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千本桜さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[70914]2009年7月22日
千本桜
[70855]2009年7月18日
千本桜
[70841]2009年7月16日
千本桜
[70836]2009年7月16日
千本桜
[70779]2009年7月11日
千本桜
[70774]2009年7月10日
千本桜
[70767]2009年7月9日
千本桜
[70753]2009年7月8日
千本桜
[70746]2009年7月7日
千本桜
[70733]2009年7月6日
千本桜

[70914] 2009年 7月 22日(水)08:04:35千本桜 さん
おはようございます
[70901] 伊那谷 さん
和泉橋警察署編の新旧対照市町村一覧、まだほんの一部ですが興味深く見せていただきました。これは参考になる資料ですね。

[70910] 白桃 さん
「青」が入る市、あなたは幾つ言えますか。青梅、青森、静岡、清須、清瀬、土佐清水・・・、これぐらいですか???
縦でも横でもいいじゃないとサバ読めば、あそこも仲間。老眼鏡かけてます?
[70855] 2009年 7月 18日(土)01:59:31千本桜 さん
ばなな漁港と富来漁港
[70844] EMM さん
昨日は西海地区の漁港を富来漁港と呼ぶ大胆さを笑いましたが、もっと笑える大胆なネーミングの漁港が宮城県にありました。恥ずかしくなるネーミングなんですが、関係者のみなさんは本気だったのでしょう。その名は「ばなな漁港」といいます。平成14年の水産政策審議会議事録の一部を引用します。
名足漁港と馬場漁港の合併でございます。これを合併して「ばなな漁港」という名前にしようとするものでございます。これは馬場漁港と名足漁港が隣接しておりまして、これを合併して、中核的な漁業基地として整備したいと考えているものでございます。名足漁港がこれでございます。馬場漁港はこれでございまして、この辺を中山地区と言うそうでございますので、馬場の「ば」、中山の「な」、それから名足の「な」を取りまして、合併後の名称は「ばなな漁港」としたいということでございます。
おもしろいでしょう。これなら、まじで富来漁港あらため能登金剛漁港もありかも。この、ばなな漁港から富来漁港の謎の一部が解明できそうです。

