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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

京都の街と通のつながり 〜京都市街地の特色ある住所表記〜

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記事数=29件/更新日:2006年3月2日/編集者:special-week

京都の地名は分かりづらいと感じる人はいないだろうか?それは交差点名を示した標識にもよく表れている。京都の交差点はどのような仕組みになっているのか検証してみた。

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★推奨します★(元祖いいね) まがみ YSK 今川焼 hmt JOUTOU でるでる 油天神山 駿河の民

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[3431]2002年9月30日
ken
[6571]2002年12月17日
てへへ
[7776]2003年1月16日
深夜特急
[10434]2003年3月5日
まがみ
[11848]2003年3月26日
三鈴
[11886]2003年3月26日
実那川蒼
[11893]2003年3月26日
まがみ
[11905]2003年3月27日
そこのにい
[11916]2003年3月27日
三鈴
[11971]2003年3月27日
実那川蒼
[12005]2003年3月28日
三鈴
[12055]2003年3月29日
そこのにい
[12077]2003年3月29日
三鈴
[15954]2003年5月26日
まがみ
[15956]2003年5月26日
まがみ
[48851]2006年1月31日
むっくん
[48866]2006年2月1日
まがみ
[48879]2006年2月1日
ゆう
[48899]2006年2月2日
むっくん
[48946]2006年2月3日
inakanomozart
[48954]2006年2月4日
たもっち
[48963]2006年2月4日
むっくん
[48969]2006年2月4日
hmt
[49010]2006年2月5日
今川焼
[49550]2006年2月28日
たもっち
[49555]2006年3月1日
YSK
[49565]2006年3月1日
JOUTOU
[49569]2006年3月1日
今川焼
[49584]2006年3月1日
88

[3431] 2002年 9月 30日(月)13:14:05ken さん
右京」 「左京」
>「右京」 「左京」 の命名基準は判りにくいですね。

地図の北が上、というのも、刷り込まれた「先入観」でしかないのですが、

左京、右京の命名基準は、天皇の視線で内裏から平安京を見たときに、
右側の街と左側の街、ですね。
旧平安京の大内裏は現京都御所の場所とはだいぶちがいますが。

京都の住所の「上ル」「下ル」も、地図上で交差点から「上に行く」「下に行く」という
ことではなく、内裏に近い方が「上」なので、内裏に近づく方向を「上ル」、遠ざかる
方向を「下ル」というのですね。
[6571] 2002年 12月 17日(火)02:29:49【1】てへへ さん
「字名」と「町名」の違い
[6538]りょう さん
町名(ちょうめい):2つの意味があります。
1、市区町村レベルの「町」の名称。
2、字名の別称。指し示す内容には字名と同じです。字名で「○○町」という表記が多いためか。

町名という言葉の意味の中に字名が含まれていると考えています。おそらく、この2つの意味が文章の流れによって暗黙に使い分けられるために混乱したのではないでしょうか?

字名(あざめい):市区町村の後につく地域名称で、番地の前の部分。都道府県や市区町村のように接尾語ではなく、接頭語として付加する。大字、字、小字の3つがある。
・大字や字という語をつけない
例)東京都千代田区永田町1-6-1 内閣官房内閣広報室
字名は「永田町一丁目」。住居表示を行う際に大字や字という語を取ってしまうようです。

・「大字」がつく
例)埼玉県上尾市大字西門前577番地 上尾税務署

・「字」がつく
例)京都府舞鶴市字北吸1044番地 舞鶴市役所

・「小字」がつく
例)京都府熊野郡久美浜町小字多茂ノ木3424-1 熊野郡交通安全協会

・「大字」も「小字」もつくもの
例)長野県長野市大字南長野字幅下692-2 長野県警察本部

・字名無し
例)山梨県北巨摩郡小淵沢町835 小淵沢町役場
中心集落の名称がそのまま市区町村レベルの町の名称になった場合など。
郵便番号簿には「下田市の次に番地がくる場合」などという表記がいくつもあります。

・通り名付き
例)京都市上京区今出川通浄福寺西入ル2丁目東上善寺町152 西陣郵便局 http://www.mapion.co.jp/custom/dpo/list/26/26102.html
 京都市内には同じ名称の大字が複数ある場合があり、通り名称をつけて区別しているため、通り名称まで含めて字名としてよいと思います。

 ちなみにこの例は今出川(いまでがわ)通りという東西に走る通りと浄福寺通りという南北に走る通りとの交差点から数えて西に2つ目の大字である東上善寺町という意味です。交差点からの道案内表記でありもっと複雑な場合もあります。東西に進む場合は東入ル(ひがしいる)、西入ル(にしいる)、南北に進む場合は下ル(さがる)、上ル(あがる)を使います。「上」に「る」は普通「のぼる」と読み、「あがる」は「がる」と振り仮名を付けるのが普通ですが、京都の通り名称では「上」に「ル」だけで、「あがる」と慣用的に読みます。下ルも同様です。また、同一の大字でも基点にする交差点が異なると表記内容が変わります。郵便番号簿には複雑な例がたくさん記載されています。
 東上善寺町は区内で1つしかない字名であり本来は通り名称を付けなくても特定可能なのですが、慣例でつけて表示するようです。

 また、大字、小字、字の使い方や組合せには他のパターンがあると思われます。
[7776] 2003年 1月 16日(木)22:20:28深夜特急[北大阪急行] さん
まるたけえびす
本日のNHK「ニュース関西発」で、京都の通りをうたったわらべ唄のCD(『京の通り名の歌』)が好評というニュースをやっていました。

東西の通り
歌詞 通り名
まるたけえびすにおしおいけ丸竹夷二押御池丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池
あねさんろっかくたこにしき姉三六角蛸錦姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路
しあやぶったかまつまんごじょう四綾仏高松万五条四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条
せった(せきだ)ちゃらちゃらうおのたな雪駄ちゃらちゃら魚の棚雪駄屋町、魚の棚
ろくじょうさんてつとおりすぎ六条三哲通り過ぎ六条、三哲
しちじょうこえればはっくじょう七条越えれば八九条七条、八条、九条
じゅうじょうとうじでとどめさす十条東寺でとどめさす十条、東寺

南北の通り
てらごこふやとみやなぎさかい寺御幸麩屋富柳堺寺町、御幸町、麩屋町、富小路、柳馬場、堺町
たかあいひがしくるまやちょう高間東車屋町高倉、間之町、東洞院、車屋町
からすりょうがえむろころも烏両替室衣烏丸、両替町、室町、衣棚
しんまちかまんざにしおがわ新町釜座西小川新町、釜座、西洞院、小川
あぶらさめがいでほりかわのみず油醒井で堀川の水油小路、醒ヶ井、堀川
よしやいのくろおおみやへ葭屋猪黒大宮へ葭屋(町)、猪熊、黒門、大宮
まつひぐらしにちえこういん松日暮に智恵光院松屋、日暮、智恵光院
じょうふくせんぼんさてはにしじん浄福千本さては西陣浄福寺、千本

途中で通りが途切れていたり、抜けていたりしますが、歌にするとすぐ覚えらてけっこう役に立ちますよ。

ちなみに南北の通りの歌はこちらで聞けます。
http://www.kyotobank.co.jp/radiocm/index.html
一度、聞いてみておくれやす。
[10434] 2003年 3月 5日(水)01:45:06まがみ さん
Re: 細長い町・字
[10380]えっす さん
細かいといえば、京都市の中心部も細かいです。
京都市の場合は、確かに町名は細かく分かれていますが、実際上は通り名を使うほうが多いと思います。
 例)下京区間之町五条下ル 下京税務署
   中京区三条通西洞院東入ル 京都西洞院三条郵便局

もちろん、ちゃんと町名もあって、下京税務署は下京区大津町8、京都西洞院三条郵便局は中京区釜座町1が正式な町名です。でも実際は通り名だけで通じるんですよね。

この書き方では、通り名を2つつなげて書いて基準の“座標”を確定させてから、東西南北どちらの方向に行けばいいのかを示しているのですが、一応規則性があって、
 目的地が東西方向の通りに面している場合は、東西の通り→南北の通り→西入ル/東入ル
 目的地が南北方向の通りに面している場合は、南北の通り→東西の通り→上ル/下ル
の順で、それぞれ書きます。なお「上ル」は北上、「下ル」は南下を意味します。

