[65060] 右左府 さん
北多摩郡谷保村→国立町の件、じっくり、じっくり読ませていただきました。その結果、私なりの結論をまず書きます。
「谷保村→国立町」である。
「谷保村→谷保町→国立町」とも、「谷保村→国立村→国立町」とも言えない。
まったく同時に、「谷保→国立」と、「村→町」が行われた。
[54044] [55225] 拙稿でも書きましたが、「改称(名称変更)」と「村を町とする」は、地方自治法における手続き・根拠が異なります(昭和26年当時も趣旨は変更なしであることを確認済み)。詳細はこれらの記事を見ていただくとともに、
地方自治法の
第三条、
第七条、
第八条をご参照ください。
―――――――――――――――――――――――――
A 名称変更(都道府県以外の地方公共団体)
(1) 当該地方公共団体の長はあらかじめ都道府県知事に協議(第3条第4項)
(2) 当該地方公共団体は条例で定める(第3条第3項)
(3) 当該地方公共団体は条例制定(または改廃)後、直ちに都道府県知事に変更後の名称及び名称を変更する日を報告(第3条第5項)
(4) 都道府県知事は報告があった旨を総務大臣に通知(第3条第6項)
(5) 総務大臣は、通知を受けた旨を告示、国の関係行政機関の長に通知(第3条第7項)
B 村を町とし又は町を村とする処分
以下の規定は、第8条第3項で準用した、第7条第1項及び第6項から第8項までの例による。
(1) 関係のある普通地方公共団体の議会の議決(第7条第6項)
(2) 関係市町村が都道府県知事に申請(第7条第1項)
(3) 都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定める(第7条第1項)
(4) 都道府県知事が総務大臣に届け出る(第7条第1項)
(5) 総務大臣は、届出を受理した旨を告示、国の関係行政機関の長に通知(第7条第7項)
(#) 総務大臣告示によりその効力を生ずる(第7条第8項)
―――――――――――――――――――――――――
「名称変更」は「条例で定める」(第3条第3項)、「村を町とする処分」は「総務大臣告示によりその効力を生ずる」(第8条第3項で準用した、第7条第8項)です。
さて、右左府 さんのご紹介のものを再引用します。
名称変更に関する条例案
地方自治法第三条第三項の規定により谷保村の名称を左のとおり変更し、昭和二十六年四月一日から施行する
国立村
これが谷保村の改称の条例で、原案通り可決とのことですから、これが「改称(名称変更)」の根拠です。
一方、
◎総理府告示第四百四十九号
村を町とする処分
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十六年四月一日から、東京都北多摩郡谷保村を谷保町とする旨、東京都知事から届け出があった。
なお、同日から同町はその名称を国立町と変更した。
昭和二十六年十二月二十八日
内閣総理大臣 吉田 茂
この前半が、「村を町とする処分」の根拠です。
ちなみに、「なお、・・・」は上述の私の説明のとおり、周知に過ぎないので、厳密にいうと改称の「根拠」としては無視すべきものです。
また、ご紹介の東京都議会の第七十一号議案(「北多摩郡谷保村を町とすることについて」)は、上記B(3)の「都道府県の議会の議決」のためのものであり、昭和二十六年三月二十八日付け東京都告示第三百号(谷保村を町とし、その名称を国立とする)は、同じくB(3)の「都道府県知事がこれを定める」を示したもの(告示で定めるとはどこにも書いていないので、他の方法でもよい・・・告示がない県も多い)にすぎません。つまり、手続きの過程の一部であり、いずれも最終的な「根拠」ではありません。
こうして枝葉を落としていくと、「根拠」は前掲のとおり、
改称 | 谷保村の名称変更に関する条例(「谷保村→国立村」) |
村を町とする処分 | 昭和二十六年十二月二十八日付け総理府告示第四百四十九号(「谷保村→谷保町」) |
となります。
さらに細かく見ます。
