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BANDALGOMさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[109316]2023年11月22日
BANDALGOM
[108839]2023年10月6日
BANDALGOM
[108327]2023年7月25日
BANDALGOM
[108303]2023年7月23日
BANDALGOM
[108219]2023年7月22日
BANDALGOM

[109316] 2023年 11月 22日(水)07:58:46BANDALGOM さん
ヤオコー&ジョイフル
[109299] メークイン さん
[109297] 伊豆之国さん
「ヤオコー」の店舗検索から東京都を見ると、[109278]にある通り、特別区部には1つも店舗がありませんが、この表を見ると「八百幸 成城店」というのがあり、住所が「調布市入間町」となっています。
ヤオコー、うちの近所にもあり、2005年頃に開店した時から重宝しています。「ヤオ」がつくのは八百屋発祥なんだな、くらいには思っていましたが、「八百幸」だったんですね。

その「ジョイフル」について、 ジョイフルに関しては、2000年代の頭に大分へよく行っていたので、地元チェーン店として大人気だったので把握しています。 私が住む三郷市にはありませんが、隣の八潮市にはあり普段から見ています。 茨城県方面(土浦・つくば)にも店舗はありますので、違和感はないですね。
「ジョイフル」は見たことありませんが、「茨城県方面(土浦・つくば)にも店舗」というのは、もしかして「ジョイフル本田」ではないでしょうか?

ジョイフル本田は茨城県土浦市に本社があるホームセンターで、茨城と千葉に出店しています。かつて、佐倉市上座に住んでいた親戚の家によく泊まりに行きましたが、そのついでに八千代市の国道16号沿いにあったジョイフル本田にはたびたび入ったものです。
[108839] 2023年 10月 6日(金)13:18:27BANDALGOM さん
木造
[108801]白桃さん
市の中心地区に、鉄骨、鉄筋で建てられている住宅が見当たらない市はどこでしょうか。もちろん、石造りの家もありません。
つがる市でしょうか? 旧木造町ということで。
[108327] 2023年 7月 25日(火)11:39:35BANDALGOM さん
無念の献血引退
今日は悲しい報告があります。

私は高校を卒業した年の夏からずっと、献血をやってきました。主に400mlでしたが、成分もやったことはあります。成分は失敗することが多くてやめましたが。

韓国でも1回だけ、献血をしたことがあります。1回だけだったのは、事前の検査が日本と違っていたからです。日本では事前検査の際、採血する腕と反対の腕に針を刺しますが、韓国では指先に針を刺すのです。これが痛くて痛くて…。献血したのは語学学校の授業が終わった後の昼過ぎでしたが、夜遅くまで痛かったです。ネットで出ていた話では、アメリカや中国も指先に刺すらしいですが。

2004年に帰国した後は、「旅行献血」もやりました。落書き帳オフ会に合わせて(地方開催のオフ会に行く途中に)、新潟と広島でやりましたし、大分でやったような記憶もあります。あと関東近県は茨城、東京、山梨、静岡でやりましたし、埼玉でもやったかと思います。山梨は石和オフ会の当日で、献血していたためにオフ会大遅刻をやらかしてしまいましたが…。献血手帳(後に献血カード)に、献血した都道府県が記録されるのが楽しかったのです。

しかし、2019年を最後に長らく献血していませんでした。柏駅前を通るたびに献血の呼びかけをしていますし、やらなければと思いながら、機会を逃してきました。

今月22日の土曜日、ようやく機会が訪れました。自宅から徒歩10分少々のショッピングモールで献血をやるというのです。当日は午前10時の開始時間に合わせて家を出て、受け付けを済ませました。4年ぶりに献血ができる、と思っていたのですが、まさかの悲劇が…。

私は2020年3月にくも膜下出血を患い、約1年入院しました。今は後遺症もほとんどなく(短期記憶に難があり、精神障害3級の障害者手帳を持ってはいますが)、普段の生活に支障はありません。しかし、くも膜下出血を患ったという理由で、献血を断られてしまいました。なんでも、事故によるくも膜下出血の場合は、献血はOKらしいですが、私の場合は発作が起きて病院に運ばれ、約1年入院しているので、献血はダメだというのです。

30年余り続けてきた献血が、こういう形で終わってしまいました。今はただ、自らの不摂生(食生活、タバコetc.)を嘆くしかないところです。
[108303] 2023年 7月 23日(日)23:43:08BANDALGOM さん
Re:車中泊
[108154] k_ito さん
かなり遅くなりましたが、私の車中泊の記憶を書いてみます。

