少し古い話題になりますが、京都市役所の所在地表示に関する疑問についての話です。
軽くおさらいしておきますと、一般に「河原町御池」にあるとされている京都市役所の所在地表示は、正式には「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」となっているのですが、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」、また、「建物は南側が正面、つまり、御池通りに面しているのに、なぜ『御池通寺町東入る』ではなくて、『寺町通御池上る』なのか」、という議論が
[48946]~
[49276]あたりで繰り広げられました。落書き帳アーカイブ「
京都の街と道のつながり ~京都市街地の特色ある住所表記~」にもその一部が収録されています。この稿では、このうち後者の疑問についての新たな仮説を提案したいと思います。
先日、職場からある研修に参加したのですが、その時の案内文の次のような表記が目に止まりました。
会場:
京都府立総合社会福祉会館(ハートピア京都)
(中京区竹屋町通烏丸東入る清水町375)
皆さん既に御承知の通り、町名がわからなくても、通り名から大体の位置は把握できるので、「ああ、あの辺か」と思いながら、念の為、地図で確認することにしました。すると、
こんなところであることがわかりましたが、そこで、軽い違和感を感じました。ご覧のとおり、この建物は烏丸竹屋町の角にあります。となると、接する通りの大きさを考えると、正面は烏丸通りに面して設けるのが普通でしょう。研修当日に確認しましたが、実際そうでした。竹屋町通り側は駐車場の入り口ぐらいはありましたが、とても正面という雰囲気ではありません。
[15956]でまがみさんが書かれているように、通り名は建物の正面が接している通りを先に書くのが通例ですから、この場合「烏丸通り竹屋町上る」とするのが実感にも合うのですが、実際には上述のように表示されているわけです。つまり、タテとヨコの立場は逆ですが、京都市役所と似たような状況だなぁ、と思ったわけです。
そこで、地図をもう少し詳しく見てみると、ハートピア京都の建物は、表示されている清水町のほかに、西側の烏丸通りに沿った部分は大倉町にもまたがっています。そして、清水町というのは竹屋町通りに面した町です。ということは、この建物の所在地を表す通り名が「烏丸通竹屋町上る」ではなく、「竹屋町通烏丸東入る」となっているのは、所在町名として「清水町」を名乗っているせいではないか、と考えました。
なお、この建物が清水町を名乗ることになった理由はわかりません。住宅地図で確認してみると、清水町の部分は南側の一部のみで8~9割がたは大倉町にかかっているように見えます。それに、上述の通り、正面玄関があるのも大倉町と思われます。しかし、複数の町にかかる建物がどの町を選択するかということは、これもまた奥が深そうなテーマではありますが、今回の話とはまた別の話になると思いますので、ここではこれ以上追究しません。ここで言いたいのは、「(理由はわからないが)清水町を名乗ることになったために、それに連動して、竹屋町を先に表示することになったのではないか」と言うことです。逆に、大倉町を名乗っていたならば、「烏丸通竹屋町上る大倉町」となっていたのかも知れません。
以上のような考えから、通り名の表示においては、既知の「建物が面する通りを先に表示」することのほか、以下のような原則があるのではないかと推測しました。
・建物が属する町が面している通りを先に表示する。
・角地などで建物が複数の町にまたがっている場合は、所在として表示する町名によって、前項の原則を適用する。
ひとつ目の項目で「町が面している通り」という書き方をしましたが、これを理解していただくには、京都の町割の特徴を知っておいていただく必要があります。既に御存知のかたも多いと思いますが、少し横道に入って、軽くおさらいしておきます。
極端な例として、
札幌市の例と比較してみます。札幌の中心部は、京都のように碁盤の目のようにブロック分けされていますが、町割のしかたは全く違います。札幌は道路で囲まれたブロックをひとつの単位として、「○条○丁目」(一般例としては「○町○丁目」等)という名前をつけます。一方、京都では、ブロックを囲む4本の道路のどこに面しているかによって、属する町が違います。逆に、ブロックが違っていても、道路を面して向かい合った同士でひとつの町を形成します(