「改称」は本来は「谷保村→国立村」や「谷保町→国立町」でなく、「谷保→国立」です。「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
一方、「村を町とする処分」の本来の趣旨は、「谷保村を谷保町とする」や「国立村を国立町とする」ではなく、「従前の村を町とする」です。「谷保町」という名称の町を規定する趣旨ではありません。
繰り返しになりますが、改称は条例によるもので、東京都知事も東京都議会も、内閣総理大臣(当時は総理府内の地方自治庁、総理府告示は内閣総理大臣名)も、権限はありません。
村を町とする処分は、上記B(1)B(2)のように当該自治体からアクションを起こしますが、その効力を生じるのは地方自治法第7条第8項により、「総理府告示」(当時)です。
では、この矛盾したと思われるこの2つの動きをどう解釈するのか。
谷保村(条例)が権限を持った「改称」と、総理府告示が権限を持った「村を町とする処分」が、同時並行で結果的に別々に進行してした、つまり、
・谷保村が、谷保町になることを前提に「国立」に改称する条例を制定したわけではない
・総理府告示が、(前段の東京都議会等の段階で谷保村→国立村の改称の動きを踏まえなかったので)谷保村をそのまま町とした
この2つが、同時並行で手続きが行われ、どちらも施行日は昭和26年4月1日であった、ということです。議決の順序もありますが、後の日付のものが、先の日付のものを踏まえていない以上、順序は考慮されないでしょう。
これらから考えると、「谷保町」が瞬間に存在したとは言い難く、また、「国立村」が瞬間に存在したとも言い難い、まったく同時に合作で、4月1日付けで「谷保村→国立町」となった、と解釈するのが適切ではないでしょうか。
常陸大宮市の例です。
H16.10.16付けで、(1)茨城県東茨城郡大宮町に御前山村等4町村を編入し、(2)大宮町を常陸大宮町に改称し、(3)大宮町を常陸大宮市とする、の件を
[62660]拙稿で告示・条例をあわせてご紹介しました。この例では、上記のとおりの順序が、条例・総務省告示がきちんと連携がとれていますので齟齬はありません。条例成立と総務省告示との間に3箇月強の期間があったので、余裕をもって対応できたのかもしれません。
――――――――――――――――――――――――――――――
[65096] 紅葉橋律乃介 さんで、同様の例として、北海道の
斜里郡上斜里村→清里町、
空知郡幌向村→南幌町の例をご紹介いただきました。紅葉橋律乃介さんの投稿に加えて整理すると、次のようになります。
町村名 | 改称条例議決日 | 村→町総理府(自治省)告示 | 施行日 |
斜里郡上斜里村→清里町 | S30(1955).7 | S30(1955).8.1 | S30(1955).8.1 |
空知郡幌向村→南幌町 | S37(1962).3.19 | S37(1962).5.1 | S37(1962).5.1 |
上斜里村も幌向村も、総理府(自治省)告示は「改称する告示」「村を町とする告示」と、同じパターンでした。これも、常陸大宮市と同様に、上斜里村・幌向村の議決の順序に関わらず、条例と総理府(自治省)告示とがきちんと連携がとれて齟齬がなかったものと思われます。
――――――――――――――――――――――――――――――
以上のようなことを踏まえると、
[54044] 拙稿
ところが、改称に関しては、総務大臣告示をする旨の規定はありますが、「効力が生ずる」旨の規定がありません。ということは、当該自治体の条例によって効力が生じることになります。
に対するレスの、
[54174] 紅葉橋律乃介 さん
おや、そうすると告示があっても条例が制定されないと、本当にその名称なのかどうか確認できませんね? 名称変更した自治体は、いちいち条例を確認しないと「確定」とは呼べない?
を、改めて実感する次第です。他の市町村でも、「改称/市制」「市制/改称」などにおける市町村の改称条例は、私が確認したものはほとんど皆無です。