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京都市役所の所在地

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記事数=25件/登録日:2022年3月3日

京都市役所の所在地は、「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」とされています。
ちょっと見ると“長い町名だな”ぐらいにしか感じませんが、[48866] まがみさん によると、そんなに単純な問題ではないようです。

すなわち、政令指定都市である京都市が定めた条例によると、「中京区の所管区域」に存在する町名は「上本能寺前町」であり、「寺町通御池上る」という“通り名”の部分は含まれていません。

では、「正式」な町名に含まれない“通り名”を付ける理由は?
中京区内には、石橋町など同名の町が2つあり、通り名を付けることは、それらを区別するという実質的な意味合いもあります[48851]
しかし、だからと言って通り名付きが「正式」な町名になるわけでもないようです。

しかも 1980年迄は、「寺町通押小路下る」という通り名が使われており、1898年(明治31年)の市役所開庁位置は「寺町通御池上る東入」であったというのですから、なかなか複雑です。

この話題は、“何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。”ということや、「元学区」のブロックが地番区域になっていることなど、興味深い記事へと発展しました。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[48779]2006年1月27日
ゆう
[48851]2006年1月31日
むっくん
[48866]2006年2月1日
まがみ
[48879]2006年2月1日
ゆう
[48899]2006年2月2日
むっくん
[48906]2006年2月2日
たもっち
[48932]2006年2月3日
たもっち
[48946]2006年2月3日
inakanomozart
[48948]2006年2月3日
88
[48954]2006年2月4日
たもっち
[48957]2006年2月4日
YSK
[48959]2006年2月4日
たもっち
[48963]2006年2月4日
むっくん
[48967]2006年2月4日
inakanomozart
[48969]2006年2月4日
hmt
[48970]2006年2月4日
88
[48971]2006年2月4日
hmt
[48976]2006年2月4日
たもっち
[48977]2006年2月4日
たもっち
[48978]2006年2月4日
inakanomozart
[48987]2006年2月5日
88
[48995]2006年2月5日
hmt
[49010]2006年2月5日
今川焼
[49021]2006年2月6日
hmt
[49276]2006年2月17日
88

[48779] 2006年 1月 27日(金)14:14:03【1】ゆう さん
住居表示未実施域での住所のあらわし方
皆さんとの議論で新しい知見が得られます。

ここで
[48756]
住所の表し方をこと細かく規定している法律は住居表示法だけ
[48775]suikoteiさん
住所の表示を事細かに規定している法律は、住居表示に関する法律しかない
についてもう少し考察してみます。

[48771]hmtさん
裏を返せば、「住居表示実施区域外」つまり従前の「町若しくは字」が用いられている区域の表示法には、(他の法律も含めて)法律上の制約がないのだろうということです。

もう一歩踏み込んでみましょう。「住居表示実施区域外」での住所のあらわし方は「町若くは字」を用いるだけではありません。たとえば京都市役所の所在地は次のとおりです。

京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488

この場合「河原町御池上る上本能寺前町」でひとつの「町若しくは字」とは考えないでしょう。「町若しくは字」に対応するのは「上本能寺前町」と考えるのが自然です。では「河原町御池上る」は何なのかといえば「通り名」です。
#京都市の例規をあたった訳ではないので間違ってるかもしれません。

このように、「住居表示実施区域外」住所の表現には「町」でも「字」でもない別の「何か」が含まれていることだってあります。

今川焼さん[48758]が記されたように、大部分は「地域自治区」のようですが、おそらくその大部分は住居表示実施区域でなく、従って[41724]で紹介された住居表示に関する特例に該当する事例ではないと思われます。
はい。どうやら「地域自治区名」「合併特例区名」を表示してないと思われる自治体もありますね。「区」内に「住居表示実施区域」がなければ、「区名」を表示するもしないも、それぞれの自治体の判断だと考えられます。
一方、「区」内に「住居表示実施区域」があれば、それ以外においても整合性をとるために「区名」を表示するような気がするのですが、そのような実例があるのか探してみないといけませんね。


「日田市中津江村」や「上越市柿崎区」は「字」なのか「町」なのか?
もしかするとどれでもない別の「何か」、たとえば「地域自治区」である可能性もあると、私は思うのですが、まあ結局は、
当該市町村がそのいずれかであると意思表示していればその通りであり、意思表示がなくて「町若しくは字」
またはそれ以外の「何か」
という曖昧な状態のままに置かれていても、一向に差し支えない
のでしょうね。


ご参考までに、拙稿[48729]でご紹介した広島市の例ですが、階層構造が認められるのは「住居表示実施区域外」だけであり、「住居表示実施区域」においては「町」「街区符号」「住居番号」による住居表示が実施されています。
[48851] 2006年 1月 31日(火)12:46:46むっくん さん
京都市の住所表示
はじめまして。
このサイトを拝見させていただいてから約1年になります。
鉄分がある議論や地元の議論などしかついていけていないと思いますが、
よろしくお願いします。

[48779] ゆうさん
たとえば京都市役所の所在地は次のとおりです。
京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488

重箱の隅をほじくるようで恐縮なのですが、この京都市役所の住所表示は
厳密には誤りだと思います。
京都市役所の住所としては
(1)京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
(2)京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488
(3)京都市中京区押小路通寺町東入上本能寺前町488
(4)京都市中京区押小路通河原町西入上本能寺前町488
(5)京都市中京区河原町通押小路下る上本能寺前町488
(6)京都市中京区河原町通御池上る上本能寺前町488
(7)京都市中京区御池通河原町西入上本能寺前町488
(8)京都市中京区御池通寺町東入上本能寺前町488
の8通りが考えられます。
住所が(1)~(8)のいずれになるかは、住人(使用者)の意思によるはずです。
このケースでは、京都市が選んだ(1)の
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
が正しい京都市役所の住所なのではないでしょうか。

[48798] hmtさん
例えば 京都市役所の住所は、上本能寺前町という「町名」の前に「河原町御池上る」という「通り名」を付けて、わかりやすく表示されています。

「わかりやすく表示」と言い切るのはいかがなものでしょうか。
確かに、「通り名」を付けるのが「わかりやすく表示」が主目的であることは
否定しません。法律的なことはよく分かりませんが住所表示というのは、
「位置の特定」が本来の趣旨なのではないでしょうか。
京都市役所の場合では「わかりやすく表示」だけなのかもしれませんが、
たとえば、「京都市中京区石橋町」というのは、京都市中京区に2箇所
(二条城の近くと本能寺の近く)存在します。
「京都市中京区御池通小川西入石橋町」、「京都市中京区三条通河原町西入石橋町」、
と「通り名」を付けることに「わかりやすく表示」以外の「位置の特定」という
実質的な意味合いが見出せます。
[48866] 2006年 2月 1日(水)00:14:15まがみ さん
Re:京都市の住所表示
※以下の文中では慣例的に「町名」という語を用いていますが、「町若しくは字」に相当するものとお考えください。

[48851]むっくんさん
たとえば、「京都市中京区石橋町」というのは、京都市中京区に2箇所(二条城の近くと本能寺の近く)存在します。「京都市中京区御池通小川西入石橋町」、「京都市中京区三条通河原町西入石橋町」、と「通り名」を付けることに「わかりやすく表示」以外の「位置の特定」という実質的な意味合いが見出せます。
通り名を付けることにより、実質的に位置を特定しているという機能を果たしているのはその通りですが、それが「正式」な町名か否かはまた別問題と思われます。


京都市における通り名は、「正式」な町名に含まれるのでしょうか?

