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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

樺太(サハリン)・千島列島ATLAS

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記事数=22件/更新日:2005年9月22日/編集者:YSK


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★推奨します★(元祖いいね) YSK 太白 でるでる ken 般若堂そんぴん 夜鳴き寿司屋 Issie 地名好き 雪の字 k-ace 北神

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[321]2001年7月29日
Issie
[927]2002年2月18日
Issie
[2593]2002年8月16日
ニジェガロージェッツ
[2627]2002年8月18日
ニジェガロージェッツ
[2683]2002年8月21日
ニジェガロージェッツ
[2714]2002年8月22日
ニジェガロージェッツ
[2726]2002年8月22日
ニジェガロージェッツ
[2739]2002年8月23日
ニジェガロージェッツ
[2763]2002年8月24日
ニジェガロージェッツ
[2923]2002年9月5日
ニジェガロージェッツ
[3424]2002年9月30日
ニジェガロージェッツ
[4059]2002年10月22日
ニジェガロージェッツ
[7387]2003年1月6日
ニジェガロージェッツ
[7558]2003年1月11日
ニジェガロージェッツ
[10790]2003年3月9日
ニジェガロージェッツ
[10885]2003年3月10日
ニジェガロージェッツ
[11105]2003年3月13日
ニジェガロージェッツ
[11247]2003年3月15日
ニジェガロージェッツ
[11285]2003年3月16日
ニジェガロージェッツ
[11305]2003年3月16日
ニジェガロージェッツ
[35082]2004年11月14日
ニジェガロージェッツ
[45074]2005年9月22日
ニジェガロージェッツ

[321] 2001年 7月 29日(日)11:07:24Issie さん
千島:参考までに
こういうページをつくってあります。
「千島列島地名対照表」
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/karahuto/tisima.htm

といっても「南千島」(国後・択捉)はともかく,「中千島・北千島」(ウルップ島以北)の旧地名の資料があまりないので,こちらは空欄が多いのですが。
ついでにサハリンのもつくっておきました。
ご参考までに。
[927] 2002年 2月 18日(月)22:07:32Issie さん
千島
> 千島3郡は「昭和26年10月放棄」

これはサンフランシスコ条約が1951年9月8日に調印されたからでしょうね。
約1ヶ月のズレは,調印後の国内での事務処理のせいでしょうか。
条約が発効したのは1952年4月28日のことです。

現実がどうであれ,日本の領土であり日本政府の統治下にあるべき地域をソ連が「不当に占拠」しているという立場にある日本政府としては当然の主張ですね。これを“第三国”が認めるかどうかは全く別の次元の問題ですが。

当然,樺太庁以下の行政組織も1945年8月に「消滅」しているのですが,建前上,正式な手続きによる「廃止」はもっと後に行われているはずです。でも私はまだ,それに関する法令を見つけ出していません。

こういう次第ですから,領有権を「放棄」した得撫以北の千島列島と南樺太についてはともかく,択捉以南の“南千島”の行政区画は現在も「廃止」されてはおらず,占領された1945年8月半ば当時の状態で「凍結」されています。
つまり,形式上は国後郡以下の5郡6村の行政区画は「存在」するけれども,この区域に地方自治法は施行されておらず,当然に各町村はこの法律による自治体ではない(そもそも区画は存在しても,それぞれの行政機構は存在しない)。
なお,旧憲法下でも得撫以北の“中千島”“北千島”を含めて,千島列島の“村”には自治制は布かれず,したがってこれは「自治体」ではありませんでした。

実は,自治省が編成した「地方公共団体コード」ではきちんとこれらの村にも番号が与えられているのです。
 01695:色丹郡色丹村
 01696:国後郡泊村
 01697:国後郡留夜別村
 01698:択捉郡留別村
 01699:紗那郡紗那村
 01700:蕊取郡蕊取村

なお,北海道では支庁にコード番号が与えられていて,郡は無視されます。これらの各村は「根室支庁」に属します。
[2593] 2002年 8月 16日(金)01:12:16ニジェガロージェッツ さん
樺太の市町、戦後の推移
Issie様のHP、驚きと感動をもって拝見させていただいております。
とくに面白かったのは「樺太市町村変遷表」です。以前に樺太に関する書き込みが何点かありましたが、当方、最近になってパソコンを購入した初心者で、そのときの論議に加われなかったのが残念です。
実は樺太には1989、1990、1994年の3度旅行で行った事があり、現地で入手した資料や20万分の1地形図に加え、ロシアのHPで得た情報を基に、人口の推移と言う形で各都市の盛衰をまとめてみました。
樺太庁時代のの変遷については前出のIssie様のHPに書かれていますので、ここでは、ソ連・ロシア連邦統治(不法)下の南樺太、北樺太、千島および北方四島の人口を書きます。
 注)サハリン州(樺太全島、千島列島および北方四島)には行政区分として
   Gorod・・市、Posyolok gopodskogo tipa・・都市型集落(便宜上「町」とする)
   Posyolok selckogo tipa・・農村型集落(便宜上「村」とする)があります。
   サハリン州全体の人口は2000年1月1日現在598.0千人、うち都市人口(市+町)518.4千人
   とあり、都市人口は下記の2000年人口の合計数と一致します。ということは、人口の記し
   ていないノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は地図記号によればそれぞれ5千
   人以上の人口を有しているようですが、独立町ではなくユジノサハリンスク市に付随する
   町として、ユ市の人口に含まれていると考えられます。
   また、「村」については下記以外にたくさん存在しており、旧樺太の町村役場所在地以外
   の「村」は略しました。

・・・1941年末人口(実数)_現行ロシア地名・・・1959年・・1970年・・1979年・・1989年・・2000年
【南樺太】406,557                      単位(千人)
豊原市・・・・37,160__ユジノサハリンスク市・・・85.5・・・106.0・・・139.8・・・159.3・・・179.2
豊北村・・・・・3,487__ノヴォアレクサンドロフスク町(小沼)
・うち豊北、草野__ルコヴォエ町
川上村・・・・・5,720__シネゴルスク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7
落合町・・・・25,135__ドリンスク市・・・・・・・・・・・・・14.8・・・・13.7・・・・14.8・・・・15.6・・・・14.0
・うち内淵、美保__ブイコフ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.9
・うち深草、川北__ウグレザヴォーツク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.7
・うち大谷_____ソコル町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.0
栄浜村・・・・・4,094__スタロドゥプスコエ村
白縫村・・・・・4,109__ヴズモーリエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.9
大泊町・・・・21,779__コルサコフ市・・・・・・・・・・・・・32.9・・・・38.2・・・・42.3・・・・45.0・・・・37.0
千歳村・・・・・2,474__トレーチヤパーチ村(三ノ沢)
深海村・・・・・2,017__プリゴロドノエ村(女麗)
長浜村・・・・・3,428__オジョルスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.2
遠淵村・・・・・2,200__ムラヴィエヴォ村
知床村・・・・・4,789__ノヴィコヴォ町(弥満)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.3
富内村・・・・・2,773__オホーツコエ村
留多加町・・・7,295__アニワ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.6・・・・・5.9・・・・・6.8・・・・・8.9・・・・・8.6
三郷村・・・・・2,459__タラナイ村(多蘭内)
能登呂村・・・2,415__キリロヴォ村(雨龍浜)
本斗町・・・・11,201__ネヴェリスク市・・・・・・・・・・19.7・・・・20.7・・・・23.5・・・・24.2・・・・20.6
内幌町・・・・10,957__ゴルノザボーツク市・・・・・・11.3・・・・・9.3・・・・・8.6・・・・・9.1・・・・・7.3
好仁村・・・・・4,855__シェブニノ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.0
海馬村・・・・・・・751__クラスヌイ(北古丹)・無人
真岡町・・・・19,193__ホルムスク市・・・・・・・・・・・31.5・・・・37.4・・・・45.1・・・・51.3・・・・39.9
広地村・・・・・4,623__プラウダ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.8
蘭泊村・・・・・6,515__ヤブロチヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.5
清水村・・・・・4,205__チストヴォドノエ村
野田町・・・・・7,366__チェーホフ市・・・・・・・・・・・・・9.2・・・・・7.9・・・・・7.9・・・・・7.9・・・・・6.7
小能登呂村・3,136__コストロムスコエ村
泊居町・・・・11,177__トマリ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.9・・・・・7.9・・・・・7.8・・・・・8.1・・・・・6.7
名寄村・・・・・3,469__ペンゼンスコエ村
久春内村・・・2,931__イリインスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1
珍内町・・・・15,430__クラスノゴルスク市・・・・・・・8.6・・・・・7.0・・・・・5.9・・・・・5.5・・・・・4.6
鵜城村・・・・・3,795__オルロヴォ村
恵須取町・・39,026__ウグレゴルスク市・・・・・・・17.9・・・・17.9・・・・18.4・・・・18.4・・・・15.7
・うち大平_____ウダルヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.0
塔路町・・・・30,270__シャフチョルスク市・・・・・・12.1・・・・11.5・・・・11.5・・・・12.9・・・・11.6
名好町・・・・16,793__レソゴルスコエ村(北名好)、1990年代中ごろまでレソゴルスク市、1992年人口1.4千
・うち北小沢____テリノフスキー町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.5
西柵丹村・・・9,296__ボシニャコヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.6
帆寄村・・・・・1,787__プガチョウヴォ村
元泊村・・・・・7,757__ヴォストーチヌイ村
知取町・・・・18,216__マカロフ市・・・・・・・・・・・・・・・13.4・・・・11.1・・・・10.7・・・・11.3・・・・・8.9
泊岸村・・・・・4,846__レンモントフカ村
・うち藤本川上流__ヴァフルシェフ町(京都帝国大学演習林内)・・・・・・・・・・・・・・・・3.5
・うち楠山_____ヴォストーク町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.4
内路村・・・・・4,524__ガスチェロ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.4
・うち内川_____チフメネヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1
敷香町・・・・30,310__ポロナイスク市・・・・・・・・・・21.6・・・・23.6・・・・24.7・・・・25.9・・・・21.8
・うち上敷香____レオニードヴォ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.3
・うち気屯_____スミルヌイフ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.7
散江村・・・・・2,794__シャモヴォ(能登)・無人

【北樺太】
アレクサンドロフスク=サハリンスキー市・・・・・22.2・・・・20.3・・・・19.1・・・・19.1・・・・15.8
ドゥエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.4
ムガチ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7
トゥイモフスコエ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.3
ノグリキ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11.2
カタングリ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.2
オハ市・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27.6・・・・30.9・・・・32.9・・・・36.1・・・・28.2
コレンド町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.3
トゥンゴル町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1
ヴォストチヌイ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.5
エハビ町・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.9

【千島・北方四島】
セヴェロクリリスク市(柏原)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.7・・・・・3.6・・・・・4.0・・・・・5.2・・・・・3.7
クリリスク市(紗那)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.5・・・・・1.2・・・・・1.6・・・・・2.7・・・・・2.1
ユジノクリリスク町(古釜布)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.8

サハリン州全体の人口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・649.・・・・615.・・・・655.・・・・700.・・・・598.0
・うち都市人口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・489.・・・・483.・・・・540.・・・・584.・・・・518.4