京都市中心部では、郵便番号が5桁から7桁に変わったときに、実際生活上は通り名を使うのに対して、郵便番号は町名ごとに付けられてしまったので、不便だ/ややこしい/実際は町名を使わないのに などといった批判が多くありました。
細かいことですが、郵便局備え付けの郵便番号簿でも、京都市の部分だけ段組が違います。
[11848] 2003年 3月 26日(水)13:47:05三鈴 さん
京都
[10434]まがみ さん
京都市の場合は、確かに町名は細かく分かれていますが、実際上は通り名を使うほうが多いと思います。
(中略)
この書き方では、通り名を2つつなげて書いて基準の“座標”を確定させてから、東西南北どちらの方向に行けばいいのかを 示しているのですが、一応規則性があって、
目的地が東西方向の通りに面している場合は、東西の通り→南北の通り→西入ル/東入ル
目的地が南北方向の通りに面している場合は、南北の通り→東西の通り→上ル/下ル
の順で、それぞれ書きます。

少し前の書き込みに関する質問で恐縮なのですが‥

先日、京都に住む知人に伺ったところ、
「河原町三条」は、西入ル・東入るの場合でも「河原町三条」だし、
「四条河原町」は、上ル・下ルの場合でも「四条河原町」のような気がする‥
それぞれの辻に慣用的な読み方があって、それを場合によってひっくり返すことは
あまりないのでは、と首をかしげていました。

実際のところ、私は京都人ではないので、わからないのですが、
京都では、どのように言い習わされているのでしょうか?
京都人の方、あるいは京都通の方、お教えいただければと思います。
[11886] 2003年 3月 26日(水)23:03:27【1】実那川蒼[あんどれ] さん
京都の交差点の名前
[11848](三鈴さん)
先日、京都に住む知人に伺ったところ、
「河原町三条」は、西入ル・東入るの場合でも「河原町三条」だし、
「四条河原町」は、上ル・下ルの場合でも「四条河原町」のような気がする‥
それぞれの辻に慣用的な読み方があって、それを場合によってひっくり返すことは
あまりないのでは、と首をかしげていました。

確かに、交差点の慣用的な名前は「ある法則」によって統一されていますし、その法則に基づいた呼び方が京都市民の間に定着していると思われます。

その法則とは、
(1) 西大路、東山(東大路)通りは第1優先
(2) 四条、七条、九条通りは第2優先(ひょっとしたら八条通りも)
(3) そのほかは南北の通りが先、東西の通りが後
というものです。

市電の停留所名を決めるときにこのような法則を決めたらしいです。
某巨大掲示板にあった投稿からの孫引きで済みません。
[11893] 2003年 3月 26日(水)23:38:51【1】まがみ さん
Re: 京都の交差点の名前
[11848]三鈴 さん
[11886]あんどれ さん
大きな通りの場合は、慣用的な名前が決まっています。[11886]で指摘があるように、ほとんどの交差点は「法則」によって統一されています。ですが、

「烏丸七条」とは言うのに「七条烏丸」とは言わない
「北大路堀川」であって「堀川北大路」ではない

という例外がありますし、「五条大宮」と「大宮五条」は、どちらも言うような気がします。さらに、「西大路今出川」「東山四条」「西大路丸太町」「川端今出川」「東山今出川」などはいずれも、通りの名前を使わない慣用的な名称になっていますよね。

まあ“慣用”なので、どちらが先だとか後だとか、規則性を考えること自体がナンセンスだとも考えられます。“例外のない規則はない”とも言いますし。私が[10434]で規則性にしても、演繹的なものではなくて、もしかしたら多数の実例を集めて帰納的に導き出した“規則性”なのかも知れません。

そうは言っても、このような大きな道路どうしの交差点ではなくて、例えば[10434]で挙げたような、間之町通、西洞院通のような、細い道路の場合(慣用になる程までに呼ばれることの少ない通りや交差点)には、[10434]の規則性が見られるように思います。

ちなみに、
(通り名+通り名)(慣用的交差点名)
西大路今出川北野白梅町
東山四条祗園
西大路丸太町西ノ京円町
川端今出川出町柳
東山今出川百万遍
のように、通常は呼びます。
さらに、バス停については「東山丸太町」ではなく「熊野神社前」です。
[11905] 2003年 3月 27日(木)02:24:47そこのにい さん
京都レス
こんにちは。
[11895] special-week さん
新着アーカイブ 京都の街と道のつながり、興味深く拝見しました。
ぼくは京都出身者なのですが、交差点名に関しては確かに、一概には言えない感じですね。
河原町三条、三条河原町、どちらもありのような気がします。
ちょっと誤解がないように補足すると、交差点名は習慣で大体決まっていますが、住所を言う場合は、自分の家の面する通りを先に言います。その場合
三条通河原町西入ルとか河原町通三条上ル
のように”通”をいれます。

[11775] ひでまろ さん
[11735] まがみ さん
京都では、きつねうどんときつねそばは東京ほぼ同じです。
たぬきうどんとたぬきそばは、きつねのあんかけになります。
もっと正確にいうと、きつねは大きい厚揚げですが、たぬきは刻んだ厚揚げのあんかけだったように思います。
[11916] 2003年 3月 27日(木)10:56:00三鈴 さん
丸竹夷
[11886]あんどれ さん
交差点の慣用的な名前は「ある法則」によって統一されています
[11893]まがみ さん
細い道路の場合(慣用になる程までに呼ばれることの少ない通りや交差点)には、[10434]の規則性が見られるように 思います。
[11895]special-week さん
新着アーカイブのお知らせ
京都の街と道のつながり
[11905]そこのにい さん
ちょっと誤解がないように補足すると、交差点名は習慣で大体決まっていますが、住所を言う場合は、自分の家の面する通りを先に言います。

皆さま、私の質問[11848]へのお答え、ありがとうございます。おかげさまで、大変勉強になりました。
交差点名と住所の言い方とは異なるというのは、京都の方には常識なのかもしれませんが、私にとっては
目からウロコでした。

これで、東西方向の通りの配列と、南北方向の通りの配列を、しっかり覚えておけば、
京都の街中は、あまり迷わずどこにでも行けるようになりそうですね。

で、その通りの名前の配列なのですが、東西方向の通りについては、
「まるたけえびすに おしおいけ あねさんろっかく たこにしき しあやぶったか まつまんごじょう」
という覚え方がありますね。

京都御所の南に接する丸太町通りから順に、南に向かって、五条通りまでの、
竹屋町、夷川、二条、押小路、御池、姐小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路、
四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺という各通りの名前と配列を、これで覚えられます。

ただ、この覚え方では、中心部しか覚えられませんよね。
この拡大バージョンもあるのでしょうか?
また、南北方向の通りの配列を覚える覚え方も、同じようにあるのでしょうか?

引き続き、お教えいただけますと、嬉しいです。宜しくお願いします。
[11971] 2003年 3月 27日(木)20:52:50【2】実那川蒼[あんどれ] さん
京都の通り名の歌
[11916](三鈴さん)
ただ、この覚え方では、中心部しか覚えられませんよね。
この拡大バージョンもあるのでしょうか?

http://www.mjnavi.com/cdya/warabe.html
によれば、五条のあと、

  雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
  六条 七条 とおりすぎ
  八条こえれば 東寺道
  九条大路で とどめさす

と続きます。ただし、歌詞でも分かるとおり、五条通り以南は主要な通りの名前しか挙がっていません。

もっと数が多いのもありました。鞍馬口通りから七条通りまでの歌です。転載します。
http://vision.kuee.kyoto-u.ac.jp/~hiroaki/survey/

  鞍や寺上立五つ今や元
  武一中立長者三通り
  出水下椹木
  丸竹夷二押御池
  姉三六角蛸錦
  四条綾仏高辻や松万寿に
  五条雪駄屋魚の棚
  珠数二筋万年寺
  七条越えて通り道なし

また、南北方向の通りの配列を覚える覚え方も、同じようにあるのでしょうか?

