大変ご無沙汰しています。
私は結婚当初横浜市金沢区に住んでいたことがありまして、野島についてもかなり慣れ親しんだ土地でありました。
で、ちょっと気になる記述がありましたので一筆をば。
[82781]オーナー グリグリさん
公益財団法人横浜市緑の協会のHPによると、独立孤島が砂州で地続きになったのち、昭和20年(1945年)に運河開削によって島に戻ったとの記述がありました。
これを読んであれっと思いました。私が記憶している野島は、公園となっている南東側の水路は土砂が溜まり、横須賀市側と事実上陸続きになっていたからです。
でも、現在衛星写真を見ると確かに水路になって水をたたえているようにみえます。
そこで、少し調べてみると、Wikipediaの
平潟湾の項に、
野島との間の野島水路も土砂が堆積して塞がり(1966年には閉鎖された)、代わりに野島の北側に野島運河が掘られた。残っていた湾の南側は1966年に埋め立てられて金沢区柳町となり、現在の細長い湾が残った。戦後は狭くなった湾内に周辺(宮川、侍従川、鷹取川等)の排水が流れ込み水質汚濁がひどかったが、野島水路が1994年に再び開通したことなどから持ち直している。
ここにある「野島水路」とは横須賀市との境の南東側水路のことです。なるほど、私が記憶していたのは1994年以前の景色で、一時地続きになっていた時代のことだったのですね。
実は今から数年前にも、この野島のバーベキュー場でバーベキューをしたことがあり、その時目の前の野島水路に水があったかどうか記憶が定かでないのでした。
というわけで整理すると、野島の歴史は年代的に追うと、
・古代:平潟湾に浮かぶ島。島の北西側、南東側それぞれが細い水路で陸地と隔てられていた
・近代(年代不詳):北西側から砂州が伸び、陸繋島となる
・1945年:北西側砂州が開削され野島運河ができ、再び独立島となる
・1966年:南東側野島水路に土砂が堆積し、再び陸繋島(?)となる
・1994年:野島水路が開削され、三たび独立島となる
という、きわめて複雑な経過をたどっていることになります。