(水産庁HP内で検索して出てきたPDFファイルからすると、昭和26年に富来漁港という名で第4種漁港の指定を受けた可能性有り)
水産庁HP内のPDFファイルでは「ばなな漁港」を、漁港名「ばなな」、指定年月日「S26.12.13」、区域変更年月日「H17.9.14,」としています。漁港の区域と名称の変更を平成14年に審議しているのに、指定年月日「S26.12.13」は一見すると変ですね。でも、この年月日は、ばなな漁港の前身である名足漁港、馬場漁港が漁港に指定された日なんですね。ばなな漁港になったのは平成17年9月14日なんでしょう。富来漁港は、指定年月日「S26.7.28」、区域変更年月日「H17.9.1」と書いてあります。あくまでも推測ですが、昭和26年7月28日に指定されたのは富来漁港の前身であろう風無漁港と風戸漁港ではないかと思います。そして、当時は両港とも第1種漁港だったのではないかと推測します。西海村が富来町と合併したのは昭和29年ですから、昭和26年に西海村の漁港に隣町の名である富来を付すとは考えにくいのです。富来漁港と呼ばれるようになったのは、どう考えても昭和29年以降ではないでしょうか。
[70841] 2009年 7月 16日(木)21:10:55千本桜 さん
富来漁港
[70838] EMM さん
富来漁港がどこかは調べればすぐに分かりますが、これまた千本桜さんを惑わすにふさわしい代物なのです。
まったく想定外でした。風無・風戸に西海ではなく富来をもってくるとは石川県農林水産部もなかなか大胆(笑)。地元ではそれほど違和感を感じないネーミングなんでしょうね。大衆受けを狙って能登金剛漁港でも良かったような・・(冗談です)。でも、なんといってもミステリーなのは明治以前に富来村は存在しなかったということです。すると、あの天保国絵図に描かれた富来村や、地形図の図名の富来は何なんだろうと謎は深まるばかり。予告編に続く本編の書き込みを期待しています。あまり夜更ししてはだめよ。ゆっくりで良いのです。
[70836] 2009年 7月 16日(木)04:42:01千本桜 さん
富来
EMM さん
[70774]で「富来に関する考察。私も参加させて下さい」と書きましたが、考察したい事柄をもっと具体的に書くべきだったことに気が付きました。私は次のようなことを考えていたのでした。
富来地区、西海地区については大字名の前に地区名(昭和29年までの村名)を付して志賀町富来地頭町、志賀町西海風無のように表しますが、熊野地区、稗造地区、東増穂地区、西増穂地区、西浦地区については地区名を付さずに志賀町三明、志賀町酒見のように表します。自治体名+地区名+大字名の区域と自治体名+大字名の区域が混在して不揃いですね。これを、自治体名+大字名に統一できないかと考えた次第です。そうすると富来の名が消えることになりますが、富来の名を残したいと願う人たちから反対される可能性があります。そこで、富来の名を存続させながら全ての地区を自治体名+大字名の形式で統一できないものだろうか・・・。そんなことを模索したいと思ったわけです。
【事例からの発想】
明治22年、宮城県柴田郡では入間野村、四日市場村、船迫村など藩政10ヶ村が合併し、藩政入間野村の宿駅名「槻木」にちなんで槻木村(後に町に昇格)になりました。藩政村はそのまま槻木村の大字に継承され、槻木村大字入間野、槻木村大字四日市場、槻木村大字船迫などになりました。昭和31年、槻木町は船岡町と合併して柴田町になりました。槻木町の大字は柴田町に引き継がれ、柴田町大字四日市場、柴田町大字船迫などになりました。槻木の名は消える運命にあるのだろうか・・・。しかし、槻木町は中心部の大字入間野を大字槻木に改称して柴田町大字槻木とすることにしました。様々な受け取り方があるとは思いますが、槻木町はその名を大字入間野の区域に託して消えて行ったのだと思います。こうして入間野の名は消えましたが槻木の名は残りました。入間野を残すか槻木を残すか、苦しい選択を迫られたことでしょう。
