こんばんは、じゃごたろです。
先日は不穏な書き込みをしまして、不快な思いをされた方にはお詫びいたします。「書かなくていいことをまた書いた」と言うのは、何度目かわからないのですが、性懲りもなくまたやってしまいました。
さて、
[72732] 伊豆之国 さん
[72730] Issie さん
[72727] 小松原ラガー さん
[72726] 白桃 さん
江戸時代の街道を引き継いで設定されたいわゆる「明治国道」では次のようになっています。なお初期の「国道表」では「地名」ではなく「駅名」となってます。
まずは、
一号:東京ヨリ横浜ニ達スル路線
駅名:日本橋→品川→川崎→神奈川→横浜
二号:東京ヨリ大坂港に達スル路線
駅名:日本橋→一号→神奈川→保土ヶ谷→(中略)→鳴海→熱田→西福田→(中略)→大津→三条大橋→淀→枚方→守口→大坂
となっており、横浜は東海道を神奈川で分岐して達するということになっています。また名古屋も熱田を通過するが、そこよりもちょっと北にある名古屋城下からははずれています。京都からは桂川、淀川の左岸を通って大坂へと至ります。
さらに
三号:東京ヨリ神戸港ニ達スル路線
駅名:日本橋→二号→京都→山崎→芥川→道祖本→瀬川→西宮→御影→神戸
となっており、みなさんのおっしゃる通りに京都から分岐して現在の国道171号を神戸へと至る路線となっていて、西国街道を継承したものですね。続いて「東京ヨリ長崎港ニ達スル路線」である四号は、三号からさらに西へと続く路線となっています。
また名古屋城下につきましては、
十号:東京ヨリ名古屋鎮台ニ達スル路線
駅名:東京→二号→熱田→名古屋
として、熱田から分岐して名古屋城(名古屋鎮台)へと至る路線設定となっています。
陸路の山陽道は,緊急時に情報を伝える「馬」の通り道として重要だったのかも。
これについては以前も書き込んだことですが、明治国道、大正国道の多くは「東京ヨリ○○ニ達スル路線」という東京と地方を結ぶ路線で、「中央集権的」と表現されるものです。終点には「○○県」、「○○港」、「○○鎮台」、「第○○師団」、そして「伊勢宗廟」です。後に「○○鎮守府」となる路線も指定されました。以前法令全書で見かけた記憶では、東京から各県へと連絡する日数が定められていたと思いますが、それがこの国道をたどることを前提にしたものだと思います。
ちなみに起点が東京ではない場合は、「○○ト□□トヲ拘連スル路線」という表現となっています。
さて、明治18年での国道表では「札幌県」「根室県」へ至る路線があります。逆に「奈良県」「香川県」に至る路線はなく、数年後に指定されました。当時の府県がそういう状況だったのですね。
最後に追加で。
昨日、今日の寒さは予想外でした。現在すでに氷点下です。。。雪がちらついてましたし。