一般的には、通り名を除いた部分が「町名」であり、「正式」な町名には通り名は含まれない、と考えられていますが、それに関する議論の材料を京都市の例規集から探してみました。

まず、京都市区の所管区域条例(昭和24年4月1日条例第7号)から一部を抜粋しますと、
中京区の所管区域
秋野々町、二条殿町、…、橋之町、石橋町、森ノ木町、…、中島町、石橋町、備前島町、…
となっており、中京区内に2ヶ所存在する「石橋町」について、通り名を付けて区別する、などということはしていません。中京区内には他に「八百屋町」「突抜町」なども2ヶ所ずつ存在しますが、いずれも区別されてはいません。

すると、通り名を付けないものが「正式」な町名と考えられます。すなわち、同名の町名が同一区内に複数存在しているが、これは単なる偶然に過ぎず、本来は通り名を付ける必要はないのだが、たまたま同名の町名が他に存在しているため、(それとは区別するためだけに)通り名を付けて表示する、ということです。その意味において、「通り名を付ける=(単に)わかりやすい表示」ということがいえると思います。

一方、市役所の住所表示について(昭和55年2月15日総文第15号)によれば、
…現在市役所の住所については「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」と表示していますが,来る4月1日から,下記のとおり表示することとします。…(略)…
1 市役所の住所表示
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
2 留意事項
(1) 登記等において既に使用されている旧表示について
登記等において既に使用されている旧表示については,直ちにこれを変更する必要はありませんが,…(略)
とあり、この文面を読む限り、「登記においては通り名も表示されている」と解釈することが可能です。登記上の表示をもって「正式」と解釈するのならば、町名に加えて通り名もあわせて表示するのが「正式」な町名ということになります。もっとも、登記上の表示=「正式」といえるかどうかというのは、また別次元の問題です。

実際の登記を確認したわけではありませんが、おそらく登記上は通り名も表示されているのではないでしょうか。なぜなら、単に「京都市中京区○○町△△番地」と表示されているだけなら、上記の石橋町・八百屋町・突抜町などのように、同一区内に同一の町名が複数存在する場合に区別出来ない、または区別が困難(ただし地番が重複していなければ一応は区別可能)だからです。

しかし、登記には、他の土地・建物と(明確に)区別する、という目的がありますから、「正式」云々に拘るよりも、「わかりやすさ」「区別しやすさ」を重視しているとも考えられます。すると、登記の表示に敢えて通り名も付けているのは「わかりやすさ」「区別しやすさ」のため(だけ)であり、通り名は「正式」な町名には含まれない、とも考えられます。
[48879] 2006年 2月 1日(水)13:23:44【1】ゆう さん
真実はいつも一つ! ではないことも
いろいろ反応したいのですが、まずは。

[48851]むっくんさん
はじめまして。

京都市が選んだ(1)の
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488
が正しい京都市役所の住所なのではないでしょうか。
ご指摘ありがとうございます。
まがみさん[48866]もご紹介くださいましたが、京都市はそれを公式に使用すると決めているようですね。

ところで、私が[48779]に書いた
京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488
は、京都市公式Webサイトのフッタから拾ったものです。
【追記】
…というのは私の思い違いでした。お詫びして訂正します。
[48906]たもっちさん指摘感謝です。はて、どこから拾ったものだったか。
【追記終わり】
また、明治31年10月15日公告第44号 市役所開庁位置によれば、
寺町通御池上る東入
だそうです。

京都市では表示を統一しようとする意思はあるようですが、実際には統一しきれてないようです。

さて、
重箱の隅をほじくるようで恐縮なのですが、この京都市役所の住所表示は
厳密には誤りだと思います。
私は、これは「正しい」「誤り」で論じるものではないと思います。
せいぜい「公式に使用すると決めたもの」か「正しいけれど公式には使用しない」かではないでしょうか。


そんな訳で「『龍ヶ崎市』と書くのは誤り」という主張が起こらないことを期待します。

※念のために、Hiro(&TOKO)さんの調査がそういう意図のものではないことはよく承知しております。
再論「ケ」と「ヶ」
は、私もたいへん興味深く推移を見守っております。
[48899] 2006年 2月 2日(木)00:55:43むっくん さん
Re:Re:京都市の住所表示
[48879] ゆうさん
私は、これは「正しい」「誤り」で論じるものではないと思います。
せいぜい「公式に使用すると決めたもの」か「正しいけれど公式には使用しない」かではないでしょうか。
ゆうさんの方が正しいですね。
多分、「地番」でも「住居表示」でもない「住所」を市役所が使っているのでしょうから。

[48866] まがみさん
登記上の表示をもって「正式」と解釈するのならば、町名に加えて通り名もあわせて表示するのが「正式」な町名ということになります。もっとも、登記上の表示=「正式」といえるかどうかというのは、また別次元の問題です。
確かにそうですね。
字には「所属している町名」と「位置の特定」という2つの機能があると思うのですが、京都市中心部のように
「所属している町名」(e.g. 石橋町)と「位置の特定」(e.g. 三条通河原町西入)の機能が分離しているとき、
果たして登記簿にどう記載するべきか(石橋町or三条通河原町西入石橋町)がそもそも一義的に決まらないですからね。
その一義的に決まらない登記簿上の表示から「正式」な字がいったい何か、なんて読み取れないでしょう。
個人的意見ですが、「地番」として、京都市中京区石橋町××、「住居表示」として京都市中京区三条通河原町西入石橋町××
などとしてくれると分かりやすくていいのですが。
[48906] 2006年 2月 2日(木)03:03:49たもっち さん
京都市役所の所在地の表示
僕のテリトリー(?)なので、話に加わりたかったのですが、完全に乗り遅れました(汗)。
今までの議論の流れに対しては特に言うことはないのですが、ひとつだけ気になったことが。