こちらもあります。ただし、歌詞は古くからありましたが、節が消滅し、現在の歌の節は新たに作られたものです。
http://www.mjnavi.com/cdya/warabe.html
再び転載します。

  寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
  高 間 東 車屋町
  烏 両替 室 衣
  新町 釜座 西 小川
  油 醒井で 堀川の水
  葭屋 猪 黒 大宮へ
  松 日暮に 智恵光BR>   浄福 千本 さては西陣

この歌は京都銀行が新しい節の作曲の主導権を握っていたために、α-station(FM京都)というFM局の京都銀行のCMの歌として、使われています。
http://www.kyotobank.co.jp/radiocm/top.html
[12005] 2003年 3月 28日(金)11:00:01三鈴 さん
京都の通り名の歌の謎
[11971]あんどれ さん
いろいろとお教えいただきまして、ありがとうございます。

[11990]まがみ さん
『京の通り名の歌』については、過去ログ[7776](北大阪急行さん)にもあります。
あ! 過去ログにありましたか!! まがみさん、ご指摘ありがとうございます。
それなりに過去ログをチェックした上で書き込んだつもりだったのですが、これは失礼いたしました。
北大阪急行さま、申し訳ありませんでした。

が、北大阪急行さん[7776]の書き込み内容と、
あんどれさん[11971]が転載されている内容を見比べてみて、新たな疑問が‥。

五条以南の通りの配列って、結局どうなっているのでしょうか?
雪駄屋町、魚の棚と続き、その後、大まかに六・七・八・九条と続くのは、わかります。
でも、魚の棚-七条間!
北大阪急行さん[7776]では、「六条三哲」となっていますが
あんどれさん[11971]の2つ目の歌では、「珠数二筋万年寺」となっていて、全然異なっていますよね。

さらに、
北大阪急行さん[7776]では、「十条東寺でとどめさす」となっていますが
あんどれさん[11971]の1つ目の歌では、「八条こえれば 東寺道」と、東寺は九条より手前にありますね。
実際の位置関係としては、東寺は八・九条間だと思うので、後者の方が、通りの配列には合致している
と思うのですが、とすればなぜ、「十条東寺でとどめさす」ってな歌があるのでしょうか??

また、
あんどれさん[11971]の1つ目の歌では、「九条大路で とどめさす」となっているのに、
あんどれさんの2つ目の歌では、「七条越えて通り道なし」。
これは、どのあたりまでが市街地に含まれていたのかという
歌のつくられた時代の差か何かなのでしょうかねぇ???

いろいろと謎は深まるばかり。
京都の市街地の細かい地図を買ってきて見なければ‥、と思いました。
お奨めの地図があれば、またお教えください。
[12055] 2003年 3月 29日(土)07:38:17そこのにい さん
京都の通りの歌レス
こんにちは。
[12005] 三鈴 さん
いろいろと謎は深まるばかり。
まったくです。

ぼくの知っている五条より下(しも)の通りの歌は
北大阪急行さん[7776]
と同じです。
雪駄ちゃらちゃら魚の棚
六条三哲通り過ぎ
七条越えれば八九条
十条東寺でとどめさす
三哲は京都駅付近の地名なので七条と八条の間にくるはずですが、変ですよね。
三鈴さんのご指摘のとうり東寺の位置もおかしいです。

また、南北の通りは、最後をちょっと端折った感じに記憶しています。

寺御幸麩屋に富
柳堺高間之東は車屋町
烏両室衣新
釜西小川で堀川の水

思うに、これらの歌は口から口へ伝わるうちに、思い違いをしたり都合よく修正したりして、違うバージョンのものが、できてしまったのではないでしょうか。
結局はことばあそびの一種でしょうから、深く考えてもしょうがない面があると思います。

投げやりな答えですみません。
[12077] 2003年 3月 29日(土)21:03:47三鈴 さん
Re:京都の通りの歌レス
[12055]そこのにい さん(このHN、秀逸ですよね!)
これらの歌は口から口へ伝わるうちに、思い違いをしたり都合よく修正したりして、違うバージョンのものが、できてしまったのではないでしょうか。
結局はことばあそびの一種でしょうから、深く考えてもしょうがない面があると思います。

う~ん確かに、伝承されていくうちに変化していった ということなのでしょう。

でも、とすれば、元々の歌は、どんな形だったのでしょう?
いつ頃生まれ、どのようなプロセスを経て、今のように幾種かに変化していったのでしょう?
いま、もっともポピュラーなのは、どのバージョンなのでしょう?
京都の通りの配列を最も正確に表している歌となると、どんなバージョンになるのでしょう? ・・・

さらにますます、気になる知りたいことが出て参ります。
おっしゃるように、「深く考えてもしょうがない」のかも知れません。
でも、地理に関する知的好奇心から、皆さんと、あれこれ深く突っ込んで考えたり情報交換したりできるのが
こちらの掲示板の良いところだ と思っていた私にとっては、「深く考えてもしょうがない」という書き込み、
すこし悲しい気がいたしました‥。
[15954] 2003年 5月 26日(月)15:07:45【1】まがみ さん
京都の通り名表記
[15646]太白 さん
厳密には町名ではないかも知れませんが、京都市中心部の住所標記(上る/下るなどを含むもの)で長い住所標記
町名ではないですよん…他の同名の町名と間違えないよう、区別のために付けているものです。
(一方、てへへさん[6571]では、通り名も含めて字名として良い、と提言されています)

たとえば、[15646]の例の1つ
河原町通今出川2筋目下る西
河原町通今出川下る2筋目西
は、いずれも同じ町名「栄町」を指します。石薬師通河原町西入ル、なども同じ位置を示します。

「栄町」というのは京都市内に3つあり、上京区内に限ってもあと1ヶ所あります。そのため、どの「栄町」かわかるように、通り名を付けて呼ぶのです。そして、その通り名の付け方が何通りもあるため、同じ町名でも住所表記が色々あるということになります。

▼京都市上京区石薬師通河原町西入ル栄町
http://map.yahoo.co.jp/pl?la=1&sc=2&nl=35.1.25.573&el=135.46.18.555&CE.x=267&CE.y=234
[15956] 2003年 5月 26日(月)15:33:54まがみ さん
続・京都の通り名表記
[15954]に続いて、京都の話題。

中京区和久屋町に、市立高倉小学校がありますが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?la=1&sc=3&nl=35.0.12.578&el=135.45.54.086&CE.x=249&CE.y=235
ここの所在地を示したい場合、
(1)高倉通六角下ル…同校HPにはこの表記
(2)高倉通蛸薬師上ル…これも普通の表し方
(3)六角通烏丸東入ル2筋目下ル…大きな通りを基準にして表す
(4)蛸薬師通烏丸東入ル2筋目上ル 同上
などと言えます。(1)(2)が一般的で、(3)(4)はあまり使いませんが、大きな通りを前面に出してわかりやすくする言い方といえます。

ところで、大きな通りを基準にするのだったら、それを最初に持ってきて、(3)は烏丸通六角東入ル、(4)は烏丸通蛸薬師東入ル、ではダメなのか、と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、東西に進もうとする場合は東西の通りを先に、南北に進もうとする場合は南北の通りを先に表記するのが普通です([10434])。

#座標軸が得意な人は、京都の通り名表記は楽しさいっぱいなんですが…

なので、[11905]そこのにい さん
住所を言う場合は、自分の家の面する通りを先に言います
なのは当然で、なぜなら自分の家が東西方向の通りに面しているならば、家を出たら東西方向に動くしかないわけですから、東西の通りを先に言いますし、南北でも同様です。

じゃあ、角地にある場合はどうなるか、と言いますと、例えば京都西洞院三条郵便局は
http://www.mapion.co.jp/front/Front?uc=1&nl=35/00/19.642&el=135/45/29.210&grp=dpo
実際の同局の入口は三条通(東西方向)に面していますので、原則どおりに、三条通西洞院東入ル、とする他、三条西洞院角、三条通西洞院北東角、などと表記することもあります。
[48851] 2006年 1月 31日(火)12:46:46むっくん さん
京都市の住所表示
はじめまして。
このサイトを拝見させていただいてから約1年になります。
鉄分がある議論や地元の議論などしかついていけていないと思いますが、
よろしくお願いします。

