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むっくんさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[110231]2024年3月23日
むっくん
[110223]2024年3月21日
むっくん
[110186]2024年3月13日
むっくん
[110185]2024年3月13日
むっくん
[110180]2024年3月12日
むっくん

[110231] 2024年 3月 23日(土)23:09:45【1】訂正年月日
【1】2024年 3月 23日(土)23:12:39
むっくん さん
整備新幹線
[110226]あきごんさん
京都ー新大阪間が南回りルートで松井山手駅付近(中略)に新駅設置となった理由も良く分かりません。
当時の報道では、京都府が多大なる建設費負担をするのにメリットがほとんどないのでその見返りとして、京都ー新大阪間を北回りルートから松井山手駅付近を通る南回りルートにするという話だったと記憶しています。

ところで整備新幹線の新設建設はいつまで続けるのでしょうか。
現在建設中の(A)北海道新幹線新函館北斗-札幌は建設するしかありませんし、(B)北陸新幹線の敦賀-東小浜駅付近-京都駅付近-松井山手駅付近-新大阪駅は足踏み状態が続いています。

この他に、現実に整備新幹線の建設の可能性があるのは次の6か所だと思います。
(C)福島-山形-秋田間の奥羽新幹線、(D)富山-新潟-秋田の羽越新幹線、(E)新大阪-鳥取-松江-新下関の山陰新幹線、(F)岡山-高知及び新大阪-徳島-高松-松山の四国新幹線、(G)小倉-大分-宮崎-鹿児島中央の東九州新幹線、(H)新鳥栖-江北の西九州新幹線

(C)奥羽新幹線は山形県のみが熱心です。山形県はミニ新幹線である山形新幹線の山形福島の県境を結ぶ板谷峠の新線トンネル(米沢トンネル(仮称))の建設をフル規格の奥羽新幹線でも使えるように整備するかどうかを精査をしています。しかしながら、秋田県ではミニ新幹線である秋田新幹線の秋田岩手の県境を結ぶ仙岩峠の新線トンネル(新仙岩トンネル(仮称))の建設の協定を既に先に結んでおり、秋田県にとっては奥羽新幹線は現実的な話ではないようです。
#奥羽新幹線完成後は東京-福島-山形-秋田を2時間30分で結ぶ予定とのことです。
#将来的に維持補修コストまで考えると、山形新幹線の米沢トンネル(仮称)と秋田新幹線の新仙岩トンネル(仮称)の建設だけとするのが妥当なのではないかと思います。

(D)羽越新幹線は新潟県のみが積極的です。新潟県において、糸魚川市・上越市のある上越地方と、長岡市・新潟市のある中越地方の往来には鉄道では群馬県の高崎を経由する必要があるのは問題とされているようです。しかしながら、北陸新幹線の並行在来線のえちごトキめき鉄道と北越急行という2つの赤字第3セクター鉄道を抱えた上に、財政再建団体転落寸前の新潟県では首が回らないと言っても過言ではない状況です。北越急行を標準軌にして、上越妙高(北陸新幹線)-うらがわら(北越急行)の標準軌を敷くというミニ新幹線構想にて糸魚川-上越妙高-北越急行-浦佐-長岡-新潟を結ぶこととするという計画もあるようですが、現状維持となりそうです。

(E)山陰新幹線は鳥取県と島根県は積極的ですが、基点となる大阪府・兵庫県・山口県では特に積極的な活動は見受けられません。様々な団体が山陰新幹線の活動をしていますが、一枚岩の活動となっておらず、この新幹線構想における費用対効果の算出が一切為されておりません。おそらく北陸新幹線の新大阪延長で資金が尽きてこの建設までは手が回らないと思います。

(F)四国新幹線は、四国4県で以前から積極的に誘致活動が為されており、愛媛県HPによりますと(1)新大阪-徳島-高松-松山-大分の費用対効果は0.31、(2)岡山-高知の費用対効果は0.59、(3)岡山-高知及び徳島-高松-松山の費用対効果は1.03と試算されています。香川県・愛媛県・高知県は(3)を、徳島県は飯泉嘉門・前徳島県知事の時までは(1)を推していましたが、昨年当選された徳島県の後藤田正純知事は従前の(1)ではなくて四国全体でまずは(3)の実現させた上で(1)を実現させると表明されました。
参考:朝日新聞まいなびニュース

(G)東九州新幹線ですが、大分県(特に大分市)が積極的に誘致活動をしています。東九州新幹線で盛り上がらないとすると、新たな国土軸となる太平洋新国土軸構想のあるべき交通軸のすがたとして四国新幹線の(1)のルートを推したり、東九州新幹線の新たなルート
「博多~新鳥栖~大分」([110225]メークインさん)
を推したりして、大分市以外でも議論が活発となることを狙っています。日田・湯布院ルートは日田市では賛成意見が多く挙がり、従来通りのルート上の中津市では小倉からの東九州新幹線とすべきという意見が挙がり、と議論が活性化しています。
その後、福岡県久留米市の商工会では西九州新幹線「博多~久留米~佐賀市南部の有明海沿岸道路~江北~長崎」と東九州新幹線「博多~久留米~大分」という形で久留米駅分岐とする意見も出てきています。
#東九州新幹線の従来通りのルートでは、小倉駅に東から進入する(博多方面へは直通できるが新大阪方面へはスイッチバックが必要)、もしくは西から進入する(新大阪方面へは直通できるが博多方面へはスイッチバックが必要)のどちらを選択するのかという問題が常につきまといます。後、小倉-博多はJR西日本の区間なのでJR九州単独でルート決定することができません。それに対して新鳥栖経由のルートでは博多への時間は短くなり、JR九州単独でルート決定することが出来ますが、新大阪方面へはほぼ所要時間が短くならないという問題が出てきます。

