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YTさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80936]2012年6月4日
YT
[80928]2012年6月2日
YT
[80902]2012年5月27日
YT
[80506]2012年4月3日
YT
[80489]2012年4月1日
YT

[80936] 2012年 6月 4日(月)13:59:53【1】YT さん
初期のDIDの定義
[80934] 千本桜 さん

例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。

当時の人口集中地区の定義を見る限り、韮崎市のケースなどは、前年度作成の世帯人員概数の算出が妥当で無かったとしか言えないですね。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和35年国勢調査による人口集中地区の人口,面積,および地図』(日本統計協会,1961年)によると、

 人口集中地区は,昭和35年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定されている。すなわち,昭和35年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が446,512の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和34年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 人口集中地区は,昭和34年10月1日現在作成の「昭和35年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数にもとづいて設定されているので,昭和35年10月1日現在では,設定基準の人口5,000人に達しない人口集中地区が若干ある。


総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和40年国勢調査』(日本統計協会,1966年)によると

 人口集中地区は,昭和40年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和40年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が約49万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和39年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 昭和40年国勢調査の人口集中地区は,昭和39年10月1日現在作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年10月1日現在では,人口5,000人に満たない人口集中地区が若干ある。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 国勢調査報告 昭和45年 別巻』(日本統計協会,1972年)によると

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。

(2) 昭和40年の人口集中地区は,今回と異なり,昭和39年10月1日現在で作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年の人口集中地区のなかには,人口5,000人に満たないものもある。

連合集中地区、準人口集中地区の設置も昭和45年の国勢調査からで(連合集中地区人口は昭和35年に遡って昭和45年版に掲載されている)、昭和35年・昭和40年の国勢調査の時と設置基準が少しだけ変わったことになります。

まあそれとは別に、

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

こちらの方はもっと楽に閲覧できないのでしょうかね?
[80928] 2012年 6月 2日(土)18:56:38【1】YT さん
DIDの定義 【訂正】
[80922] 白桃 さん

---ここで話を中断してすみませんが、昔の国勢調査資料をみてますと5000人に満たないのに、DIDになっているところがかなりあります。これは今と定義が違っていたのか、それとも準人口集中地区をも含めていたのか、詳しい方、お教えください。----
それはそれとして、不思議だったのは古座町のDIDの在り処です。

今手元に『我が国の人口集中地区』がないので正確な解説は書けませんが、確か当初は速報値だったか住基人口だったかをもとに人口集中地区を設置したため、国勢調査人口が確定した後、DID人口が基準値を下回ってしまう場合があるという註釈があったと思います。

というか、今はこういうサービスもあるんですね。
http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/jpgis/datalist/KsjTmplt-A16.html

その昔某所でこういう試算をしたことがありますけど、今ならもっと楽ですね。
http://mimizun.com/log/2ch/geo/1078037542/104-180

【追記】自宅に帰ってからDIDに関する文書を見返したところ、上の暫定人口・住基人口というのは間違いで、以下の理由によるものでした。

『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
[80902] 2012年 5月 27日(日)16:52:12YT さん
細倉マインパーク
[80895] 千本桜 さん [80846] 白桃 さん

DID(人口集中地区)がはじめて登場した1960年(昭和35年)の国勢調査ですが、東北地方のDID人口を見ていてアレっ!と思ったのは、宮城県の鶯沢町(現:栗原市)に6,269人のDID人口が記載されていることです。

自分の母の実家が、その細倉鉱山から山一つ越えたところです。とはいえ、

細倉という名の行政区はありません。したがって、細倉という地名は旧村名、大字名、小字名、行政区名のいずれにも該当しない俗称になりますが、地元の人はどのように地名を使い分けているのか気になります。

うーん、親戚との会話では、なんとなく細倉の町並みを含めて鶯沢を呼んでいたような気がします。細倉鉱山の跡地の一部を慶応大学が買ったので、地元では慶応のキャンパスが出来る!とか喜んでいたのですが、いつまでたっても建物が出来ず、しょんぼりという情況です。