[48779] ゆうさん
たとえば京都市役所の所在地は次のとおりです。
京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488

重箱の隅をほじくるようで恐縮なのですが、この京都市役所の住所表示は
厳密には誤りだと思います。
京都市役所の住所としては
(1)京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
(2)京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488
(3)京都市中京区押小路通寺町東入上本能寺前町488
(4)京都市中京区押小路通河原町西入上本能寺前町488
(5)京都市中京区河原町通押小路下る上本能寺前町488
(6)京都市中京区河原町通御池上る上本能寺前町488
(7)京都市中京区御池通河原町西入上本能寺前町488
(8)京都市中京区御池通寺町東入上本能寺前町488
の8通りが考えられます。
住所が(1)~(8)のいずれになるかは、住人(使用者)の意思によるはずです。
このケースでは、京都市が選んだ(1)の
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
が正しい京都市役所の住所なのではないでしょうか。

[48798] hmtさん
例えば 京都市役所の住所は、上本能寺前町という「町名」の前に「河原町御池上る」という「通り名」を付けて、わかりやすく表示されています。

「わかりやすく表示」と言い切るのはいかがなものでしょうか。
確かに、「通り名」を付けるのが「わかりやすく表示」が主目的であることは
否定しません。法律的なことはよく分かりませんが住所表示というのは、
「位置の特定」が本来の趣旨なのではないでしょうか。
京都市役所の場合では「わかりやすく表示」だけなのかもしれませんが、
たとえば、「京都市中京区石橋町」というのは、京都市中京区に2箇所
(二条城の近くと本能寺の近く)存在します。
「京都市中京区御池通小川西入石橋町」、「京都市中京区三条通河原町西入石橋町」、
と「通り名」を付けることに「わかりやすく表示」以外の「位置の特定」という
実質的な意味合いが見出せます。
[48866] 2006年 2月 1日(水)00:14:15まがみ さん
Re:京都市の住所表示
※以下の文中では慣例的に「町名」という語を用いていますが、「町若しくは字」に相当するものとお考えください。

[48851]むっくんさん
たとえば、「京都市中京区石橋町」というのは、京都市中京区に2箇所(二条城の近くと本能寺の近く)存在します。「京都市中京区御池通小川西入石橋町」、「京都市中京区三条通河原町西入石橋町」、と「通り名」を付けることに「わかりやすく表示」以外の「位置の特定」という実質的な意味合いが見出せます。
通り名を付けることにより、実質的に位置を特定しているという機能を果たしているのはその通りですが、それが「正式」な町名か否かはまた別問題と思われます。


京都市における通り名は、「正式」な町名に含まれるのでしょうか?

一般的には、通り名を除いた部分が「町名」であり、「正式」な町名には通り名は含まれない、と考えられていますが、それに関する議論の材料を京都市の例規集から探してみました。

まず、京都市区の所管区域条例(昭和24年4月1日条例第7号)から一部を抜粋しますと、
中京区の所管区域
秋野々町、二条殿町、…、橋之町、石橋町、森ノ木町、…、中島町、石橋町、備前島町、…
となっており、中京区内に2ヶ所存在する「石橋町」について、通り名を付けて区別する、などということはしていません。中京区内には他に「八百屋町」「突抜町」なども2ヶ所ずつ存在しますが、いずれも区別されてはいません。

すると、通り名を付けないものが「正式」な町名と考えられます。すなわち、同名の町名が同一区内に複数存在しているが、これは単なる偶然に過ぎず、本来は通り名を付ける必要はないのだが、たまたま同名の町名が他に存在しているため、(それとは区別するためだけに)通り名を付けて表示する、ということです。その意味において、「通り名を付ける=(単に)わかりやすい表示」ということがいえると思います。

一方、市役所の住所表示について(昭和55年2月15日総文第15号)によれば、
…現在市役所の住所については「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」と表示していますが,来る4月1日から,下記のとおり表示することとします。…(略)…
1 市役所の住所表示
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
2 留意事項
(1) 登記等において既に使用されている旧表示について
登記等において既に使用されている旧表示については,直ちにこれを変更する必要はありませんが,…(略)
とあり、この文面を読む限り、「登記においては通り名も表示されている」と解釈することが可能です。登記上の表示をもって「正式」と解釈するのならば、町名に加えて通り名もあわせて表示するのが「正式」な町名ということになります。もっとも、登記上の表示=「正式」といえるかどうかというのは、また別次元の問題です。

実際の登記を確認したわけではありませんが、おそらく登記上は通り名も表示されているのではないでしょうか。なぜなら、単に「京都市中京区○○町△△番地」と表示されているだけなら、上記の石橋町・八百屋町・突抜町などのように、同一区内に同一の町名が複数存在する場合に区別出来ない、または区別が困難(ただし地番が重複していなければ一応は区別可能)だからです。

しかし、登記には、他の土地・建物と(明確に)区別する、という目的がありますから、「正式」云々に拘るよりも、「わかりやすさ」「区別しやすさ」を重視しているとも考えられます。すると、登記の表示に敢えて通り名も付けているのは「わかりやすさ」「区別しやすさ」のため(だけ)であり、通り名は「正式」な町名には含まれない、とも考えられます。
[48879] 2006年 2月 1日(水)13:23:44【1】ゆう さん
真実はいつも一つ! ではないことも
いろいろ反応したいのですが、まずは。

[48851]むっくんさん
はじめまして。

京都市が選んだ(1)の
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
が正しい京都市役所の住所なのではないでしょうか。
ご指摘ありがとうございます。
まがみさん[48866]もご紹介くださいましたが、京都市はそれを公式に使用すると決めているようですね。

ところで、私が[48779]に書いた
京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488
は、京都市公式Webサイトのフッタから拾ったものです。
【追記】
…というのは私の思い違いでした。お詫びして訂正します。
[48906]たもっちさん指摘感謝です。はて、どこから拾ったものだったか。
【追記終わり】
また、明治31年10月15日公告第44号 市役所開庁位置によれば、
寺町通御池上る東入
だそうです。

京都市では表示を統一しようとする意思はあるようですが、実際には統一しきれてないようです。

さて、
重箱の隅をほじくるようで恐縮なのですが、この京都市役所の住所表示は
厳密には誤りだと思います。
私は、これは「正しい」「誤り」で論じるものではないと思います。
せいぜい「公式に使用すると決めたもの」か「正しいけれど公式には使用しない」かではないでしょうか。


そんな訳で「『龍ヶ崎市』と書くのは誤り」という主張が起こらないことを期待します。

※念のために、Hiro(&TOKO)さんの調査がそういう意図のものではないことはよく承知しております。
再論「ケ」と「ヶ」
は、私もたいへん興味深く推移を見守っております。
[48899] 2006年 2月 2日(木)00:55:43むっくん さん
Re:Re:京都市の住所表示
[48879] ゆうさん
私は、これは「正しい」「誤り」で論じるものではないと思います。
せいぜい「公式に使用すると決めたもの」か「正しいけれど公式には使用しない」かではないでしょうか。
ゆうさんの方が正しいですね。
多分、「地番」でも「住居表示」でもない「住所」を市役所が使っているのでしょうから。

[48866] まがみさん
登記上の表示をもって「正式」と解釈するのならば、町名に加えて通り名もあわせて表示するのが「正式」な町名ということになります。もっとも、登記上の表示=「正式」といえるかどうかというのは、また別次元の問題です。
確かにそうですね。
字には「所属している町名」と「位置の特定」という2つの機能があると思うのですが、京都市中心部のように
「所属している町名」(e.g. 石橋町)と「位置の特定」(e.g. 三条通河原町西入)の機能が分離しているとき、
果たして登記簿にどう記載するべきか(石橋町or三条通河原町西入石橋町)がそもそも一義的に決まらないですからね。
その一義的に決まらない登記簿上の表示から「正式」な字がいったい何か、なんて読み取れないでしょう。
個人的意見ですが、「地番」として、京都市中京区石橋町××、「住居表示」として京都市中京区三条通河原町西入石橋町××
などとしてくれると分かりやすくていいのですが。
[48946] 2006年 2月 3日(金)17:26:47inakanomozart さん
京都市役所の所在地
[48932] 2006年 2月 3日(金) 00:42:35  たもっちさん
産業観光局観光部観光振興課のページ
Teramachi Oike, Nakagyo-ku, Kyoto 604-8571, JAPAN.
番地も無視です。ある意味、一番わかりやすいのかもしれません。
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)