サハリン州各地の人口は概ね1992年頃にピークを迎え、以降ここ10年ほどは極端な減少傾向にあります。
樺太の詳しい地製図を閲覧できるロシアのHPがありますが、ここにURLを出して良いものか迷っています。取り敢えず差し控えます。
[2627] 2002年 8月 18日(日)03:30:29ニジェガロージェッツ さん
北千島、中千島について
Issie様の「千島列島地名対照表」拝見させて頂きました。
確かに[2601]でご指摘のように、北、中千島に関する資料は少ないようですね。
私も千島列島各地の官製地形図は持ち合わせておりませんので、詳しいことは分かりません。
特に、島名が錯綜しているのは温禰古丹島ではないでしょうか?「温根古丹島」とも書かれ、
読みも「オンネコタン」「オネコタン」とも表記されているようです。
以下、ロシア名(o.は「octorov」島、 o-vaは「octopova」諸島、 skalyは岩礁)につづき、
一般的(地図帳等でよく見かける)な表記、史料集などで見かける1875年8月22日批准の樺太千島交換条約における表記、昭和10年刊「樺太地誌」附編に収録されている同条約の表記をかきます。但し、「樺太地誌」にある島名は明らかに誤字と思われるものや、ウルップ島が欠落したりで判断の難しいところですが、ご参考までに・・
o.Shumshu   占守島   第1シュムシュ島   第一しゅむしゅ島
o.Atlasova   阿頼度島   第2アライド島   第二あらいと島
o.Paramushir   幌筵島   第3パラムシル島   第三はらむしり島
o.Antsiferova   志林規島
o.Makanrushi   磨勘留島   第4マカンルシ島   第四まかんるし島
o.Onekotan   温祢古丹島   第5ヲネコタン島   第五をんねこたん島
o.kharimkotan   春牟古丹島   第6ハリムコタン島   第六はりむこたむ島
o.Chirinkotan   知林古丹島
o.Ekaruma   越渇磨島   第7エカルマ島   第七こんかるま島
o.Shiashkotan   捨子古丹島   第8シャスコタン島   第八しやすこたん島
skaly Lovushki   牟知列岩   第9ムシル島   第九むしる島
o.Raikoke   雷公計島   第10ライコケ島   第十らいこけ島
o.Matua   松輪島   第11マツア島   第十一まつあ島
o.Rasshua   羅処和島   第12ラスツア島   第十二らすつあ島
o-va Srednego          第13スレドネワ及   第十三すれどねわ及
o-va Ushishir   宇志知島   ウシシル島      うししか島
o.Ketoi   計吐夷島    第14ケトイ島   第十四けとい島
o.Simushir   新知島   第15シムシル島   第十五しむしる島
o.Broutona   武魯頓島   第16ブロトン島   第十六ごふとん島
o.Chirpoi   知理保以島   第17チェルポイ並ニ   第十七ちぇるぽい並ニ
o.Brat Chirpoev         ブラット チェルポエフ島   ぶらつと ちぇるぽるへふ島
o.Urup   得撫島   第18ウルップ島

また、Issie様の「対照表」にある集落名ですが、恐らくモスクワROSMEN社出版の1999年版「Malyi ATLAS Rossii」をご参照されたのでは、と推察いたします。(偶然ですが私もその地図帳を持っています。2年前タタールスタン共和国レニノゴルスク市の小さな書店でたまたま見つけ買いました)。セヴェロクリリスク市(柏原、パラムシル島)の他にkyrbatovo(国端崎・竹田浜、シュムシュ島)、Makarovka(シャスコタン島)、Kostochka(シムシル島)、Kactrikum(見島?、ウルップ島)の4集落が書かれていますが、更に詳しい1993年「サハリン州20万分の1地形図」を見たところ、Kostochko以外は確認出来ませんでした。
同地形図に書かれている集落(Severo-Kuril`sk セヴェロクリリスク市以外)は、
Baikovo 片岡(シュムシュ島)
以下無人集落
Shumhyi(シュムシュ島)
Atlasovo(アライド島)
Shelekhovo, Podgornyi(パラムシル島)
Carychego, Gubanovka(マツア島)
Kraternyi, Kostochko, Kytoboinyi(シムシル島)
Kompaneiskoe (ウルップ島)
とあります。

PS. 57年前の今日、丁度この時間ごろ、1945年8月18日未明、占守島国端崎、竹田浜一帯にソ連軍が上陸し、守備の日本軍第91師団との間で激しい戦闘が開始されました。何かの因縁を感じます。
[2683] 2002年 8月 21日(水)01:16:55ニジェガロージェッツ さん
戦後、樺太・千島に成立した「市」
戦後の樺太、千島、北方四島(現在のロシア連邦サハリン州。日本は公式には南樺太及び千島は所属未定地、北方四島は北海道の一部としています)における市の成立をしらべてみました。
(1989年、豊原近郊を旅行した際に旧樺太に住んで居られた方が、「樺太には豊原、恵須取、敷香、大泊、真岡の5市があった」と仰られ、私は「豊原1市のみ」と知っていたものの旧居住者の言われることでかなり信憑性があるのではと感じました。考えられるとすれば終戦直後のソ連軍政下で相次いで市制施行になったのでは?と思い、ロシア側の地理事典を調べてみました。)
「市」になったのは以下の通りです。

【南樺太】
[1945年以前、日本領土時代]
豊原市 1937年7月1日(樺太市制公布日、詳しくはIssieさんのHP「樺太市町村変遷表」をご覧下さい。)
 ユジノサハリンスク市公式ホームページの1882-2000年代記には、豊原の市としての地位獲得は1915年としています。

[1945年9月、ソ連統治開始以降]
ユジノサハリンスク(豊原)1946年6月、1945年9月より1946年6月までの呼称トヨハラ
アニワ(留多加)1946年         1945年9月より1946年までの呼称ルダカ
ドリンスク(落合)1946年         1945年9月より1946年までの呼称オチアイ
コルサコフ(大泊)1946年        1945年9月より1946年までの呼称オートマリ
マカロフ(知取)1946年          1945年9月より1946年までの呼称シリトル
ネヴェリスク(本斗)1946年       1945年9月より1946年までの呼称ホント
ポロナイスク(敷香)1946年       1945年9月より1946年までの呼称シクカ
トマリ(泊居)1946年            1945年9月より1946年までの呼称トマリオル
ウグレゴルスク(恵須取)1946年    1945年9月より1946年までの呼称エストル
ホルムスク(真岡)1946年        1945年9月より1946年までの呼称マオカ
ゴルノザヴォーツク(内幌)1947年   1945年9月より1947年までの呼称ナイホロ
クラスノゴルスク(珍内)1947年     1945年9月より1947年までの呼称チンナイ
レソゴルスク(北名好)1947年      1945年9月より1947年までの呼称ナヨシ
チェーホフ(野田)1947年         1945年9月より1946年までの呼称ノダ
シャフチョルスク(塔路)1947年     1945年9月より1946年までの呼称トーロ

【北樺太】
アレクサンドロフスク=サハリンスキー 1917年
オハ 1938年

【千島・北方四島】
セヴェロクリリスク(柏原)1946年    1945年9月より1946年までの呼称カシワボラ
クリリスク(紗那)1947年         1945年9月より1947年までの呼称シャナ

戦後、現在のサハリン州において「市」になったのは以上の19市ですが、このうちレソゴルスク市については1990年代に一挙に「村」まで降格となり、レソゴルスコエと改称されています。
なお、ロシア連邦全土には2000年現在、1090の「市」があり、そのうち119の市が2000年1月1日現在人口1万人以下となっています。特にサハリン州では18市中8市で人口1万人を割り込んでおり、まさに「ミニ市乱立」を呈しています。これは同じ極東地域に属するハバロフスク地方の8市のうち最小のヴャーゼムスキー市で人口18,500、沿海地方12市中最小のフォキノ市(最近まで地図に載っていなかった秘密都市シコトヴァ-17)で人口25,700の例からも分かるように明らかに異常といえます。ロシア全土をみるとサハリン州と同じ状況にあるところがもう1か所あり、それはバルト海に面する飛び地カリーニングラード州(ソ波2国で分割したドイツ領オストプロイセンのうちソ連側に成立、1991年バルト三国独立後飛び地となる)で、22市中11市で1万人を割っています。両州に共通するのは1946-1947年に揃って「市」になった(北樺太の2市以外)ことです。
私見ながら、推測すればおそらく両州ではまだ日独両国民が多数居留していた状況下で「市」になり、日本人ドイツ人が去った後はもとの人口が回復しなかったのでは?と思います。これは同じサハリン州でも北樺太には1万人以下の市が存在せず、逆にノグリキ町では11,200人を擁しながらも市になれずにいるのが物語っています。また、近年ロシアの殆どの都市では人口減(恐らく自然減では?)となっています。

サハリン州の行政「地区」(日本の郡+市に相等)について書きたかったのですが長くなったので稿を改めます。
昨日8月20日は「真岡壊滅の日」です。1945年8月20日早朝、終戦後5日も経った白旗翻る樺太真岡の町にソ連軍は艦砲射撃を加え壊滅させ上陸し日ソ双方に軍民とも多数の犠牲者がでました。真岡郵便局で職務を全うしたのち集団自決された「9人の乙女」をはじめ犠牲になられた方々のご冥福を祈らずにはおれません。

[2627]の訂正
ロシア語(英字表記)の「ostorov」島および「ostorova」諸島はそれぞれ
「ostrov」、「ostrova」の間違いでした。ごめんなさい。
[2714] 2002年 8月 22日(木)03:25:28ニジェガロージェッツ さん
樺太、千島、北方四島のロシアにおける行政区画
戦後の樺太、千島および北方四島(ロシア連邦サハリン州)について
過去の書き込み[2593]で人口の推移という形で各市町の盛衰と現状をご紹介させて頂き、
また[2683]では「市」の成立について書き込みさせて頂きました。
最後に、サハリン州を構成する州都ユジノサハリンスク市と17の「地区」を調べましたので、結果を纏めてみました。
(管理人様の意図しておられる「都道府県市区町村」の範疇から大きく逸れてしまいそうで恐縮です。)

ロシア語で「区」を表わす[raion (rayon)]という単語には行政上2つの意味があり、
1)大都市の行政区
  例えば「ニジニノヴゴロド市ニジェガローツキー区」、「ウラジオストク市レーニンスキー区」等。
2)共和国[respublika]、地方[krai]、州[oblast']、等を構成する行政単位
  ここでは、大都市の「区」と混同しないように「地区」とします。

サハリン州には17の「地区」が存在し、また、ユジノサハリンスク市はどの地区にも属さず独立した存在です。やや複雑ですが、ここで言う「ユジノサハリンスク市」は狭義のユジノサハリンスク市とは違い、その郊外を含んでいます。
なお、「地区(raion)」は男性名詞で、これにかかる名称は形容詞男性形を取り「---スキー」といった語尾形になりますが、日本語にする場合は一般には地名(固有名詞)で表わすことが多いようなので、ここでも「アニフスキー地区」「オヒンスキー地区」などとはせず、「アニワ地区」「オハ地区」などと表記します。また、「市」「町」「村」の表記については[2593]で書いているようにしています。
区域は旧日本時代の郡市町村名(南樺太)を書き、現在の主な集落を挙げておきます。
人口は2000年1月1日現在のものですが、一部私の推測が入っていることをお断りします。

