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深海魚さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[21266]2003年10月20日
深海魚

[21266] 2003年 10月 20日(月)12:38:40【2】深海魚 さん
金沢泉丘高の謎
[21258] EMMさん
鳥越方面の バスの ルートが変わっていなければ、友人の利用していたのはおそらく上有松バス停だと思います。
単純に県道 (金沢・鶴来線) 経由の様ですね。泉丘高を含む犀川南西部一帯の文教地区は、北陸線に接続する西金沢で大きく西側に迂回する北陸鉄道から取り残された感じです。ところで、西泉の政府食料事務所には、北陸鉄道から分岐した引込線跡が [21170] で言及した晴海埠頭や福島県いわき市の小名浜港第三号埠頭 (一般人立入は制限されていますが、休日は釣り客が多数訪れる様です。) 宜しく残っている様で、機会があれば訪れたい処ですが、詳細を御存知でしょうか?

ところで、泉丘高の前史について、興味深い事が判りました。同校の公式な創立時期は、石川県尋常中学として設立された 1893年で、北陸を代表する街でありながら、富山高の1885年 (富山県中学) や福井・藤島高の 1874年 (福井明新中学/前身の福井藩校明道館は 1855年設置。) に比べ少し遅目ですね。これは、官立四高 (faithさんが [17293] で言及されたところでは県立専門学校の接収的移行を伴う様子ですね。) の設置に伴う多額の出費から、県独自の中学設置が覚束ず、1888年に、僧侶養成を目的とした中学設置の必要に迫られていた真宗大谷派加賀教校と共同で経営する共立尋常中学を設置しました。その後、学校設置に尽力した知事の後任の意向から、石川県は財政難を理由に中学運営から撤退。こうして同校は 1892年に純私立の 「大谷尋常中学」 と改組されます。翌年、同校が廃校の方針を表明し、「一県一中学令」 に基く設置義務との兼ね合いもあって、必ずしも議会は設置に肯定的ではなかったのですが、知事の執行権により、同校を丸ごと継承する形で、石川県尋常中学が誕生した次第。(これを調べられたのは、両毛人さんの先輩に当たると思しき方です。)

番号付きの官立高校が設置されるほどに文教性が重視されたであろう金沢の街で、中等教育課程の要諦たる公立中学の整備が遅れたのは意外ですね。上記共立尋常中学の設置以前は加賀教校が拠点的教育機関として機能していたのかな。街の要衝性に反してのこうした状況は、金沢と同様に枢要な城下町とされる仙台でも符号性を感じます。

仙台一高の嚆矢である宮城県尋常中学は、金沢泉丘高とほぼ同時期の 1892年創立。伊達藩校養賢堂や、廃藩置県後の継承先と見られる 「英語専門学校辛未館」 から同中学に移った教師が少なくない事から、これらが実質的な継承元であり仙台延いては宮城県を代表する教育機関として機能していたのではないかと推定されます。(太白さん、seahawkさんなど、何か御存知でしたら御教示頂ければ幸いです。) 明治政府の一律的文教政策でなく、こうした独自の陣容を擁した辺りに、旧体制時代における 「懐の深さ」 めいた名残りを何となく感じた深海魚でした。


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