総務局国際化推進室
488 Uehonnojimae-cho, Teramachi-Oike, Nakagyo-ku,Kyoto City, Japan 604-8571
こちらは町名入りです。が、「うえほんのうじまえちょう」というのが違和感があります。
「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・(優秀な職員ばかりだと言ううわさだからそんなことないのかなぁ)

話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)

お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
[48954] 2006年 2月 4日(土)02:29:58たもっち さん
RE:京都市役所の所在地
[48946]inakanomozartさん
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)
すべておっしゃるとおりです(笑)。
ただ、「住所」の「表示」の意味ということを考えると、ちょっと違う気がします。
例えば、甲子園球場の「場所を特定」する意味では、「阪神甲子園駅の南」と言うのが万人にとってわかりやすいと思います。「兵庫県西宮市甲子園町1-82」と言われても、それがどこらへんか咄嗟にわかる人は珍しいでしょうが、だからといって、「この表記は使えない」ということにはならないでしょう。
ただ、やっぱり、京都の特殊性なのか、慣れの問題なのかはわかりませんが、通り名で呼ぶほうがはるかにわかりやすいということには、誰しも賛成すると思うのですよね。
「公式的な表記」と「わかりやすい表記」は分けて考えたほうがいいのでしょうかね。

「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・
町名の読み方について、京都市のスタンスは、「一般的な読み方は示せるとしても、地元等で、それと違う読み方をすることを否定はしない」という感じだと思います。「上本能寺前町」についても、実際、「かみ」と読む人と「うえ」と読む人がいるのかも知れませんが、自分とこの所在地の読み方ぐらい内部で統一できないものかと思います。


話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん([48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。

まず、住宅地図で少し地番を拾ってみたところ、確かに、隣接する町の間で地番が連続していると思われるところがたくさん見つかりました。もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。そこで、市役所周辺の、「柳池」「銅駝」の2つの元学区について、各町の地番を調べてみました。なお、地番は地図サイトの住所検索から拾ったもので、枝番が無視されているなど、必ずしも正確ではないと思われますが、およその目安として見ていただければと思います。

柳池
町名主な地番その他
等持寺町1~36
虎石町38~5790,240
柳八幡町65~80
油屋町83~100
福長町102~12324
松下町125~140
守山町156~177
俵屋町181~199
尾張町202~238273
上白山町239~265231
中白山町268~28951,555
下白山町290~312
丸屋町314~338
大文字町340~356
亀屋町370~406
山本町408~443
妙満寺前町444~469494
上本能寺前町470~491
下本能寺前町492~522
天性寺前町522~541
姉大東町542~560
菊屋町561~574
東八幡町585
御池大東町593~596
橘町604~649663
晴明町650~682606
丁子屋町683~700

柳池学区はおよそ、北は二条、南は三条、西は柳馬場、東は河原町の各通りに囲まれ、市役所北側の榎木町を除く、右上が欠けた長方形の範囲です。ただし、京都の町割の特徴として、町同士が通りで分けられるのではなく、背割りになっているので、学区界も通りではありません。
(学区の区割りについては、こちらもご参考に。)
学区の範囲が確認できたら、地図と上の表を見比べてみてください。
1番地は柳馬場通二条下るの等持寺町にあります。以下、柳馬場沿いに三条手前の油屋町まで南下します。次は、東隣の富小路通りに移り、福長町から北上し、二条手前の俵屋町まで行きます。以下同様に、東隣の麩屋町を南下、その東隣の御幸町通りを北上、その東隣の寺町通りを南下して、天性寺前町まで、ジグザグに縫うように続きます。この後は、姉小路通りに沿って東から西へ、御池通りを西から東へ、押小路通りを東から西へ(ここは町が橘町のひとつだけですが)、二条通りを西から東へとジグザグに進み、丁子屋町で最後です。
これだけの範囲が、地番設定上はひとつの区域とみなされているということになりそうです。

銅駝
町名主な地番その他
行願寺門前町2~17
藤木町18~44
常盤木町45~66
榎木町67~102450
東椹木町104~128
梅之木町130~147
橘柳町148~169
西革堂町170~206
角倉町207~228
大文字町227~244
末丸町246~284541
鉾田町285~310542,543
指物町311~339
清水町340~364
一之船入町366~384535,538
下丸屋町390~426
恵比須町424~44830,534,540,584
樋之口町451~477
西生洲町478
東生洲町481~49038,533
上樵木町490~503
上大阪町515~532
銅駝学区は、中京区の北東隅にあり、およそ、寺町、二条、河原町、三条の各通りをつないだ線が学区界になります。
こちらも、学区北西端の行願寺門前町からスタートです。寺町通りに沿って南下して榎木町まで行った後は、隣の新烏丸通りに移るのですが、こちらはジグザグではなくて、また北端の東椹木町から南下します。その次も新椹木町通りを南下。その次はまた少しイレギュラーで、北東隅あたりの大文字町、末丸町、鉾田町、指物町をぐるりと回ります。その後は、河原町通り沿いに三条あたりの恵比寿町まで南下。それから、木屋町通りに沿って、二条の樋之口町から三条の上大阪町まで南下して終了。なお、末丸町、鉾田町の500番台の地番は土手町通り沿いに固まっているようで、ここらへんも何かルールがありそうな気もします。

番号の付け方については、細かい点では相違もありますが、基本的には、通りに沿って順番に付けているという点は共通していることが推測されます。つまり、inakanomozartさんの予想は、かなりいい線を行ってるんじゃないかと思います。
と、極めてテキトーな調査ですが、こんなもんでいかがでしょうか(笑)。

ちなみに、「元学区」という言葉は京都以外の方は聞いたことがないかもしれません。僕も詳しいことはよく知らない(汗)のですが、語源的には、読んで字のごとく「かつての小学校区」を指すもののようです。今では、統廃合等によって、現実の通学区とは一致していないようですが、依然、自治連合会等の単位として大きな意味合いを持っているそうです。


お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。

すいません、ウソです(笑)。

実感としていちばんしっくり来るのは、「御池通河原町西入る」ですよね。何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。いや、知らんけど(笑)。
[48963] 2006年 2月 4日(土)11:50:30むっくん さん
「京都市役所の住所は何で寺町通御池上るなんでしょうか」に対する考察
[48954] たもっち さん
何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。

それでは、市役所の建物が建つ以前の歴史をひも解いてみましょう。

〈江戸時代末期〉
御池通は寺町御池以西にしかない幅約3mの細い道路(現在の歩道の半分ぐらいの幅)。
押小路通も寺町押小路以西にしかない。
京都市役所の北側1/10は妙満寺の敷地、南側9/10は本能寺の敷地。
押小路通(寺町押小路~河原町押小路の間)は妙満寺の敷地。
御池通(寺町御池~河原町御池の間)は本能寺の敷地。
〈明治31年〉
市役所開庁
〈大正15年〉
京都市電河原町線 延長(河原町丸太町~四条河原町)
〈昭和2年〉
京都市電河原町線 実質的に全通(全通は昭和4年1月16日)
〈昭和20年(強制疎開前の姿)〉
御池通(寺町御池~河原町御池の間)は、現在の市庁舎南側広場のあたりを東西に走る幅約3mの細い道路
この時、市役所の北側には押小路通はなく妙満寺。
〈昭和20年〉
御池通・堀川通沿いの家を強制疎開させ、建物(土蔵を除く)はすべて取り壊されたことで御池通は南側に広がり60m幅の大通りとなる。
この時、鴨川まで御池通が延長された。現在の御池通の基礎が出来る。
〈昭和39年〉
御池大橋建設で御池通の東端は川端通に達する。
〈昭和43年〉
市役所北側の妙満寺が岩倉に移転。この後、市役所の北側には押小路通が作られる。

