早いもので、「落書き帳」に初書き込みしてから明日で9周年になります…。
さて、落書き帳随一の博識を誇る大先輩・hmtさんの「マガジン」にも特集されている、「
埼玉県入間郡域」。私の母方の祖母がその「入間郡川越町」で生まれ育ったこともあって、身近なものとして興味深く拝見させていただいています。
その「入間郡域」に、未掲載と見られる「自治体越え地名」がありました。
埼玉県所沢市南永井/入間郡三芳町北永井
それと、「これはちょっとどうか…」というのに、
埼玉県所沢市狭山ヶ丘・東狭山ヶ丘/
狭山市狭山・
新狭山/
東京都東大和市狭山
この3地域はいずれも非隣接で遠く離れており、これはおそらく、広い地域が分割されて後にその一部が別々の場所に部分的に残った(例えば「三田」(
[76006])・「新喜多」(
[85732])など)のとは違い、広域地名である「狭山」の名称を後からそれぞれ別々の場所で地名として命名したのではないか、というような感じで、自分の考えでは「自治体越え地名」の「本筋」からは外れている、「仲間には入らない」ように思えるのですが…。「狭山」というと埼玉県のイメージが強そうですが、「東村山音頭」の歌詞に「狭山茶どころ、人情にあつい」と歌われているように、東京都旧北多摩郡の北西部の「村山」地域から、西多摩郡瑞穂町(埼玉県「元狭山村」を分割・越境合併した)辺りも、広域の「狭山」地方に含まれていたのでしょうか。
河川名に由来する狭山市の「
入間川」の町名(西武「狭山市」駅は昔は「入間川」という駅名でした(
[87207]))と、郡名を市名に採用したと見られる「入間市」の関係も、これに類するもので、いわゆる「自治体越え地名」とは意味合いが違うのではないか、と思えますが、いかがなものでしょうか?
♯夕張市の推計人口が9千人を割ったようです(
こちら)。