トレーチヤパーチ村(三ノ沢)
深海村・・・・・2,017__プリゴロドノエ村(女麗)
長浜村・・・・・3,428__オジョルスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.2
遠淵村・・・・・2,200__ムラヴィエヴォ村
知床村・・・・・4,789__ノヴィコヴォ町(弥満)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.3
富内村・・・・・2,773__オホーツコエ村
留多加町・・・7,295__アニワ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.6・・・・・5.9・・・・・6.8・・・・・8.9・・・・・8.6
三郷村・・・・・2,459__タラナイ村(多蘭内)
能登呂村・・・2,415__キリロヴォ村(雨龍浜)
本斗町・・・・11,201__ネヴェリスク市・・・・・・・・・・19.7・・・・20.7・・・・23.5・・・・24.2・・・・20.6
内幌町・・・・10,957__ゴルノザボーツク市・・・・・・11.3・・・・・9.3・・・・・8.6・・・・・9.1・・・・・7.3
好仁村・・・・・4,855__シェブニノ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.0
海馬村・・・・・・・751__クラスヌイ(北古丹)・無人
真岡町・・・・19,193__ホルムスク市・・・・・・・・・・・31.5・・・・37.4・・・・45.1・・・・51.3・・・・39.9
広地村・・・・・4,623__プラウダ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.8
蘭泊村・・・・・6,515__ヤブロチヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.5
清水村・・・・・4,205__チストヴォドノエ村
野田町・・・・・7,366__チェーホフ市・・・・・・・・・・・・・9.2・・・・・7.9・・・・・7.9・・・・・7.9・・・・・6.7
小能登呂村・3,136__コストロムスコエ村
泊居町・・・・11,177__トマリ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.9・・・・・7.9・・・・・7.8・・・・・8.1・・・・・6.7
名寄村・・・・・3,469__ペンゼンスコエ村
久春内村・・・2,931__イリインスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1
珍内町・・・・15,430__クラスノゴルスク市・・・・・・・8.6・・・・・7.0・・・・・5.9・・・・・5.5・・・・・4.6
鵜城村・・・・・3,795__オルロヴォ村
恵須取町・・39,026__ウグレゴルスク市・・・・・・・17.9・・・・17.9・・・・18.4・・・・18.4・・・・15.7
・うち大平_____ウダルヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.0
塔路町・・・・30,270__シャフチョルスク市・・・・・・12.1・・・・11.5・・・・11.5・・・・12.9・・・・11.6
名好町・・・・16,793__レソゴルスコエ村(北名好)、1990年代中ごろまでレソゴルスク市、1992年人口1.4千
・うち北小沢____テリノフスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.5
西柵丹村・・・9,296__ボシニャコヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.6
帆寄村・・・・・1,787__プガチョウヴォ村
元泊村・・・・・7,757__ヴォストーチヌイ村
知取町・・・・18,216__マカロフ市・・・・・・・・・・・・・・・13.4・・・・11.1・・・・10.7・・・・11.3・・・・・8.9
泊岸村・・・・・4,846__レンモントフカ村
・うち藤本川上流__ヴァフルシェフ町(京都帝国大学演習林内)・・・・・・・・・・・・・・・・3.5
・うち楠山_____ヴォストーク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.4
内路村・・・・・4,524__ガスチェロ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.4
・うち内川_____チフメネヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1
敷香町・・・・30,310__ポロナイスク市・・・・・・・・・・21.6・・・・23.6・・・・24.7・・・・25.9・・・・21.8
・うち上敷香____レオニードヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.3
・うち気屯_____スミルヌイフ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.7
散江村・・・・・2,794__シャモヴォ(能登)・無人

【北樺太】
アレクサンドロフスク=サハリンスキー市・・・・・22.2・・・・20.3・・・・19.1・・・・19.1・・・・15.8
ドゥエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.4
ムガチ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7
トゥイモフスコエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.3
ノグリキ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11.2
カタングリ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.2
オハ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27.6・・・・30.9・・・・32.9・・・・36.1・・・・28.2
コレンド町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.3
トゥンゴル町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1
ヴォストチヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.5
エハビ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.9

【千島・北方四島】
セヴェロクリリスク市(柏原)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.7・・・・・3.6・・・・・4.0・・・・・5.2・・・・・3.7
クリリスク市(紗那)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.5・・・・・1.2・・・・・1.6・・・・・2.7・・・・・2.1
ユジノクリリスク町(古釜布)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.8

サハリン州全体の人口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・649.・・・・615.・・・・655.・・・・700.・・・・598.0
・うち都市人口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・489.・・・・483.・・・・540.・・・・584.・・・・518.4

サハリン州各地の人口は概ね1992年頃にピークを迎え、以降ここ10年ほどは極端な減少傾向にあります。
樺太の詳しい地製図を閲覧できるロシアのHPがありますが、ここにURLを出して良いものか迷っています。取り敢えず差し控えます。
[2601] 2002年 8月 16日(金)17:05:24Issie さん
Re:樺太の市町、戦後の推移
ニジェガロージェッツ さん,その後の推移の紹介,ありがとうございます。
私も「ソ連」だった1990年にシベリアに行って,イルクーツクかハバロフスクの本屋で(たぶん)官製のシベリアの地勢図を見かけたのですが,やはり躊躇して結局買わずにきてしまいました。