1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
   豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村のうち川上線沿線
   ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)
2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
   留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)豊北村(川上線沿線は除く)
   アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)、ベレズニャキ(富岡)
3)コルサコフ地区  人口46.4千人(都市人口40.5千人)  中心都市コルサコフ市
   大泊郡
   コルサコフ市(大泊)、オジョルスキー(長浜)、ノヴィコヴォ(弥満)、オホーツコエ(富内)
4)ドリンスク地区  人口32.7千人(都市人口27.5千人)  中心都市ドリンスク市
   豊栄郡落合町、栄浜村、白縫村
   ドリンスク市(落合)、ソコル(大谷)、ブイコフ(内淵、美保)、ウグレザボーツク(川北、深草)、ヴズモーリエ(白浦)、ア
   ルセンチエフカ(真縫)
5)ネヴェリスク地区  人口30.8千人(都市人口29.9千人)  中心都市ネヴェリスク市
   本斗郡
   ネヴェリスク市(本斗)、ゴルノザヴォーツク市(内幌)、シェブニノ(南名好)、ヤスノモルスキー(阿幸)
6)ホルムスク地区  人口56.9千人(都市人口51.9千人)  中心都市ホルムスク市
   真岡郡
   ホルムスク市(真岡)、チェーホフ市(野田)、プラヴダ(広地)、ヤブロチヌイ(蘭泊)、ピャチレーチエ(逢坂)、コストロム
   スコエ(小能登呂)
7)トマリ地区  人口14.3千人(都市人口12.4千人)  中心都市トマリ市
   泊居郡、恵須取郡珍内町
   トマリ市(泊居)、クラスノゴルスク市(珍内)、イリインスキー(久春内)、ペンゼンスコエ(名寄)、ノヴォセロヴォ(追手)
8)ウグレゴルスク地区  人口36.3千人(都市人口31.4千人) 中心都市ウグレゴルスク市
   名好郡(西柵丹村安別を除く)、恵須取郡(珍内町を除く)
   ウグレゴルスク市(恵須取)、シャフチョルスク市(塔路)、テリノフスキー(北小沢)、ウダルヌイ(大平)、ボシニャコヴォ
   (西柵丹)、レソゴルスコエ(北名好)、ポレーチエ(鵜城)
9)マカロフ地区  人口11.6千人(都市人口10.4千人)  中心都市マカロフ市
   知取郡
   マカロフ市(知取)、ヴォストーチヌイ(元泊)、プガチョーヴォ(馬群潭)、ザオジョールノエ(樫保)
10)ポロナイスク地区  人口35.8千人(都市人口33.5千人)  中心都市ポロナイスク市
   敷香郡(敷香町の初問以北と散江村の北緯50度線付近を除く)
   ポロナイスク(敷香)、ルオニードヴォ(上敷香)、ガスチェロ(内路)、ヴァフルシェフ、ヴォストーク、チフメネヴォ(内
   川)、レルモントフカ(泊岸)、ヴラジーミロヴォ(野頃)、ノーヴォエ(新問)
11)スミルヌィフ地区  人口17.0千人(都市人口7.7千人)  中心都市スミルヌィフ町
   北緯50度線両側一帯
   スミルヌィフ(気屯)、ヴリゥクルイ(初問)、ポベジノ(古屯)、ピェルヴォマイスコエ(雁門)、ロシノ(半田)、オノール、ピリ
   ヴォ
12)トゥイモフスコエ地区  人口21.5千人(都市人口9.3千人)  中心都市トゥイモフスコエ町
   北樺太中央凹地一帯
   トゥイモフスコエ、アルギ=パギ、ヤスノエ、ベロレーチエ
13)アレクサンドロフスク=サハリンスキー地区  人口21.8千人(都市人口18.9千人)  中心都市アレクサンドロフスク=サハリンスキー市
   北樺太日本海側
   アレクサンドロフスク=サハリンスキー市、ムガチ、ドゥエ、ヴィアフトゥ
14)ノグリキ地区  人口14.6千人(都市人口12.4千人)  中心都市ノグリキ町
   北樺太オホーツク海側
   ノグリキ、カタングリ、ヴァル
15)オハ地区  人口37.6千人(都市人口32.5千人)  中心都市オハ市
   北樺太北端部および間宮海峡(狭義、ロシア名ネヴェリスキー海峡)沿岸一帯
   オハ市、コレンド、ヴォストーチヌイ、トゥンゴル、エハビ、モスカリヴォ、ルィブノエ、ピリトゥン、ポギビ、ネフチェゴルスク
  (大震災により崩壊)
16)北クリル地区  人口3.8千人(都市人口3.7千人)  中心都市セヴェロクリリスク市
   千島列島計吐夷島以北
   セヴェロクリリスク市(柏原)、バイコヴォ(片岡)
17)クリル地区  人口8.0千人(都市人口2.1千人)  中心都市クリリスク市
   千島列島新知島、武魯頓島、知理保以島、得撫島および北方四島のうち択捉島
   クリリスク市(紗那)、ブレヴェストニク(天寧)、レイドヴォ(別飛)
18)南クリル地区  人口6.3千人(都市人口3.8千人)  中心都市ユジノクリリスク町
   国後島、色丹島、歯舞諸島
   ユジノクリリスク(古釜布)、ゴロヴニノ(泊)
[2726] 2002年 8月 22日(木)19:25:12ニジェガロージェッツ さん
>2720, 2725
>[2720]
>ユジノサハリンスク(旧豊原)の人口は古いのしか見たことがなかったから驚いたんですが、
>60年前の4万人というのはNETでよくデータがありましたから18万人は驚きました。
>よく見ると帯広市の人口の動きと非常に似ているような気がするのですけど、気のせいですか?

調べてみました。 KNさんの着眼の鋭さ、感心しました。

  帯広市 人口   ユジノサハリンスク市 人口
1960年  100,915     1959年   85,500
1965年  117,253     1967年   92,000
1970年  131,568     1970年  106,000
1975年  141,774     1976年  130,000
1980年  153,861     1982年  150,000
1985年  162,932     1986年  163,000
1990年  167,384     1992年  164,800
1995年  171,715     1996年  181,000
2000年  173,030     2000年  179,200

余談ながら、なにかの旅行記に帯広出身の作家がユジノサハリンスク市を旅し、「帯広の町並みに似ている」と書いていたことがあります。
1994年7月に稚内港から大泊港に向かう船の中で、たまたま帯広市民と同室になり、そのことを訪ねると、いやな顔をして「似てない」といっていましたが・・・。

[2725]
>択捉島の人口は何人ですか?

島ごとの人口はさすがに掴んでいませんが、サハリン州20万分の1地形図を見る限り、クリリスク地区に属する択捉以外の島々にある集落には全て「無人」と表示されていますので、クリリスク地区の人口が限りなく択捉島の人口に近いといえるのではないでしょうか?
択捉島の人口は「8.0千人」と推定しましょう。(具体的にご存知の方はお教えください。)
もっとも、得撫島などは全く無人とはいえず、例えば灯台守、海獣保護監督官、観測員といった人々は居るようです。
また余談ですが、NHKラジオ気象通報では千島列島からウルップ島(予備地点シムシル島)と松輪島(同、パラムシル島)の天気の報告がありましたが「入電なし」が数年間続いたため、2001年12月3日16時の放送からは削除され、新たにセヴェロクリリスク(予備地点オぜルナヤ)に変更されています。
[2739] 2002年 8月 23日(金)01:08:30ニジェガロージェッツ さん
サハリン州に関する書き込みについて
[2593],[2683],[2714]と三度「ロシア連邦サハリン州」について大雑把ですが書き込みさせて頂きました。
最後に「あとがき」として
日本時代の行政区画や地名はIssieさんのHPにある「樺太市町村変遷表」が大変役にたちました。深く感謝申し上げます。他に地図は全国樺太連盟発行の50万分の1「南樺太全図」を参考にしました。
サハリン州各地の人口データは、主にロシアのHP[www.mojgorod.ru]より得ました。
そこには様々な角度から全ロシア1090市の地理情報を得ることが出来ますので、ロシア語をインターネット上で表示できる方で興味をお持ちの方は是非ご覧下さい。
地図から現状を知る作業では1994年に豊原にある「サハリン州郷土史博物館」(旧「樺太庁博物館」昭和12年築)の売店で買った「地形図~サハリン州~縮尺20万分の1、1993年」が大変役立ちました。ただ、市・町・村の行政区分については情報が古いため、上記のHPと情報が違っていることがありました。レソゴルスク市のレソゴルスコエ村への「降格」はその典型例で、迷った所では地形図には「ボストーチヌイ町」がオハ地区とマカロフ地区の旧元泊の2箇所存在しているのに対し、上記ロシアHPの「町」人口一覧には1つしかありません。そこでモスクワで買った1998年出版の「ロシア地理地図帳」や1999年出版の「道路地図帳~大西洋から太平洋まで」を見て、元泊の方が「村」に降格になったことを知り得ました。また、ユジノサハリンスク近郊の「ルゴヴォエ」「ノヴォアレクサンドロフスク」両町が2000年時点でユジノサハリンスク市に含まれているとの結論に達したのは「道路地図帳」にそのように表記されているためです。
あと、上記のロシアHPには2000年1月1日現在の人口が詳しく記され、サハリン州を構成する17の「地区」の一覧も載っています。その17地区の人口の合計は218.0千人で、それに18市の人口の合計432.4千人を加えると650.4千人となり、サハリン州全体の人口総数598.0千人を5万人以上うわまわってしまいます。これは、18市全部が「地区」から独立した存在ではなく、いくつかの市は「地区」に入っていることを示していると思えます。このため、どの「市」が独立してどの「市」が「地区」に含まれるかは私の手元には資料がなく、推測するしかありませんでした。[2714]で「人口は・・・一部私の推測が入っている・・・」としたのはこのためです。「地区」内に1市しかなく、かつ「地区」の人口が「市」の人口より下回っているのなら「市」が独立していると容易に判定できるのですが、それ以外は地形図にある集落の分布状況を頼りに推測するしかありませんでした。因みに、地区区割り図を見るとユジノサハリンスク市以外の「市」は全て「地区」に属しているように色分けされています。
以下に上記のHP[Moj Gorod]にある「地区」の一覧と人口に加え、私の推測結果とともに書きます。

アニワ地区  15.6千人(アニワ市人口を含む。総人口を示す)
コルサコフ地区  9.4千人(コルサコフ市人口を含まない。総人口46.4千人)
ドリンスク地区  18.7千人(ドリンスク市人口を含まない。総人口32.7千人)
ネヴェリスク地区  10.2千人(ネヴェリスク市人口を含まない、ゴルノザヴォーツク市人口を含む。総人口30.8千人)
ホルムスク地区  17.0千人(ホルムスク市人口を含まない、チェーホフ市人口を含む。総人口56.9千人)
トマリ地区  14.3千人(トマリ市およびクラスノゴルスク市人口を含む。総人口を示す)
ウグレゴルスク地区  20.6千人(ウグレゴルスク市人口を含まない、シャフチョルスク市人口を含む。総人口36.3千人)
マカロフ地区  11.6千人(マカロフ市人口を含む。総人口を示す)
ポロナイスク地区  14.0千人(ポロナイスク市人口を含まない。総人口35.8千人)
スミルヌィフ地区  17.0千人(総人口を示す)
トゥイモフスコエ地区  21.5千人(総人口を示す)
アレクサンドロフスク=サハリンスキー地区  6.0千人(アレクサンドロフスク=サハリンスキー市人口を含まない。総人口21.8千人)
ノグリキ地区  14.6千人(総人口を示す)
オハ地区  9.4千人(オハ市人口を含まない。総人口37.6千人)
北クリル地区  3.8千人(セヴェロクリリスク市人口を含む。総人口を示す)
クリル地区  8.0千人(クリリスク市人口を含む。総人口を示す)
南クリル地区  6.3千人(総人口を示す)

上記各地区の総人口を合計すると411.0千人になり、これに「地区」に属さないユジノサハリンスク市(ユジノサハリンスクとシネゴルスクの合計181.9千人)を加えれば592.9千人になります。しかしサハリン州の総人口は598.0千人ですので5.1千人足りません。正直かなり考え込みましたが、意外なところから答えが出てきました。実は100%都市人口と思っていた「ユジノサハリンスク市」に農村人口がまだあったのです。市のHPをみますと、「市には187.8千人が暮らし、そのうち都市人口182.8千人、農村人口5千人・・」とあり人口データの日付が書かれていないものの、ほぼ一致します。そこで、足らない5.1千人は「ユジノサハリンスク市」の農村人口であるとし、市の総人口を187.0千人と推測した次第です。