[48879]ゆうさん
ところで、私が[48779]に書いた
京都市中京区河原町御池上る上本能寺前町488
は、京都市公式Webサイトのフッタから拾ったものです。
とのことですが、今、リンク先を見てみると、トップページの一番下には、
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
と書いてあります。ゆうさんがご覧になったのもここでしょうか。だとすると、京都市のHP作成担当者がこの落書き帳を見ていて、あるいは、どこかからタレこみがあって、「あ、やば」と思って、そそくさと直してしまったのかな、というのは考えすぎでしょうか(笑)。
[48932] 2006年 2月 3日(金)00:42:35たもっち さん
RE:後始末から少々脱線
[48907]ゆうさん
はっきり覚えてないのですが、現場写真: http://blogs.yahoo.co.jp/tachikoma_2005_06/23188476.html の道路標示からみて、周回路を通らないと思います。
続報ありがとうございます。これを見る限り、やはり駅前広場的なものっぽいですね。でも、
現場写真: http://www.chugoku-np.co.jp/ekiden/eki1999/graph99/99g-4.html では人垣が邪魔(失礼)で、そこのとこがはっきりしません。
この写真、すごく気に入りました。「しゃもじ形」というところが、さすが広島という感じで(笑)。でも、やっぱり「ロータリー交差点」という感じではないですね。残念。


話は変わりますが、
確認しました。「フッタから拾った」というのは私の思い違いだったのでしょう。[48879]も訂正しました。
最近は私の書き込みに確認漏れが多いですね。自重します。
いや、違うんです。そういうつもりではないんです。
[48906]に書きかけて、やっぱり自信が無くてやめたのですが、実は僕も「河原町御池」と書いてあるのを見たような記憶があったのです。といっても、ずっと前の記憶なので、全くうろ覚えです。「市の公式サイトなのに、何で寺町御池じゃないんだろ?」と思ったような気がしていましたが、もしかしたら、全然違うところで見たのかもしれません。[48879]のゆうさんの書き込みを読んだ時に、その記憶がぼんやりと蘇ってきたので、「いつの間にか直したんだけど、ゆうさんは直す前に見たんだな」と思ったのでした。
ですので、誤りを咎めるような意図ではありませんので、お気になさらないでくださいな。
とりあえず、この件、真実は闇の中です。僕も一緒に思い違いかもしれません(笑)。


ところで、上記の「河原町御池」ですが、京都市サイトの中のどこかに使われていないかと探してみましたが、見つけることはできませんでした。でも、その代わりに、少し面白いことを発見しました。それは、住所表示の英訳の仕方です。
英語版トップページのフッタにはこう書かれています。
604-8571,488,Teramachi-Oike,Nakagyo-ku,Kyoto-city,Kyoto,Japan
「上本能寺前町」はすっかり無視です。外国の方には、あるいはこのほうが馴染みやすいのでしょうか。通り名と番地だけというのは、「ベーカー街何番地」とかいう表記にも通じるのかもしれません。ただ、通り名というよりは、「交差点+番地」という変な形ですが。
他にもないか探してみました。

総務局国際化推進室
488 Uehonnojimae-cho, Teramachi-Oike, Nakagyo-ku,Kyoto City, Japan 604-8571
こちらは町名入りです。が、「うえほんのうじまえちょう」というのが違和感があります。普通は「かみほんのうじまえちょう」と読んでいるはずです。

都市計画局都市景観部風致保全課
488,Kamihon'nojimae_cho,Teramachi Oike, Nakagyou_ku,Kyoto,604-8571
となっており、「かみほんのうじまえちょう」と読んでいるようです。日本人にとっては、「うえ」も「かみ」も同じ意味だし、違う読み方があってもいい、と思えるところですが、日本語を話さない人にとっては、日本語のこういう点は奇異に感じられるかもしれませんね。

産業観光局観光部観光振興課のページ
Teramachi Oike, Nakagyo-ku, Kyoto 604-8571, JAPAN.
番地も無視です。ある意味、一番わかりやすいのかもしれません。

以上のように、「正式な表記」を一応定めていても、それの英訳はきちんと決めてはいないらしいことがわかりました。


最後に余談ですが、公色サイト内には「河原町御池」は見つからなかったと書きましたが、日本共産党京都市会議員団HPのフッタに、
〒604-8571 京都市中京区河原町御池 市役所内
と書かれてあるのを発見しました。役所的な「公式な表記」に縛られなくてよいからなのか、一般市民にわかりやすい表記を敢えてしているのかもしれません。
ちなみに、自民党のほうはと言えば、
〒604-8571 京都市中京区寺町通御池上ル
と、これまたシンプルですが、微妙に「公式」に近いようです。
[48946] 2006年 2月 3日(金)17:26:47inakanomozart さん
京都市役所の所在地
[48932] 2006年 2月 3日(金) 00:42:35  たもっちさん
産業観光局観光部観光振興課のページ
Teramachi Oike, Nakagyo-ku, Kyoto 604-8571, JAPAN.
番地も無視です。ある意味、一番わかりやすいのかもしれません。
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)

総務局国際化推進室
488 Uehonnojimae-cho, Teramachi-Oike, Nakagyo-ku,Kyoto City, Japan 604-8571
こちらは町名入りです。が、「うえほんのうじまえちょう」というのが違和感があります。
「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・(優秀な職員ばかりだと言ううわさだからそんなことないのかなぁ)

話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)

お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
[48948] 2006年 2月 3日(金)17:51:1388 さん
寒っ!@京都駅地下ポルタ
今日は昼前に京都に着き、京都市の地名を調査中です・・は半分冗談ですが、私用で市内を歩いても、住居表示板と思われる看板や、民家の表札の書き方が気になって・・。これも一種の病い?(笑)
[48954] 2006年 2月 4日(土)02:29:58たもっち さん
RE:京都市役所の所在地
[48946]inakanomozartさん
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)
すべておっしゃるとおりです(笑)。
ただ、「住所」の「表示」の意味ということを考えると、ちょっと違う気がします。
例えば、甲子園球場の「場所を特定」する意味では、「阪神甲子園駅の南」と言うのが万人にとってわかりやすいと思います。「兵庫県西宮市甲子園町1-82」と言われても、それがどこらへんか咄嗟にわかる人は珍しいでしょうが、だからといって、「この表記は使えない」ということにはならないでしょう。
ただ、やっぱり、京都の特殊性なのか、慣れの問題なのかはわかりませんが、通り名で呼ぶほうがはるかにわかりやすいということには、誰しも賛成すると思うのですよね。
「公式的な表記」と「わかりやすい表記」は分けて考えたほうがいいのでしょうかね。

「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・
町名の読み方について、京都市のスタンスは、「一般的な読み方は示せるとしても、地元等で、それと違う読み方をすることを否定はしない」という感じだと思います。「上本能寺前町」についても、実際、「かみ」と読む人と「うえ」と読む人がいるのかも知れませんが、自分とこの所在地の読み方ぐらい内部で統一できないものかと思います。