同じく明治22年、平村、堤村、新寺村の藩政3ヶ村が合併。藩政平村の宿駅名「金ヶ瀬」にちなんで金ヶ瀬村になりました。藩政村は金ヶ瀬村の大字に継承され、金ヶ瀬村大字平、金ヶ瀬村大字堤、金ヶ瀬村大字新寺になりました。昭和31年、金ヶ瀬村は大河原町と合併。金ヶ瀬村の大字は大河原町に引継がれ、大河原町堤、大河原町新寺になりましたが、このままでは金ヶ瀬の名が消えてしまいます。しかし、金ヶ瀬村は中心部の大字平を金ヶ瀬に改称して大河原町金ヶ瀬とすることにしました。こうして平の名は消えましたが金ヶ瀬の名は残りました。
私はこの2例の大字名改称を肯定的に受け止めています。理由は、町村制で誕生した槻木村の名は藩政村入間野に形成された町場名「槻木」に由来し、昔から入間野=槻木、槻木は入間野の別称という雰囲気があったと考えられるからです。平と金ヶ瀬の関係も同様です。もう1つの理由は、周辺大字との統合や境界変更を伴わず、単に入間野を槻木に、平を金ヶ瀬に変えただけですから、同名小字が発生せず、地番組替えの必要もなかったことにあります。ですから、入間野を槻木に、平を金ヶ瀬に改めることに大きな抵抗感はなかったものと思われます。これを富来に当てはめることはできないだろうか。どれか1つの大字を富来という名に改称し、志賀町と合併して消滅する富来の名を残すという方法です。たぶん、志賀町富来七海を志賀町七海にできても、志賀町富来にはできないでしょう。では、志賀町富来地頭町はどうでしょう。志賀町地頭町にもできるし、志賀町富来にもできそうな予感がします。ただし、明治から今日までの合併を含む社会変化を思えば、地頭町を富来に改称するのは不可能になっているかもしれません。
【地形図からの推測】
ウォッちずは既に現在の地名に修正されているのであまり参考になりませ。そこで、たまたま手許にあった平成3年発行の5万分の1地形図「富来」を見てみました。牛下、生神、七海、領家町、高田、東小室の地名は記載されていますが、なぜか地頭町がありません。それに、自治体名の富来町はあるのですが、集落名の富来がありません。地形図の図名は、その図に出てくる代表的な集落・居住地名を採用するのですから、富来という名の集落があるはずです。富来はどこへ行ってしまったのでしょう。思いますに、以前は現在の地頭町にあたる区域に富来という集落名が記載されていたのではないか?。現在の地頭町こそ昔の富来ではないかと思えてくるのです。槻木が入間野村の町場名であったように、地頭町は富来村の町場名だったのではないかと・・・。
【百科事典からの推測】
1972年発行の百科事典の次のような記述があります。
南部の福浦港をはじめ、富来、赤崎、領家、七海などの港は漁業が盛んで、また富来は商業の地方的中心で
ということは、富来領家でも富来七海でもない富来富来があるのですね。それは現在の富来地頭町ではないだろうか。
【天保国絵図からの推測】
やはり富来村は存在したのですね。位置から推測すると現在の地頭町の区域だろうと思います。
私、今回の事例に付いて千本桜さんは2つの事を見逃している(あるいは見ないようにしている)のではないか、と思っています。
具体的には
「富来と言う地名自体の歴史を追う事」
「○○村内××村と言うのが富来の2例に特異な話か」
と言う事です。
的を絞ります。地頭町を富来と言う名に置き換えることはできないかと発想した場合、最も効果的なのは、藩政村名と町村制発足時の大字名およびその区域界を知ることだと思います。ですから、あまり古い時代に遡る地名由来は考えていないのです。また「○○村内××村と言うのが富来の2例に特異な話か」については、まったく特異な例ではなく、身近な宮城県にもたくさん転がっています。中には時代経過とともに本村と端郷の関係が逆転しているものもあります。現在は石巻市の一部になっていますが、江戸期の根岸村ノ内の渡波村は第1回人口集中地区調査で1万人を超す市街地に発展しているのに対し、本村の根岸は渡波市街地の在郷にあたる村落になりました。昔は根岸の中の渡波だったのに、今では渡波の中の根岸です。[70779] で端郷の領家町村と高田村を引っ張り出したのは別の疑問あったからです。富来村が住所の上で地頭町村と領家町村に分離したのはいつか。小室村の中の高田村が小室と分かれて、地頭、領家と一緒になったのはいつか。これが判らなかったから釈然としなかっただけです。