(南)樺太については少なからず資料や地図があるし,政府が領有を「主張」している「南千島」(国後・択捉)については国土地理院が戦前の地形図をもとに編集した地図を時々発行していたり,角川の地名辞典にも詳しい説明があったりして意外に情報が手に入るのですが,領有権を「放棄」してしまったウルップ島以北の「中・北千島」については,日本領時代の情報がほとんど手に入りませんね。
集落の対照をしてみたいと思っても,かつての地図が手に入らないので結局空欄ばかりになってしまいます。
もう1つ。
その少ない資料の中でも島の名前の呼び方が一致しなくて,これも困惑してしまいます。
おそらくは政府による公式の呼称があったはずだと思うのですが(住民の実際の呼称と一致しなくても構いません。北海道以南の「内地」でも,いくらでもあることです)。
[2683] 2002年 8月 21日(水)01:16:55ニジェガロージェッツ さん
戦後、樺太・千島に成立した「市」
戦後の樺太、千島、北方四島(現在のロシア連邦サハリン州。日本は公式には南樺太及び千島は所属未定地、北方四島は北海道の一部としています)における市の成立をしらべてみました。
(1989年、豊原近郊を旅行した際に旧樺太に住んで居られた方が、「樺太には豊原、恵須取、敷香、大泊、真岡の5市があった」と仰られ、私は「豊原1市のみ」と知っていたものの旧居住者の言われることでかなり信憑性があるのではと感じました。考えられるとすれば終戦直後のソ連軍政下で相次いで市制施行になったのでは?と思い、ロシア側の地理事典を調べてみました。)
「市」になったのは以下の通りです。

【南樺太】
[1945年以前、日本領土時代]
豊原市 1937年7月1日(樺太市制公布日、詳しくはIssieさんのHP「樺太市町村変遷表」をご覧下さい。)
 ユジノサハリンスク市公式ホームページの1882-2000年代記には、豊原の市としての地位獲得は1915年としています。

[1945年9月、ソ連統治開始以降]
ユジノサハリンスク(豊原)1946年6月、1945年9月より1946年6月までの呼称トヨハラ
アニワ(留多加)1946年         1945年9月より1946年までの呼称ルダカ
ドリンスク(落合)1946年         1945年9月より1946年までの呼称オチアイ
コルサコフ(大泊)1946年        1945年9月より1946年までの呼称オートマリ
マカロフ(知取)1946年          1945年9月より1946年までの呼称シリトル
ネヴェリスク(本斗)1946年       1945年9月より1946年までの呼称ホント
ポロナイスク(敷香)1946年       1945年9月より1946年までの呼称シクカ
トマリ(泊居)1946年            1945年9月より1946年までの呼称トマリオル
ウグレゴルスク(恵須取)1946年    1945年9月より1946年までの呼称エストル
ホルムスク(真岡)1946年        1945年9月より1946年までの呼称マオカ
ゴルノザヴォーツク(内幌)1947年   1945年9月より1947年までの呼称ナイホロ
クラスノゴルスク(珍内)1947年     1945年9月より1947年までの呼称チンナイ
レソゴルスク(北名好)1947年      1945年9月より1947年までの呼称ナヨシ
チェーホフ(野田)1947年         1945年9月より1946年までの呼称ノダ
シャフチョルスク(塔路)1947年     1945年9月より1946年までの呼称トーロ

【北樺太】
アレクサンドロフスク=サハリンスキー 1917年
オハ 1938年

【千島・北方四島】
セヴェロクリリスク(柏原)1946年    1945年9月より1946年までの呼称カシワボラ
クリリスク(紗那)1947年         1945年9月より1947年までの呼称シャナ

戦後、現在のサハリン州において「市」になったのは以上の19市ですが、このうちレソゴルスク市については1990年代に一挙に「村」まで降格となり、レソゴルスコエと改称されています。
なお、ロシア連邦全土には2000年現在、1090の「市」があり、そのうち119の市が2000年1月1日現在人口1万人以下となっています。特にサハリン州では18市中8市で人口1万人を割り込んでおり、まさに「ミニ市乱立」を呈しています。これは同じ極東地域に属するハバロフスク地方の8市のうち最小のヴャーゼムスキー市で人口18,500、沿海地方12市中最小のフォキノ市(最近まで地図に載っていなかった秘密都市シコトヴァ-17)で人口25,700の例からも分かるように明らかに異常といえます。ロシア全土をみるとサハリン州と同じ状況にあるところがもう1か所あり、それはバルト海に面する飛び地カリーニングラード州(ソ波2国で分割したドイツ領オストプロイセンのうちソ連側に成立、1991年バルト三国独立後飛び地となる)で、22市中11市で1万人を割っています。両州に共通するのは1946-1947年に揃って「市」になった(北樺太の2市以外)ことです。
私見ながら、推測すればおそらく両州ではまだ日独両国民が多数居留していた状況下で「市」になり、日本人ドイツ人が去った後はもとの人口が回復しなかったのでは?と思います。これは同じサハリン州でも北樺太には1万人以下の市が存在せず、逆にノグリキ町では11,200人を擁しながらも市になれずにいるのが物語っています。また、近年ロシアの殆どの都市では人口減(恐らく自然減では?)となっています。

サハリン州の行政「地区」(日本の郡+市に相等)について書きたかったのですが長くなったので稿を改めます。
昨日8月20日は「真岡壊滅の日」です。1945年8月20日早朝、終戦後5日も経った白旗翻る樺太真岡の町にソ連軍は艦砲射撃を加え壊滅させ上陸し日ソ双方に軍民とも多数の犠牲者がでました。真岡郵便局で職務を全うしたのち集団自決された「9人の乙女」をはじめ犠牲になられた方々のご冥福を祈らずにはおれません。

[2627]の訂正
ロシア語(英字表記)の「ostorov」島および「ostorova」諸島はそれぞれ
「ostrov」、「ostrova」の間違いでした。ごめんなさい。

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