「和文通話表」の調査結果に関する投稿の(1)を旧盆前の
[66021]で書いて以降なかなか次に手を付けられないでいたのですが、できればオフ会前には書き上げたい…と言うことで3ヶ月ぶりに続きを書いてます。
この件について調べ物をした経緯などについては前稿をご参照ください。
さて、戦前の和文通話表に関する資料として見つけたもののうち1つは金沢市の玉川図書館にあった「電信電話法令集」でしたが、もう1つはネット検索によって見つけました。
それは、広島市HPにある「広島原爆戦災誌 第五巻資料編(昭和46年12月8日刊行)」の
pdfファイルです。
この中に収録されている「広島市永年防空計画」に和文通話表について触れた部分がありました。
この計画、作られた時期がはっきりとは分かりませんが、条文中に出てくる法律などの日付を見る限り昭和14~15年頃に作られたものではないかと考えられます。
で、本文中の「第四章 防空通信 第一節 通則」の中で次のように触れられています。
(前稿に引き続き、旧字体は適宜新字体に変換)
第四十六条 防空通信ノ通話ノ際意味通セサルトキ、別紙第四号和文通話表ニ依ルモノトス
そして、その別紙第四号に、現在の無線運用規則にある和文通話表のルーツと思われる通話表がでていました。
内容的には8割方現在のものと同じで、一部が
[65418]hmtさんが触れているものであった…と言うことなのですが、漢字とひらがなの違いなんかも見られるので、こちらも抜粋しておきたいと思います。
朝日ノ ア | イロハノ イ | 上野ノ ウ | 英語ノ エ | 才ノ オ◎ |
為替ノ カ | 切手ノ キ | 車ノ ク◎ | 景色ノ ケ | 子供ノ コ |
桜ノ サ | 新聞ノ シ | 雀ノ ス● | 世界ノ セ | 算盤ノ ソ● |
煙草ノ タ | 千鳥ノ チ● | 鶴亀ノ ツ● | 手紙ノ テ | 富山ノ ト◎ |
名古屋ノ ナ | 日本ノ ニ | 沼津ノ ヌ | 鼠ノ ネ● | 野原ノ ノ |
葉書ノ ハ● | 飛行機ノ ヒ | 富士山ノ フ | 平和ノ ヘ | 保険ノ ホ |
燐寸ノ マ● | 蜜柑ノ ミ◎ | 無線ノ ム | 明治ノ メ | 紅葉ノ モ● |
大和ノ ヤ | | 弓矢ノ ユ | | 吉野ノ ノ |
ラヂオノ ラ | 林檎ノ リ● | 留守居ノ ル● | 蓮華ノ レ● | ローマノ ロ |
蕨ノ ワ● | 井戸ノ ヰ● | | 鉤ノアル ヱ● | 尾張ノ ヲ |
オ終ノ ン● |
◎は無線運用規則と内容が異なるもの、●は無線運用規則ではかな書きになっているものです。
現在と内容が異なるのはお・く・と・みの4つ。
それ以外は(漢字とかな書きの差はあるとはいえ)一致していますから、やはり
[66021]で挙げた託送電報発受心得の和文通話表ではなく、こちらの方が無線運用規則の和文通話表との関連性が高いと考えて良いのではないでしょうか。
ただ、この広島市永年防空計画が上記和文表の大元、と言うことではないと思います。
この計画自体が広島県防空計画を元にして作ったもののようですし、そこここに「関係法令に基づいて」みたいなことが書かれてますし。
「第四章 防空通信 第一節 通則」の中にもこういう条文があります。
第四十条 防空通信トハ防空ノ実施ニ直接必要ナル通信ニシテ関係陸海軍官憲、関係官公署及之等ノ命ヲ受ケ防空ノ実施ニ従事スル若相互間ニ発受スルモノヲ謂フ
第四十一条 防空通信ヲ分チ左ノ三種トス
一 警報
二 情報
三 指揮連絡報
第四十二条 防空通信ハ通信電話(電報)ニ依ル場合ハ防空通信規則(昭和十三年一月二十八日通信省令第九号別紙第六号参照)及防空通信取扱規程(昭和十三年一月二十九日公達第百二十五号)警察電話ニ依ル場合ハ広島県警察電話防空通信取扱規程(昭和十三年二月十五日訓防第一○八号別紙第七号参照)鉄道電話又ハ其ノ他ノ電話ニ依ル場合ハ其の定ムル所ニ依ルモノトス。
四十二条に出てくるいくつかの規則・規程がどうも怪しそうです。
この中で、防空通信規則は官報で調べる事ができます。
で、その「昭和13年1月28日の官報」を石川県立図書館に行って見てきたのですが(初めてマイクロフィルムを使いました)………防空通信規則の本文はでているのですが、肝心の「別紙」が無かったのです(滝涙)。
前後の日付を見渡してみましたが別紙はやっぱり無かったです。当時は別紙は残さなかったのかもしれません。