話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん([48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。

まず、住宅地図で少し地番を拾ってみたところ、確かに、隣接する町の間で地番が連続していると思われるところがたくさん見つかりました。もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。そこで、市役所周辺の、「柳池」「銅駝」の2つの元学区について、各町の地番を調べてみました。なお、地番は地図サイトの住所検索から拾ったもので、枝番が無視されているなど、必ずしも正確ではないと思われますが、およその目安として見ていただければと思います。

柳池
町名主な地番その他
等持寺町1~36
虎石町38~5790,240
柳八幡町65~80
油屋町83~100
福長町102~12324
松下町125~140
守山町156~177
俵屋町181~199
尾張町202~238273
上白山町239~265231
中白山町268~28951,555
下白山町290~312
丸屋町314~338
大文字町340~356
亀屋町370~406
山本町408~443
妙満寺前町444~469494
上本能寺前町470~491
下本能寺前町492~522
天性寺前町522~541
姉大東町542~560
菊屋町561~574
東八幡町585
御池大東町593~596
橘町604~649663
晴明町650~682606
丁子屋町683~700

柳池学区はおよそ、北は二条、南は三条、西は柳馬場、東は河原町の各通りに囲まれ、市役所北側の榎木町を除く、右上が欠けた長方形の範囲です。ただし、京都の町割の特徴として、町同士が通りで分けられるのではなく、背割りになっているので、学区界も通りではありません。
(学区の区割りについては、こちらもご参考に。)
学区の範囲が確認できたら、地図と上の表を見比べてみてください。
1番地は柳馬場通二条下るの等持寺町にあります。以下、柳馬場沿いに三条手前の油屋町まで南下します。次は、東隣の富小路通りに移り、福長町から北上し、二条手前の俵屋町まで行きます。以下同様に、東隣の麩屋町を南下、その東隣の御幸町通りを北上、その東隣の寺町通りを南下して、天性寺前町まで、ジグザグに縫うように続きます。この後は、姉小路通りに沿って東から西へ、御池通りを西から東へ、押小路通りを東から西へ(ここは町が橘町のひとつだけですが)、二条通りを西から東へとジグザグに進み、丁子屋町で最後です。
これだけの範囲が、地番設定上はひとつの区域とみなされているということになりそうです。

銅駝
町名主な地番その他
行願寺門前町2~17
藤木町18~44
常盤木町45~66
榎木町67~102450
東椹木町104~128
梅之木町130~147
橘柳町148~169
西革堂町170~206
角倉町207~228
大文字町227~244
末丸町246~284541
鉾田町285~310542,543
指物町311~339
清水町340~364
一之船入町366~384535,538
下丸屋町390~426
恵比須町424~44830,534,540,584
樋之口町451~477
西生洲町478
東生洲町481~49038,533
上樵木町490~503
上大阪町515~532
銅駝学区は、中京区の北東隅にあり、およそ、寺町、二条、河原町、三条の各通りをつないだ線が学区界になります。
こちらも、学区北西端の行願寺門前町からスタートです。寺町通りに沿って南下して榎木町まで行った後は、隣の新烏丸通りに移るのですが、こちらはジグザグではなくて、また北端の東椹木町から南下します。その次も新椹木町通りを南下。その次はまた少しイレギュラーで、北東隅あたりの大文字町、末丸町、鉾田町、指物町をぐるりと回ります。その後は、河原町通り沿いに三条あたりの恵比寿町まで南下。それから、木屋町通りに沿って、二条の樋之口町から三条の上大阪町まで南下して終了。なお、末丸町、鉾田町の500番台の地番は土手町通り沿いに固まっているようで、ここらへんも何かルールがありそうな気もします。

番号の付け方については、細かい点では相違もありますが、基本的には、通りに沿って順番に付けているという点は共通していることが推測されます。つまり、inakanomozartさんの予想は、かなりいい線を行ってるんじゃないかと思います。
と、極めてテキトーな調査ですが、こんなもんでいかがでしょうか(笑)。

ちなみに、「元学区」という言葉は京都以外の方は聞いたことがないかもしれません。僕も詳しいことはよく知らない(汗)のですが、語源的には、読んで字のごとく「かつての小学校区」を指すもののようです。今では、統廃合等によって、現実の通学区とは一致していないようですが、依然、自治連合会等の単位として大きな意味合いを持っているそうです。


お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。

すいません、ウソです(笑)。

実感としていちばんしっくり来るのは、「御池通河原町西入る」ですよね。何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。いや、知らんけど(笑)。
[48957] 2006年 2月 4日(土)08:36:42YSK さん
ていうか
京都市街地の地番についてですが、学区(いわゆる「番組小学校」)を基本ブロックとして付番されていることを、本「落書き帳」でも度々話題になっている今尾恵介さんが著書「住所と地名の研究」の中で詳細な調査結果を元にした図を用いて分かりやすく解説されています。
[48959] 2006年 2月 4日(土)09:39:14たもっち さん
あれま
[48957]YSKさん
京都市街地の地番についてですが、学区(いわゆる「番組小学校」)を基本ブロックとして付番されていることを、本「落書き帳」でも度々話題になっている今尾恵介さんが著書「住所と地名の研究」の中で詳細な調査結果を元にした図を用いて分かりやすく解説されています。
そうでしたか。となると、やっつけ仕事で考察も甘い拙稿[48954]はどうにもカッコが悪いので消しちゃったほうがいいのでしょうが、僕なりに時間をかけてがんばったつもりですので、せめてinakanomozartさんの反応があるまでは置いとかせてください。
ところで、今尾さんの本ならウチにも何冊かあるので、本棚を探しましたが、その本は見当たりませんでした。今度書店で探してみます。ちなみに、検索しても引っかからないと思ったら、「住所と地名の大研究」と、「大」がつくのが正しいようですね。
[48963] 2006年 2月 4日(土)11:50:30むっくん さん
「京都市役所の住所は何で寺町通御池上るなんでしょうか」に対する考察
[48954] たもっち さん
何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。

