[53441] faith さん
現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。
[53577]に書いたように、2面性を持つ「北海道庁」のうち、本州以南の府県に準じた地方団体としての名前が「北海道地方費」であるならば、「北海道地方費道」という呼び名は順当と思われます。
それにしても、リンクしていただいた第6回国会は1949年ですから、既に明治憲法下の「北海道地方費」自体は消滅して、現在の地方自治体「北海道」になった後の発言ですね。
団体の名称が変わった時期と、それから派生した道路の名称に使われた時期との間には、ずれがあったということでしょうか。
一方、よく知られているように、学校を初めとする、現在の「北海道立」の施設は、旧制度下では「北海道庁立」でした。
この使い分けはどうなっているのでしょうか。
「北海道地方費」によって賄われる学校である以上、「北海道地方費立」と呼んでもよさそうなのですが…
「北海道地方費」よりも前から「北海道庁立○○学校」が存在し、1901年以降も使い続けられたのではないか?
というわけで、最も歴史の古そうな学校の
六華同窓会 を調べてみました。
それによると、北海道庁告示で1895年に設置された時の校名は「札幌尋常中学校」。
その後1899年に「札幌中学」と改称。ここまでは設立主体の名が入っていません。
そして、1901年6月15日に北海道庁告示で「北海道庁立札幌中学校」と改称。
意外にも、「北海道庁立○○学校」の誕生は、「北海道地方費法」制定(1901年3月28日)直後のことでした。
この事実から、この時点では、地方団体の名称として「北海道地方費」を使うという習慣はまだ行なわれておらず、役所本来の名称である「北海道庁」が使われたものと思われます。
そして、後年、地方団体名「北海道地方費」が使われるようになっても、すべて「北海道庁立○○学校」のフォーマットを踏襲。
道路の方は、何時からかはわからないが、「北海道庁道」から「北海道地方費道」に変わり、1949年にもまだ使われていた。
こんな解釈でいかがでしょうか?
それにしても、「文部省立」という言い方はないのに、「北海道庁立」があったのですね。
戦前の「官立」学校は、戦後に「国立(こくりつ)」学校へと変わりましたが、この言葉が特定の学校名の中に現れたのは、1949年の横浜国立大学でしょうか。
# 「国立(くにたち)音楽学校」の校名は1947年。小学校などの「国立」は1951年の国立町発足よりも後でしょう。
1886年に生まれた「帝国大学」という名には、「立」の字を使っていません。
「立」の字を使わないと言えば、
[22003]で書いた“東京市立愛日尋常小学校”。
これも「立」の字のない「東京市愛日尋常小学校」が正式だったようです。古い記事ですが訂正。
それはさておき、
「北海道庁」は、1886年(明治19年)に「北海道庁官制」という勅令で定められ、その後何回かの改正を経て1947年に地方自治法施行令で廃止されるまで続きました。
設置された当初はフロンティアゆえの特殊性が多かったとしても、時代と共に「北海道庁」も「府県」に近い存在になってゆき、その結果、「庁府県」という併称も生まれます。
実例:
昭和17年8月21日閣議決定
朝鮮総督府,台湾総督府,関東局,樺太庁,南洋庁,枢密院,会計検査院,行政裁判所,貴族院事務局,衆議院事務局 及 庁府県関係 行政簡素化案大綱
# 上記タイトルに現れているように、朝鮮総督府,台湾総督府には「府」という語尾が、樺太庁,南洋庁には「庁」という語尾が付いていますが、内務省管轄の「庁府県」とは別の存在です。これら「外地」の行政機関は拓務省が監督していました。
関東局という名も出ていますが、これは遼東半島の先端部・関東州の行政庁で、
[35703][38110]で書いたように、かつては関東庁など別の名前でした。
戦後の1946年9月の法改正で「府県制」は「道府県制」となり、ようやく北海道にも本州以南と同じ制度が適用されるようになりました。
「北海道地方費法」はこの時に廃止され、地方団体の名前も、晴れて「北海道」になりました。
# 自治体を「道」と呼ぶことにした改正は、上記改正法の附則に規定されているようですが、確認はしていません。
# ついでに、この時の改正(「東京都制」の改正を含む)によって、全国の知事が公選になりました。
「北海道庁立」の学校も、この時に「北海道立」になったのでしょう。
この明治憲法時代最後の改正で、地方公共団体の名が「北海道庁」でも「北海道地方費」でもない「北海道」になっていたので、翌年施行の地方自治法第3条により“従来の名称”を引き継いだ名が「北海道」として現在に至っているわけです。
このようにして地方公共団体「北海道」の名が決まった頃の用例として、
昭和22年1月8日閣議決定 を示しておきます。
“公共団体たる北海道”、“北海道庁の機構を利用”、“北海道地方費の負担増加”というように、3つの言葉が登場し、それぞれの使い分けが良く理解できます。
# 勅令「北海道庁官制」自体は、この時点ではまだ生きています。
先に触れたように、時代が変われば言葉の使い方も変わるだけでなく、法令改正と現実に使われる言葉の変化も、その時期が一致しません。
地方公共団体「北海道」の名が正式に決まったのは上記のように1946年9月かもしれませんが、現実にはもっと早い時期から(庁も地方費も付かない)「北海道」が使われています。
例えば、昭和9年の勅令22号では「北海道地方費、府県、市町村等ノ吏員、委員及役員ノ懲戒免除ニ関スル件」という使い方だったものが、昭和13年の勅令79号では「北海道、府県、市町村等ノ吏員、委員及役員ノ懲戒免除ニ関スル件」になり、「北海道地方費」→「北海道」の変化を先取りしています。
faithさん提示の「高等学校令」は、更に古い大正7年に(「庁府県」でなく)“北海道及府県”と使っていました。
「北海道地方費」と「北海道庁」の使い分けが、勅令を起草するような者でも混乱するぐらい微妙なものだったのか、それとも混乱しているようで、実は厳密な使い分けが行われているのか
たとえ法令を起草する人が混乱しても、内閣法制局のチェックを入れて、最終的には統一性は取っている筈だと思うのですが、まちまちなように見えるのは何故でしょうね。