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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[96343]2018年7月28日
hmt

[96343] 2018年 7月 28日(土)19:10:20hmt さん
間違って「隆盛」になる前の「西郷隆永」のサイン
85歳になった hmt が記す 約13年前の落書き帳記事への自己レスです。
先日、脳梗塞で入院しましたが 生還し、[96304]で落書き帳に復帰しています。

本題に入ると、2018/7/27放送のBS3・新日本風土記【明治維新への旅1】の一部で、西郷隆盛と庄内藩との絆が取り上げられていました。
そのTV画面中に、「西郷隆永のサインがある文書」がチラリと出現したのを見かけました。

「西郷隆永」と言えば、[43834]で言及した西郷吉之助の「名乗」【実名】ではありませんか。
明治5年5月 太政官布告第149号による「従来通称名乗両用相用来候輩自今一名タルベキ事」への対応。

[43834]では、
西郷吉之助は、名乗の「隆永」を選ぶつもりが、代理で届けた友人【吉井友実】が間違えて 父親の名乗の「隆盛」を届けてしまったのだそうです。
と記しています。

本人の自筆と思われるサイン「西郷隆永」が記された書類は、彼の生涯のどんな時代だったのか?
どうでもよいことですが、気になって調べた結果を記します。

出羽庄内国際村で行なわれた 2017年の講座記録の中に、次のようなことを伝える記載がありました。

明治4年9月に菅実秀が庄内に帰る際の送別会。西郷から贈られた漢詩が記されたメモ。
落款はないが、“西郷隆永拝”とあり、「西郷隆永と本名で書かれた非常に珍しい書です」というナレーションが付けられていました。

「…自今一名タルベキ事」という前記布告は明治5年でしたから、対応を間違って「隆盛」になってしまう前のサインだったことが確認できました。

仕事上では役職名なども使われていたかもしれませんが、口語では通称の「吉之助」を使っていた時代です。
西郷隆永という本名で書かれた書類が残っているとすれば、借金証文などが考えられますが、やはりナレーションにあったように、「非常に珍しい書」なのでしょう。

「おなまえ」に便乗した雑談レスはこれだけです。
しかし、ここは地理のサイトなので、山形県メールマガジンから「西郷どんと山形県」の前編後編をリンクしておきます。

前編には、漢詩が記されたサイン入りのメモを贈られた 庄内藩の菅実秀の事績以外にも、西郷銅像のモデル、なぜ西郷は庄内藩に寛大だったのか? などが記されています。
後編は、南洲神社、兄弟都市関係、鹿児島の山形屋百貨店、三島通庸[79710]のことなど。


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