[11692]special-week さん
旧帝国大学は北から北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学とあるわけですが、これってどうやってその地に帝大を設置すると決めたのでしょうか?
明治初期は全国を8学区に分けて各学区毎に大学を設置する構想があったそうですが、この延長線上にあると思いますよ。
出典:お茶の水女子大学「教育原論」(古賀徹)2000年第9回
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http://members.tripod.co.jp/TJCougar/2000-9.html
ちなみにその大学区は以下の通り。
【学制に定められた大学区】 (○=大学本部)
第一大区 | ○東京府、神奈川県、埼玉県、入間県、木更津県、足柄県、印旛県、新治県、 |
| 茨城県、群馬県、栃木県、宇都宮県、山梨県、静岡県 |
第二大区 | ○愛知県、額田県、浜松県、犬上県、岐阜県、三重県、度会県 |
第三大区 | ○石川県、七尾県、新川県、足羽県、敦賀県、筑摩県 |
第四大区 | ○大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、堺県、和歌山県、飾磨県、豊岡県、 |
| 高知県、名東県、香川県、岡山県、滋賀県 |
第五大区 | ○広島県、鳥取県、島根県、北条県、神山県、山口県、浜田県 |
第六大区 | ○長崎県、佐賀県、八代県、白川県、美々津県、都城県、鹿児島県、小倉県、 |
| 大分県、福岡県、三潴県 |
第七大区 | ○新潟県、柏崎県、置賜県、酒田県、若松県、長野県、相川県、 |
第八大区 | ○青森県、福島県、磐前県、水沢県、岩手県、秋田県、山形県、宮城 |
(草案では第八区は大学本部が宮城県でしたが、布告では青森県になったそうです。これは、北海道という開拓使省管轄区域を構想に加えてのことらしいです。)
現在に置き直すと、
第一大区 | 東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・群馬・山梨・静岡(伊豆・駿河) |
第二大区 | 愛知・岐阜・三重・静岡(遠江)・滋賀(北部) |
第三大区 | 石川・富山・福井・長野(中南信) |
第四大区 | 大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・高知・徳島・香川・岡山(備前)・滋賀(南部) |
第五大区 | 広島・鳥取・島根・岡山(備中・美作)・愛媛・山口 |
第六大区 | 長崎・佐賀・熊本・宮崎・鹿児島・福岡・大分 |
第七大区 | 新潟・山形(庄内・置賜)・福島(会津)・長野(東北信) |
第八大区 | 青森・福島(中通り、浜通り)、岩手・秋田・山形(村山・最上)、宮城 |
となります
地域区分としては結構つかえそうな区分になります。
沖縄を九州地域(第六大区)に入れて、北海道・四国地域を別途設定さえすれば、長野市vs松本市、静岡市vs浜松市の問題もなくなりますし、新潟県も居場所ができますね。