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たもっちさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[48954]2006年2月4日
たもっち

[48954] 2006年 2月 4日(土)02:29:58たもっち さん
RE:京都市役所の所在地
[48946]inakanomozartさん
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)
すべておっしゃるとおりです(笑)。
ただ、「住所」の「表示」の意味ということを考えると、ちょっと違う気がします。
例えば、甲子園球場の「場所を特定」する意味では、「阪神甲子園駅の南」と言うのが万人にとってわかりやすいと思います。「兵庫県西宮市甲子園町1-82」と言われても、それがどこらへんか咄嗟にわかる人は珍しいでしょうが、だからといって、「この表記は使えない」ということにはならないでしょう。
ただ、やっぱり、京都の特殊性なのか、慣れの問題なのかはわかりませんが、通り名で呼ぶほうがはるかにわかりやすいということには、誰しも賛成すると思うのですよね。
「公式的な表記」と「わかりやすい表記」は分けて考えたほうがいいのでしょうかね。

「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・
町名の読み方について、京都市のスタンスは、「一般的な読み方は示せるとしても、地元等で、それと違う読み方をすることを否定はしない」という感じだと思います。「上本能寺前町」についても、実際、「かみ」と読む人と「うえ」と読む人がいるのかも知れませんが、自分とこの所在地の読み方ぐらい内部で統一できないものかと思います。


話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん([48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。

まず、住宅地図で少し地番を拾ってみたところ、確かに、隣接する町の間で地番が連続していると思われるところがたくさん見つかりました。もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。そこで、市役所周辺の、「柳池」「銅駝」の2つの元学区について、各町の地番を調べてみました。なお、地番は地図サイトの住所検索から拾ったもので、枝番が無視されているなど、必ずしも正確ではないと思われますが、およその目安として見ていただければと思います。

柳池
町名主な地番その他
等持寺町1~36
虎石町38~5790,240
柳八幡町65~80
油屋町83~100
福長町102~12324
松下町125~140
守山町156~177
俵屋町181~199
尾張町202~238273
上白山町239~265231
中白山町268~28951,555
下白山町290~312
丸屋町314~338
大文字町340~356
亀屋町370~406
山本町408~443
妙満寺前町444~469494
上本能寺前町470~491
下本能寺前町492~522
天性寺前町522~541
姉大東町542~560
菊屋町561~574
東八幡町585
御池大東町593~596
橘町604~649663
晴明町650~682606
丁子屋町683~700

柳池学区はおよそ、北は二条、南は三条、西は柳馬場、東は河原町の各通りに囲まれ、市役所北側の榎木町を除く、右上が欠けた長方形の範囲です。ただし、京都の町割の特徴として、町同士が通りで分けられるのではなく、背割りになっているので、学区界も通りではありません。
(学区の区割りについては、こちらもご参考に。)
学区の範囲が確認できたら、地図と上の表を見比べてみてください。
1番地は柳馬場通二条下るの等持寺町にあります。以下、柳馬場沿いに三条手前の油屋町まで南下します。次は、東隣の富小路通りに移り、福長町から北上し、二条手前の俵屋町まで行きます。以下同様に、東隣の麩屋町を南下、その東隣の御幸町通りを北上、その東隣の寺町通りを南下して、天性寺前町まで、ジグザグに縫うように続きます。この後は、姉小路通りに沿って東から西へ、御池通りを西から東へ、押小路通りを東から西へ(ここは町が橘町のひとつだけですが)、二条通りを西から東へとジグザグに進み、丁子屋町で最後です。
これだけの範囲が、地番設定上はひとつの区域とみなされているということになりそうです。

銅駝
町名主な地番その他
行願寺門前町2~17
藤木町18~44
常盤木町45~66
榎木町67~102450
東椹木町104~128
梅之木町130~147
橘柳町148~169
西革堂町170~206
角倉町207~228
大文字町227~244
末丸町246~284541
鉾田町285~310542,543
指物町311~339
清水町340~364
一之船入町366~384535,538
下丸屋町390~426
恵比須町424~44830,534,540,584
樋之口町451~477
西生洲町478
東生洲町481~49038,533
上樵木町490~503
上大阪町515~532
銅駝学区は、中京区の北東隅にあり、およそ、寺町、二条、河原町、三条の各通りをつないだ線が学区界になります。
こちらも、学区北西端の行願寺門前町からスタートです。寺町通りに沿って南下して榎木町まで行った後は、隣の新烏丸通りに移るのですが、こちらはジグザグではなくて、また北端の東椹木町から南下します。その次も新椹木町通りを南下。その次はまた少しイレギュラーで、北東隅あたりの大文字町、末丸町、鉾田町、指物町をぐるりと回ります。その後は、河原町通り沿いに三条あたりの恵比寿町まで南下。それから、木屋町通りに沿って、二条の樋之口町から三条の上大阪町まで南下して終了。なお、末丸町、鉾田町の500番台の地番は土手町通り沿いに固まっているようで、ここらへんも何かルールがありそうな気もします。

番号の付け方については、細かい点では相違もありますが、基本的には、通りに沿って順番に付けているという点は共通していることが推測されます。つまり、inakanomozartさんの予想は、かなりいい線を行ってるんじゃないかと思います。
と、極めてテキトーな調査ですが、こんなもんでいかがでしょうか(笑)。

ちなみに、「元学区」という言葉は京都以外の方は聞いたことがないかもしれません。僕も詳しいことはよく知らない(汗)のですが、語源的には、読んで字のごとく「かつての小学校区」を指すもののようです。今では、統廃合等によって、現実の通学区とは一致していないようですが、依然、自治連合会等の単位として大きな意味合いを持っているそうです。


お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。

すいません、ウソです(笑)。

実感としていちばんしっくり来るのは、「御池通河原町西入る」ですよね。何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。いや、知らんけど(笑)。


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