[76184]の続きです。
最終日の8月23日、まずは鵜方から賢島へ行きました。
近鉄志摩線は前日、フェリーを降りて、中之郷から鵜方まで乗っているため、賢島で折り返し、鳥羽まで乗れば全線完乗という狙いがありました。
賢島では30分ほど港周辺を散策し、真珠と土産菓子を扱っている店でお土産を購入した後、鳥羽行きの電車で志摩市を後にしました。
鳥羽駅は20年前、名古屋から乗ってきた近鉄特急を降り、バスで合歓の郷へ向かい、そして翌日にまた近鉄特急で大和八木へ向かったところ。20年前に見た風景を見ながら感慨に浸り、ここからは「ビンボーきっぷ」こと青春18きっぷに3つ目のスタンプを押して(今回は3回分残っているものをmixi経由で入手したため、これが最後)、快速「みえ」号で二見浦へ向かいました。
二見浦では1時間余り、海岸を散策したり、夫婦岩(二見興玉神社)へ参拝したりして、普通列車で松阪へ。
松阪では約45分の待ち時間に、駅構内で「伊勢うどん」を食し、地下道をくぐって近くの郵便局へ行った後、名松線に乗りました。
昨年の台風被害で家城-伊勢奥津間が不通となり、復旧せずバス輸送に切り替え(=事実上の廃線)となる見通しの名松線ですが、そうそう乗る機会がないということもあり、せめて列車が走っている家城までは乗っておこうと思いました。
家城では8分で折り返し、松阪から津までまた「みえ」号に乗りましたが、松阪では車内の音を録音しようとしたところ、名古屋方面(またはその先)へ帰っていく友人か親類を見送りに来た女性が、「松阪牛のしぐれ煮」をお土産に持たせるという、いかにも松阪らしい会話が録音されました。
津といえば、表題の嘉門達夫の替え歌(元歌は桜田淳子『わたしの青い鳥』)。
駅構内に面したビルの窓に「ようこそ三重へ」とあるのを見つけ、その周りの「津」と組み合わせてパチリ(笑)。
津は20年前の修学旅行と、97年3月に紀伊半島を一周した時、2回の通過がありましたが、今回初めて降り、駅前通りを歩いてコンビニに立ち寄り、「県庁所在地の経県値」を2点アップさせました。
伊勢鉄道は97年3月、「みえ」号で通過していますが、今回は普通列車に乗り、そして四日市から再び「みえ」号で名古屋へ。
名古屋に着いたのがちょうど午後5時。当初は東京か上野まで18きっぷの旅を続け、午前1時前に柏到着という予定でしたが、翌日は朝6時から仕事がありましたし、帰るだけなのに8時間乗りっ放しはちょっとキツいなぁ、と思いながら携帯で検索したところ、静岡まで新幹線に乗れば、あとは18きっぷでも11時過ぎに帰れることが分かり、急きょ予定を変更。
これまで通過しかなかった静岡市は、当初の予定でも何とか「接地」にしようと、電車を乗り換えることにしていましたが、予定変更により、新幹線から普通列車への乗り換えで初接地を果たしました。
そして、静岡から再び18きっぷの旅を続け、日付が変わる前に帰宅となりました。