[99923]むっくん さん
99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村
(居住地を佐倉市としている)グリグリさんの対応後、投稿でも良かったのですが
上記「龍福寺村→龍服寺村」訂正依頼の件、簡単にまとめておきます。(「龍・竜」は同一とみなす)
※本郷村は
T2.4.1埜原村と合併、
本埜村となる。
現在は印西市
竜腹寺、地名は寺院名と関係が深いと思われる。以下、
龍腹寺 - Wikipediaより引用
天和元年(1681年)に書かれたという略縁起によれば、大同2年(807年)の創建で、開山は慈観、初めは慈雲山延命院勝光寺と号したとされ、また龍福寺とも称されたが、釈命上人が雨乞いの祈願をした時、龍が死んでその腹が落ちた地であるため、龍腹寺に改めたとされる。
※
利根川図志(天龍山龍腹寺)にも同趣旨記載あり
資料ごとの表記(例)
【龍腹寺】
天保郷帳(下総国)(124コマ)・
明治22年千葉県町村分合資料(印旛郡2-2)(17コマ右上)
(いずれもやや不鮮明だが恐らく龍腹寺)・
同左(16コマ中ほど)
千葉県印旛郡本埜村誌・
市町村大字読方名彙(左下の本埜村)・
通信区画便覧(左側)
時系列地形図(今昔マップ on the web)・
Google マップ・
標識(同左ストリートビュー)
【龍福寺】
郵便区画町村便覧(M19.6調査)(中央)
【龍服寺】
下総国輿地全図(2コマ地図中の中央付近、ただし左下の略目では龍腹寺)
地名索引・
郵便区画町村便覧(M28)(左側)
以上を踏まえ考察
歴史的な経緯から龍腹寺の表記が地元では幅を利かせているようで、
県令などに記された龍服寺の表記はあまり定着しなかったのではないかと思われる。
(法的根拠の県令表記としても良いが、龍服寺→龍腹寺の改称履歴も示していただければつじつまが合うのでベスト)
【おまけ】
[99341]MI さん
あらためて『高畠町史』下巻の第二章第五節 補筆・特筆の第一項(p.691~711)を読み直してみました。執筆者の思い入れが強烈に入っている感じもしますが、如何に高畑と高畠が混用されてきたかを検証しています。
中略
明治の村々大合併以前の元村「高畑村」の地名は「高畑」であって、「高畠」ではなく、むしろ幕藩体制期を通じ地元では、「高畑村」と書記している。
資料ごとの表記
【高畑】
国郡全図(右上)・
郡区町村一覧(右1列1行)・
地方行政区画便覧(東置賜郡1列1行)
【高畠】
天保国絵図(右側四角で囲まれた村)・
天保郷帳(2コマ)
高畠は幕府側の資料で用いられたが、地元では高畑という解釈?