まず、市役所が出来、市役所の位置が
[48879] ゆう さん
明治31年10月15日公告第44号 市役所開庁位置によれば、寺町通御池上る東入
とあることより市役所が出来る前には江戸時代のままで、御池通が寺町~河原町間にはなかったと考えられます。そして、市役所が出来た後に、市役所南側(現在の市役所の敷地内)に御池通ができたと推測できます。
ただ、それでは、御池通がまっすぐ走っていないことより寺町御池が2箇所できることになってしまいます。それで、
[48866] まがみ さん
現在市役所の住所については「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」
と「寺町通御池上る」から「寺町通押小路下る」へと住所が変更されたと考えられます。第二次世界大戦により御池通が拡張されて直線になると寺町御池は1箇所になり、「寺町通押小路下る」である必要が無くなりました。そこで、
[48866] まがみ さん
「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」と表示していますが,来る4月1日から,下記のとおり表示することとします。…(略)…
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
と分かりやすい元来の「寺町通御池上る」へと昭和55年に変更されたのではないかと考えられます。

次に、それではなぜ、「御池通河原町西入」ないしは「河原町通御池上る」ではなくて「寺町通御池上る」を採用したかについて考えてみます。
京都の通りはよく碁盤の目をしていると言われますが、厳密には寺町通以西が碁盤の目をしているのです。ではその東側について見ますと東側から順に、鴨川、御土居、(河原町通り)、寺町通の東側の寺々、そして寺町通がありました。御土居が京都の第一の防衛線、寺町通の東側の寺々が第二の防衛線でした。つまり、江戸時代には寺町通が実質的には洛中の最東端の通りであったのです(もちろん当時も河原町通りはありました)。
それで、京都市役所の住所を定めるにあたり、河原町通ではなく実質的には洛中の最東端の通りの寺町通を明治時代の人も当然のごとく採用して「寺町通御池上る」になった、ただそれだけのことでしょう。

では、いつ河原町通がメジャーな存在となり始めるのかといいますと京都市電が河原町通に通った時、つまり昭和初期以降に徐々に繁華街としての地位を確立していくこととなります(例えば大正元年頃の京都の一等地は新京極錦でした)。
[48969] 2006年 2月 4日(土)14:46:08hmt さん
京都の「番組」・「学区」
[48946] inakanomozart さん
京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。

昨夜、今尾恵介さんの「住所と地名の大研究」[26845]85~90頁を参照して原稿を書いたのですが、一晩寝かせている間に、たもっちさんから、現地の住宅地図調査に基づく力作[48954]がアップされました。
# 性急に横レスを入れずに、御指名のあった たもっちさん からのレスを待っていてよかった。

今尾さんの手法も同様のもので、まず住宅地図から番号を追跡し、いくつかの町をまとめた一辺(正確には切手のようにジグザグ)300~500mぐらいの長方形のブロック毎に地番が付けられていることを発見しています。
同書86~87頁には、下京区の結果が図示されています。これによると、ブロックの北西隅の1番から蛇行しているようにも思われるのですが、順番から外れているものも多く、番号も飛んでいて一筋縄ではゆきません。

今尾さんの次の段階の発見も、たもっちさん[48954]
もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。
と同じです。

京都市の町組改正と小学校 によると、16世紀の京都に形成された町組(ちょうぐみ)が、明治元年・明治2年の改正により、三条通を境に北側が上京33番組(884町)、南側が32番組(821町)に再編成され、平均26~27町の各番組には学校が1つずつ作られたとあります。
一般に「番組小学校」と呼ばれるこの町組会所兼小学校は、教育(筆道,算術,読書)だけでなく、京都府の出先機関としての戸籍事務から警察・消防まで各種の仕事を行なう近代京都の「自治センター」だったのだそうです。
有済小学校に残る太鼓望楼 は、番組小学校が火の見を含めた「総合庁舎」の役割を果たしていた事実を伝えています。

現・京都市役所付近で、たもっちさんが調査された区域の富小路通御池角に明治2年5月21日に作られた上京第二十七番組小学校は、番組小学校の第1号であり、その年のうちに全64校が出揃い、明治5年の全国的な学制発布に先立つ、日本最初の学校群が発足しました。

学校の名称には明治25年「学区」に再編成された際に、中国の古典(論語など)や地域の歴史に由来する漢字名が付けられ、例えば柳池(りゅうち)小学校となり、その区域は「柳池学区」と呼ばれるようになりました。

この「学区」は、単なる通学区域ではなく、独自の財源を持ち,教育経費を負担する自治団体として、昭和16年に国民学校令により廃止されるまで存続していたというから驚きます。
明治6年から御池通柳馬場東入北側にあった柳池小学校は、戦後の新制中学に転用されるなどして、通学区と従来の「学区」とは一致しなくなり、「元学区」[48954]と呼ばれるようになったようですが、素晴らしきわがまち の執筆者を見るとわかるように、現在でも自治組織として活動している様子をうかがうことができます。

地番が付けられたのは地租改正事業の際でしょうが、当時、このように機能していた「番組」という区域が地番区域として用いられたのは“自然ななりゆき”であったというのが、今尾さんの結論です。

今尾さんの本の存在ついては、既に[48957] YSKさんも言及しておられますが、たもっちさんが、独自の調査によって、短期間でこれと同様の結果を導かれたことは、敬服に値します。
リンクされた頁も、とても役に立ちました。
“どうにもカッコが悪いので消しちゃったほうがいい”[48959] などと言わないでください。
[49010] 2006年 2月 5日(日)23:31:15【2】今川焼 さん
「寺町通御池」の謎
京都市役所の住所表記の件興味深く拝見しています。
[48995] hmt さん
“過去からのいきさつで南北の道は「寺町通」にする”という理由では弱いように思われます。東西の道については、過去のいきさつにとらわれずに変更しているのですから。
では、外部に対して位置を明示することよりも、市役所内部からの観点で住所を決めることを優先すると、現在でも「寺町通」を先にしたい理由があるのではないか?
もちろん私にも本当ところはわかりませんが、いくつか理由を考えてみました。

・御池通が拡幅されて実情に合わなくなった「押小路下る」の部分だけを「御池上る」に差し替えたという単にそれだけのこと?
・「寺町通押小路下る」が「御池通河原町西入る」となると、京都の事情を知らない人は市役所が全然別の場所に移ったと勘違いするから?
・京都市役所の前あたりがすでに「寺町御池」という地名(通称名)で定着していたから?(市役所最寄りのバス停は市バスは当然「京都市役所前」ですが、同じ場所でも京都バスは「寺町御池」を名乗っており、「河原町御池」バス停は、河原町通りを渡って東へ100mほど行ったところ)
・古くから洛中であった寺町通りに比べ「河原町御池」がメジャーな交差点になって、まだ、たかだか30年足らずと歴史が浅い?
・「寺町」を外すことに地元の寺町商店街が反対した?

まぁ最後のは別にして、いろいろな要因があるのかもしれません。よく京都の街は碁盤の目で、その住所は通り名を組み合わせて規則性を持ってに表されると言いますが、これは
[11893] まがみさん の
規則性にしても、演繹的なものではなくて、もしかしたら多数の実例を集めて帰納的に導き出した“規則性”なのかも知れません。
ということだと思います。ですから例外もあり得ます。

一例として。下京区の烏丸通り沿いに京都銀行の本店があります。(地図)烏丸通りと高辻通りとの交差点の南西角ですので、住所は「烏丸通高辻下る」かと思いきや、烏丸通松原上る薬師前町700番地となっています。しかも店の目の前にあるバス停名も「烏丸松原」です。道幅を比べると高辻通りの方が松原通りの2倍ほどありそうです。
思うに松原通りは今でこそ地元客向けの小さな商店街ですが、江戸時代には清水寺への参道で大丸百貨店の前身の大丸呉服店もあったというにぎやかな商業地で、また主要な道路だったようです。そういう合理性だけでは説明できない歴史的な重みというか慣習のようなものも京都では住所表記に表れているように思います。


