[16824]uttさん
レスありがとうございます。そうですね。そういった事例もあるかもしれませんね。
今は太田市の一部となっている旧休泊村ですが、村名の由来はこの地域を流れる用水路「休泊堀」なのですが、この「休泊堀」の名前も、この水路を作った大谷休泊の名をとっているんですよ。
[16825]NSさん
「月形町」が(中略)月形潔の姓に由来していますね。
レスありがとうございます。そうでした、うっかり忘れていましたね。
それはそうと、北海道では開拓者に因む自治体名が多いようで、
仁木町は、徳島県人仁木竹吉が単身渡道して、道内を調査。 帰国後、同志101戸360余名をつれて当地に入地したことによる命名のようです。
京極町は、明治30年、旧丸亀藩主京極高徳子爵が畑作を目的として未開地800haの貸付を受け、洞爺村より京極農場開墾指導者として、5戸27名を招いたことに始まるそうです。
池田町は、に初めて入植したのは明治12年に山梨県出身の武田菊平といわれているのですが、その後、本格的に開墾が始まったのは明治29年だそうで、鳥取藩主の池田公爵による「池田農場」と大資本家の高島嘉右エ門による「高島農場」の二大農場によって開拓が進められたことが直接の命名由来のようです。
というのも、町名は当初は明治39年に「凋寒(シボサム)村」としてはじまり、大正2年4月に「川合村」への変更を経て、大正15年には町制施行とともに現在の「池田町」という名称になったのだそうで、曲折はありますが、上記鳥取藩主の名前が町名の由来となっているとしてよさそうです。
※仁木町、京極町、池田町ともに、それぞれの町の公式ホームページから情報を得ました。