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[73960] 2010年 1月 17日(日)16:49:47YT さん
明治31年以降の長崎県、熊本県の市町村別人口の変遷と長崎県の市区町村変遷履歴情報の誤記について
[73442]に加え、長崎県と熊本県の市町村別人口の変遷(27回分の国勢調査、人口調査、戸口調査)を、1個のエクセルファイル(Excel 97-2003形式)にまとめました。

以下のサイトよりlha形式に圧縮されたファイル 07Pref01.xls をダウンロードできます。

http://touch.moehome.jp/up_xssize/download/1263713030.lzh

参考資料は[73422]にまとめた通りです。市町村は原則として第1回国勢調査報告書の順に並べております。統計の方は自由に使っていただいて構いませんが、間違いがあっても責任は取れません。また、間違いに気付いた場合は指摘を御願します。

今回いくつかの旧字体を新字体に直しました。
例:禰→祢 龍→竜 樺→椛
但し「龍ヶ崎市」のように、自治体コード導入後に旧字体を採用している市町村については旧字体のまま掲載しています。

また昭和19年2月22日調の統計に関しては、都道府県別人口と市町村別人口の合計が一致しないのがこれまでデフォのようですが、熊本県に関しては昭和20年11月1日調の統計でも郡の人口に不一致が見られました。

『人口調査集計結果摘要』(総理府統計局)の昭和20年の統計表の内、『第1表 都道府県、市部郡部及び男女別人口』によると

区分総数
熊本県1,556,490715,526840,964
市部298,944139,893159,051
郡部1,257,546575,633681,913

となっておりますが、一方『第2表 都道府県別、市町村及び男女別人口』によると

区分総数
熊本県1,556,351715,456840,895
市部298,944139,893159,051
郡部1,257,407575,563681,844

となっており、郡部の男70名、女69名、合計139名の所属が不明です。

ちょっと気になるのは、長崎県の内、東彼杵郡江上村の昭和15年~23年の間の人口の不自然な乱高下です。

[73378] 88 さんへ

長崎県の市区町村変遷履歴情報の内、以下のものは余計な漢字(「町」)を入れてしまった誤記と思われます。

67 田河町村 → 田河村

また長崎県下県郡厳原村に関しては、1918年以前の統計について『日本帝国人口静態統計』では「厳原町」と記載しているのが気になります。確かに長崎県のサイト(pdf)でも厳原町の発足が1919年4月1日となっており、本表でもそのように修正しましたが。
[74052] 2010年 1月 25日(月)23:30:41【1】88 さん
市区町村変遷情報 小レス(長崎県・宮崎県)
[73960] YT さん
■S22(1947).11.3付け町制施行で 長崎県 壱岐郡 田河町 となる従前の村名について 壱岐郡 田河町村 or 壱岐郡 田河村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・壱岐郡 田河村
単なる入力誤りでした。ご指摘のとおり、壱岐郡 田河村 と修正しました

■長崎県 下県郡 厳原村 → 厳原町 の町制施行日について T8(1919).4.1 or ??
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T8(1919).4.1
長崎県告示を発見できていませんが、やはり、各種文献とも同じで、それ以上の資料を発見できませんでした。よって、そのままとしました

[74050] 右左府 さん
■M22.5.1付け町村制施行時 宮崎県 南那珂郡 鵜戸村 となる従前の村名の一部について 南那珂郡 富士村 or 南那珂郡 富土村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・南那珂郡富土村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.3.29付け(宮崎)県令第17号に従い、また、ご指摘のように現在の日南市富土にあたるようです。よって、南那珂郡 富土村 と修正しました

YT さん、右左府 さん、ご指摘をいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
――――――――――――――――
[73754][73755][73756] むっくん さん 市制町村制施行時(愛媛県) への対応は、準備中です。
もっとも、[74035] 拙稿の 「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」とあわせて対応予定です。「本体」「一部」の対応など、皆様からご意見をいただければ幸いです。
[74062] 2010年 1月 27日(水)19:49:52【2】むっくん さん
市制町村制施行時(愛媛県)の補足&長崎県下県郡厳原町の成立日
[74052]88さん
[73754][73755][73756] むっくん さん 市制町村制施行時(愛媛県) への対応は、準備中です。
もっとも、[74035] 拙稿の 「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」とあわせて対応予定です。
とのことですので、[73754][73755][73756]拙稿(市制町村制施行時(愛媛県))の補足をしておきたいと思います。