初めて鶯沢町の細倉鉱山へ行ったのは昭和42年か43年のことでした。

自分は生まれてすらない・・・。母の実家に何度か行くきっかけになったのは祖母が数え100歳で亡くなった10年前からで、昔の繁栄については良く知りません。親戚のお産婆さんは、1940年代に忙しい時期には毎日のように鶯沢の方で、新生児を取り上げていたと言いますから、今では考えられない程、人が多かったのでしょう。数年前に車で通った記憶では、細倉一帯には古い看板の小さな商店街の残骸が道沿いに立ち並ぶが、そのほとんどが営業しておらず、かといって残っている家も周囲の米農家のもののため、案外裕福そうに見える、といった印象です。

当時、細倉はDIDを形成しない栗駒町岩ヶ崎の都市機能に依存していました。

現在でも岩ヶ崎があの辺りの中心部を担っていたと思いますが、車があれば20~30分ほどで築館、若柳に出られるんですよね。新幹線のくりこま高原駅には何もなかったのですが、最近になってイオンが出来たため、新しい拠点性が生まれたようです。新幹線の駅を栗原電鉄と交差させるように作っていたら、まだ栗原電鉄が生き残る道もあったでしょうが、5年前には廃線となりました。別に地元の住民はほとんど鉄道を使ってなかったのですが、やっぱり鉄道が無くなると地域も寂しいものになります。さらに4年前の栗駒山直下の地震(実家の隣の家の主人がNHKのニュースに出ていました)では、山塊崩落した地区の傍には戦後満州引揚者の集落があったのですが、ますます人口流出・過疎化に拍車がかかっている状況です。

と言いつつ私の母の実家(私の母もそこで生まれたわけではなく、祖母も亡くなるまで都会で暮らしており、祖父の生まれた家といった方が正確ですが)にも、15年程前から誰も住んでいません。直系の親戚はみんな都会で暮らし、誰も農業をやりたがらないのです。
[80506] 2012年 4月 3日(火)18:45:45YT さん
1965年~2005年の国勢調査人口について
[80492] オーナー グリグリさん

お言葉に甘えてYTさんから人口統計のご提供をいただければと思います。私宛に直接メールでお送りいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。>YTさん

すみません。

4月1日の午後10時頃、落書き帳の内容を見た直後に6 MBほどのサイズのファイルを添付したメールを送信しておりますが、届いておりませんか?

サーバー側でスパムメール扱いされているのでしたら、ファイルサイズを小さくして送り直します。
[80489] 2012年 4月 1日(日)14:59:16YT さん
1965~2005年の国調人口
[80487] hmtさん

[80441] hmt
昭和55年(1980)以前の資料については、当時の印刷物を PDF化した文書により提供されています。
[80476] Issie さん
やっと実現していたのですね。そのままではたとえば表計算ソフトの表に取り込むことのできない pdf(というか,画像)ファイル ではあっても。

このようなわけで、1980年以前については、今回の手法が使えません。

実のところ、1965年、1970年、1975年、1980年分に関しては既にエクセルファイルにまとめているので、1965年~2005年までの人口統計はただちに提供できます。

3年前に人口データを一個のエクセルファイルにまとめるという計画を建てた頃、統計局のエクセルファイルからスタートして、1985年から順繰りに時代を遡って人口データを入力していましたが、国勢調査の「町・村」の区分が実際に発足した日付と前後していて間違っているケースが多々あることが判り、各都道府県毎に一気に遡って入力する方式に変更しました。

もっともこういうのは勢いに任せてやった方が良く、当初の予定よりも遅延していますが・・・

二年ほど前に、pdfから画像をOCRで処理して文字・数字を読み取る方法として、幾つかソフトを試しましたが、良質のソフトが見つからず、そちらは断念しています。


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