[70786] むっくん さん
県令第23号(M22.3.8)によれば、牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高山村の7村が合併して富来村が発足しました。
ありがとうございました。明治22年の富来村発足直前には富来村がなかったのですね。すると、天保国絵図に描かれた富来村は、いつ、どこへ行ってしまったのでしょうか。ミステリーもまた楽しい。

[70834] EMM さん
うーん、結局富来の話に到達できなかった…書く内容はだいたい頭の中でまとまったんですが…
急を要するものでもないし、急がなくていいですよ。私も書き始まったら止められなくなって、こんな時間に・・・。
[70779] 2009年 7月 11日(土)00:07:13千本桜 さん
天保国絵図の冨来
平成17年に志賀町と合併して消滅した富来町には、富来と呼ばれる特定の区域があったのではないか?という思いが頭をよぎります。平成17年まで存在した旧富来町ではなく、昭和29年まで存在した旧旧富来町でもない別種の富来です。もっと古くからの富来です。そこで天保国絵図能登国を開いてみました。そこには福浦村、牛下村、生神村,七海村、冨来村などの村名が記載され、冨来村の隣には冨来村之内領家町が記載されています。江戸期には冨来村があったようです。そして、冨来村には枝郷というか端郷というか正式な呼称はわかりませんが、領家町村という村が存在したらしいのです。天保国絵図の冨来村とは、現在の地頭町のことではないかと仮説を立ててみました。同じように、小室村にも小室村之内高田村というのがあったらしいのです。で、何を知りたいのかというと、明治22年に町村制下の富来村が発足したわけですが、そのとき何村と何村が合併して富来村が発足したのか。そして何という名の大字を設置したのかということです。書いているうちに文章がくどくなっているのに気が付きました。申し訳ありません。これから晩飯食べます。
[70774] 2009年 7月 10日(金)08:19:12千本桜 さん
Re:富来町関係レス
[70771] EMM さん
おはようございます。富来に関する考察。私も参加させて下さい。遠く離れた地域ですので、こまやかな住民感情までは理解できませんが、住所の在り方の基本においては共通するものが多いと思います。天保国絵図、国土地理院地形図、新志賀町設立以前の郵便番号簿、ネット上の地図、ネット上の住所一覧などを見ながら「富来」へのイメージを膨らませているのですが、大事な「角川地名大辞典・石川県版」を持ち合わせていません。その辞典を読むことで「富来」へのイメージを一層膨らませることができるはずなのに残念です。EMMさんは「石川県版」をお持ちですよね。そこに、「地頭町と領家町の関係」、「東小室と高田」の関係がどのように記述されているのかご覧になっていただけますか。急がなくても良いことですから、時間に余裕があるときで結構です。謎めいた書き方をしますが、ちょっと複雑な地頭町と領家町の関係が原因して、七海、生神、牛下が引きづりこまれたのではないかと、私は思っているところです。
[70767] 2009年 7月 9日(木)20:05:46【1】千本桜 さん
覚えやすい地理雑学辞典
「スーパーシティはニューヨーク、スーパータウンはオーガワラ」

