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[75043] 2010年 4月 29日(木)13:48:06むっくん さん
市制町村制施行に伴う神奈川県の町村の廃置分合の根拠規定について
[75042]で神奈川県の町村の廃置分合の注の
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
を削除したことについての仔細です。


明治22年の市制町村制の施行に際し、各府県では町村の廃置分合がありました。この根拠となる県令を各県は出したわけですが、これは以下の2つに分類されます。
(A)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけでなく廃置分合を伴わない町村名をも県令に記載した府県(e.g.山口県の県令第15号
(B)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけを県令に記載し、廃置分合を伴わない町村名は県令に記載しなかった府県(e.g.熊本県の県令第10号

神奈川県の場合ですが、神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83によると、
 かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
とあります。そして同書の続きのpp.83-108に町村の廃置分合規定である県令第九号(M22.3.9)が
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ許可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖守固
(別冊)
町村分合改称表
久良岐郡
新町村名 旧町村名
 戸太村  戸部町 平沼新田 尾張屋新田 太田村 吉田新田
(略)
と書かれています。
市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載されています。これはまさしく上述の分類での(B)のタイプになります。

次に[69698]拙稿で
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
と記載した情報源です。この情報源は、神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)pp.503-505の

-------(引用開始)-----
 ともあれ、県当局は主主の問題を残しながらも、翌八九年三月五日には「町村制施行順序」を定め、同月十一日には県令第九号を以て、町村の分合およびその改称を定め、同月三十一日付を以て実施するとした。

 新町村の誕生

 『神奈川県町村合併誌』は、この県令第九号の「町村分合改称表」が即新町村としている。しかし、これは新たに実施された町村ではなかった。実施した新町村の区画及び町村名は、同年七月十九日付『神奈川県公報』第二百六十八号に掲載された「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」に示されている。この表の町村数は東京市政調査会編『自治五十年史制度編』に掲載されている内務省統計報告の町村数と一致している。県令第九号は四月一日実施に固執する県当局の勇み足であった。
 県令第九号「町村分合改称表」による町村数と「各郡町村名大字役場位置表」によるそれとを比較すると第四十一表のようになっている。新町村数三百二十がいかに後退した数字であるかがうかがわれる。しかも、その内二八パーセント、九十一町村は二十五の町村組合に編成されていた。とくに津久井・西多摩・北多摩・足柄上・足柄下の各郡に町村組合が多くなっていた

第41表 郡別町村数
郡名町村分合改称表各郡町村名大字役場
による町村数位置表による町村数独立町村数町村組合数同町村数
久良岐郡79900
橘樹郡23232013
都筑郡1112824
西多摩郡223216416
南多摩郡20202000
北多摩郡213920319
三浦郡14151500
鎌倉郡20201525
高座郡21232300
大住郡23242400
淘綾郡44400
足柄上郡162616310
足柄下郡223221311
愛甲郡917928
津久井郡9249515
合計2423202292591
「町村分合改称表」及び「各郡町村名大字役場位置表」から作成
-------(引用終わり)-----

という記載を基にしたものでした。

神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)では、神奈川県の町村の廃置分合規定は(B)のタイプであるにも関わらず、『市制町村制に伴う町村の廃置分合規定には(A)のタイプしかないことより神奈川県令第九号(M22.3.11付)が書き落としをしている』という誤まった理解の上に立ち、それに基いた誤った記述をしているものと考えられます。
そこで[75042]市制町村制施行時の府令県令(ver.4)では、[69698]拙稿であった神奈川県県令第9号(M22.3.9)での注釈を誤りと判断し、削除することとしました。
[76809] 2010年 11月 18日(木)18:12:09oki さん
町村制施行時の千葉県県令
むっくん さん宛ての業務連絡です。

居住地域周辺についての調べ物をしていて、千葉県(正確には千葉県立図書館)が明治8年~32年の県報をウェブ上に公開しているのを見つけました。
その中に、町村制施行時の県令がありました。明治22年3月分の県報のうち、35ページが該当部分です。
町村制の根拠が明治22年3月27日付県令19号、町村の廃置分合が同20号になると思います。具体的な配置分合の状況は38ページ以下に記載されています。