それでは、市役所の建物が建つ以前の歴史をひも解いてみましょう。

〈江戸時代末期〉
御池通は寺町御池以西にしかない幅約3mの細い道路(現在の歩道の半分ぐらいの幅)。
押小路通も寺町押小路以西にしかない。
京都市役所の北側1/10は妙満寺の敷地、南側9/10は本能寺の敷地。
押小路通(寺町押小路~河原町押小路の間)は妙満寺の敷地。
御池通(寺町御池~河原町御池の間)は本能寺の敷地。
〈明治31年〉
市役所開庁
〈大正15年〉
京都市電河原町線 延長(河原町丸太町~四条河原町)
〈昭和2年〉
京都市電河原町線 実質的に全通(全通は昭和4年1月16日)
〈昭和20年(強制疎開前の姿)〉
御池通(寺町御池~河原町御池の間)は、現在の市庁舎南側広場のあたりを東西に走る幅約3mの細い道路
この時、市役所の北側には押小路通はなく妙満寺。
〈昭和20年〉
御池通・堀川通沿いの家を強制疎開させ、建物(土蔵を除く)はすべて取り壊されたことで御池通は南側に広がり60m幅の大通りとなる。
この時、鴨川まで御池通が延長された。現在の御池通の基礎が出来る。
〈昭和39年〉
御池大橋建設で御池通の東端は川端通に達する。
〈昭和43年〉
市役所北側の妙満寺が岩倉に移転。この後、市役所の北側には押小路通が作られる。

まず、市役所が出来、市役所の位置が
[48879] ゆう さん
明治31年10月15日公告第44号 市役所開庁位置によれば、寺町通御池上る東入
とあることより市役所が出来る前には江戸時代のままで、御池通が寺町~河原町間にはなかったと考えられます。そして、市役所が出来た後に、市役所南側(現在の市役所の敷地内)に御池通ができたと推測できます。
ただ、それでは、御池通がまっすぐ走っていないことより寺町御池が2箇所できることになってしまいます。それで、
[48866] まがみ さん
現在市役所の住所については「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」
と「寺町通御池上る」から「寺町通押小路下る」へと住所が変更されたと考えられます。第二次世界大戦により御池通が拡張されて直線になると寺町御池は1箇所になり、「寺町通押小路下る」である必要が無くなりました。そこで、
[48866] まがみ さん
「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」と表示していますが,来る4月1日から,下記のとおり表示することとします。…(略)…
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
と分かりやすい元来の「寺町通御池上る」へと昭和55年に変更されたのではないかと考えられます。

次に、それではなぜ、「御池通河原町西入」ないしは「河原町通御池上る」ではなくて「寺町通御池上る」を採用したかについて考えてみます。
京都の通りはよく碁盤の目をしていると言われますが、厳密には寺町通以西が碁盤の目をしているのです。ではその東側について見ますと東側から順に、鴨川、御土居、(河原町通り)、寺町通の東側の寺々、そして寺町通がありました。御土居が京都の第一の防衛線、寺町通の東側の寺々が第二の防衛線でした。つまり、江戸時代には寺町通が実質的には洛中の最東端の通りであったのです(もちろん当時も河原町通りはありました)。
それで、京都市役所の住所を定めるにあたり、河原町通ではなく実質的には洛中の最東端の通りの寺町通を明治時代の人も当然のごとく採用して「寺町通御池上る」になった、ただそれだけのことでしょう。

では、いつ河原町通がメジャーな存在となり始めるのかといいますと京都市電が河原町通に通った時、つまり昭和初期以降に徐々に繁華街としての地位を確立していくこととなります(例えば大正元年頃の京都の一等地は新京極錦でした)。
[48967] 2006年 2月 4日(土)14:17:57inakanomozart さん
たもっちさんによる京都の町の地番割り大研究
[48954] 2006年 2月 4日(土) 02:29:58 たもっちさん
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん([48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。
お礼がおそくなってしまいましたが、「たもっちさん」本当にありがとうございました。
無理やり気を向かせてしまって、本当に申し訳ありません。
私の思いつきによるわがままな疑問に即座に対応していただいて、もう山崎の方に足を向けて寝られません。
私にとっては、今尾さんによる大研究にも劣らない貴重な資料です。
大事にしますから、私のきまぐれで「たもっちさん」の貴重な時間を浪費させてしまったことをお許しください。
[48969] 2006年 2月 4日(土)14:46:08hmt さん
京都の「番組」・「学区」
[48946] inakanomozart さん
京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。

昨夜、今尾恵介さんの「住所と地名の大研究」[26845]85~90頁を参照して原稿を書いたのですが、一晩寝かせている間に、たもっちさんから、現地の住宅地図調査に基づく力作[48954]がアップされました。
# 性急に横レスを入れずに、御指名のあった たもっちさん からのレスを待っていてよかった。

今尾さんの手法も同様のもので、まず住宅地図から番号を追跡し、いくつかの町をまとめた一辺(正確には切手のようにジグザグ)300~500mぐらいの長方形のブロック毎に地番が付けられていることを発見しています。
同書86~87頁には、下京区の結果が図示されています。これによると、ブロックの北西隅の1番から蛇行しているようにも思われるのですが、順番から外れているものも多く、番号も飛んでいて一筋縄ではゆきません。

今尾さんの次の段階の発見も、たもっちさん[48954]
もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。
と同じです。

京都市の町組改正と小学校 によると、16世紀の京都に形成された町組(ちょうぐみ)が、明治元年・明治2年の改正により、三条通を境に北側が上京33番組(884町)、南側が32番組(821町)に再編成され、平均26~27町の各番組には学校が1つずつ作られたとあります。
一般に「番組小学校」と呼ばれるこの町組会所兼小学校は、教育(筆道,算術,読書)だけでなく、京都府の出先機関としての戸籍事務から警察・消防まで各種の仕事を行なう近代京都の「自治センター」だったのだそうです。
有済小学校に残る太鼓望楼 は、番組小学校が火の見を含めた「総合庁舎」の役割を果たしていた事実を伝えています。

現・京都市役所付近で、たもっちさんが調査された区域の富小路通御池角に明治2年5月21日に作られた上京第二十七番組小学校は、番組小学校の第1号であり、その年のうちに全64校が出揃い、明治5年の全国的な学制発布に先立つ、日本最初の学校群が発足しました。

学校の名称には明治25年「学区」に再編成された際に、中国の古典(論語など)や地域の歴史に由来する漢字名が付けられ、例えば柳池(りゅうち)小学校となり、その区域は「柳池学区」と呼ばれるようになりました。

この「学区」は、単なる通学区域ではなく、独自の財源を持ち,教育経費を負担する自治団体として、昭和16年に国民学校令により廃止されるまで存続していたというから驚きます。
明治6年から御池通柳馬場東入北側にあった柳池小学校は、戦後の新制中学に転用されるなどして、通学区と従来の「学区」とは一致しなくなり、「元学区」[48954]と呼ばれるようになったようですが、素晴らしきわがまち の執筆者を見るとわかるように、現在でも自治組織として活動している様子をうかがうことができます。

地番が付けられたのは地租改正事業の際でしょうが、当時、このように機能していた「番組」という区域が地番区域として用いられたのは“自然ななりゆき”であったというのが、今尾さんの結論です。