【訂正】
[2714]の都市人口のうち、マカロフ地区(都市人口10.4千人)、オハ地区(都市人口32.5千人)としているのは間違いで、
正しくは、マカロフ地区(都市人口8.9千人)、オハ地区(都市人口34.0千人)です。
例の「ヴォストーチヌイ」を取り違えたためです。申し訳ございません。

[2726]の書き込みで「クリリスク地区」としているのは、[2714]で「クリル地区」としていました。これは訳し方の違いで、ほかに「北クリル地区」は「セヴェロクリリスク地区」と、「南クリル地区」は「ユジノクリリスク地区」とも表記できると思います。

P.S
>[2646]Issieさん
>やはり、もう少し縮尺が大きくて情報の多い地図が欲しいところです。

私がモスクワで買った「ロシア地理地図帳」(Geograficheskiy ATLAS ROSSII)を大阪梅田の「ナウカ」で見たことがあります。おそらく神田神保町でも手に入るのでは?15000円程してましたが。
[2763] 2002年 8月 24日(土)23:32:48ニジェガロージェッツ さん
ロシアの「市」制移行について。ユジノサハリンスク市街ひついて
KNさん、ご返事がおくれてすみません。
ロシアのサイト等いろいろ調べていました。

[2740]
>また、ロシアに関してですが、ロシアの市制移行の要件は1万人ぐらいなんですか?
>見てみると市町村が降格できるみたいですね。

ロシアでの「市」制移行の要件をロシア語の検索サイトで調べてみましたが、結果
「判りません」とお答えするしかなさそうです。
実際にロシアで近年(1997~2000年)「町」から「市」へ移行したところを探してみたした。
人口は2000年1月1日現在のデータです。

カルーガ州ジューコフ(Zhukov 1997年) 13.5千人
サハ共和国ニュルバ (Nyurba 1998年) 11.0千人   同共和国内に人口上位の「町」2町あり(アイハル14.1千人、チュリマン13.1千人)
サハ共和国ポクロフスク(Pokrovsk 1998年) 10.1千人  同共和国内に人口上位の「町」3町あり(上記2町以外にウスチ=ネラ10.4千人)
タタールスタン共和国バヴルィ(Bavry 1998年) 23.2千人
ニジニノヴゴロド州クニャギニノ(Knyaginino 1998年) 6.8千人  同州内に人口上位の「町」18町あり(アルダトフ10.4千人、シャトキ10.3千人、等)
スタヴロポリ地方ミハイロフスク(Mikhailovsk 1999年) 50.3千人
サンクトペテルブルグ市クラスノエ セロ(Krasnoe Sero 1999年) 人口不明
レニングラード州ヴォロソヴォ(Volosovo 1999年) 11.2千人
レニングラード州セルトロヴォ(Sertolovo 1999年) 30.7千人
ニジニノヴゴロド州ペレヴォズ(Perevoz 2000年) 9.2千人  同州内に人口上位の「町」3町あり
ベルゴロド州ストロイチェリ(Stroitel' 2000年) 17.5千人
モスクワ州ペレスヴェート(Peresvet 2000年) 人口不明
イングーシ共和国マザス(Mazas 2000年) 人口不明(同共和国はチェチェンに隣接する戦地)

とあり、人口だけを見ると訳がわかりません。
このうちクニャギニノは1779年に「市」になりながら、1926年に「村」に降格、1968年に「町」に昇格しての再度「市」昇格です。
参考までにロシア全土で人口上位「町」ベスト6は
クラスノダール地方パシコフスキー 34.3千人
スタヴロポリ地方ゴリャチェヴォツキー 32.4千人
サラトフ州プリヴォルシスキー 31.6千人
クラスノダール地方カリーニノ 26.2千人
モスクワ州トミリノ  26.1千人
沿海地方ルチェゴルスク 26.1千人

逆に人口下位の「市」ベスト?10は
レニングラード州ヴィソツク(Vysotsk 1940年) 1.2千人
トゥーラ州チェカリン (Chekalin 1776年) 1.3千人
カリーニングラード州プリモルスク (Primorsk 1946年) 2.0千人
サハ共和国ヴェルホヤンスク (Verkhoyansk 1817年) 2.0千人
サハリン州クリリスク (Kuril'sk 1947年) 2.1千人
トムスク州ケドロヴイ (Kedrovyi 1987年) 2.5千人
ニジニノヴゴロド州ゴルバトフ (Gorbatov 1779年) 3.1千人
カリーニングラード州ラドゥーシキン (Ladushkin 1946年) 3.3千人
イワノフ州プリョス (Plyos 1925年) 3.5千人
クラスノヤルスク地方アルチェモフスク (Artemovsk 1939年) 3.6千人
                                             です。
さて、今までサハリン州を中心にロシアについて書いてきましたが、ここでいう「市・町・村」は[2747]のIssieさんのご指摘の通り全て便宜上訳しているだけのもので、日本の地方自治制度を意識したものではありません。
ロシア語の[gorod]は一般に日本語では「市」と、英語では[city]と訳しますが、
[posyolok gorodskogo tipa](直訳すれば都市型集落)を「町」とし、
[posholok sel'skogo tipa](直訳すれば農村型集落)または[selo](村)を「村」としたのは、あくまで私の判断で便宜上そのように訳しているに過ぎません。
また、ロシアの2大都市「モスクワ市」と「サンクトペテルブルグ市」はそれぞれ「モスクワ州」「レニングラード州」から完全に独立した連邦構成体で、「市内」に両市以外の「市」が存在します。
なお、日本の政令市のように大都市に[paion]=「区」がありますが、それらの「区」は意外なことに人口規模において日本の政令市のそれ(7万人~25万人ぐらい)とほぼ同じです。
以上のことを踏まえて見て頂ければ幸いです。

[2747]ユジノサハリンスクについて
現在のユジノサハリンスク市街は、モスクワを含むロシアの大都市のうち戦後に市街化した地区に大変よく似ています。私自身、神戸の震災で家と仕事を失った後、ニジニノヴゴロド市ニジェガローツキー区に1年ほど滞在したことがありますが、市中心部は19世紀の「古き黄金のロシア」そのものですが、一歩中心部から外れるとユジノサハリンスクとおなじ造りの市街が広がっていました。5階建てぐらいの集合住宅(多くはネフチェゴルスク大地震で倒壊した悪名高き「フルシチョフカ」)のあいだに白樺並木のある空き地。そんな町並みが延々と続く・・。
ユジノサハリンスクの博物館に1957年の市街パノラマ写真がありましたが、まさに日本の田舎町「豊原」そのままでした。その後、初めて日本の記者が豊原にはいったのが、確か1964年のNHK取材班だったと記憶していますが、そのときは市街の半分が「ソ連化」(「フルシチョフカ」の大量建設か?)していたものの旧樺太神社の鳥居も残っていて、まだ日本の面影を濃く残していたそうです。
なお1994年に樺太を旅したとき、野田、泊居、知取などの「市」にも立ち寄りましたが、とても「市」と呼べる有様ではありませんでした。

いろいろ長々と「都道府県市区町村」に関係の無い「ロシアネタ」を書きました。
管理人様、申し訳ございませんでした。
[2923] 2002年 9月 5日(木)21:56:51ニジェガロージェッツ さん
サハリン州を構成する「地区」と「市」
[2739]でサハリン州を構成するのは17の「地区」と「ユジノサハリンスク市」であることをご紹介させて頂いておりました。
ロシアのHP[www.mojgorod.ru]に載っている17の「地区=rayon」の人口と、18ある「市=gorod」の人口の合計が州全体の合計に合致せず、「市」には「地区」から独立したものと、「地区」に含まれるものとがあると結論づけ、どの「市」が独立しているかを推測していましたが、その後、さらにロシアのHPをいくつか見つけ、ついにロシア全土の89ある「連邦構成体」ごとにそれぞれ「地区」と「地区から独立した市」を地図であらわしたHPを見つけました。
それによるとサハリン州は「ユジノサハリンスク市」とそれ以外に8つの「州直轄市」と17の「地区」によって構成されています。
サハリン州は以下の通りです。(人口は千人単位、2000年1月1日現在、ユジノサハリンスク市の人口は推測)

全 サハリン州              598.0
1)ユジノサハリンスク市        187.0
2)オハ地区                 9.4
3)オハ市                 28.2
4)アレクサンドロフスク=サハリンスキー地区   6.0
5)アレクサンドロフスク=サハリンスキー市    15.8
6)ノグリキ地区              14.6
7)トゥイモフスコエ地区         21.5
8)スミルヌィフ地区           17.0
9)ウグレゴルスク地区         20.6
10)ウグレゴルスク市          15.7
11)ポロナイスク地区          14.0
12)ポロナイスク市            21.8
13)トマリ地区               14.3
14)マカロフ地区             11.6
15)ホルムスク地区           17.0
16)ホルムスク市             39.9
17)ドリンスク地区            18.7
18)ドリンスク市              14.0
19)ネヴェリスク地区           10.2
20)ネヴェリスク市            20.6
21)アニワ地区              15.6
22)コルサコフ地区            9.4
23)コルサコフ市              37.0
24)北クリル地区              3.8
25)クリル地区               8.0
26)南クリル地区              6.3

こうして見てみると、[2739]で推測していた「地区から独立している市」は当たっていたことになります。
私見ながら一般には「地区」と訳されるロシア語の[rayon]は、むしろ日本語で「郡」と訳した方がぴったりくるのでは?と感じます。またその際、いくらロシアでは[gorod]の称号が与えられていても訳の上とはいえ、日本語で「市」と単純に置き換えるのは如何なものかと思います。少なくとも[rayon]から独立していない[gorod]は一層のこと「町」と訳してしまった方がイメージとしてぴったりくるのでは?と思います。幾らなんでも人口4.6千人のクラスノゴルスク(珍内)や、2.1千人のクリリスク(択捉島紗那)を「市」とは呼べないですから・・・。
とすると「サハリン州」は9市17郡(うち、南樺太は7市10郡、千島・北方四島は3郡)で構成されていることになります。但し、これはあくまでも「日本語への翻訳」の上での話であって、ロシアの地方自治制度と日本の地方自治制度を同一に論じたりするものではないことが大前提ですが。

ロシアで買い込んだ地図や地図帳でここに書き込んだ「地区」から独立した「市」とそれ以外の「市」と区別しているかを調べてみると、唯一、ROSMEN社の「Malyi ATLAS Rossii」に明記していましたが、見落としていました。それには「ロシア連邦構成体の直轄する市」と「それ以外の市」とありました。
[3424] 2002年 9月 30日(月)02:13:25ニジェガロージェッツ さん
サハリンの写真見つけました。
樺太の鉄道について色々書き込みましたが、すごい「写真館」を見つけました。
北海道宗谷支庁のHPに、「サハリン交流」のページがあり、そこに「サハリン写真館」と題し、色々な写真がのっています。豊真線のループ線もバッチリあります。
ロシアのHPをいろいろと探していたのですが、「灯台もと暗し」でした。
是非、ご覧下さい。
http://www.souya.pref.hokkaido.jp/

