[108154] k_ito さん
かなり遅くなりましたが、私の車中泊の記憶を書いてみます。
・ゆうづる
中学1年の夏休み(廃止になる約1年半前)、北海道へ行くために上野から青森まで乗車しました。青森からは青函連絡船で函館へ移動しています。某演歌に登場する「上野発の夜行列車」と「連絡船」ってわけです。
・ムーンライトながら
前身の大垣夜行には1995年4月に沼津から乗りました。あれほどまでに混む列車だとは想像もせず、大垣まで行くつもりでいましたが、混雑がひどいため豊橋で下車。飯田線を北上するルートに切り替えました。
翌96年3月には関西へ行く時、また97年3月には鹿児島へ行く時に「ながら」に乗車。また2006年10月1日には、金沢オフの帰りに名古屋から東京まで乗車しました。
・新宮夜行
1997年3月、鹿児島からの帰りに、和歌山から乗車しました(和歌山までは南海線と紀勢線和歌山市-和歌山間)。新宮からは紀勢東線のディーゼルで伊勢市まで行き、快速「みえ」に乗り換えたような記憶があります。
・なは
新宮夜行と同じく、鹿児島からの帰りに小倉か門司から三ノ宮まで乗車しました。三ノ宮に着いた後は、普通列車(JR神戸線)に乗り換え、開設から間がない甲南山手で下車、芦屋市津知町(ボランティアに行った時に回った、芦屋市内でも最も被害がひどかった所)から大東町(西宮市境にある、同じくボランティアで何度も行った所)まで歩き、打出駅から阪神電車で大阪へ向かいました。
・高速バス
一番多く乗ったのは中央高速バスです。夏の住み込みバイトに行く際、新宿駅バスターミナルから富士見バス停まで乗りました。また、1995年3月のボランティアの時には、新宿から大阪行きの夜行高速バスに乗り、中央道経由で大阪へ向かいました。この時車内で聴いた観月ありさの『Happy Wake Up』と西脇唯の『思いをはせることは自由』は特に気に入りました。
・韓国
韓国で車中泊をしたのは、1998年9月が最初で、東大邱からソウル・清涼里行きの夜行ムグンファ(むくげ)号に乗りました。東大邱を出たのは9時だったかな? 清涼里には午前4時ごろに到着し、当時住んでいたソウル・新村の下宿近くまでタクシーに乗りました。当時の韓国のタクシーは日本に比べてかなり安く、初乗りは1300ウォン(10倍で計算して130円)程度でした。今はかなり上がったように聞いていますが。
次が2003年5月で、ビザの書き換えのため福岡に行った時でした。既に京畿道安山市の日本語学院に勤務していた時でしたので、前任地である済州島の日本語学院からのビザを書き換える必要があり、一番近い福岡へ行ったものです。前日夜にソウル駅からセマウル号に乗り、午前5時ごろには釜山駅に到着、駅周辺をウロウロした後タクシーで釜山港へ向かい、博多行きの「ビートル」に乗船しました。この時初めて聴いたJR九州の社歌『浪漫鉄道』は気に入っています。福岡ではこの年2日間だけの日本滞在をし、翌日夕方には新たなビザをもらって、釜山行きの「ビートル」で韓国へと戻りました。次に日本の土を踏んだのは、04年6月の完全帰国の時でした。