ところで、京都市役所周辺の道路の変遷はこちらのページがわかりやすいです。古地図をお持ちでない方はどうぞ。
[49550] 2006年 2月 28日(火)23:21:47たもっち さん
寺町御池リターンズ
少し古い話題になりますが、京都市役所の所在地表示に関する疑問についての話です。
軽くおさらいしておきますと、一般に「河原町御池」にあるとされている京都市役所の所在地表示は、正式には「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」となっているのですが、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」、また、「建物は南側が正面、つまり、御池通りに面しているのに、なぜ『御池通寺町東入る』ではなくて、『寺町通御池上る』なのか」、という議論が[48946][49276]あたりで繰り広げられました。落書き帳アーカイブ「京都の街と道のつながり ~京都市街地の特色ある住所表記~」にもその一部が収録されています。この稿では、このうち後者の疑問についての新たな仮説を提案したいと思います。

先日、職場からある研修に参加したのですが、その時の案内文の次のような表記が目に止まりました。
会場:
京都府立総合社会福祉会館(ハートピア京都)
(中京区竹屋町通烏丸東入る清水町375)
皆さん既に御承知の通り、町名がわからなくても、通り名から大体の位置は把握できるので、「ああ、あの辺か」と思いながら、念の為、地図で確認することにしました。すると、こんなところであることがわかりましたが、そこで、軽い違和感を感じました。ご覧のとおり、この建物は烏丸竹屋町の角にあります。となると、接する通りの大きさを考えると、正面は烏丸通りに面して設けるのが普通でしょう。研修当日に確認しましたが、実際そうでした。竹屋町通り側は駐車場の入り口ぐらいはありましたが、とても正面という雰囲気ではありません。[15956]でまがみさんが書かれているように、通り名は建物の正面が接している通りを先に書くのが通例ですから、この場合「烏丸通り竹屋町上る」とするのが実感にも合うのですが、実際には上述のように表示されているわけです。つまり、タテとヨコの立場は逆ですが、京都市役所と似たような状況だなぁ、と思ったわけです。
そこで、地図をもう少し詳しく見てみると、ハートピア京都の建物は、表示されている清水町のほかに、西側の烏丸通りに沿った部分は大倉町にもまたがっています。そして、清水町というのは竹屋町通りに面した町です。ということは、この建物の所在地を表す通り名が「烏丸通竹屋町上る」ではなく、「竹屋町通烏丸東入る」となっているのは、所在町名として「清水町」を名乗っているせいではないか、と考えました。
なお、この建物が清水町を名乗ることになった理由はわかりません。住宅地図で確認してみると、清水町の部分は南側の一部のみで8~9割がたは大倉町にかかっているように見えます。それに、上述の通り、正面玄関があるのも大倉町と思われます。しかし、複数の町にかかる建物がどの町を選択するかということは、これもまた奥が深そうなテーマではありますが、今回の話とはまた別の話になると思いますので、ここではこれ以上追究しません。ここで言いたいのは、「(理由はわからないが)清水町を名乗ることになったために、それに連動して、竹屋町を先に表示することになったのではないか」と言うことです。逆に、大倉町を名乗っていたならば、「烏丸通竹屋町上る大倉町」となっていたのかも知れません。

以上のような考えから、通り名の表示においては、既知の「建物が面する通りを先に表示」することのほか、以下のような原則があるのではないかと推測しました。
・建物が属する町が面している通りを先に表示する。
・角地などで建物が複数の町にまたがっている場合は、所在として表示する町名によって、前項の原則を適用する。

ひとつ目の項目で「町が面している通り」という書き方をしましたが、これを理解していただくには、京都の町割の特徴を知っておいていただく必要があります。既に御存知のかたも多いと思いますが、少し横道に入って、軽くおさらいしておきます。
極端な例として、札幌市の例と比較してみます。札幌の中心部は、京都のように碁盤の目のようにブロック分けされていますが、町割のしかたは全く違います。札幌は道路で囲まれたブロックをひとつの単位として、「○条○丁目」(一般例としては「○町○丁目」等)という名前をつけます。一方、京都では、ブロックを囲む4本の道路のどこに面しているかによって、属する町が違います。逆に、ブロックが違っていても、道路を面して向かい合った同士でひとつの町を形成します(参考ページ)。つまり、それぞれの町はブロックによって規定されるのではなく、それが面している通りによって規定されていると言えます。また、基本的に、ひとつの町が面している通りはひとつだけである、ということも言えると思います。もう少し細かく規定するには、例えば、「『清水町』とは、竹屋町通りの烏丸と東洞院の間の部分に面するところを指す名前である」というような具合になるでしょうか。「町が面している通り」と書いたのはそれを裏から見たものだというようなイメージで捉えてくださればよいかと思います。
横道のついでに。京都に限らず、旧城下町のような古い町並みでは同じような町割が見られることがありますが、住居表示法による住居表示を実施した地域では、札幌のようにブロック単位での町割になっているところがほとんどだと思います。ごく珍しい例外が大阪の中心部に見られます。

さて、話を元に戻します。
京都市役所の所在地表示がどのようにして決められたかを推測するわけですが、市役所の本庁舎が「上本能寺前町」に属していることは既知として、これを上記ひとつ目の仮原則に当てはめようとすると、上本能寺前町が面しているのはどの通りであるかを知る必要があります。そこで、地図を見てみると、寺町通りと御池通りに接していることがわかります。しかし、[48963]むっくんさんに御教示いただいた通り、かつては、御池通りはここが東端であり、寺町通り以東までは通っていませんでした。ということは、本来、「上本能寺前町」とは、「寺町通りの押小路と御池の間の部分に面するところを指す名前である」ということが推測されます。つまり、
・京都市役所が御池通りを向いているにもかかわらず、所在地表示が「御池通寺町東入る」ではなくて「寺町通御池上る」とされている理由は、「市役所建物が属しているところの『上本能寺前町』が寺町通りに面している町だから」である。
これが本稿での結論ですが、いかがでしょうか。
もちろん、僕の勝手な推論に基づくものであり、真実かどうかはわかりません。いろいろ反論があるかもしれませんし、前回のように、「そんなの誰々の何々という本に既に書いてあるよ」ということがあるかもしれません。
それから、あくまで「『本来は』こうだったのではないか」ということを考えているのであって、それ以外の表示をすることが間違いだとか言おうとしているわけでもありません。現実にはいろんな表示がされていますが、それらが間違いだということは全くありませんし、旧来的な表示が利便性を優先した表示に取って代わられることも「あり」だと思います。

ちなみに、市役所の所在地表示のもうひとつの疑問、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」についても、上記の推論が生かせるかもしれません。つまり、「上本能寺前町」は本来「寺町通り」に面したところを指す町名であるために、「河原町通り御池上る上本能寺前町」という表示はあり得なかったのだとも考えられますが、いかがでしょうか。


少し力みすぎて長くなってしまいました。与太話に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。


ここからはオマケです。
河原町御池交差点の角にあるほかの施設はどんな表示をしているのかを調べてみました。
【北西】
京都市役所
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
さんざん既出の通りです。

【南西】
あおぞら銀行京都支店他
京都市中京区河原町通御池下る下丸屋町394
極めて普通の感覚だと思います。

【北東】
京都ホテルオークラ
京都市中京区河原町二条南入一之船入537-4
御池上るではなくて、二条から下りてくるというのは、やはり御池通りがなかったころの名残でしょうか。しかし、「南入」という表現が珍しいです。ちなみに、同じビル内のテナントは「京都府京都市中京区河原町通御池上る一之船入町537-4」という表示をしているものもあります。(参考

【南東】
京都信用金庫河原町支店他
京都市中京区河原町通二条下ル二丁目下丸屋町390番地の2
これも御池通りがなかったころの名残でしょうか。それにしても、ここまで「二条下ル」というのは、今の普通の感覚ではちょっと驚くと思います。


市役所も、東側一部がかかっている「一之船入町」で表示することにしていたとしたら、「河原町通御池上る(or河原町通二条下る)一之船入町○○番地」だったのでしょうか。
[49555] 2006年 3月 1日(水)00:43:11YSK さん
素晴らしい!
[49550]たもっちさん
興味深い仮説ですね。たいへん楽しく拝見いたしました。
先般は私の配慮のない発言のためにご迷惑をおかけしてしまったこともあり、そのお詫びの意味も込めまして、私も昨年9月に町を歩いた西陣周辺の建物について検証してみることといたしました。

(1)西陣織会館
京都市上京区西堀川通元誓願寺上る竪門前町
です。竪門前町は堀川通に面する町であり、たもっちさんの原則と合致します。ここの場合は建物の南北が通りに面しておらず(西)堀川通が唯一面する通りであるため、断定はできないのですが・・・。なお、公式ホームページでは、
京都市上京区堀川通今出川南入
としています。南「下ル」ではなく「入」としている点が原則から外れますが、これも商売上「下」を使うのが縁起が悪いとするところからのものなのでしょうか?