また、サハリン島の詳しい地形図はロシアのHPですが、
http://sakhalin.al.ru/atlas.html
をご参照下さい。
[4059] 2002年 10月 22日(火)00:22:07ニジェガロージェッツ さん
樺太波蘭人会
[4038]の書き込みに日本統治下の樺太でポーランド人が打ちたてた「波蘭人協会」について触れましたが、正式な名称は、「樺太波蘭人会」でした。
設立は昭和12(1937)年4月、
会合が開かれた場所は、豊原郡豊原町大字豊原字大通北7丁目、オーシップ アルジョッスキー方
(豊原、現ユジノサハリンスク市。豊原町が豊原市になったのは1937年7月1日のこと)
会長は栄浜郡白縫村大字白浦(現ヴズモ―リエ町)のパン商、アダム ムロチコフスキー氏 (写真集「望郷樺太」の白浦のページにポーランドパンを売るポーランド人の写真があったが、その方だろうか?)
同会長は、「我々は露助との交わりは絶対避けて、露助と称さるる事ない様するのである。」と言ったそうです。

戦時中の1944年頃から樺太庁はロシア人、ポーランド人を「ソ連の侵攻から保護する」と称し、大泊郡富内村大字喜美内(現チャパエヴォ村、コルサコフから北東に23キロに位置)のはずれの山の上を切り開き「ロシア村」という収容所を建設し、ここに移住させました。村の内部はロシア、タタール、ポーランドの3区画に分けられていたそうです。そこの居住環境は悪く、樺太庁が建てたバラックは狭いうえ雨漏りもし、土地は耕作に適しなかったそうです。終戦になり「ロシア村」にもソ連軍が来、男たちを通訳として使っていたそうですが、1948年春、ソ連政府はポーランド人のポーランドへの帰国を許可し、ほとんどのポーランド人は帰国したそうです。
[7387] 2003年 1月 6日(月)01:28:45ニジェガロージェッツ さん
サハリンの都市景観
[7357]白桃 さん
>ヨーロッパ、特にイギリス、ドイツの地方は中心部に密集している(塊村、集村的景観)
>ようですが、日本の植民地下にあった地域はどうなのでしょうか?
>台湾、韓国あたりの稲作農村でも、西日本型に近いけれど、もう少し中心集落に集中して
>いる感じを受けましたが。サハリンではどうなのでしょうか?ニジェガロージェッツさん。

ご指名頂きありがとうございます。サハリンの都市形態ですか。
南サハリンの各都市では旧樺太の都市基盤をもとに成立していますので、基本的には北海道と同じく中心部の集落に固まっていると思います。1935年刊の「樺太地誌」には樺太の集落について、
「北海道より大陸へ架けられた陸橋の如き位置にある樺太は、古来南方より日本の勢力が北漸し、北方よりは大陸民族が南下した。最近はロシアが東漸して加わり、其の結果建築に於いても丸太作りのロシア式と、洋風を加味した北海道式ちが交錯して特色ある集落が見られる。」
とし、帝政ロシア時代に集落を生したロシア式農村は「集団型集落」で鈴谷平野に遺され、植民地としての「屯田型集落」は各河川の下流平野や留多加川の谷平野に多く、また丘陵が海岸近くまで迫る樺太の地形により、段丘崖下に「漁場型集落」が発達し、また海岸段丘は至る所に比較的若い谷を彫んで、川口は沈降海岸の一特相海渠を生し、この海渠を小規模の漁港として利用し、周囲に「漁港型集落」が発達する、としています。

そこで、独断と地形図により樺太の各都市を集落形態別に分けてみました。
「首都型集落」 豊原
「集団型集落」 追分、北豊原(ともに豊原市)、小沼
「屯田型集落」 留多加、落合、敷香、気屯(敷香町)、内幌、小能登呂、泊居
「漁場型集落」 女麗(深海村)、長浜、栄浜、白浦(白縫村)、元泊、内路、泊岸、本斗、蘭泊、久春内、珍内
「漁港型集落」 大泊、元泊、真岡、野田、恵須取
また、樺太では製紙工業、石炭炭鉱によって大発展した町があります。
「製紙工場の町」豊原、落合、知取、敷香、真岡、野田、泊居、恵須取
「炭鉱の町」川上、内淵(落合町)、白浦、知取、内幌、恵須取、塔路

さて、戦後それら南樺太の町々はソビエト施政下でもその性格を変える事無く引き継がれますが、豊原(ユジノサハリンスク)を筆頭に逐次ソビエト型の都市に変わっていき、4~5階建てのアパートの林立する都市になっていきました。また、北サハリンの諸集落はロシア式の「集団型集落」を形成していますが、油田地帯に計画的に建設されたオハ市は4~5階建てのアパートが殆どの「ニュータウン型集落」とでも言うのでしょうか。
[7558] 2003年 1月 11日(土)01:34:46ニジェガロージェッツ さん
樺太の鉄道 連絡航路
久しぶりの樺太の鉄道シリーズです。
北海道縦貫鉄道(宗谷本線)が大正11(1922)年11月に開通し稚内港に達し、それまで小樽港より大泊、真岡への航路であったのを鉄道省が大正12(1923)年6月8日、稚内港―大泊港間に連絡航路として営業を開始したものが北海道と樺太を連絡する「稚泊航路」と呼ばれるものでした。
この稚泊航路には砕氷装置を備えた3200トン級の連絡船が2隻就航し、所要時間は8~9時間を要し、
夏季(4月16日より10月31日)1便稚内発23時大泊着 7時
 2便大泊発21時稚内着 5時
冬期(11月1日より4月15日)変1便稚内発 9時大泊着18時
 変2便大泊発10時稚内着19時
 (但し、時代により若干の時刻および便名の変更あり、昭和18年6月以降は運行時刻は軍秘扱い)
昭和10年発行「樺太地誌」によると、代表的な連絡船の一つ「亜庭丸」について、
「亜庭丸3297トン、旅客定員1等18名・2等102名・3等634名―計754名、貨物輸送力400トン、無線電信、砕氷装置を以って海氷の間を進み、方向探知機と音響測深機を以って海霧の濃厚なる難航路を行く優秀船である。」と記述しています。
また、昭和55年発行「北海道鉄道百年史」の稚泊航路の記事から、この航路に就航した歴代の連絡船を拾い上げて纏めてみますと、(前出亜庭丸のトン数が若干異なるが)
船名トン数 就航日退航日他
壱岐丸1680 大正12年6月8日昭和6年5月11日退航
対島丸1839 大正12年6月8日大正14年12月17日野寒布岬で座礁
田村丸1479 大正15年4月16日昭和2年10月21日退航(夏季のみ)
亜庭丸3355 昭和2年12月8日昭和20年8月10日青函連絡船に助勤就航中、米軍機により撃沈
高麗丸3028 昭和6年6月2日昭和7年11月8日(夏季のみ)
宗谷丸3593 昭和7年12月29日昭和20年8月24日稚泊航路終航

昭和20年8月15日、宗谷丸が稚内から大泊港に向けて航行中に終戦となりましたが、ソ連軍の侵攻により樺太奥地より引揚者が大泊港に殺到し、引揚者輸送のため連絡船の他にも特務艦、貨物船、漁船など使用可能なあらゆる船舶により運航は継続され、8月20日頃から樺太引揚者の輸送はピークに入りましたが、8月23日22時大泊港発、翌4時稚内着の宗谷丸の3600人を最後に、連合軍通達で24日18時以降の日本国船舶の運航を全面停止の命令を受け、更に27日に樺太鉄道局長から札幌鉄道局長に対し大泊港にソ連軍艦が進駐してきたため運航を見合わせるとの連絡が入り、この24日4時稚内入港の宗谷丸を最後に「稚泊航路」は休止となりました。
[10790] 2003年 3月 9日(日)01:37:18ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 郡別人口編
久しぶりの樺太ネタです。
樺太の国勢調査人口の1920年から1935年(第一回から第四回国勢調査分)までの人口データを入手しました。
人口の推移として、郡別に追ってみます。
開拓初期の、特に北部諸郡での性比(女100人につき男)の高さは驚異的で、いかに男性労働力が突出していたかが垣間見れます。

支庁、郡の行政区画については1935(昭和10)年現在のものです。

支庁・郡面積km21920年人口性比1925年人口性比1930年人口性比1935年人口性比人口密度
樺太庁全管36,089.77105,899143.04203,754150.39295,196133.05331,943127.809.20
【豊原支庁】4,750.4525,816150.0342,068133.9363,872126.5365,858114.4913.86
 豊原郡1,691.0516,416133.3828,127130.4239,771122.9141,717108.6124.67
 栄浜郡3,059.409,400185.6313,941141.3624,101132.7724,141125.477.89
【大泊支庁】4,842.8626,372133.3459,405154.2873,345129.2561,927115.5612.79
 長浜郡1,598.583,589128.165,480163.0810,297148.489,982122.126.24
 富内郡1,180.561,540173.537,212249.935,561151.294,640136.493.93
 大泊郡436.1615,253122.5030,249127.2739,056120.8729,336108.0167.26
 留多加郡1,627.565,990157.5216,464178.6718,431131.7217,969119.9411.04
【本斗支庁】1,566.539,158115.8418,472153.5618,584124.9923,223120.3314.82
 本斗郡1,566.539,158115.8418,472153.5618,584124.9923,223120.3314.82
【真岡支庁】2,490.0123,432126.9734,807128.5942,070119.8849,201117.4919.76
 真岡郡1,696.5817,445122.3725,770130.3631,144118.9436,491115.3221.51
 野田郡793.435,987141.519,037123.6910,926122.6212,710123.9616.02
【泊居支庁】6,902.6812,729139.7626,710166.8148,570146.3561,031138.538.84
 泊居郡762.898,704127.4412,755149.7615,355130.7316,031130.7621.01
 久春内郡974.271,949156.793,650165.456,888153.337,793126.217.50
 鵜城郡2,237.90899156.862,302148.064,983176.994,968129.572.22
 名好郡2,927.621,177215.558,003207.6921,344149.8432,239142.4211.01
【元泊支庁】3,120.883,824239.0116,087201.2525,896134.7826,544126.888.51
 元泊郡3,120.883,824239.0116,087201.2525,896134.7826,544126.888.51
【敷香支庁】12,416.364,568335.446,205186.3422,859174.2544,159178.853.56
 敷香郡9,586.864,071442.805,653189.4519,981161.9140,132172.064.19
 散江郡2,829.50497160.20552157.942,878307.654,027271.151.42