・ゆうづる
中学1年の夏休み(廃止になる約1年半前)、北海道へ行くために上野から青森まで乗車しました。青森からは青函連絡船で函館へ移動しています。某演歌に登場する「上野発の夜行列車」と「連絡船」ってわけです。
・ムーンライトながら
前身の大垣夜行には1995年4月に沼津から乗りました。あれほどまでに混む列車だとは想像もせず、大垣まで行くつもりでいましたが、混雑がひどいため豊橋で下車。飯田線を北上するルートに切り替えました。
 翌96年3月には関西へ行く時、また97年3月には鹿児島へ行く時に「ながら」に乗車。また2006年10月1日には、金沢オフの帰りに名古屋から東京まで乗車しました。
・新宮夜行
1997年3月、鹿児島からの帰りに、和歌山から乗車しました(和歌山までは南海線と紀勢線和歌山市-和歌山間)。新宮からは紀勢東線のディーゼルで伊勢市まで行き、快速「みえ」に乗り換えたような記憶があります。
・なは
新宮夜行と同じく、鹿児島からの帰りに小倉か門司から三ノ宮まで乗車しました。三ノ宮に着いた後は、普通列車(JR神戸線)に乗り換え、開設から間がない甲南山手で下車、芦屋市津知町(ボランティアに行った時に回った、芦屋市内でも最も被害がひどかった所)から大東町(西宮市境にある、同じくボランティアで何度も行った所)まで歩き、打出駅から阪神電車で大阪へ向かいました。

・高速バス
一番多く乗ったのは中央高速バスです。夏の住み込みバイトに行く際、新宿駅バスターミナルから富士見バス停まで乗りました。また、1995年3月のボランティアの時には、新宿から大阪行きの夜行高速バスに乗り、中央道経由で大阪へ向かいました。この時車内で聴いた観月ありさの『Happy Wake Up』と西脇唯の『思いをはせることは自由』は特に気に入りました。

・韓国
韓国で車中泊をしたのは、1998年9月が最初で、東大邱からソウル・清涼里行きの夜行ムグンファ(むくげ)号に乗りました。東大邱を出たのは9時だったかな? 清涼里には午前4時ごろに到着し、当時住んでいたソウル・新村の下宿近くまでタクシーに乗りました。当時の韓国のタクシーは日本に比べてかなり安く、初乗りは1300ウォン(10倍で計算して130円)程度でした。今はかなり上がったように聞いていますが。
 次が2003年5月で、ビザの書き換えのため福岡に行った時でした。既に京畿道安山市の日本語学院に勤務していた時でしたので、前任地である済州島の日本語学院からのビザを書き換える必要があり、一番近い福岡へ行ったものです。前日夜にソウル駅からセマウル号に乗り、午前5時ごろには釜山駅に到着、駅周辺をウロウロした後タクシーで釜山港へ向かい、博多行きの「ビートル」に乗船しました。この時初めて聴いたJR九州の社歌『浪漫鉄道』は気に入っています。福岡ではこの年2日間だけの日本滞在をし、翌日夕方には新たなビザをもらって、釜山行きの「ビートル」で韓国へと戻りました。次に日本の土を踏んだのは、04年6月の完全帰国の時でした。
[108219] 2023年 7月 22日(土)18:25:27BANDALGOM さん
Re:車中泊
[108154] k_ito さん

私の車中泊について書きます。数があまりないのはk_ito さんと同じですね。

・ゆうづる
中学1年の夏休み(廃止になる約1年半前)、家族と北海道へ行く時に利用しました。出発する前日に関東・東北を台風が襲ったため、かなり爪痕が残っていました。青森から青函連絡船に乗って函館へ渡り、函館からは洞爺湖・白老(アイヌコタン)・日勝峠・阿寒湖・摩周湖・知床五湖・原生花園・網走・層雲峡・札幌を経て、千歳空港(当時)から飛行機で帰りました。

・ムーンライトながら
前身の大垣夜行にも1回乗りましたが、予想に反してエラく混んでいたので、大垣まで行く予定でしたが、豊橋で途中下車して飯田線を北上しました。その1年後に「ムーンライトながら」になり、96・97年と沼津から大垣まで乗車しました。沼津から乗ったのは、甲府で花屋を営んでいた中学時代の先生に会った後、身延線で富士まで南下し、(待ち時間が短縮できそうだったので)東海道線で沼津へ移動したためです。また、2006年の金沢オフの帰りには福井経由で名古屋へ出て、当時付き合っていた友人と会った後、上りの「ながら」に乗りました。

・高速バス
1995年3月(出発は2月28日)、阪神・淡路大震災のボランティアに行くため、新宿駅から大阪行きの高速バスに乗りました。新宿駅発にしたのは、中央道経由で山梨県内を通るからでした。ところが、京都に近づくにつれて渋滞にはまり、現地に着くのは1時間も遅れてしまいました。以来、国内の長距離では高速バスは利用していません。

・韓国
1998年3月から2004年6月まで韓国で暮らしましたが、このうち、車中泊は98年9月と03年5月の2回があります。98年9月は語学学校に通っていたソウルから大邱へ行き、後の留学先の関係者と会った後、東大邱駅からソウル・清凉里駅まで夜行の急行「ムグンファ(むくげ)」号に乗車、清凉里駅からはタクシーで、当時住んでいた新村へ帰りました。03年5月は福岡でビザの更新をするため、ソウル駅から「セマウル」号で釜山へ行き、「ビートル」で福岡へ渡り、福岡の韓国総領事館でビザの更新手続きをしました。この年は地元に帰ることはなく、福岡に2日間滞在しただけで、02年5月から04年6月までの2年余りはほぼ韓国でした(02年11月、済州島にいた時に、日本から持って行ったノートパソコンを盗まれていたため、帰り辛かった)。


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