で、この線の金沢での調査の糸はとぎれてしまったのですが、どうも四十二条を読む限り防空通信規則か防空通信取扱規程が上記の和文通話表の出所であるのではないか、と考えています。
ただし、さらにほかの法令や告示などが出所である可能性がありまして…防空通信規則の本文中には関連する法令・規則として電信法・無線電信法・官庁用電信電話規程・官庁用無線電信電話規則の名が登場します。
このうち電信法・無線電信法には通話表が出てこないことは確認済ですが、残る2つの官庁間の通信を定めたもの…こいつらも臭そうな気がします。
そう思う理由としては、上記の和文通話表のうち、地名を使っている部分に関しては託送電報発受心得ときれいに一致している、と言うことです。
これはあくまで私の仮説ですが、戦時下で官庁間の連絡手段を統一する必要が出てきたため、それまで各省庁(あるいは省庁内の各部署)で使われていた別々の通話表の中からそれぞれいくつかの用語を抜粋してつなぎ合わせてできたのが上記の和文通話表であり、その元となったものの1つに託送電報発受心得があるのでは…と言うことを考えています。
本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく上記の和文通話表の元々の出所を探るには「防空通信規則の別紙」「防空通信取扱規程」「官庁間電信電話規程」「官庁間無線電信電話規則」についての調査が必須のようです。
でも金沢にいる限り、このラインではここまででお手上げ…。ここから先に進むとすると…についてはさらに次稿で。
#ちなみに、ネット検索で戦前の和文通話表を見つけたのは広島市HPのものだけでしたが、それ以外に国立公文書館のデジタルアーカイブシステムを検索したら1件だけ同じ和文通話表が引っかかってきました。
それが
こちら。
これが収められている簿冊は「公文書>警察庁>内務省警保局文書>種村氏警察参考資料第68集」となっており、おそらく戦前に警察官だった方が持っていた当時の文書・資料を寄付したものではないかと思われます。
肝心の通話表はそれだけを印刷したものか、あるいは何かの冊子・書面からその部分だけはぎ取ったもののようで、年代が分かりません。
ついでに関連しそうなキーワードについてデジタルアーカイブシステムで検索してみたのですが、これと言ったものが出てこないか、何となく気になるものが出てきてもデジタルデータ化されてないか…でした。
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ついでにもう1件、実は電話帳についても調査を行いました。
とは言っても大げさな話ではありませんで、金沢市立玉川図書館にあった一番古い電話帳を見せてもらったのです。
昭和55年の金沢版でした。(あれ?53年だったかな?)
が、このころの電話帳って住所氏名電話番号しか出てないんですよね。
現在のハローページの冒頭にある電話に関する各種案内とか電報の出し方とかいったものは別冊の電信電話ガイドと言うのに載ってたんですよね。そう言えば何となくそんなのもあった覚えがあります。
で、そっちは昭和54年のものがあったので当然見てきました。
結論から言うと、「この年代の電話帳には和文通話表は出ていなかった」。
念のため能登版も見せてもらいましたが同様でした。
とりあえず「この電話帳」ではなく「この時代の電話帳」と言い切ってしまいます。
本当に言い切るには他の地方の同年代の電話帳を見る必要がありますが…もしかしたら地方によって電話帳の構成が違ったのでは?と言う可能性もありますが、当時は「国の機関」であったわけですから紙面の構成にそんなに差が出るとは思えないので、多分そうなんだろうと思う訳でして。
ただ、これ以上の情報を集めようとするとやはり金沢ではここまでな訳です。
ここからより深いところに進めるか否か…についても次稿で触れたいと思うのですが、この線からもっと深いところにつっこもうと考えた場合には条件を絞った上で進める必要があると思うのです。何せ資料が「名簿」なもんですから。
(玉川図書館では「調べたい内容」をきちんと伝えた上で見せてもらいました)
[65471]hmtさんや
[65476]inakanomozartさんから「昔の電話帳に通話表が出ていた」と言う書き込みがあった訳ですが、少なくとも「約30年前の、石川県関係の電話帳」には出ていなかった。
そうなると、「より具体的な年代」か「その電話帳を見た地域」が必要になってくるかな、と思うのです。