樺太の支庁、郡についてはその後に大幅な変遷あり。うまく文章でご説明できないので、略図を書きます。

   【1935(昭和10)年 7支庁、16郡】  【1945(昭和20)年 1市、4支庁、10郡】
―――名名敷敷敷敷敷敷散散散―――――――――名名敷敷敷敷敷敷敷敷敷――――――
―――名名敷敷敷敷敷敷敷散散散――――――――名名敷敷敷敷敷敷敷敷敷敷―――――
―――名名敷敷敷敷敷敷敷敷散散――――――――名名敷敷敷敷敷敷敷敷敷敷―――――
―――名名名敷敷敷敷敷敷敷散散散―――――――名名名敷敷敷敷敷敷敷敷敷敷――――
―――名名名敷敷敷敷敷敷散散散散―――――――名名名敷敷敷敷敷敷敷敷敷敷――――
―――鵜名敷敷敷敷――――――散散――――――恵名敷敷敷敷――――――敷敷―――
―――鵜鵜敷敷敷―――――――――散―――――恵恵敷敷敷―――――――――敷――
――鵜鵜鵜元敷敷―――――――――散――――恵恵恵元敷敷―――――――――敷――
―鵜鵜鵜鵜元元―――――――――――散――恵恵恵恵元元―――――――――――敷―
――鵜久鵜元元―――――――――――――――恵恵恵元元―――――――――――――
――久久久元元―――――――――――――――恵恵恵元元―――――――――――――
―――久久元―――――――――――――――――恵恵元――――――――――――――
―――久久元―――――――――――――――――恵居元――――――――――――――
―――久元――――――――――――――――――居元―――――――――――――――
―――居栄――――――――――――――――――居豊―――――――――――――――
――居居栄栄――――――――――――――――居居豊豊――――――――――――――
――野居栄栄――――――――――――――――真居豊豊――――――――――――――
――野野栄栄栄―――――――――――――――真真豊豊豊―――――――――――――
――真野栄栄栄栄――――――――――――――真真豊豊豊豊――――――――――――
――真真真豊豊富――――――――――――――真真真豊豊大――――――――――――
――真真真豊豊富富―――――――――――――真真真市市大大―――――――――――
――本留留留大富富富富―――――――――――本留留留大大大大大―――――――――
―本本留留―大大長長長――――――――――本本留留―大大大大大―――――――――
―本本留―――――長長長―――――――――本本留―――――大大大――――――――
―本本留――――――長長―――――――――本本留――――――大大――――――――
―本留留―――――――長―――――――――本留留―――――――大――――――――
―本留――――――――長―――――――――本留――――――――大――――――――
――留―――――――――――――――――――留―――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
豊原支庁               豊原市
 豊=豊原郡、栄=栄浜郡、       市=豊原市
大泊支庁               豊原支庁
 長=長浜郡、大=大泊郡、富=富内郡  大=大泊郡、留=留多加郡、豊=豊栄郡
 留=留多加郡            
本斗支庁               真岡支庁
 本=本斗郡              本=本斗郡、真=真岡郡、居=泊居郡
真岡支庁               
 真=真岡郡、野=野田郡       恵須取支庁
泊居支庁                恵=恵須取郡、名=名好郡
 居=泊居郡、久=久春内郡、鵜=鵜城郡
 名=名好郡             敷香支庁
元泊支庁                元=元泊郡、敷=敷香郡
 元=元泊郡             
敷香支庁               
 敷=敷香郡、散=散江郡       (図外に、本斗郡の海馬島あり)
[10885] 2003年 3月 10日(月)00:49:50【1】ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 豊原支庁編
樺太の人口推移・群別編[10790]に書き込んだ拙「文字地図」について、[10811]太白さん、[10812]白桃さん、さらに[10881]YSKさんからも好意的なご評価を賜り、恐縮です。
1945(昭和20)年の行政区画図であれば、こちらの常連仲間のIssie先生のホームページに、大変綺麗で解りやすい地図をご作成されており、一見の価値大ありの、お勧めの地図です。
Issie先生の「樺太市町村変遷表」の目次です。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/karahuto/karahuto.htm
#Issie先生、URL のトップ以外を出させて頂きました。まずければご指摘下さい。

[10790]国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 郡別人口編に続き、さらに細かく、大字別に人口の推移を見ていきます。樺太全体では人口は一貫して増加し続けていましたが、細かく大字の単位で見ていくと、逆に年を追って人口の減少している集落もあり、漁業、林業、炭鉱で発展していった当時樺太の開拓の推移の光と影が窺えます。海岸の諸集落では、漁場の盛衰なども垣間見られます。
1935(昭和10)年の大字と現在のロシア地名の対比は、
日本側地図「南樺太地図」縮尺1:5000001945年現在全国樺太連盟発行
ロシア側地図「サハリン州地形図」縮尺1:2000001993年現在
を参考にしました。

町村・大字1920年1925年1930年1935年性比現行ロシア地名現行所属行政区画
【豊原郡】16,41628,12739,77141,717108.61
豊原町12,12522,01031,90334,687107.63
 豊原7,26315,45923,59628,790106.94ユジノ=サハリンスクユジノ=サハリンスク市
 北豊原1,1641,4872,548584134.54ユジノ=サハリンスクユジノ=サハリンスク市
 南豊原5665581,334283108.09ユジノ=サハリンスクユジノ=サハリンスク市
 追分510737774813101.24ヴラジミロフカユジノ=サハリンスク市
 軍川2901,172604464127.45ダーリニェエユジノ=サハリンスク市
 唐松518476438420105.88フリストフォロフカユジノ=サハリンスク市
 清川466497503484106.84ホムトヴォユジノ=サハリンスク市
 大沢227333529477102.21ボリシャヤ・エラニユジノ=サハリンスク市
 並川8829589841,280112.98トロイツコエアニワ地区
 下並川206227362244108.55ノヴォトロイツコエアニワ地区
 中沢33106231848107.33ウスペンスコエアニワ地区
豊北村2,2283,7204,8164,063114.52
 草野225234439443123.74ルゴヴォエユジノ=サハリンスク市
 小沼5979752,0421,892116.97ノヴォアレクサンドロフスクユジノ=サハリンスク市
 富岡712705549498101.62ベレズニャキアニワ地区
 深雪453465470381135.19スタロルースコエアニワ地区
 鈴谷241651300140115.38(集落なし)ユジノ=サハリンスク市
 本川上6901,016709102.57クリュチユジノ=サハリンスク市
川上村2,0632,3973,0522,967112.23
 三井2,0632,3973,0522,967112.23シネゴルスクユジノ=サハリンスク市
【栄浜郡】9,40013,94124,10124,141125.47
落合町5,4968,81814,89314,857112.27
 落合3,3175,95111,55811,269104.56ドリンスクドリンスク市
 志安67516(集落なし)ドリンスク市?
 黒川73131223222115.53ポフロフカドリンスク地区
 川南155283148129126.32(集落なし)ドリンスク地区
 西美保317161204314230.53ブイコフドリンスク地区
 東美保223433402359130.13ブイコフドリンスク地区
 上美保70214409.52(集落なし)ドリンスク地区
 山中342317302243105.93ルチイ(無人)ドリンスク地区
 渡瀬65131156168100.00オクチャブリスコエドリンスク地区
 川北79150172150145.90ウグレザヴォーツクドリンスク地区
 深草138194261232120.95ウグレザヴォーツクドリンスク地区
 小谷5066158234129.41タコエドリンスク地区
 白川143236276267142.73ソコルドリンスク地区
 大谷395512689710112.57ソコルドリンスク地区
 円山132248258346181.30(集落なし)ドリンスク地区
栄浜村2,5683,7475,7045,623157.94
 魯礼328910100.00(集落なし)ドリンスク地区
 栄浜1,3572,3532,0781,814128.75スタロドゥープスコエドリンスク地区
 新栄浜132145158.93(集落なし)ドリンスク地区
 犬主16011216254840.74(集落なし)ドリンスク地区
 野寒297337354105.81(集落なし)ドリンスク地区
 白鳥463201145.12(集落なし)ドリンスク地区
 相浜4188111,2851,432146.47ソヴィエツコエドリンスク地区
 小田寒6011661,3841,413204.53フィルコヴォドリンスク地区
白縫村1,3361,3763,5043,661139.59
 真苫158257141113.64(集落なし)ドリンスク地区
 白浦7189542,0242,744142.19ヴズモーリエドリンスク地区
 真縫6182641,223776135.87アルセンチエフカ(無人)ドリンスク地区

1935(昭和10)年に大字の設定なしで、全国樺太連盟「南樺太地図」および、現ロシア・サハリン州地図に集落の記載のある地名
旧日本地名現行ロシア地名現行所属行政区画
豊北村奥鈴谷ノヴォデレヴェンスカヤユジノ=サハリンスク市
豊北村川上温泉チェプロヴォーツキー(無人)ユジノ=サハリンスク市
豊北村奥川上サナトールヌイユジノ=サハリンスク市
栄浜村保呂ドゥジノドリンスク地区
[11105] 2003年 3月 13日(木)01:18:44ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 大泊支庁編
「国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口シリーズ」第2稿は大泊支庁編です。
樺太南端の西能登呂岬(能登呂村知志谷)から、亜庭湾岸を東へ進み、中知床岬からオホーツク海岸を北上する順に追っていきます。
1935(昭和10)年の大字と現在のロシア地名の対比は、
日本側地図「南樺太地図」縮尺1:5000001945年現在全国樺太連盟発行
「5万分の1地形図」縮尺1:500001930年代  陸地測量部
ロシア側地図「サハリン州地形図」縮尺1:2000001993年現在
「道路地図帳」縮尺1:15000001998年現在
を使用しました。

町村・大字1920年1925年1930年1935年性比現行ロシア地名現行所属行政区画
【留多加郡】5,89016,46418,43117,969119.94
能登呂村1,7115,7563,9734,167133.45
 知志谷3566228401,055146.50アトラソヴォ(無人)アニワ地区
 内砂3871,723752861125.98フヴォストヴォ(無人)アニワ地区
 古江7261,8651,1801,136136.67ウリヤノフスコエ(無人)アニワ地区
 雨龍2421,5461,2011,115124.80キリロヴォアニワ地区
三郷村1,3113,4293,3003,565120.88
 幌内保6301,071953930117.29(集落なし)アニワ地区
 多蘭内6812,3582,3472,635122.18タラナイアニワ地区
留多加町2,9687,27911,15810,237114.57
 留多加1,7222,4103,2472,861104.36アニワアニワ地区
 川口8391,104680127.42ルイバツコエアニワ地区
 河東1,5202,2762,065117.83ペスチャンスコエアニワ地区
 河西1,2462,5103,6533,814118.94ゾロトルイブノエ(無人)アニワ地区
 西留多加878817113.87ザレーチノエアニワ地区
【大泊郡】15,25330,24939,05629,336108.01
千歳村1,8822,6523,1713,071111.79
 貝塚4551,2381,3651,474132.49ソロヴィエフカコルサコフ地区
 千歳(三ノ沢)1,4271,4141,8061,59795.71トレーチヤ・パーチコルサコフ地区
大泊町12,49025,46033,31524,030107.85
 大泊12,41324,67832,87923,789107.64コルサコフコルサコフ市
 古牧77782436241131.73ノーヴイコルサコフ地区
深海村8812,1372,5702,235104.67
 雄吠泊301444721742103.29コルサコフ?コルサコフ市?
 女麗2781,1911,1301,005107.22プリゴロドノエコルサコフ地区
 小田井302502719488101.65(集落なし)コルサコフ地区
【長浜郡】3,5895,48010,2979,982122.12
長浜村1,8923,1134,7624,338111.30
 礼文別4281,0541,204904112.21(集落なし)コルサコフ地区
 奥鉢341391615679114.20ウテスノエコルサコフ地区
 長浜8861,3702,4492,160110.94オジョルスキーコルサコフ地区
 荒栗237298494595108.04(集落なし)コルサコフ地区
遠淵村5621,0762,4762,509116.11
 遠淵5621,0762,4762,509116.11ムラヴィエヴォコルサコフ地区
知床村1,1351,2913,0593,135144.92
 内知床1,0961,0562,2072,649138.86ノヴィコヴォコルサコフ地区
 外知床39235852486184.21(集落なし)コルサコフ地区
【富内郡】1,5407,2125,5614,640136.49
富内村1,5407,2125,5614,640136.49
 喜美内3922,1222,4531,898119.68チャパエヴォコルサコフ地区
 富内2443,0912,0411,378117.69オホーツコエコルサコフ地区
 落帆9041,9991,0671,364193.33レスノエコルサコフ地区

この地域の殆どの集落は、海岸に沿って分布し、その多くが漁港集落と漁場型集落です。
内陸部に位置する集落は、僅かに留多加町河西、西留多加、大泊町古牧、富内村喜美内のみです。


