早速お返事ありがとうございます。
[58945]makiさん
あ、どうもすみません!思いきり間違ってますね…。
高速道路の看板(カントリーサイン)は僕も結構気にしています。
「新町」は「高崎市」に、「岡部町」は「深谷市」になりましたか!両方ともほんのちょっとの区間(しかも2度以上通る市)なので、外されてしまうかと思ったのですが…。
本来なら、小川町と旧川本町(深谷市)の間の「寄居町」、旧群馬町(高崎市)と吉岡町の間の「前橋市」の看板も設置してほしいところですが、関越道って基本的に2度以上通る市町村の看板はどちらかしか設置しないんですよね。その点、上信越道は律儀に2つ以上設置してます。
深谷市や高崎市が拡大し、何度も通るようになったことによって、最終的に看板がどう落ち着くのか、気になっています。
「ふじみ野市」となるべき下りの旧「大井町」の看板は、確か合併前からツタに覆われていてほとんど見えない状態であったと記憶しております。どうなるんでしょうね…。
[58947]TAMAさん
「稲敷」は古そうに見えて、明治期に河内郡と信太郡を統合した際に誕生した新郡らしいですね。もともとは郷名で、現・龍ケ崎市のあたりの地名と聞いたことがあります。
茨城県はいろいろ新しい市が誕生した中で、「稲敷」の名は趣があって好きです。
[58954]桜トンネルさん
「仁賀保」は、
・「鳥海山麓海岸部一帯を指す古称」(今尾『生まれる地名、消える地名』)
・「古くから仁賀保地方と呼ばれ」「仁賀保町も旧仁賀保領の中心」(片岡『市町村合併で「地名」を殺すな』)
…となっています。規模の大きく、知名度も比較的高い「象潟」を差し置いて「仁賀保(にかほ)」を採用しているあたり、全体を指す広域地名の意味合いが強いと判断したのですが…。
市町村名の選定に際して、公募はいい隠れ蓑にされてしまうみたいですね。必ず1位を採用するわけではないですが、「公募で多数を占めた」とか、「公募の中から最もふさわしい」と曖昧に選定理由を発表している例が多く、どういった類の地名(郡名なのか、広域称なのか、自然地名なのか…)を採用したか、判断に困る例が多いです。
那須塩原市の場合、駅名とも、「那須」と「塩原」の合成とも言えてしまうあたり、難しいんですよね…。
「うきは」等はやはり郡名ですか…。「合志」は合志郡自体が消滅(菊池郡に統合)してから時間が経っていますが、現地では今でもその名が生きているのかどうか…というのがわからないんですよね。
「浮羽」がひらがなになった理由については、読みのほか、旧浮羽町への吸収というイメージを避ける配慮もあるような気がします。ひらがな地名の多くは、旧町村の中に同名のものがあって、そこへの吸収というイメージを避ける目的の場合も多いみたいですし(表立ってそう説明はしていませんが)。