北海道中標津町、奈良県王寺町、沖縄県北谷町などからクレームがつきそうですが・・・。
[70753] 2009年 7月 8日(水)02:15:45千本桜 さん
石川県志賀町西海風無
[70743] EMM さん
ただ、千本桜さん的には特に「富来町○○」→「志賀町西海○○」は「きわめて喜ばしい事例」かも?
いいえ、喜ばしくありません。同じ運命共同体を辿ってきた地域は、同じ住所形式で新自治体に移行して欲しいというのが基本的な考えです。富来町風無地区が明治22年から昭和29年まで属していた村名「西海」を付して志賀町西海風無になるなら、富来町酒見地区も同じく昭和29年までの所属村名「西増穂」を付して志賀町西増穂酒見とするのが良し。富来町酒見地区が何も付さずに志賀町酒見になるなら、富来町風無地区も何も付さずに志賀町風無になるのが良しと考えます。で、「志賀町富来風無」が良いのか、「志賀町西海風無」が良いのか、それとも「志賀町風無」が良いのかはっきりさせてとEMMさんに迫られたら、ふるえながら(?)「志賀町風無」が良いと答えます。なぜなら、住所は自治体名と大字名と小字名と番地があれば、それで機能するからです。風無って下層に「へ」とか「レ」とかの小字がぶらさがっているのでしょう。「へ1番地」だけでは場所が特定できないけれど、頭に風無が付いて「風無へ1番地」だと特定できますね。明治22年から昭和29年までの村名「西海」は無くてもOK。昭和29年から平成17年までの町名「富来」も無くて0Kでしょう。平成の合併では足並みが揃わずに住所の地名階層がばらばらで新自治体に移行する例が目立ちますね。でも、昭和の大合併でも同様例はありました。宮城県南部ですと名取市です。高舘村、愛島村は村名を生かして名取市高舘熊野堂字飛鳥1番地(新自治体名+旧村名+大字名+小字名+番地)。館腰村は村名を生かさず名取市植松字宮島1番地(新自治体名+大字名+小字名+番地)で旧村名は消えました。増田町、閖上町、下増田村も町村名を生かさないで名取市手倉田字箱塚屋敷1番地(新自治体名+大字名+小字名+番地)としましたが、それぞれに町村名と同名の大字がありましたから、増田、閖上、下増田の名称は残りました。
EMMさんは私が書いた[70733]
美川町は「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かったですね。
を誤解されているのですね。と言うよりも説明不足な書き方をしてしまったようなので、もう一度書きます。「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かった、と書いたのは何故か。美川町は「美川」の領域を知っているから、湊町や長屋町を指して「そこは美川だ」と言わなかった。周辺の大字(町)を侵蝕しなかった。傷つけなかった。相手の存在を無視しなかったからです。もし、「美川」の領域を知らない人が大字をいじると、湊町も長屋町も美川と市街地続きだから、そこも美川だということにしていたかも知れません。「大字大河原」の領域を忘れた大河原町は、周辺の大字大谷、大字金ヶ瀬の区域を指して「そこも大河原だ」と言うのです。合併して自治権を失った大谷、金ヶ瀬は言葉を発することができません。悲鳴を上げるだけです。
[70746] 2009年 7月 7日(火)01:58:08千本桜 さん
宮城県の商圏
宮城県が平成20年に調査した消費購買動向調査が今年4月に公表され、その報告書「宮城県の商圏」が発売されているので購入してきました。この調査は平成の大合併以前の市区町村を単位にしています。それによりますと、前回調査(平成17年)では商圏を形成していた旧南方、角田、亘理が要件を満たせず脱落。代わって旧中新田商圏が復活し、旧志波姫商圏が新参入してきました。現在、宮城県には15商圏が形成されています。この商圏調査は昭和53年から3年毎に実施されていますが、過去に商圏を形成しながら現在は商圏を喪失している都市を挙げると次のようになります。塩釜、旧築館、旧若柳、涌谷、岩沼、柴田、大和、旧栗駒、旧志津川、旧矢本、旧小牛田、旧鹿島台、旧南方、角田、亘理の15都市です。それでは、今回の調査で形成が確認された商圏を吸引人口の多い順に並べてみます。ただし、これは買回品(衣料品・書籍・家具.家電など)を対象にしたもので、最寄品(食料品・日用雑貨品など)は対象外になっています。
順位商圏名吸引人口商圏人口地元購買率
1位仙台青葉348,569人1,622,690人69.7%
2位仙台泉302,526人1,068,498人78.5%
3位旧石巻218,765人364,819人92.1%
4位仙台太白213,420人672,277人67.1%
5位旧古川157,344人311,906人83.2%
6位名取144,085人662,966人59.1%
7位旧気仙沼89,608人177,039人86.5%
8位利府85,504人397,415人63.3%
9位大河原74,807人188,313人67.8%
10位旧迫72,471人170,763人72.6%
11位多賀城71,394人341,578人53.2%
12位富谷41,108人295,090人40.4%
13位白石17,591人54,012人38.5%
14位旧中新田14,272人47,499人35.3%
15位旧志波姫9,593人69,529人31.6%
県は上記15商圏を次のように分類しています。
超広域型:仙台青葉
広域型:仙台泉、仙台太白、名取、旧石巻、旧古川
地域型:利府、多賀城、富谷、大河原、旧気仙沼、旧迫
地区型:旧志波姫、白石、旧中新田

県の分類を自分なりの発想で分類しなおします。
1・仙台市を区単位に分割するのは馴染めないので仙台市を1つの単位とする。
2・仙台市への依存度が高い市町は商圏中心都市から除外する。仙台市への買回品購買依存率が高いのは富谷町56.6%、名取市38.8%、利府町29.7%、多賀城市23.7%です。富谷、名取、利府、多賀城は仙台商圏の一部とみなして振るい落とします。
3・吸引人口2万人以下の市町は商圏中心都市から除外する。これで、白石市、旧中新田町、旧志波姫町が振るい落とされました。
残ったのは6商圏中心都市です。この6つを分類すれば、(超広域型:仙台市)、(広域型:旧石巻市、旧古川市)、(地域型:旧気仙沼市、大河原町、旧迫町)になります。すっきりしましたね。これが私の頭の中にある現時点での宮城県の商業拠点都市です。
[70733] 2009年 7月 6日(月)02:46:15千本桜 さん
七ヶ宿、誉君、白山市、美川町、聖地
[70602] hmt さん
○=漢数字である青森県上北郡六ヶ所村・宮城県刈田郡七ヶ宿町・宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の3町村の「ヶ」は、「が」でなく「か」と読むのでした。
七ヶ宿町の正式読みが「しちかしゅく」だと発覚してからかれこれ10年経つでしょうか(まだ6、7年かも)。それまでは町当局も住民も「しちがしゅく」だと思っていたわけです。今でも住民は「しちがしゅく」で通していますが、テレビは「しちかしゅく」と言うようになりました。ところが、これが私の耳には非常に聞きにくいのです。なんか、顎の辺りがむずがゆくなる感じです。地元民にとって「しちかしゅく」は、言いにくいし、聞きにくいし、正式呼称だなんて言われても困ってしまうのですが、よその地方の人には「しちかしゅく」って、すんなり発音できて、すんなり耳に入る音なのでしょうか。

