[76181]の続きです。
8月21日は朝8時前に伊那市を出発し、夜8時過ぎに豊橋に着くまで、ひたすら飯田線の旅でした。
天竜峡から唐笠まで天竜峡下り船に乗り、電車で天竜峡駅に戻った後、為栗→田本→小和田→中井侍の順に、「秘境駅」を訪問。
JR東海も「秘境駅めぐりツアー」を実施している飯田線にはあと、千代、金野という2つの秘境駅が、天竜峡下り船が着く唐笠と天竜峡駅の間にあり、そこで下車して(天竜峡駅までは行かず)南下することもできたのですが、昼食を確保していなかったため、両駅下車は断念し、天竜峡駅近くで蕎麦を食べました。
飯田市(天竜峡駅)→泰阜村(唐笠)→飯田市(天竜峡駅)→天龍村(為栗)→泰阜村(田本)→浜松市天竜区(小和田)→天龍村(中井侍)と、行きつ戻りつしながら、為栗には30分、田本には1時間半、小和田には20分、中井侍には1時間滞在。
小和田では1時間20分の滞在も可能だったのですが(その場合、中井侍の滞在時間が20分に)、古い無人の駅舎に巣があるのか、スズメバチかアシナガバチのような虫がウジャウジャいたため、あえなく20分で退散と相成りました(夏に来るものではないな、ここは…)。
中井侍では豊橋行きの電車が来る前に、天竜峡方面の電車が来たため、これで鶯巣まで乗り、あとは豊橋行きの電車で一路南下しました。
豊橋では友人と会って、「名古屋赤から鍋」(実は豊橋が本社)でまたビールを飲み、駅近くのビジネスホテルに泊まりました。
22日は友人と会う前に、路面電車を全線完乗(運動公園前から赤岩口まで歩く)したのですが、なんと、YASUさんとニアミスしていました!!
駅前で運動公園前行きの電車が入ってくる前、「団体」と書かれた旧型電車が入ってきましたが、これに乗られていたのです。
赤岩口から駅前へ戻る途中、その旧型電車とすれ違いましたが、後からその事実を知って、それはもう驚き、桃の木、電車の木…。
路面電車を降りて、新豊橋から豊橋鉄道渥美線で終点・三河田原まで行き、ここで友人と合流して、伊良湖岬までドライブしました。
岬近くではハマグリよりも大きいジャンボあさり丼を食べ、海のそばでまたジャンボあさり焼きを、それからどでかいメロンかき氷を食べ、伊良湖から鳥羽行きフェリーで三重県へ渡りました。
ここからがもう1つの「20周年メモリアル」。
高校の修学旅行で志摩市(当時は浜島町)の「合歓の郷」と奈良・京都へ行ってから(吉野などへ行ったクラスもありましたが、私のクラスは大和八木から宇治へ直行したため、奈良県は「接地」)、この秋で20年が経つということで、志摩を訪れ、合歓の郷に近い鵜方に泊まることにしたのです(合歓の郷は1人で行くトコじゃないので、駅近くのビジネスホテルに…)。
雑居ビル3階の1フロアだけという小さなホテルから、近くへ食事に出て、コンビニで翌朝の食事を調達し、シャワーを浴びた後、階下の居酒屋で飲みましたが、その間、周囲から聞こえてきたのは関西弁。三重県に来たんだなぁ、と実感しました。
三重県でも、以前、四日市の主婦や桑名の高校生が話しているのを聞いた時には、明らかに関西弁ではあるものの、大阪弁のような威勢のいい感じではなく、ゆったりとして柔らかな、京都弁に近い感じでしたが、志摩で聞く言葉は大阪弁のような感じでした。
[9502]三丁目さんの
学校の後輩に、津(女性)、伊勢(男性)から来た人がいて、男だからという部分があるかもしれませんが、伊勢の彼は大阪弁かな、というくらいの口調でした。一方、津の人からはそれほど強い関西弁は感じませんでした。
というお話と共通するものがあります。
(続く)