[39935] 白桃 さん
沖縄県がHPで発表している市町村別の国勢調査人口を齟齬が生じないように慎重に入力しております。
ただし、1947年はありません。
ただ、占領時下に沖縄でも国勢調査は行われていたのですかね?
記録があるから、間違いではないと思いますが・・・
やはりそうですか。私も沖縄県のHPを参考にしてデータを作成しています。
しかし、沖縄県発表の昭和25(1950)年のデータがどうもしっくりいかないのです。
各年代・国勢調査報告第1巻の付表2 都道府県の市区町村の推移によれば、
昭和25年の沖縄県
市区町村数:86
市数:6
町数:12
村数:68
県人口:914,907人
となっています。
沖縄県発表の場合は、66市町村・698,827人です。
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
そのため全国の合計人口も合わないし。
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
とても不思議に感じております。
白桃さんは、このことにお気づきだったでしょうか?
[39897] 両毛人 さん
これは私からもリクエストいたします!
[39896] ken さん
またそれは、金沢が4位だった時のデータについても、可能でしょうか?
残念ながらありません。おおよその人口位しかわかりません。
金沢の人口を「約」12万人としたのもそのためです。
少なくとも明治4(1871)年の調査までは、金沢には約12万人いたそうです。
その他、富山が当時全国9位。
注:
[39658] では、明治維新以後、国内の都市で人口ベスト10入りしたことのある都市として、
22都市あげておりますが、富山が抜けておりました・・・
この年代についても、可能な限り調査したのですが、詳細なデータらしきデータが全くなかったのです。
私が明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口を知りたいのは、このためなんです。。。
明治12(1879)年の主要都市の人口のデータなら持っていますので記載します。
(私が現在所有する最古の人口データとなります)
東京 | 761,335 |
大阪 | 291,565 |
京都 | 232,683 |
名古屋 | 111,783 |
金沢 | 107,876 |
広島 | 76,589 |
和歌山 | 62,080 |
仙台 | 55,035 |
横浜 | 46,187 |
福岡 | 45,480 |
熊本 | 45,032 |
神戸 | 44,368 |
新潟 | 36,591 |
岡山 | 33,028 |
長崎 | 32,815 |
赤間関 | 26,502 |
函館 | 22,088 |
伏見 | 22,011 |
札幌 | 8,782 |
その他、
富山 約55,000~60,000
堺 約40,000
福井 約40,000
松江 約35,000
鳥取 約32,000
位となります。
上記5都市は様々な資料を参考・調査した結果の推測人口です
[39882] 愛比売命 さん
一番くびれている立科町なんて,ほとんど道路一本でつながっているような状況。
へぇ~~~~これはすごい。ホントに見事なまでに道路一本でかろうじてつながっていますね
最も細いところで、東西約100mといったところでしょうか・・・・
どのようにして、このような町域になったのか経緯が気になりますね・・・
ということで、少し調べてみました。
長野県北佐久郡立科町(全国市町村名変遷総覧・日本加除出版より)
S30.4.1 北佐久郡芦田村・横島村・三都和村の3村が合併し、北佐久郡立科村となる
S33.10.1 町制施行
S35.4.15 北佐久郡望月町(大字茂田井の一部)を編入
芦田という地名が立科町北側にある(町役場も立科町芦田ですし・・・)ので、そこらへんが旧芦田村かな?と思ったら、
なんと南側の白樺湖付近も「芦田」八ヶ野という地名が・・・・
横島、三都和という地名も既に現存しておらず、ここでギブアップ。
旧3村はどんな形をしていたのでしょうかね・・・
おそらく、北側が旧芦田村域で間違いないと思うが。