1935(昭和10)年に大字の設定なしで、現ロシア・サハリン州地図に集落の記載のある地名
旧日本地名現行ロシア地名現行所属行政区画
三郷村利良マリノフカアニワ地区
三郷村上多蘭内ゼレノドーリスクアニワ地区
留多加町北平野ヴァスクレセンスコエアニワ地区
留多加町河西小原ブラゴヴェシチェンスコエアニワ地区
留多加町小里ペトロパヴロフスコエアニワ地区
留多加町北小原ウロジャイノエ(無人)アニワ地区
留多加町南小原ポドゴールノエ(無人)アニワ地区
留多加町大豊オゴニキアニワ地区
留多加町上大豊ブリャンスコエアニワ地区
留多加町豊栄ヴイソーコエアニワ地区
千歳村中里ミツレフカアニワ地区
千歳村新場ダチノエコルサコフ地区
千歳村南貝塚ダヴイドヴォ(無人)コルサコフ地区
千歳村ニノ沢フタラーヤ・パーチコルサコフ地区
千歳村一ノ沢ピェルヴァヤ・パーチコルサコフ地区
大泊町大畑ラズドーリナヤコルサコフ市
長浜村何日台(集落なし)ピフトヴイコルサコフ地区
長浜村遠淵湖北岸(集落なし)ベレゴヴォイコルサコフ地区
富内村愛郎スヴォボードノエコルサコフ地区
富内村イチャン湖畔(集落なし)マリコヴォコルサコフ地区
富内村上喜美内タンボフスコエコルサコフ地区
[11247] 2003年 3月 15日(土)01:10:56ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 本斗支庁・真岡支庁編
「国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口シリーズ」第3稿は樺太西海岸の本斗支庁および真岡支庁編をとりあげます。樺太南端の西能登呂岬(好仁村白主)から、間宮海峡側を北へ進み、野田町まで追っていきます。
1935(昭和10)年の大字と現在のロシア地名の対比に用いた地図は、前稿[11105]と同じです。

町村・大字1920年1925年1930年1935年性比現行ロシア地名現行所属行政区画
 《本斗支庁》
【本斗郡】9,15818,47218,58423,223120.33
好仁村1,8756,1642,9523,497127.97
 白主360150271727160.57クリリオンネヴェリスク地区
 宗仁157460242320138.81(集落なし)ネヴェリスク地区
 十串382267670191.67クライニー(無人) ネヴェリスク地区
 十和田811,448527472129.13ペレヌーチエ(無人)ネヴェリスク地区
 木歳150625162158125.71(集落なし)ネヴェリスク地区
 南名好1,0542,2771,2391,267107.70シェブニノネヴェリスク地区
 白牛35978435483128.91(集落なし)ネヴェリスク地区
内幌村1,7783,5495,3867,497121.87
 内幌1,2362,7674,5786,646121.46ゴルノザヴォーツクネヴェリスク地区
 気主542782808851125.13ロパチノネヴェリスク地区
本斗町4,6607,7369,42111,338116.09
 吐鯤保715872845112.31カザケヴィチネヴェリスク市
 本斗3,3564,9525,4726,869113.92ネヴェリスクネヴェリスク市
 遠節5888211,0821,186126.34ロヴェツカヤネヴェリスク市
 阿幸7161,2481,9952,438118.85ヤスノモルスキーネヴェリスク市?
海馬村8451,023825891134.47
 古丹239259210321191.82クラースヌイ(無人)ネヴェリスク地区
 鴎沢325451359362109.25(集落なし)ネヴェリスク地区
 泊皿281313256208114.43モネロンネヴェリスク地区
 《真岡支庁》
【真岡郡】17,44525,77042,07049,201117.49
広地村2,8172,7143,5734,375119.08
 大穂泊8941,0711,4911,754126.03ズイリャンスコエホルムスク地区
 広地7979781,2851,621110.25プラヴダホルムスク地区
 苫舞1,1266657971,000122.22ホルムスク?ホルムスク市?
真岡町9,23913,14715,93819,422111.98
 真岡8,16612,19415,42818,727112.30ホルムスクホルムスク市
 宇遠泊1,073953510695103.81ホルムスクホルムスク市
蘭泊村3,8975,8695,7427,051118.64
 本古丹6786507931,178121.85シマコヴォホルムスク地区
 蘭泊2,0592,5103,2783,946114.92ヤブロチヌイホルムスク地区
 藻白帆615721729893124.94サドヴニキホルムスク地区
 羽母舞4411,887777835115.76ピオネールィホルムスク地区
 歌友104101165199168.92(集落なし)ホルムスク地区
清水村1,4924,0405,8915,643120.17
 二股7472,0242,8272,875111.86チャプラノヴォホルムスク地区
 逢坂5651,5401,9791,737119.32ピャチレーチエホルムスク地区
 清水1804761,0851,031149.03チストヴォードノエホルムスク地区
【野田郡】5,9879,03710,92612,710123.96
小能登呂村1,8733,4693,6274,239123.58
 上能登呂446647880929132.25パヴィノホルムスク地区
 下能登呂5411,3001,3951,567105.46コストロムスコエホルムスク地区
 仁多須362607557681109.54(集落なし)ホルムスク地区
 登富津5249157951,062157.77クラスノヤルスコエホルムスク地区
野田町4,1145,5687,2998,471124.16
 野田3,7094,7326,2116,533117.91チェーホフホルムスク地区
 久良志4058361,0881,938148.14ノヴォシビルスコエホルムスク地区

この地域の殆どの集落は、海岸線に沿って位置していた漁港集落と漁場型集落です。
漁場以外では、製紙工場が真岡と野田にあり、炭鉱は内幌にある「内幌炭山」が有名で、内幌村の人口はその後1万人を越え(拙稿[2593]参照)、1941年には町に昇格しています。
また、清水村は内陸部の西樺太山脈の東側に位置し、留多加川上流域を占め、山村型集落から成っています。
清水村以外の内陸集落は、小能登呂村の上能登呂で、下能登呂も海岸線から3キロほど原野を挟んで内陸に位置しています。
一方、海馬村は樺太で唯一の島だけの村です。海馬島(モネロン島)は1983年の大韓航空機撃墜事件で一躍有名になった島ですが、現在では集落は存在せず、島全体が自然保護区になっており、監視官のような島の番人が居るだけの島だそうです。

1935(昭和10)年に大字の設定なしで、現ロシア・サハリン州地図に集落の記載のある地名
旧日本地名現行ロシア地名現行所属行政区画
内幌村上内幌ヴァトゥチノネヴェリスク地区
内幌村牛荷沢アムールスコエネヴェリスク地区
内幌村越内セレズネヴォネヴェリスク地区
本斗町吐鯤保沢コルホーズノエネヴェリスク地区
本斗町遠節沢プリドロージノエネヴェリスク地区
本斗町麻内ザヴェトゥイ・イリイチャネヴェリスク地区
広地村多蘭泊カリーニノホルムスク地区
広地村南泊帆岸リュブリノホルムスク地区
広地村明牛プリヴォイホルムスク地区
清水村瑞穂ポジャルスコエホルムスク地区
清水村二股南線バンブーチェクホルムスク地区
清水村中野オジダエヴォホルムスク地区
清水村春日峠ペレヴァルホルムスク地区
蘭泊村富内岸沢ソフホーズノエホルムスク地区
[11285] 2003年 3月 16日(日)00:46:11【1】ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 泊居支庁編
「国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口シリーズ」第4稿は樺太西海岸の泊居支庁をとりあげます。この支庁は南の泊居町から北は北緯50度線国境に至る樺太西海岸の南北に細長い支庁でしたが、1942(昭和17)年11月に従来の7支庁制を4支庁に統廃合したときに廃止されました。
しかし、他の地域では幾つかの支庁が統合されてのに対して、ここでは旧泊居支庁の中部および北部にあたる珍内町(1938年4月に三浜村が町制、改称)以北に新たに恵須取支庁を新設・分離し、久春内村以南は真岡支庁に統合した、唯一支庁が細分化した例です。
これは、恵須取周辺の炭鉱が発展し、1930年代後半から急速に人口が増加したことによるかも知れません。
ここでは泊居町から間宮海峡側を北へ進み、北緯50度国境(名好村安別)まで追っていきます。
1935(昭和10)年の大字と現在のロシア地名の対比に用いた地図は、前稿[11105]と同じです。

町村・大字1920年1925年1930年1935年性比現行ロシア地名現行所属行政区画
【泊居郡】8,70412,75515,35516,031130.76
泊居町6,9389,33312,22312,819129.28
 追手2961,8521,7381,608120.88ノヴォセロヴォトマリ地区
 杜門180413649581127.84ウロジャイナヤトマリ地区
 泊居5,2176,0628,6358,865115.27トマリトマリ地区
 唐緒113293355697358.55ネヴォツコエトマリ地区
 元沢284261359679335.26(集落なし)トマリ地区
 奥沢848452487389113.74(集落なし)トマリ地区
名寄村1,7663,4223,1323,212136.87
 鷹沢6241,5731,2871,270136.06(集落なし)トマリ地区
 智来161165310452253.13スタロマチナヤトマリ地区
 名寄9811,6841,5351,490115.94ペンゼンスコエトマリ地区
【久春内郡】1,9493,6506,8887,793126.21
久春内村1,2561,8852,8052,999118.59
 久春内1,1431,5652,5642,618115.47イリインスキートマリ地区
 牛毛113320241381142.68(集落なし)トマリ地区
三浜村6931,7654,0834,794131.26
 幸浜330863561341128.86(集落なし)トマリ地区
 留久志192160849595119.56ベリンスコエトマリ地区
 小田洲171742579640128.57パルスノエトマリ地区
 珍内2,0943,218134.38クラスノゴルスクトマリ地区
【鵜城郡】8992,3024,9834,968129.57
鵜城村8992,3024,9834,968129.57
 来知志19986306883209.82(集落なし)トマリ地区
 伊皿12211314481125.00(集落なし)ウグレゴルスク地区
 円度345386340117.95ラマノン(無人)ウグレゴルスク地区
 鵜城5781,1342,4431,883117.19オルロヴォウグレゴルスク地区
 北宇須6241,7041,781117.20ポレーチエウグレゴルスク地区
【名好郡】1,1778,00321,34432,239147.42
恵須取町6367,25817,77426,548141.52
 恵須取6315,81413,37318,766130.48ウグレゴルスクウグレゴルスク市
 上恵須取3,166218.83クラスノポーリエウグレゴルスク地区
 大平1,4023,7954,250144.82ウダールヌイウグレゴルスク地区
 糸音542606366202.48(集落なし)ウグレゴルスク地区
名好村5417453,5705,691179.24
 名好2834872,4823,085173.98レソゴルスコエウグレゴルスク地区
 西柵丹159606816144.31ボシニャコヴォウグレゴルスク地区
 沃内12128998222.98(集落なし)スミルヌィフ地区
 安別243237354792194.42(集落なし)スミルヌィフ地区

この地域も前稿[11247]の本斗、真岡支庁と同じく、殆どの集落は海岸線に沿って位置しており、北部の名好郡では炭鉱の発達が顕著でした。また、泊居と恵須取には製紙工場がありました。

1935(昭和10)年に大字の設定なしで、現ロシア・サハリン州地図に集落の記載のある地名
名寄村北植民地チェレムシャンカトマリ地区
三浜村下湖北セーヴェルヌイトマリ地区
三浜村北大演習林ロパチノトマリ地区
三浜村三号沢アインスコエトマリ地区
鵜城村古丹スタリツァウグレゴルスク地区
鵜城村南内胡オリシャンカウグレゴルスク地区
恵須取町肝太ニコリスコエウグレゴルスク地区
恵須取町塔路シャフチョルスクウグレゴルスク地区
恵須取町千緒ナデジヂノウグレゴルスク地区
名好村北小沢テリノフスキーウグレゴルスク地区
名好村西柵丹第二部ベールイエ・クリュチウグレゴルスク地区

