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播磨坂さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65259]2008年5月26日
播磨坂
[65247]2008年5月25日
播磨坂
[65230]2008年5月24日
播磨坂
[65095]2008年5月12日
播磨坂
[65038]2008年5月9日
播磨坂

[65259] 2008年 5月 26日(月)16:09:05播磨坂[伊那谷] さん
市区町村変遷情報
市区町村変遷情報に誤りかもしれないと思われる箇所を発見しましたので報告します。
「市制町村制施行時の情報」の岡山県和気郡伊里村の項の「市制町村制施行前の町村名等」に「麻宇奈村」「穂波村」とありますが、正しくは「麻宇那村」「穂浪村」かと思われます。「新旧対照市町村一覧 和泉橋警察署編(明治22年)」、「郡区町村一覧 内務省地理局(明治14年3月)」、現在の地名(麻宇那穂浪)の3つで確認致しました。
ご検討よろしくお願いします。
[65247] 2008年 5月 25日(日)22:57:27播磨坂[伊那谷] さん
足し算地名ではないですが
[65235]Issie さん
冗談はともかく,こういう「足し算の地名」というのはあるのでしょうかね。
[65245]桜通り十文字 さん
足し算では有りませんが、旧茨城県七会村は七つの村が合併したから七会となった。という話を聞いたことがあります。
[65246]揖斐の山 さん
旧七会村と似たような物と言えば愛知県にあった旧十四山村も同じように「14ヶ村」による合併で成り立ったとか。
七会村、十四山村のようなものであれば、愛知県碧海郡に明治39年、6村合併により誕生した六ツ美村というのがあります。
実際に文献に当たったわけではないのでどうかは分かりませんが、この地名も6村合併に由来したものと思われます。

それにしても、足し算地名は聞いたことがないですね。
1つくらいあっても良さそうなものですが・・・。
[65230] 2008年 5月 24日(土)14:33:22播磨坂[伊那谷] さん
南部市
[65229]日本人 さん
「南部市」という名前もちょっとどうかと思います。また方角地名が一箇所増えてしまいますね。
ちょっと気になったのですが、「南部」というのは青森県南部だからではありませんよ。
八戸から盛岡にかけての一帯は、昔、南部氏に治められた地域で南部藩と呼ばれていました。
小学校の社会で南部鉄器なるものが出てくると思いますが、あれもここです。
[65095] 2008年 5月 12日(月)12:08:50播磨坂[伊那谷] さん
資料の検証方法など
[65048]むっくん さん
[65061]88 さん
[65062]oki さん

皆様、丁寧なレスありがとうございます。
やはり誤記が存在したと考えざるを得ないのでしょうか。「山下村(町)」に関してもいくつか資料を提供して頂いておりますが、これを拝見する限りでも誤記と考えないとやはり腑に落ちません。
こうなると何が真実かを解明するのは現代の私たちには難しく、88 さんのように「原典通り」を採るなどの何かしらの基準を持つことが必要かと思いました。
とりあえず、「山下村(町)」に関しては、川西市史あたりを当たってもう少し調べてみようと思います。
[65038] 2008年 5月 9日(金)14:06:22播磨坂[伊那谷] さん
資料の信頼性、市区町村変遷情報等
[65014]紅葉橋律乃介 さん
現在「大多府」だからと言って、必ずしも百数十年前の施行時もその表記だったかどうかは、分からないと思います。
 あくまでも施行時の「原典」がどの表記なのか。仮に「大多布村」だったとすれば、あるいは「府」の誤記ではないか、との推測が出てくるわけです。単純に入力ミスかも知れませんが、併用(諸説あり)という厄介な例もないとは言い切れませんので、担当者様のご説明を待ちましょう。

本当に仰る通りだと思います。それに関連するのですが、私が普段から思っていたことを1つ。
当時の表記等を調べる資料として当時の出版物を参照することが皆さん多いかと思われますが、私はその資料が今一信頼出来ません。というのも、私は地元兵庫の自治体変遷を追うのに「兵庫県市町村名称区域及役所役場位置 福永惟精著(明治22年5月)」と「郡区町村一覧 内務省地理局(明治14年3月)」を参照していたのですが、誤植がどうも多い気がするのです。
前者は市制町村制に依り成立した市町村名とそれらを構成する郡区町村編成法下で存在した町村名、市制町村制下で各市町村の役所役場が所在した旧町村名が記載してあるのですが、たとえば、現在は川西市となっている川辺郡東谷村の項に於て、構成町村として「山下村」が記載されているにもかかわらず、役場所在地としては「元山下町」と記載されています。これを見て私は以下の三通りの可能性があると考えました。

1、郡区町村編成法施行時に山下村が発足し、市制町村制が施行されるまでの10年程の間に「町」となった(或いはその逆)
2、単純に地元では村とか町と呼ばれており、定まっていない
3、単なる誤植

一方で、後者「郡区町村一覧」では「山下村」と記載されていましたし、両書間で川辺郡に属す町村数の相違は見られませんでした(数え間違いがあるやもしれません)。
これらの事から、あくまでこれら資料を信頼した立場からは「尼崎」と「尼ヶ崎」の如く、「山下村」と「山下町」が少なくとも地元では公式非公式は分かりませんが併用されていたと考えるのが最も賢明で、2番目が事実かと考えるに至りました。
しかし、それだけならともかく、この兵庫県市町村名称区域及役所役場位置では、他にも現在の姫路市余部区(よべく)を構成していた揖西郡余部村を「あまるべ」と仮名を振っていたり、現在のJR姫新線余部駅(よべえき)周辺である飾西郡余部村も同様に「あまるべ」としています(「郡区町村一覧」でも同じような例がいくつも見られました)。勿論、現在の読みと当時の読みが同じとは言い切れませんが現在とは違い十分な通信環境なども整備されていなかった当時にその市町村から遠く離れた中央で編纂されたであろう書物ですから、単純な書き間違え、写し間違え、思い込み諸々の誤植と考えるほうが自然な気がするのです。
只、私の不勉強もあり、郡区町村編成法下での合併町制や単独町制の例は全く知らず、1の可能性も捨てきれませんし、そもそもこれらの書に記載されている町村名の時点すらもはっきり分かっておりませんので誤植とするのはいささか軽薄な感が否めませんが。

皆さんはこの点どう思われますか?

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話は変わりまして、市区町村変遷情報に誤りかと思われる箇所を発見しましたので報告します。
「市制町村制施行時の情報」の岡山県吉野郡讃甘村の項の「市制町村制施行前の町村名等」に「小田原村」とありますが、正しくは「小原田村」かと思われます。「新旧対照市町村一覧 和泉橋警察署編(明治22年)」と現在の地名両方から確認致しましたので信頼性は高いとは思います。
ご検討よろしくお願いします。


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