参考ページ)。つまり、それぞれの町はブロックによって規定されるのではなく、それが面している通りによって規定されていると言えます。また、基本的に、ひとつの町が面している通りはひとつだけである、ということも言えると思います。もう少し細かく規定するには、例えば、「『清水町』とは、竹屋町通りの烏丸と東洞院の間の部分に面するところを指す名前である」というような具合になるでしょうか。「町が面している通り」と書いたのはそれを裏から見たものだというようなイメージで捉えてくださればよいかと思います。
横道のついでに。京都に限らず、旧城下町のような古い町並みでは同じような町割が見られることがありますが、住居表示法による住居表示を実施した地域では、札幌のようにブロック単位での町割になっているところがほとんどだと思います。ごく珍しい例外が
大阪の中心部に見られます。
さて、話を元に戻します。
京都市役所の所在地表示がどのようにして決められたかを推測するわけですが、市役所の本庁舎が「上本能寺前町」に属していることは既知として、これを上記ひとつ目の仮原則に当てはめようとすると、上本能寺前町が面しているのはどの通りであるかを知る必要があります。そこで、
地図を見てみると、寺町通りと御池通りに接していることがわかります。しかし、
[48963]むっくんさんに御教示いただいた通り、かつては、御池通りはここが東端であり、寺町通り以東までは通っていませんでした。ということは、本来、「上本能寺前町」とは、「寺町通りの押小路と御池の間の部分に面するところを指す名前である」ということが推測されます。つまり、
・京都市役所が御池通りを向いているにもかかわらず、所在地表示が「御池通寺町東入る」ではなくて「寺町通御池上る」とされている理由は、「市役所建物が属しているところの『上本能寺前町』が寺町通りに面している町だから」である。
これが本稿での結論ですが、いかがでしょうか。
もちろん、僕の勝手な推論に基づくものであり、真実かどうかはわかりません。いろいろ反論があるかもしれませんし、前回のように、「そんなの誰々の何々という本に既に書いてあるよ」ということがあるかもしれません。
それから、あくまで「『本来は』こうだったのではないか」ということを考えているのであって、それ以外の表示をすることが間違いだとか言おうとしているわけでもありません。現実にはいろんな表示がされていますが、それらが間違いだということは全くありませんし、旧来的な表示が利便性を優先した表示に取って代わられることも「あり」だと思います。
ちなみに、市役所の所在地表示のもうひとつの疑問、「なぜ『河原町』ではなくて『寺町』なのか」についても、上記の推論が生かせるかもしれません。つまり、「上本能寺前町」は本来「寺町通り」に面したところを指す町名であるために、「河原町通り御池上る上本能寺前町」という表示はあり得なかったのだとも考えられますが、いかがでしょうか。
少し力みすぎて長くなってしまいました。与太話に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
ここからはオマケです。
河原町御池交差点の角にあるほかの施設はどんな表示をしているのかを調べてみました。
【北西】
京都市役所
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
さんざん既出の通りです。
【南西】
あおぞら銀行京都支店他
京都市中京区河原町通御池下る下丸屋町394
極めて普通の感覚だと思います。
【北東】
京都ホテルオークラ
京都市中京区河原町二条南入一之船入537-4
御池上るではなくて、二条から下りてくるというのは、やはり御池通りがなかったころの名残でしょうか。しかし、「南入」という表現が珍しいです。ちなみに、同じビル内のテナントは「京都府京都市中京区河原町通御池上る一之船入町537-4」という表示をしているものもあります。(
参考)
【南東】
京都信用金庫河原町支店他
京都市中京区河原町通二条下ル二丁目下丸屋町390番地の2
これも御池通りがなかったころの名残でしょうか。それにしても、ここまで「二条下ル」というのは、今の普通の感覚ではちょっと驚くと思います。
市役所も、東側一部がかかっている「一之船入町」で表示することにしていたとしたら、「河原町通御池上る(or河原町通二条下る)一之船入町○○番地」だったのでしょうか。