[73753]拙稿では
「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法としては、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))(第1冊第2冊)を使うのが良いのかもしれません。
と書きながら、[73754][73755][73756]拙稿では愛媛県市町要覧を用いて本体か否かの判断をしています。

そこで愛媛県市町要覧(PDF)に従うか、新旧対照市町村一覧に従うかで表記に差異がある場所が一箇所ありますので以下に挙げておきます。

愛媛県市町要覧の記載に従えば、
203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦(本体;字本浦)
193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部「(字栗野浦)」
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部「(字向灘浦)」
となり、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))の記載に従えば、
203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦「の一部(字本浦)」
193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部「(字栗野浦)」
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部「(字向灘浦)」
となります。
[73756]では#203の表記を間違えていますので、ここで訂正しておきます。

さて二者で食い違いが生じました。

まず愛媛県市町要覧ですが、これはおそらく人口という視点で本体か否かを決めているものと考えられます。
明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を記した内務省告示第34号(M23.10.6)では、八幡浜町4226人、神山村3889人、矢野崎村3886人となっています。
そして面積はおそらく
字本浦の面積)<(字栗野浦の面積)≒(字向灘浦の面積)
となります。
八幡浜浦全体の1/3にも満たない区域(字本浦)だけで、他の村々と合併して成立した神山村(字栗野浦が所属)、矢野崎村(字向灘浦が所属)の人口を上回っているため、字本浦を八幡浜浦の中心としたものと考えられます。

次に新旧対照市町村一覧の記載というのは、おそらく人口という視点と面積という視点の二つの視点を加味して、本体か否かを決めているものと考えられます。
人口からすると字本浦が中心であることは疑いがないが、面積が明らかに他の2字より小さいことより、どこが本体かということを決められないとしているのでしょう。
新旧対照市町村一覧の記載からは、一応は、三分割もしくはそれに類するものと読み取れます。

この一事例からも本体か否かを決めるのかを決める基準が大切となりそうです。人口という視点のみなのか、面積という視点のみなのか、それとも二つの視点を加味してなのか・・・。

最後にもう一箇所訂正です。
[73754]拙稿で記載している#72は正しくは
72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村(本体;一部地区を除く), 「和気郡古三津村飛地」
です。

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[74052]88さん
[73960]YTさん
2 1908.04.01 新設/村制 下県郡厳原「村」 下県郡 「厳原」桟原町, 「厳原」宮谷町, 「厳原」天道茂町, 「厳原」中村町, 「厳原」今屋敷町, 「厳原」田淵町, 「厳原」大手橋町, 「厳原」日吉町, 「厳原」国分町, 「厳原」久田道町, 厳原村, 南室村, 小浦村, 曲村, 久田村
11 1919.04.01 町制 下県郡厳原町 下県郡 厳原村

2 1908.04.01 新設/村制 下県郡厳原「町」 下県郡 桟原町, 宮谷町, 天道茂町, 中村町, 今屋敷町, 田淵町, 大手橋町, 日吉町, 国分町, 久田道町, 厳原村, 南室村, 小浦村, 曲村, 久田村
ではないでしょうか。

まず、[73960]YTさんが挙げられておられる日本帝国人口静態統計大正2年(編著・出版:内閣統計局、T5.3.16)ではT2(1913).12.31厳原町、日本帝国人口静態統計大正7年(編著・出版:国勢院、T9.12.28)ではT7(1918).12.31厳原町、となっています。

次に当時の他の資料を見てみました。
明治41(1908)年末の「市町村別現住人口」を示した官報(M42.10.30)・・・M41(1908).12.31厳原町
長崎県統計書明治41年(編著・出版:長崎県、M44.3.31)・・・M41(1908).12.31厳原町
長崎県統計書明治44年(編著・出版:長崎県、T2.3.20)・・・M44(1911).12.31厳原町
長崎県統計書大正元年(編著・出版:長崎県、T3.3.31)・・・T元(1912).12.31厳原町
となっています。
これらと併せますと、日本帝国人口静態統計では正しく記載されていると考えた方がよさそうです。
ではいつ厳原町となったかですが、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)では厳原町はM41(1908).4.1に廃置分合で成立したとあります。
とりあえずは対馬に沖縄県及島嶼町村制が成立したM41(1908).4.1の時点で厳原町となったものとして良いのではないでしょうか。