こうして見ると、名好郡では樺太領有当初から大正時代にかけては、ほとんど無人の沃野だったのが、昭和に入ってからは炭鉱開発で急激に人口が増加しているのが分ります。1938(昭和13)年4月には恵須取町から塔路町(塔路、糸音、千緒の区域)が分立し、1941(昭和16)年には名好村が町制に移行すると同時に西柵丹村(西柵丹、沃内、安別の区域)が分立しています。
1941年末の人口調査では、(樺太全市町村の人口は拙稿[2593]に一覧)
恵須取町39,026人
塔路町30,270人
名好町16,793人
西柵丹村9,296人
と、1935年以降も人口が激増しており、特に恵須取町は豊原市人口37,160人を抜き、樺太第1の都市になりました。
[11305] 2003年 3月 16日(日)15:41:05ニジェガロージェッツ さん
国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 元泊支庁・敷香支庁編
「国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口シリーズ」第5稿(最終稿)は樺太東海岸北部の元泊支庁および敷香支庁をとりあげます。
この地域を、樺太南部の久春内―真縫を結ぶ地峡から北へ、北緯50度線国境まで集落を追って見ます。
1935(昭和10)年の大字と現在のロシア地名の対比に用いた地図は、[11105]と同じです。


町村・大字1920年1925年1930年1935年性比現行ロシア地名現行所属行政区画
 《元泊支庁》
【元泊郡】3,82416,08725,89626,544126.88
帆寄村1,7142,9122,1352,610127.75
 登帆1,3041,214580967116.33(集落なし)マカロフ地区
 馬群潭4101,6981,5551,643135.05プガチョーヴォマカロフ地区
元泊村1,4122,2454,5045,508142.05
 元泊1,0741,9832,8952,285112.36ヴォストーチヌイマカロフ地区
 樫保3382621,6093,223168.67ザオジョールノエマカロフ地区
知取町69810,93019,25718,426122.59
 北遠古丹1,0271,8811,629151.00ポレーチエマカロフ地区
 知取4459,47116,11115,735119.39マカロフマカロフ地区
 東柵丹253165823739131.66トゥマノヴォマカロフ地区
 大鵜取267442323134.06(集落なし)マカロフ地区
 《敷香支庁》
【敷香郡】4,0715,65319,98140,132172.06
泊岸村1,3741,8683,7905,224176.26
 新問3037492,4483,238154.56ノーヴォエポロナイスク地区
 泊岸1,0711,1191,3421,986220.84レルモントフカポロナイスク地区
内路村4381,6623,6155,418176.99
 内路4361,2822,7563,115170.40ガスチェロポロナイスク地区
 内川23808592,303186.44チフメネヴォポロナイスク地区
敷香町2,2592,12312,57629,490170.45
 敷香1,9491,51610,00319,463161.07ポロナイスクポロナイスク市
 上敷香3,587152.25レオニードヴォポロナイスク地区
 大木323135.77ザバイカレツポロナイスク地区
 初問582321.74マトロコヴォポロナイスク地区
 保恵2268781,330194.90ブユークルイスミルヌィフ地区
 気屯198072,835210.86スミルヌィフスミルヌィフ地区
 半田27125.00ロシノスミルヌィフ地区
 武意加341033.33ルイボヴォドノエスミルヌィフ地区
 萩矢9871.93(集落なし)
 振戸57375.00(集落なし)ポロナイスク地区
 留久玉166361.11(集落なし)ポロナイスク地区
 西多来加229250474732251.92ウスチエ(無人)ポロナイスク地区
 東多来加81112414107311.54プロムィスロヴァヤ(無人)ポロナイスク地区
 池田149325.71(集落なし)ポロナイスク地区
【散江郡】4975522,8784,027271.15
散江村4975522,8784,027271.15
 富岸565482363.46ネヴァ(無人)ポロナイスク地区
 矢向831,228738173.33(集落なし)ポロナイスク地区
 野頃3787123228.57ヴラジミロヴォポロナイスク地区
 散江439428373611147.37コチコヴォポロナイスク地区
 円頓8952344171.05(集落なし)ポロナイスク地区
 長磯311175.00(集落なし)ポロナイスク地区
 山越183198582.76(集落なし)ポロナイスク地区
 船泊2157683297.09(集落なし)ポロナイスク地区
 遠内818849937302.15(集落なし)スミルヌィフ地区

1935(昭和10)年に集落は有りながら大字の設定がなく、現ロシア・サハリン州地図に集落の記載のある地名
帆寄村近幌チハヤマカロフ地区
知取町東礼文グレベンスカヤマカロフ地区
泊岸村楠山ヴォストークポロナイスク地区
内路村内路沢ブイトヴォエ(無人)ポロナイスク地区
敷香町中敷香ゴンチャロヴォ(無人)ポロナイスク市?
敷香町千輪街コシェヴォイスミルヌィフ地区
敷香町亜屯エリニキスミルヌィフ地区
敷香町古屯ポベージノスミルヌィフ地区
散江村北知床ムィソヴァヤ(無人)ポロナイスク地区
散江村散頃ネルピチエ(無人)ポロナイスク地区

元泊支庁には知取に製紙工場があり1927(昭和2)年に鉄道が開通して以来、急速に発展しました。また知取、樫保に炭鉱がありました。

敷香支庁は当時日本屈指のパルプの生産地で、敷香から北へ西樺太山脈に沿って国境の半田にいたる国道沿いの上敷香、大木、初問、保恵、千輪、亜屯、気屯といった「山麓植民地」は林業が主で、冬期に冬山伐採搬出のため人口の冬増加が見られ、逆に幌内川河口の敷香では、木材の選別積出のため夏増加が見られました。幌内川以東の東樺太山脈沿いの池田も木材伐採の集落でしたが、ソ連統治下で廃村となり、その南に25キロのところに「トゥルドヴォエ」という集落が建設され、運材軽便鉄道も敷設されました。
炭鉱は内川にあり、ここでは採炭鉱夫の流入で人口の夏増加がありました。敷香とは軽便鉄道で結ばれています。さらにソ連統治下では泊岸村の藤本川(ゴリャンカ川)流域に「ヴォストーク」「ヴァフルシェフ」の2町が建設されていますが、これらも炭鉱町でしょう。
また国境に近い古屯では油田開発も行なわれており、古屯から幌内川を越えて東へ30キロ程行ったところに雁門という石灰石鉱山がありました。ソ連統治下では、雁門から更に奥地に「ピェルヴォマイスコエ」という石灰石鉱の集落が建設され、古屯とは鉄道で結ばれています。
幌内川以東の多来加湾岸にある敷香町西多来加、東多来加および散江村の各集落は漁場漁村で、夏季には漁夫の流入があり人口の夏増加がありましたが、ソ連統治下では僅かに野頃(ヴラジミロヴォ)に小さな集落が残るのみで、特にオホーツク海側の散江村長磯、山越、船泊、遠内は全て廃村となり無人地帯のようです。なお、現在ではヴラジミロヴォ以東の北知床半島(テルペニヤ半島)は「ポロナイスク自然保護区」となっています。半島先端の北知床岬対岸にある海豹島(チュレニー島)はオットセイの群棲地として有名です。

日本統治時代には集落がなかったと思われるところに、ソ連統治下に出来たと思われる集落
知取町東柵丹の北東3キロゴールノエマカロフ地区
泊岸村泊岸の東6キロヴァフルシェフポロナイスク地区
敷香町上敷香の東4キロマイスコエポロナイスク地区
敷香町大木の北3キロヴォスヴラシェーニエポロナイスク地区
敷香町初問の東4キロマリノフカポロナイスク地区
敷香町保恵の北東2キロベレジノスミルヌィフ地区
敷香町保恵の北東6キロラズドーリノエスミルヌィフ地区
敷香町千輪街の東17キロクラスノオクチャブリスコエスミルヌィフ地区
敷香町古屯の東北東11キロミールヌイ(無人)スミルヌィフ地区
敷香町雁門レスノイスミルヌィフ地区
敷香町半田の東36キロ(雁門岩)ピェルヴォマイスコエスミルヌィフ地区
敷香町半田の東44キロ(西山)イズヴェストコヴイスミルヌィフ地区
敷香町敷香の北東13キロゲンザパニ(無人)ポロナイスク地区
敷香町東多来加の北東24キロトゥルドヴォエポロナイスク地区
散江村野頃の北12キロソボリノエポロナイスク地区
[35082] 2004年 11月 14日(日)15:20:30ニジェガロージェッツ さん
記事訂正 アーカイブ「樺太(サハリン)・千島列島ATLAS」収録分
前稿[34902]での訂正箇所ユジノ=サハリンスク市の拡大(1995年)を中心としたもので、重複するテーマになりますが、元記事が別稿ということもあり、個別に訂正を出させて頂きます。

[2593] 【樺太の市町、戦後の推移】
ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は地図記号によればそれぞれ5千人以上の人口を有しているようですが、独立町ではなくユジノサハリンスク市に付随する町として、ユ市の人口に含まれていると考えられます。

補足: ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は1995年にユジノ=サハリンスク市に編入されました。

[2683] 【戦後、樺太・千島に成立した「市」】
レソゴルスク市については1990年代に一挙に「村」まで降格となり、レソゴルスコエと改称されています。

補足: ウグレゴルスク地区レソグルスク市の村組織「レソゴルスコエ村」への改組は1993年です。

[2714] 【樺太、千島、北方四島のロシアにおける行政区画】
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村のうち川上線沿線
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)豊北村(川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)、ベレズニャキ(富岡)

訂正:
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)、ベレズニャキ(富岡)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)

[10885] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 豊原支庁編】
(豊原郡豊北村の項目)
富岡 ベレズニャキ アニワ地区
深雪 スタロルースコエ アニワ地区

訂正:
富岡 ベレズニャキ ユジノ=サハリンスク市
深雪 スタロルースコエ ユジノ=サハリンスク市

[11247] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 本斗支庁・真岡支庁編】
(本斗郡本斗町の項目)
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク市?

訂正:
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク地区

#なお拙ホームページにサハリン州の都市人口データおよび2002年全露国勢調査によるサハリン州の行政区画別人口を設けておりますので、ご興味をお持ちの方はご参照いただければ幸いです。
[45074] 2005年 9月 22日(木)01:28:19ニジェガロージェッツ さん
[44892] Issie さん
国についてのレス、有難うございました。オフ会関連でバタバタしていて、Issieさんからの詳細レスに対し御礼を申し上げるのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

「北海道11ヵ国」の場合には次の文章で始まる明治2年8月15日付の太政官布告(通番734)がその根拠になると思われます。
詳しくご説明いただき有難うございます。
樺太については、その太政官布告(通番734)ににはなく、その後も「樺太国」設置の布告がなされないまま、明治8年5月7日のサンクト=ペテルブルク条約によって樺太の領有権は放棄されたということですね。
何ゆえ、北方では樺太だけが令制国にならなかったのかは知る由もありませんが、ロシア帝国との雑居地だあったことが影を落としていたのかも知れません。
余談ですが、樺太において日本とロシアとの国境を画定させる作業については、アイヌ人居住地域を日本領土とし、それ以外はロシア領とする方向で検討されていたようです。
(具体的な資料は生憎持ち合わせていないため、断言は控えます。)
日露両国がその境を検分しようとしましたが、まずロシア側がクリミア戦争でお流れ、その後、今度は日本側が幕末の動乱でお流れとなり、結局は北緯50度線までの南半を要求する日本と、樺太南端の亜庭湾までに留めたいロシア側とが合意することなく、最終的にウルップ島以北の千島列島と引き換えに樺太は放棄されたという時代背景がありました。

拙稿[44857]にて参考リンクを出した樺太国楠渓海岸図という海図のタイトルに用いられたことは、(放棄までの短い間ですが)国のように認識されたことが偲ばれます。

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