今尾さんの本の存在ついては、既に[48957] YSKさんも言及しておられますが、たもっちさんが、独自の調査によって、短期間でこれと同様の結果を導かれたことは、敬服に値します。
リンクされた頁も、とても役に立ちました。
“どうにもカッコが悪いので消しちゃったほうがいい”[48959] などと言わないでください。
[48970] 2006年 2月 4日(土)15:02:4588 さん
京都市調査中(?)
京都市営地下鉄「京都市役所前」駅には、(  )付きで「(河原町御池)」と付記していました。まあ、これは、市役所の位置ではなく、地下鉄駅の所在を通り名で示した、京都らしい例でしょうか。
YSKさんからご紹介のあった今尾恵介氏の図書は、帰宅したら持っているし、京都の町名に触れていたのも記憶にありますが、地番の設定について書かかれているのは覚えていなかったです。帰宅後読み返してみます。
京都の書店で「復刻古地図 京絵図大全」(正確には旧字体)を買ってしまいました。今からたもっちさんの地元を通って大阪へ向います。
[48971] 2006年 2月 4日(土)16:05:10hmt さん
「本願寺門前町」にある西本願寺
[48946] inakanomozart さん
(京都市役所の所在地が)「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い…

[48969]で言及した今尾恵介さんの「住所と地名の大研究」86~87頁に掲載された下京区の町割りと地番の図を見ると、やたらと面積の大きな地番があり、一つの町の中に単一の番地しかないものが見受けられます。
例えば、本願寺門前町60西本願寺、常葉町754東本願寺、東玉水町300渉成園(枳殻邸)

もともと、地番は地租を課するために付けたため、ある所有者による同一地目の土地ならば、面積の大小を問わずに1筆で、その番号も1つだけという理屈はわかりますが、「1番地だけ」ならともかく、「754番地だけ」という町はいささか異様ですね。

それはさておき、西本願寺の所在地が「本願寺門前町」とは…
昔は文字通り門前にあった町屋だけを指していた町名が、長い歴史の間に西本願寺の本体を指す町名に変ってしまい、本末転倒ということになったのでしょうか。
普通は、「下京区堀川通り花屋町下ル」とだけ表記されているようですが。

門前総持寺[34522]と通称されている能登の總持寺祖院も似たような例でした。
[48976] 2006年 2月 4日(土)17:31:06たもっち さん
おわび
今朝は何だかいらぬことを書いてしまって、みなさまにいらぬ気を遣わせてしまってすみませんでした。
ゆうべの投稿のあと、広島周辺のこととか調べたりしているうちに気が付いたら5時を過ぎてしまったので、今朝はゆっくり寝坊しようと思っていたのに、二女の泣く声に起こされてしまったために、朝からずっと不機嫌だったのでした。昼食後に少し昼寝しましたので、また、[48954]がほめられているのを見たので今は御機嫌です(笑)。消しちゃおうなんてこれっぽちも思ってませんからご心配なく。


inakanomozartさん、無理矢理だなんてとんでもないです。こちらこそ、余計な気を遣わせてしまって申し訳なかったです。あんな書き方をしましたが、こういう調査は結構好きなんです。ただ、結果の分析とかは苦手なのですが(笑)。

hmtさん、補足していただきありがとうございました。それにしても、守備範囲広いですね。いつも感心しております。

YSKさん、誤解してました。どうもすみません。

あ、そうそう、88さん、我が家のすぐ近く、おそらくわずか数十mのところを通られたのですね。ただ、その頃は多分留守でしたが(笑)。
[48977] 2006年 2月 4日(土)17:33:16たもっち さん
寺町御池の件
[48963]むっくんさん
時系列的に丁寧に説明していただいてありがとうございます。いちいち納得できることばかりでした。そういや、当時は「河原町御池」なんて存在しなかったんですよね。言われてみれば、何で気がつかなかったんだろう。
それでふと思い出しましたが、我が家に明治22年頃、大正13年頃、昭和13年頃の京都市の地図があるのでした。むっくんさんの投稿を読みながら、それらの地図と照らし合わせてみると、なるほど、「寺町通御池上る」である理由がよくわかりました。昭和55年の取り扱い変更の際に、当時は十分メジャーとなっていたはずの「河原町御池」に変更しなかったことについては、京都人の古いものを大切にする心意気のためではないかと思います。
[48978] 2006年 2月 4日(土)17:43:38inakanomozart さん
寺町通御池上る
[48963] 2006年 2月 4日(土) 11:50:30  むっくんさん
御池通は寺町御池以西にしかない幅約3mの細い道路(現在の歩道の半分ぐらいの幅)。
押小路通も寺町押小路以西にしかない。
以前何も知らなかったときは、御池通りは広々していていいなぁと思っていました。
その後何かの機会に、空襲に備えて防火帯を確保するため多くの寺や民家が強制的に移転させられたことを知りました。
それからは広くていいなぁなどと単純に喜べなくなりました。
それはともかく、狭い道路だったといえ、15メートルくらいはあったのではと勝手に想像しておりました。
いずれにしても、京都市役所の所在地が「御池寺町」ではなく「寺町御池」であることの理由がよく理解できました。
ありがとうございました。

最後になってしまいましたが「YSKさん」「hmtさん」適切な情報ありがとうございました。
[48987] 2006年 2月 5日(日)00:04:4488 さん
京都レス(大半がたもっちさんあて)
地元に戻ってきました。
木曜からの京都・大阪滞在中、携帯で落書き帳は(いつものように)チェックしていました。ちょうど京都ネタがよく出ていましたし。たもっちさんの[48954]の力作も、今朝拝見しておりました。これに対する評価は、[48969]hmt さん の
たもっちさんが、独自の調査によって、短期間でこれと同様の結果を導かれたことは、敬服に値します。
に激しく同意します。

#ちなみに、私は木曜の移動時も新大阪-京都間はJR在来線だったのですが、[46768]たもっち さんの書き込みにあったまなびやを見ました。同行していた妻に、この府境越えの話もしたところでした(笑)。

さて、[48970]拙稿で書いた「復刻古地図 文久二年新増細見 京繪圖大全」(人文社)と、同時に買った「都市地図 京都府1 京都市」(昭文社)を見比べ、[48963]むっくん さん の
江戸時代には寺町通が実質的には洛中の最東端の通りであったのです
を確認できました。新鮮でした。むっくんさん、ありがとうございました。
#実はこの古地図を買った時点ではむっくんさんの書き込みを読んでいなかった!