また、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)では厳原町成立以前の厳原各町には「厳原」との総称なしで記載されています。
明治36(1903)年末の「市町村別現住人口」を表した官報(M37.12.12)でも厳原各町には「厳原」との総称なしで記載されていること、長崎県統計書明治35-36年(編著・出版:長崎県、M38.12.11)で対馬島庁の所在地が単に宮谷町となっていることからも、厳原町成立以前の厳原各町には「厳原」との総称がないものとしてよいものと考えられます。
[74083] 2010年 2月 1日(月)00:30:28YT さん
福岡県の市区町村変遷情報について・連合戸長役場が置かれた行政区の名称について
[74052] 88 さん

福岡県の市区町村変遷情報について、以下の2点に漢字の間違いと、村or町の間違いがあると思われます。

181 浮羽郡川倉村 → 浮羽郡川会村(川會村)
220 三潴郡江上町 → 三潴郡江上村

以上の検討をお願いします。

[74062] むっくん さん

厳原町 or 厳原村については自分でももう少し調べてみます。

[73960]で長崎県対馬支庁に関し、明治31年と明治36年の統計では、連合戸長役場の置かれた厳原地区については「厳原市街」として人口の集計を示しましたが、オリジナルの『日本帝国静態人口統計』(明治31年)、『日本帝国人口静態統計』 (明治36年)では対馬における連合戸長役場の置かれた行政区についても情報が掲載されており、対馬におけるすべての連合村、連合町について集計を追加する予定です。また鹿児島県大島郡に関しては、連合村以下の区分についての村の人口統計が空欄となっていますが、市町村別の項目にはわざわざ町、村名が列挙されており、これについても数字を空欄のまま追加修正する予定です。

ただし、これらの連合村の呼称について、色々不明な点が多い状況です。現在「~村外×ヶ村連合」、あるいは「~市街」という呼称で統一しておりますが、これらが本当に正しい名称なのか確信が持てません。

さらに問題となるのが北海道です。『日本帝国静態人口統計』(明治31年)では北海道に限り、連合戸長役場の有無が掲載されておりません。一方明治36年以降の連合村の状況はかなり複雑で、『日本帝国人口静態統計』(明治36年、明治41年、大正2年、大正7年)によると、以下のような変遷を辿っており(他は単独の戸長役場を持つ町・村)、明治31年の連合戸長役場の状況を明治36年以降の状況から逆算で推定するのは危険のようです。

