[94724] ekinenpyouさん
『外邦図』に収録されている参謀本部>陸地測量部の地形図を紹介していただき、ありがとうございます。
正直なところ、戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されていることには驚きました。
たいへん有用な資料を教えていただき、感謝しております。
「世田谷」の地図には 「一般の需要に供する為め」 の記載があるものの、「秘」と記されており、発行日や価格の記載もないので、「当局」の内部資料段階であると判断しました。
しかし、その南西
「二子」の地図になると、「秘」の表記もなくなり、発行日・発行者・定価が記された市販地形図の体裁が整えられています。
# 図外左上に記された「仮製版」という言葉は、
更新履歴用語には収録されていませんが、括弧内の説明文に「一般の需要…」とあることはご指摘の通りです。
1936/10/1に
東京府北多摩郡千歳村と砧村とが 東京市世田谷区に編入されました。
この地について、翌年修正測量がなされた後、昭和14年(1939)には「国の作った市販地形図」の形で一般用に公開されたということですね。
それは
[94719]の末尾に記した戦後の1947年よりも ずっと前(戦前)のことでした。
そのことを教えられました。
例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたか
駒沢練兵場跡地(目黒区側)には 戦後も地形図の元締・国土地理院がありました。
[67221]
この名になったのは 1960年であり、1979年筑波研究学園都市に移転しました。
この付近の青葉台にある日本地図センターの売店は、参謀本部以来の「地図作りの聖地」を伝えているのでしょう。
参考までに、駒沢練兵場跡地の左側【世田谷区側】には、防衛省技術研究本部などが現存しています。