[75042] の「市制町村制施行時の府令県令(ver.4)」では、千葉県分は未発見になっていたので、とりあえずご報告しておきます。
[77581] 2011年 2月 2日(水)23:33:3488 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行日と町村の廃置分合施行日との相違について
いつも、市区町村変遷情報をご贔屓にしていただき、ありがとうございます。
最近は調子に乗って、市制町村制施行時の情報を、さらに増殖中です。
ここ1箇月ほどの作業の結果、新潟県・神奈川県・千葉県を完了し、グリグリさんへ一括登録依頼を送付するための少々の作業も完了しました。次の埼玉県も、一通りの作業は完了し、いくつかの確認作業等を残すのみとなっています。

ところが、少し気になる点が出てきました。
市制町村制施行の日と、町村の廃置分合の施行の日が異なる県について、[76874] むっくん さん がまとめていただいています。5県あります。
確かに、御紹介の県令等を見ても、明治22年4月1日施行とは書いていないのですが、一致しないのが不自然との疑念は消えず、「解釈次第で4月1日施行」とはならないか、と思い、改めて県令の文言を読み返してみました。

5町村の廃置分合の県令の冒頭の部分のみを抜粋します。(旧字体は新字体に引用者が置換え)

●宮城県 M22.2.9付け(宮城)県令第8号(宮城)県令第9号(宮城)県令第27号
(宮城)県令第八号 明治二十二年二月九日
管下町村中本年三月三十一日ヲ以テ其区域及名称ヲ更正スルコト別紙ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第九号 明治二十二年二月九日
管下仙台区及宮城郡名取郡中本年三月三十一日ヲ以テ境界ヲ変更スルコト左ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第二十七号 明治二十二年三月三十一日
宮城県管下陸前国登米郡石越村ト陸中国西磐井郡蝦島村トニ係ル飛地ノ所属ヲ組替ルコト左ノ如シ
(以下略)

●茨城県 M22.3.20付け(茨城)県令甲第12号
明治二十二年三月十日(茨城)県令甲第十二号
従前ノ町村ヲ分合シ更ニ区域名称左表之通相定メ明治廿二年三月三十一日ヨリ施行ス
但旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存シ飛地ハ其所在地ノ町村ニ編入ス
(以下略)

●千葉県 M22.3.27付け(千葉)県令第18号(jpgファイル)
千葉県令第十八号
本県町村ノ儀別冊之通リ分合改称シ本月三十一日ヨリ施行ス
(別冊ハ別ニ之ヲ頒フ)
明治廿二年三月廿七日 千葉県知事 石田 英吉

●神奈川県 「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83」([75043] むっくんさん、私も同一文献を図書館で借り出して現在は手元に)
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖 守固
(以下略)

●静岡県 M22.2.26付け(静岡)県令第18号(静岡)県令第19号
(静岡)県令第十八号 明治二十二年二月二十六日
静岡市区域並市役所位置別記ノ通相定メ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)

(静岡)県令第拾九号
町村ノ内区域、名称、戸長所轄区域名称及役場位置別表之通改定シ他町村内ニ孕在セル飛地ハ一戸長所轄区域内各町村間ノ分ヲ除クノ外悉皆其所在町村ノ地籍ニ組ミ入レ明治二十二年三月一日ヨリ施行ス
但戸長役場位置ノ内直ニ移転シ難キ事由アルモノハ其状ヲ具シ当庁ノ認可ヲ受ケ延期スルコトヲ得
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)
――――――――――
つまり、「(三月)三十一日ヨリ」と明白な茨城県・千葉県はそのまま。静岡県(町村)も、誤植がないとすれば「三月一日ヨリ」と同じく明白。
宮城県・神奈川県は、「三月三十一日ヲ以テ」なので、「三月三十一日を限り旧町村は打ち切り、四月一日から廃置分合して新町村となると同時に市制町村制施行」と解釈する余地はないか、ということです。

「以て」の意味ですが、
goo辞書(原典は「大辞泉 増補・新装版」(デジタル大辞泉))もっ-て(以て)は、抜粋すると、
1(多く「...をもって」の形で格助詞のように用いて)
(4)くぎり・限界を示す。「これを―終了させていただきます」
とあります。
他にも用例として、「本日の営業は午後7時をもって終了いたします。」のような表現もあり、「以て」は「終期」を示すのではないか、と。

廃置分合の施行日に関わることであり、皆様のお知恵・情報を頂ければ幸いです。


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