(2)KBS京都放送会館
京都市上京区烏丸通一条下る龍前町
です。地図を確認しますと、建物自体は大半が上長者町通に面した元浄花院町に属しているようにも見えますが、住所表記としては烏丸通に面した「龍前町」を名乗ることにより、烏丸通を先行させているようにも思えます。町と通の対応関係はたもっちさん説を支持する結果が出ています。

(3)京都府庁計量検定所
京都市上京区室町通中立売上る薬屋町
薬屋町は室町通に面する町のようです。ここでも説に合った住所表記がなされています。

(4)府民ホールアルティ
計量検定所となりのこのホールはといいますと、KBSと同じ
京都市上京区烏丸通一条下る龍前町
としています。地図を見ますと、南接する東町などにも建物の大部分がまたがっているようです。「烏丸通一条下る」を名乗るためには烏丸通に面した「龍前町」を住所表記に採用するほかになかったようにも感じ取れますが、定かではありませんね。しかし、一応町と通の対応関係はたもっちさん説と合致します。

(5)この位置のガソリンスタンド
このガソリンスタンドの住所表記は興味深いものでした。大通りである今出川通に面していながら、
京都市上京区室町通今出川上る築山南半町
となっていて、室町通が先行しています。築山南半町は今出川通ではなく室町通に面する通であることとの因果関係を感じてしまいます。なお、このガソリンスタンドと今出川通を挟んで南側に位置するファーストフード店の住所表記は、
京都市上京区今出川通室町東入今出川町
となっていまして、室町通に面した「北小路室町」ではなく、今出川通に面した「今出川町」を住所表記に選択し、今出川通を先行させているようにも感じ取れます。

以上、私なりの検証結果を提示していました。それにしてもたもっちさんの地名に関する感性の鋭さには京福ではなくて敬服いたします。今回の内容が京都市街地の住所表記の原則としてどの程度当てはまり得るものなのか、私も大いに関心があります。みなさんのご意見をいただければと思いますね。
[49565] 2006年 3月 1日(水)13:07:48JOUTOU さん
感動しました!
[49550]たもっちさん「寺町御池リターンズ」
何はともあれ一言言わせてください。たもっちさん“最高”です。

落書き帳において普段からいろいろな方の意見を目の当たりにして、いつも感心しながら新しい何かが自分の中にチャージされるような感覚で拝見しております。
本来の落書き帳の性格というか目的上、自分の見解も示さずにあまりこういうことだけのためにレスを付けるのはいかがなものか?とも思っておりました。しかし、このたびのたもっちさんの考察は、わたしが昔からなんとなく漠然と疑問を感じていた京都の町の住居表示の謎について、実にピンポイントでスッキリさせてもらったので、思わず居ても立ってもいられず御礼したくなったという次第です。
たもっちさんはあくまでも仮説とのことですが、わたしの中では他の真説などあってもなくてもどうでもいいくらい晴れ晴れとした気分です。もちろんアーカイブも推奨させていただきました。

たもっちさんありがとうございます。またこの場を借りて普段より落書き帳に素敵な意見や考察を寄せてくださる多くの皆さまにも御礼させていただきます。これからもたもっちさんを始め皆さまのワクワクするような書き込みを期待しています。
[49569] 2006年 3月 1日(水)15:32:54今川焼 さん
京都の住所表記の影に町名あり、ですね
[49550] たもっち さん
・建物が属する町が面している通りを先に表示する。
・角地などで建物が複数の町にまたがっている場合は、所在として表示する町名によって、前項の原則を適用する。
なるほど、そういう考え方がありましたか!私も[49010]でぐたぐた珍説を述べましたが、この考え方ならスッキリします。京都の住所は通り名で表記され、町名は表示しなくても支障はない、とよく言われますが、その通り名での表記の決め方には実は町が重要な役割を果たしていたということですね。つまり、一軒一軒の家や商店が個々の判断で西入ルだ上ルだと決めているわけでなく、まわりの同じご町内のみなさんに合わせて表記しているということなのかもしれませんね。(そうしてみると、分かりにくいと評判の悪い町毎の郵便番号の振り方も、それはそれで意味のある方法のような気もします)
たもっちさんの説に基づいて、さらに検証してみるといろいろ面白い事実が出てきそうですが、とりあえず一言感想まで。

ところで、アーカイブズ「京都の街と道のつながり ~京都市街地の特色ある住所表記~」のタイトル名ですが、「道」ではなく「通り」とする方がしっくりくるような気がするのですがいかがでしょうか。
[49584] 2006年 3月 1日(水)23:36:48【2】88 さん
寺町御池リターンズ レス
[49550]たもっち さん
たもっちさんの書き込みを受けて、思い当たる節がありました。

拙稿[49276]で述べた、不動産登記簿での調査時のことです。京都市(各区ごと)に町名一覧が出るのですが、そのときに、このような表記が出るのです([49550]たもっちさんが例に挙げた、河原町御池交差点の町だけを抜粋します。ホントは延々とあるのですが)。
京都市中京区
一之船入町
 以下の通り名を含む
  河原町通二条下る
上本能寺前町
 以下の通り名を含む
  寺町通御池上る
下丸屋町(小川通竹屋町)
 以下の通り名を含む
  小川通夷川上る 小川通竹屋町下る
下丸屋町(河原町通二条)
 以下の通り名を含む
  河原町通御池下る 河原町通三条上る 河原町通二条下る 河原町通二条下る2丁目 木屋町通姉小路上る
私は、この表記を見たとき、意味があまりわかりませんでした。だから何も、これについては書込みできなかったのです。
[49550] たもっち さんの仮説のとおりであるとすると、この「不動産登記簿」は、「○○町の通り名の書き方は、『・・・・通・・・・上る(下る)』と書くルールとする」ということを示しているのではないでしょうか。

例をもう少し書いておきます。京都市の地名に詳しい方、できれば検証をお願いします。数が多いので中京区の「あ」で始まる町名だけとします。
>たもっちさんへ 話の続きは土曜日に広島で(笑)
――――――――――――――――
相生町
 以下の通り名を含む
  竹屋町通衣棚東入 竹屋町通新町東入
秋野々町
 以下の通り名を含む
  烏丸通押小路上る 烏丸通押小路下る 烏丸通二条下る
朝倉町
 以下の通り名を含む
  富小路通三条下る 富小路通六角上る
姉猪熊町
 以下の通り名を含む
  姉小路通猪熊下る 猪熊通姉小路下る 猪熊通三条上る 猪熊通三条下る
姉大宮町西側
 以下の通り名を含む
  姉小路通大宮西入 大宮通姉小路下る 三条通大宮西入
姉大宮町東側
 以下の通り名を含む
  大宮通姉小路下る 大宮通三条上る
姉大東町
 以下の通り名を含む
  姉小路通御幸町西入 姉小路通寺町西入 姉小路通富小路東入 姉小路通麩屋町東入
姉西町
 以下の通り名を含む
  姉小路通大宮西入 姉小路通神泉苑東入
姉西洞院町
 以下の通り名を含む
  西洞院通姉小路下る 西洞院通三条上る
姉西堀川町
 以下の通り名を含む
  西堀川通姉小路下る 西堀川通三条上る
姉東堀川町
 以下の通り名を含む
  堀川通姉小路下る
油屋町(蛸薬師通柳馬場)
 以下の通り名を含む
  蛸薬師通富小路西入 蛸薬師通富小路東入 蛸薬師通麩屋町西入 蛸薬師通柳馬場東入
油屋町(柳馬場通三条)
 以下の通り名を含む
  富小路通姉小路下る 柳馬場通姉小路下る 柳馬場通三条上る

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