[75042]で神奈川県の町村の廃置分合の注の
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
を削除したことについての仔細です。
明治22年の市制町村制の施行に際し、各府県では町村の廃置分合がありました。この根拠となる県令を各県は出したわけですが、これは以下の2つに分類されます。
(A)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけでなく廃置分合を伴わない町村名をも県令に記載した府県(e.g.山口県の
県令第15号)
(B)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけを県令に記載し、廃置分合を伴わない町村名は県令に記載しなかった府県(e.g.熊本県の
県令第10号)
神奈川県の場合ですが、神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83によると、
かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
とあります。そして同書の続きのpp.83-108に町村の廃置分合規定である県令第九号(M22.3.9)が
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ許可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖守固
(別冊)
町村分合改称表
久良岐郡
新町村名 旧町村名
戸太村 戸部町 平沼新田 尾張屋新田 太田村 吉田新田
(略)
と書かれています。
市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載されています。これはまさしく上述の分類での(B)のタイプになります。
次に
[69698]拙稿で
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
と記載した情報源です。この情報源は、神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)pp.503-505の
-------(引用開始)-----
ともあれ、県当局は主主の問題を残しながらも、翌八九年三月五日には「町村制施行順序」を定め、同月十一日には県令第九号を以て、町村の分合およびその改称を定め、同月三十一日付を以て実施するとした。
新町村の誕生
『神奈川県町村合併誌』は、この県令第九号の「町村分合改称表」が即新町村としている。しかし、これは新たに実施された町村ではなかった。実施した新町村の区画及び町村名は、同年七月十九日付『神奈川県公報』第二百六十八号に掲載された「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」に示されている。この表の町村数は東京市政調査会編『自治五十年史制度編』に掲載されている内務省統計報告の町村数と一致している。県令第九号は四月一日実施に固執する県当局の勇み足であった。
県令第九号「町村分合改称表」による町村数と「各郡町村名大字役場位置表」によるそれとを比較すると第四十一表のようになっている。新町村数三百二十がいかに後退した数字であるかがうかがわれる。しかも、その内二八パーセント、九十一町村は二十五の町村組合に編成されていた。とくに津久井・西多摩・北多摩・足柄上・足柄下の各郡に町村組合が多くなっていた
第41表 郡別町村数
郡名 | 町村分合改称表 | 各郡町村名大字役場 | 内 | | 訳 |
| による町村数 | 位置表による町村数 | 独立町村数 | 町村組合数 | 同町村数 |
久良岐郡 | 7 | 9 | 9 | 0 | 0 |
橘樹郡 | 23 | 23 | 20 | 1 | 3 |
都筑郡 | 11 | 12 | 8 | 2 | 4 |
西多摩郡 | 22 | 32 | 16 | 4 | 16 |
南多摩郡 | 20 | 20 | 20 | 0 | 0 |
北多摩郡 | 21 | 39 | 20 | 3 | 19 |
三浦郡 | 14 | 15 | 15 | 0 | 0 |
鎌倉郡 | 20 | 20 | 15 | 2 | 5 |
高座郡 | 21 | 23 | 23 | 0 | 0 |
大住郡 | 23 | 24 | 24 | 0 | 0 |
淘綾郡 | 4 | 4 | 4 | 0 | 0 |
足柄上郡 | 16 | 26 | 16 | 3 | 10 |
足柄下郡 | 22 | 32 | 21 | 3 | 11 |
愛甲郡 | 9 | 17 | 9 | 2 | 8 |
津久井郡 | 9 | 24 | 9 | 5 | 15 |
合計 | 242 | 320 | 229 | 25 | 91 |
「町村分合改称表」及び「各郡町村名大字役場位置表」から作成
-------(引用終わり)-----
という記載を基にしたものでした。
神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)では、神奈川県の町村の廃置分合規定は(B)のタイプであるにも関わらず、『市制町村制に伴う町村の廃置分合規定には(A)のタイプしかないことより神奈川県令第九号(M22.3.11付)が書き落としをしている』という誤まった理解の上に立ち、それに基いた誤った記述をしているものと考えられます。
そこで
[75042]市制町村制施行時の府令県令(ver.4)では、
[69698]拙稿であった神奈川県県令第9号(M22.3.9)での注釈を誤りと判断し、削除することとしました。