ホント、京都は奥が深いですね。帰ったばかりですが、また行きたくなりました。

さらにたもっちさんへ。
[48955]プチオフ会の件、メールも拝見しました。ありがとうございます。詳細はまた別途メールをお送りします(すみません。今夜はパスさせてください。)。楽しみにしております。
[48995] 2006年 2月 5日(日)14:13:52【2】hmt さん
京都市役所の住所「寺町通御池」の謎
[48851] むっくん さん
京都市役所の住所としては(中略)8通りが考えられます。
住所が(1)~(8)のいずれになるかは、住人(使用者)の意思によるはずです。
このケースでは、京都市が選んだ(1)の 京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488 が正しい京都市役所の住所なのではないでしょうか。
[48946] inakanomozart さん
京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
[48954] たもっち さん
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。
すいません、ウソです(笑)。
(中略)何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。
[48963] むっくん さん
それでは、市役所の建物が建つ以前の歴史をひも解いてみましょう。

以下は、京都の事情に疎い者が、これらの記事を読んで抱いた感想です。

現在の京都市役所は4つの道路に囲まれた1ブロック全部を占めているので、4隅の交差点と縦横2方向とを組み合わせると[48851]で列挙された8通りが考えられるわけですが、外部(世間一般)に対して場所を指示するという住所表示の第一義から考えれば、広い御池通りに南面した庁舎という見方が妥当であり、inakanomozart さんの疑問はもっともと思われます。

しかるに、明治31年の市役所開庁位置が“寺町通御池上る東入”であり[48879]、昭和55年の変更前が“ 寺町通押小路下る…”、変更後が“ 寺町通御池上る…”[48866]と少なくとも2回の変更を経た歴史があるのに、一貫して「寺町通」が先になっているのは、それなりの理由があるように思われました。

その有力な理由として想像したのが、歴史的に、寺町通だけに面した最初の庁舎があって、その影響が後を引いている可能性です。

むっくんさんによる歴史的解明[48963]は、この想像を一応裏付けてくれるものでした。
明治31年というと、市制特例が廃止され、自治体としての京都市が発足した時ですが、この時代には御池通と押小路通との東端が寺町通止まりであり、京都府栽培試験場跡地である現在地(の西側?)に建設された京都市議事堂内で開庁した当初の京都市役所が名乗るべき住所[48879]としては、それが面する唯一の道路であり、実質的に洛中の最東端の通りでもあった「寺町通」以外の選択肢はなかったようです。
“寺町通御池上る東入”と表示されているので、「寺町通」に直接面していたのではなく、少し引っ込んでいたのでしょう。
市電開通前の河原町通側には、入り口があったとしてもせいぜい裏門でしょう。

京都市庁舎の沿革 によると、三代目の現庁舎は、昭和6年に完成しています。東館が先行していることから、旧庁舎は西側にあり、東側が空地だったことが推定されます。
南に面して新築された 現庁舎 に対応して、狭いながらも御池通が東側に延長されたものと思われます。そして [48963]は、この延長により「寺町通御池」交差点が2つに分かれてしまったので、市役所の住所表示が「寺町通押小路下る」へと変更されたと考えています。

第2次大戦末期の強制疎開(空襲に備えた防火用の空地作り)を経て、戦後に拡張直線化して整備された「広い御池通」に面した市役所は、昭和55年に至って「寺町通御池上る」という現在の表記になりました[48866]

このような住所表記の選択変更が「京都市役所の意思」によるものであることは疑いのないところでしょうが、それは“行政当局”としての京都市役所の決定でしょう。
まあ、そう決定させた根拠は、“住人(使用者)”[48851]としての京都市役所が「4つの道路のうち、寺町通を正面とする」と意思表示したからでしょうが。

さて、昭和55年当時、市役所の建物は「広い御池通」に正面を向けており、市役所敷地を取り囲む四隅の交差点のうち、市役所玄関から最寄の交差点であり、かつ最大規模でもある交差点は「河原町御池」になっていました。現在の地下鉄「京都市役所前」駅の副駅名として括弧内に表示されている名[48970]でもあります。

住所の表示が、外部(世間一般)に対しての位置の指示を第一義とするものならば、昭和55年に変更した際に、なぜこの「わかりやすい」南東隅交差点を基準点としなかったのでしょうか?

“過去からのいきさつで南北の道は「寺町通」にする”という理由では弱いように思われます。東西の道については、過去のいきさつにとらわれずに変更しているのですから。
では、外部に対して位置を明示することよりも、市役所内部からの観点で住所を決めることを優先すると、現在でも「寺町通」を先にしたい理由があるのではないか?

もしかすると、市長室が庁舎の寺町通側にあるのか?
京都市庁舎配置図pdf を見ると、市長室は正面玄関の真上の3階にあります。 
「正門」が寺町通側にある? まさかね。

ひょっとして、御所に尻を向けているのは畏れ多いとかいう理由で、建前だけでも西を向いていることにしている?
そうか、[48954]たもっちさんの
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。
は冗談ではなくて、案外真実を突いているのかもしれない!!


どうも“住人(使用者)の意思により”選択された「寺町通」という住所について、的確な理由がつかめません。このあたりで降参。

【追記】
アーカイブズ 京都の街と道のつながり ~京都市街地の特色ある住所表記~ を拝見しました。
過去の記事を読んで、京都の座標式表示法のルール[10434] [11886] [11905] [15956] や例外[11893] が、だいぶわかってきたような気がします。

[15956]で まがみ さんによる高倉小学校の4つの表記例。
そのうちの一つ(1)が住人の意思で選択され、住民票などの公式の住所表示として使われているものですが、他の表記も「間違い」ではなくて、使っても良い。(2)は(1)と同様に一般的によく使われ、(3)と(4)ははあまり使わないが、烏丸通から東に入ることを示すことで、他所の人にわかりやすく伝える言い方でこれもOK。要するにわかれば良ろしいとという考え方のようですね。
[49010] 2006年 2月 5日(日)23:31:15【2】今川焼 さん
「寺町通御池」の謎
京都市役所の住所表記の件興味深く拝見しています。
[48995] hmt さん
“過去からのいきさつで南北の道は「寺町通」にする”という理由では弱いように思われます。東西の道については、過去のいきさつにとらわれずに変更しているのですから。
では、外部に対して位置を明示することよりも、市役所内部からの観点で住所を決めることを優先すると、現在でも「寺町通」を先にしたい理由があるのではないか?
もちろん私にも本当ところはわかりませんが、いくつか理由を考えてみました。

・御池通が拡幅されて実情に合わなくなった「押小路下る」の部分だけを「御池上る」に差し替えたという単にそれだけのこと?
・「寺町通押小路下る」が「御池通河原町西入る」となると、京都の事情を知らない人は市役所が全然別の場所に移ったと勘違いするから?
・京都市役所の前あたりがすでに「寺町御池」という地名(通称名)で定着していたから?(市役所最寄りのバス停は市バスは当然「京都市役所前」ですが、同じ場所でも京都バスは「寺町御池」を名乗っており、「河原町御池」バス停は、河原町通りを渡って東へ100mほど行ったところ)
・古くから洛中であった寺町通りに比べ「河原町御池」がメジャーな交差点になって、まだ、たかだか30年足らずと歴史が浅い?
・「寺町」を外すことに地元の寺町商店街が反対した?