[70615]Issie さん
お忙しいでしょうに、私の疑問に応えて下さいましてありがとうございました。
[70645]Issie さん
同級生に「誉(ほまれ)」君という子がいて
誉君で思い出したことがあります。あれはもう35年以上も前のこと。羽田空港でアンカレジ行きの飛行機を待っていたときのことです。公衆電話に10円玉を入れても戻ってきます。壊れているんだなと諦めて電話するのを止めました。そこに、あの勝呂誉さんがやってきました。誉さんは何も知らず公衆電話に10円玉を入れました。普段なら「その電話、壊れてますよ」と教えてあげるですが、相手は人気俳優さん。声をかけることもできずに、じっと誉さんのすることを見ていました。私は10円玉が3回落ちたところで諦めましたが、誉さんはなかなか諦めません。落ちてくる10円玉を拾っては入れ、拾っては入れ、何回くりかえしたと思いますか?。それは秘密にしておきますが、どうしても電話したかったんでしょうね。電話先は大空真弓さんだったのだろうか・・・。どうやら、登場人物が古すぎたようですね。

[70634] futsunoおじ さん
だれか不敵な人物が偏見を持って三本松・金沢・両毛を三大聖地としたものが発端のようです。ただ近年強烈なインパクトを持つ大河原を加え両毛を外そうという考えもあるようであり、今後の両毛地域メンバーの動向が注目されます。
身に余るお言葉、ありがとうございます。しかし、○河○は地理の聖地に向かない「いかれぽんち」の世界です。不成立でしたが、合併に向けての字名取り扱いを通じて思い知らされました。でも、桜が咲く季節の一週間だけ聖地と思っていただけたら嬉しいです。

[70685] 星野彼方 さん
河内○○(旧鶴来町や旧美川町はこうですね)
[70693] 癒しの白山麓ファン さん
石川県白山市の住所表記を見ると、松任・美川・鶴来では新町、今町など、同地名の場合など含め鶴来新町、美川今町と旧町名が付いていますナ。
松任と鶴来については詳しく見ていないので分かりませんが、美川について思うことをひとつ。美川○○、美川今町などの「美川」は、白山市に移行して消滅した美川町の「美川」ではなく、別の意味がこもった「美川」だと思うのです。もし、白山市美川今町や白山市美川永代町の「美川」が平成17年まで存在した美川町を意味する「美川」なら、その「美川」は当時の美川町全域に付されて然るべきです。しかし、湊町や長屋町には「美川」が付されず白山市湊町、白山市長屋町になっています。これは、美川町には「美川」と認識される区域と「美川」ではないと認識される区域があったからでしょう。1869年、本吉町と湊村が合併して美川町誕生。1871年、美川町(旧本吉町)と湊村に分離。1889年、美川町は単独で町村制下の美川町になり、湊村も単独で町村制下の湊村になりました。1954年、美川町、湊村、蝶屋村が合併して新・美川町発足。以上が美川町の歴史です。白山市に移行するにあたり、1889年当時の美川町域だけに「美川」を付し、湊村域(現・白山市湊町)と蝶屋村域(現・白山市長屋町・手取町など)には「美川」を付さなかったようです。当たりまえと言えばそれまでですが、美川町は「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かったですね。それに対し、大河原町は「大河原」の範囲を忘れてしまった。忘れてはならない立場の人たちまで忘れてしまって反省せず、知らなかったことを正当化するために詭弁を使います。大河原町は新しい住民が多い町だから地域の歴史にはこだわらないんですと!。ワオ~~~、おったまげました。


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