町村T7T2M41M36
札幌郡琴似村・発寒村
札幌郡山鼻村・円山村
札幌郡江別村・対雁村・石狩郡篠路村
空知郡市来知村・幌内村・幾春別村
空知郡下富良野村・南富良野村・勇払郡占冠村
空知郡南富良野村・勇払郡占冠村
勇払郡鵡川村・井目戸村・萌別村・生鼈村・累標村・穂別村・辺富内村・似湾村
勇払郡鵡川村・井目戸村・萌別村・生鼈村
勇払郡似湾村・累標村・穂別村・辺富内村
上川郡(石狩国)神居村・神楽村
積丹郡西河村・余別村・来岸村・神岬村
古宇郡神恵内村・赤石村・珊内村
古宇郡興志内村・盃村・泊村
古宇郡興志内村・盃村・泊村・岩内郡堀株村・茅沼村
岩内郡堀株村・発足村・茅沼村
岩内郡野束村・敷島内村
岩内郡前田村・老古美村・梨野舞納村
岩内郡小沢村・幌似村
歌棄郡潮路村・有戸村・種前村・美谷村
歌棄郡熱郛村・作開村
寿都郡湯別村・樽岸村
島牧郡永豊村・千走村・江泥辺村・原歌村
島牧郡本目村・歌島村・軽臼村
太櫓郡太櫓村・古櫓太村・良榴石村・鵜泊村
奥尻郡釣懸村・赤石村・薬師村・青苗村
久遠郡平田内村・貝取澗村・長磯村
檜山郡土橋村・目名村・俄虫村・赤沼村・安野呂村・館村・鶉村
檜山郡泊村・伏木戸村・柳崎村・鰔川村・小黒部村・田沢村
松前郡原口村・江良町村・清部村
松前郡赤神村・札前村・根部田村・茂草村・雨垂石村
松前郡上及部村・大沢村・荒谷村・炭焼沢村
松前郡礼髭村・吉岡村・宮歌村
上磯郡知内村・小谷石村
上磯郡茂辺地村・石別村
茅部郡臼尻村・熊泊村
茅部郡砂原村・掛澗村
室蘭郡輪西村・元室蘭村・千舞鼈村
幌別郡鷲別村・幌別村・登別村
白老郡社台村・敷生村・白老村
千歳郡漁村・島松村
千歳郡千歳村・蘭越村・島柵舞村・長都村
沙流郡佐瑠太村・富仁家村・平賀村・波恵村・慶能舞村・賀張村・門別村・厚別村・菜実村
沙流郡平取村・紫雲古津村・荷菜村・二風谷村・荷負村・長知内村・幌去村・貫気別村・荷菜摘村
新冠郡大狩部村・葉朽村・受乞村・元神部村・比宇村・泊津村・高江村・去童村・姉去村・万揃村・滑若村・静内郡下下方村・中下方村・上下方村・目名村・遠仏村・幕別村・市父村・農家村・碧蘂村・有良村・婦蟹村・佐妻村・捫別村・春立村・音江村・遠別村
新冠郡高江村・大狩部村・受乞村・元神部村・比宇村・泊津村・葉朽村・去童村・姉去村・万揃村・滑若村
三石郡姨布村・辺訪村・幌毛村・鳧舞村・本桐村・歌笛村
様似郡様似村・鵜苫村・平鵜村・冬島村・二七村・岡田村・幌満村・誓内村
幌泉郡幌泉村・油駒村・小越村・庶野村・猿留村・近呼村・笛舞村・歌露村・歌別村
当縁郡歴舟村・当縁村・大樹村
十勝郡十勝村・生剛村・愛牛村
十勝郡大津村・長臼村・鼈奴村・中川郡(十勝国)旅来村
中川郡(十勝国)豊頃村・安骨村
中川郡(十勝国)凋寒村・蝶多村・十弗村・様舞村・誓牛村・信取村・蓋派村・居辺村
中川郡(十勝国)押帯村・勇足村・負箙村・嫌侶村・幌蓋村・本別村
中川郡(十勝国)幕別村・白人村・別奴村・止若村・咾別村
河西郡美生村・芽室村・羽帯村・河東郡西士狩村・美蔓村
上川郡(十勝国)人舞村・屈足村
川上郡熊牛村・塘路村・虹別村
川上郡弟子屈村・屈斜路村
阿寒郡舌辛村・徹別村・蘇牛村・飽別村
足寄郡陸別村・足寄村・利別村・螺湾村・白糠郡白糠村・庶路村・尺別村
足寄郡陸別村・足寄村・利別村・螺湾村
白糠郡白糠村・庶路村・尺別村
釧路郡昆布森村・跡永賀村・仙鳳趾村
厚岸郡榊町・浜中村・後静村・琵琶瀬村・散布村・霧多布村
花咲郡友知村・沖根婦村・珸瑤瑁村・沖根辺村・婦羅理村・歯舞村
花咲郡昆布盛村・落石村・根室群幌茂尻村・厚別村・和田村
根室郡西別村・走古潭村・野付郡別海村・平糸村・野付村
根室郡厚別村・西別村・走古潭村・野付郡別海村・平糸村・野付村
野付郡茶志骨村・標津郡標津村・伊茶仁村・目梨郡忠類村・薫別村・崎無意村・植別村
野付郡茶志骨村・標津郡標津村・伊茶仁村・目梨郡忠類村・薫別村・崎無意村
国後郡泊村・東沸村・米戸賀村・秩苅別村
国後郡大滝村・留夜別村
紗那郡紗那村・有萌村・別飛村
紗那郡留別村・振別郡振別村・老門村・択捉郡内保村・丹根萌村
蘂取郡蘂取村・乙今牛村
斜里郡斜里村・蒼瑁村・止別村・朱円村・遠音別村
網走郡美幌村・杵端辺村・古梅村・活汲村・逢媚村・翻木禽村
常呂郡常呂村・少牛村・鐺沸村・太茶苗村・手師学村
常呂郡野付牛村・生顔常村
紋別郡紋別村・藻鼈村・瑠橡村・沙留村
紋別郡幌内村・沢木村・雄武村・興部村
紋別郡興部村・瑠橡村・沙留村
紋別郡雄武村・沢木村・幌内村
枝幸郡頓別村・枝幸村・歌登村・礼文村
宗谷郡宗谷村・泊内村・猿払村
中川郡(天塩国)下名寄村・上川郡(天塩国)多寄村・上名寄村
中川郡(天塩国)下名寄村・中川村・上川郡(天塩国)多寄村・上名寄村
天塩郡沙流村・幌延村・天塩村
天塩郡沙流村・幌延村
留萌郡鬼鹿村・天登雁村

現在北海道の連合戸長役場の変遷の資料を探しています。


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