まぁ最後のは別にして、いろいろな要因があるのかもしれません。よく京都の街は碁盤の目で、その住所は通り名を組み合わせて規則性を持ってに表されると言いますが、これは
[11893] まがみさん の
規則性にしても、演繹的なものではなくて、もしかしたら多数の実例を集めて帰納的に導き出した“規則性”なのかも知れません。
ということだと思います。ですから例外もあり得ます。

一例として。下京区の烏丸通り沿いに京都銀行の本店があります。(地図)烏丸通りと高辻通りとの交差点の南西角ですので、住所は「烏丸通高辻下る」かと思いきや、烏丸通松原上る薬師前町700番地となっています。しかも店の目の前にあるバス停名も「烏丸松原」です。道幅を比べると高辻通りの方が松原通りの2倍ほどありそうです。
思うに松原通りは今でこそ地元客向けの小さな商店街ですが、江戸時代には清水寺への参道で大丸百貨店の前身の大丸呉服店もあったというにぎやかな商業地で、また主要な道路だったようです。そういう合理性だけでは説明できない歴史的な重みというか慣習のようなものも京都では住所表記に表れているように思います。


ところで、京都市役所周辺の道路の変遷はこちらのページがわかりやすいです。古地図をお持ちでない方はどうぞ。
[49021] 2006年 2月 6日(月)19:19:08hmt さん
Old Map Room で京都市役所付近を見直す
[49010] 今川焼 さん
ところで、京都市役所周辺の道路の変遷はこちらのページ がわかりやすいです。

Old Map Roomのご紹介ありがとうございます。そうですね、これを見るのを忘れていました。

早速、明治42年測量の地形図を見ると、なんと初代市役所庁舎の南側には、既に当時としては広い道幅の道路が通っているではありませんか!
もちろん現在の御池通よりは狭く、その位置も北にずれているのですが、周辺にある従来からの通りに比べると格段の道幅があります。
木屋町通には路面電車があり、(2)京都電気鉄道と記されています。

昭和3年測量の地形図では、路面電車(2)は京都市電と名を変え、ルートも河原町通になりました。[48963]によると大正15年のことです。市役所建物には昭和2年に 第1期の東館 が完成した現庁舎が現れています。
[48995]では、“新築された現庁舎に対応して、狭いながらも御池通が東側に延長されたものと思われます。”と書いたのですが、この推測は外れていて、前記の通り明治42年までには、既に当時としては幅の広い道路が寺町通と河原町通の間を結んでいたのでした。

昭和26年測量の地形図になると、市役所の南には大きな空地が見えます。これは、昭和20年に空襲に備えた「強制疎開」によって作られた防火用の空地です。五条や堀川にも同様の防火帯が作られ、戦後に広い道路に生まれ変わりました。

昭和26年当時の市役所付近は、空地の北側に小さなビルが一つ撤去されずに残っていたり、空地の南側に本能寺の建物があったりして、この部分の御池通は完成前のようです。同じ頃に修学旅行で訪れた記憶では、五条通も未完成でした。
昭和30年代になると、既に完成している市役所前の御池通で 祇園祭の山鉾巡行を見ています。四条通や河原町通では市電の架線を臨時に撤去して進んで来た山鉾も、邪魔になる架線のない御池通では、のびのびと進むことができたのでした。

昭和26年の地図では、押小路通が寺町通への突き当りで止まっています。ここが当時の市役所の住所に使われた“寺町通押小路下る…”の基準点ですね。市役所とその北側の妙満寺との間を突き抜ける部分の道路は昭和43年[48963]だから、だいぶ後のことになります。

この昭和26年測量の地形図には、「柳池」・「初音」・「立誠」・「生祥」など、「元学区」[48954][48969]の名が表示されています。
[49276] 2006年 2月 17日(金)22:02:1188 さん
不動産登記簿調査 その2
京都市役所の住所についてです(既に古い話題になりつつある・・)。

拙稿[49209]と同様、 法務省の登記情報提供サービスで確認しました。答えは、
「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番」
です。

正確に言うと、
所在京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町
地番488番
地目宅地
地積9479.67平方m
です。

も一つ正確に言うと、入手したのは
不動産登記規則(平成17年2月18日法務省令第18号)
(登記事項証明書の作成及び交付)
第197条
2  前項の規定により作成する登記事項証明書は、次の各号の区分に応じ、当該各号に定める様式によるものとする。ただし、登記記録に記録した事項の一部についての登記事項証明書については適宜の様式によるものとする。
一  土地の登記記録 別記第7号様式
による別記7号様式の「登記事項証明書」(実質、電算化された「不動産登記簿」)なのですが、この記載が上記です。

この様式による「所在」は、上記のとおりなのですが、この様式の欄外部に「見出し用」と思われる住所の記載があり、ここには、
「京都府京都市中京区上本能寺前町488」
とあります。
ちなみに、[49209]で書き込んだ、高知県高岡郡窪川町立七里小学校の件では、
欄外部高知県高岡郡窪川町七里甲1214-1
所在高岡郡窪川町七里字エビスノ前
地番甲1214番1
でした。

電算化される前(「登記事項証明書」は電算化後に作成された様式)は、この「欄外部」(見出し?)に相当するものがそもそもなく、「所在」だけでしたから、この「所在」が不動産登記法で通常使用する表記方法なのでしょう。

――――――――
以下考察です。
その1
京都市役所の不動産登記法上は、
「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番」
でいいのだとは思います。ただし、[48851]むっくんさんが例示されているような、2つの「京都市中京区石橋町」は「欄外部」はどう表記されているのだろう? と、あらたな疑問が・・・。

その2
[48866]まがみ さんが紹介されている
市役所の住所表示について
…現在市役所の住所については「京都市中京区寺町通押小路下る上本能寺前町488番地」と表示していますが,来る4月1日から,下記のとおり表示することとします。…(略)…
1 市役所の住所表示
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
2 留意事項
(1) 登記等において既に使用されている旧表示について
登記等において既に使用されている旧表示については,直ちにこれを変更する必要はありませんが,・・・(略)
は、おそらく、法務局の不動産登記簿は法務局が職権で訂正するが、既に登記済みのもの(登記済証など)については機会があるごとに順次整理する、ということだと思います。

その3
京都市役所の地番の「閉鎖登記簿」(電算化以前のもの)をとれば、「寺町通押小路下る」が「寺町通御池上る」に変更になったことが確認できるのだと思いますが、・・どうしよう? やはり私が確認するのが自然な流れでしょうか・・・?(笑)

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