また、大分県の日田・湯布院ルートに乗じて、宮崎県も
「新八代~人吉~えびの~宮崎」([110225]メークインさん)
という案を出しました。現状、宮崎市から博多に向かうのは、宮崎-新八代は高速バスで、新八代-博多は新幹線であり、熊本県が肥薩線の復旧をする費用を出すなら、新幹線の地元負担1/3を求められるでしょう、という考えのようです。一応宮崎県も、従前の東九州新幹線ルートと、鹿児島中央-宮崎先行開業ルートとの比較としていますが、延岡市から新八代直通ルートには反対意見が出ているようです。

最後に(H)西九州新幹線の新鳥栖-江北の建設はかなり困難だと思います。
四国の鉄道高速化検討準備会(PDF)42コマでは
H22.8 第3回整備新幹線問題検討会議において「整備新幹線の未着工区間等の取扱いについて」が決定され、西九州ルートにおいては、①肥前山口・武雄温泉の単線区間の取扱い、②軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の取扱い(実用化)が解決したうえで着工するものとされる
とあり、フリーゲージトレインの実用化を前提として西九州新幹線の肥前山口(現:江北)-長崎を建設し始めましたが、国土交通省がフリーゲージトレインが出来ないことが分かっても確たる合意もなしに肥前山口(現:江北)-長崎をフル規格で建設しました。新鳥栖-江北については佐賀県は建設する意思を一切示していないままで、この区間が建設できない法的責任はすべて国土交通省にあります。

個人的に、現実的に有り得るのは、(F)四国新幹線だと思います。JR四国は規模が小さく、路線も低規格であり、四国の旅客流動の分担率が1.8%(H21年JR四国HP)でもあり、再国有化がない限り、現在のままでは立ち行かないと思います。日本建設業連合会31コマでは単線新幹線の提言が為されていて、これだと費用対効果(B/C)1.56とあります。
現状、JR四国に限らず、伊予鉄道以外の四国の交通事業者は、国や自治体からのバックアップなしでは存続がかなり厳しいとも言われています。少なくとも憲法22条(居住・移転および職業選択の自由)で国民が具体的に保障されている権利「交通権」(国土交通省HP(PDF))を保証する意味でも、建設の可能性が高いのではないでしょうか。
#ただ問題があるとすれば、在来線の瀬戸大橋線で現在でも島のある附近で時速が80km/hに制限されているところがありますので、防音工事を施工して、新幹線では設計通りの時速160km/hで走行できるようにしなければならないのでしょう。
[110223] 2024年 3月 21日(木)19:37:47【1】訂正年月日
【1】2024年 3月 21日(木)19:40:23
むっくん さん
Re2:北陸新幹線はどこに行く(一滋賀県民からの視点より)
[110219]あきごんさん
②小浜・京都ルート(敦賀駅、小浜市附近、京都駅、新大阪駅)

私の個人的な予測としては、敦賀ー小浜ー京都まで延伸して、その後は採算性を考慮して凍結。という事になるのではないかと思ったりしております。本当は私としては、⑤湖西線ルートで京都乗り入れが一番いいのですが、米原ルートと同じ問題があるので現実的には困難なようです。とにかく、せめて京都まではできるだけ早く延伸して欲しいですね。
滋賀県は、「いずれは敦賀大阪間の建設はされるであろうが、北陸新幹線建設促進同盟会の一員ではない。受益者は大阪府・京都府・福井県・石川県・富山県であるので、滋賀県内の建設費負担1/3と並行在来線問題は出来れば避けたい。」という立場にいました。(事実上、西九州新幹線の佐賀県と同じ立場です)
しかしながらこの小浜・京都ルートにおいても福井県・京都府・大阪府の同意のみで、JR西日本が湖西線を並行在来線として経営分離する可能性も大いにあり、滋賀県が一切の受益無しで負担のみを押し付けられる可能性も否定できないところです。そのため、湖西線の沿線にある大津市議会及び高島市議会(5コマ)で全会一致で並行在来線となることは拒否していますし、三日月滋賀県知事はたびたび並行在来線そのものが滋賀県には存在しないと提言しています(滋賀県HP)。
湖西ルートは現実問題として、列車の運行に支障をきたす比良おろし(滋賀県HP琵琶湖ハンドブックより)が強く吹き、そこには琵琶湖西岸断層帯が存在してトンネルを掘ることがやや困難なこともあり、小浜・京都ルートの方が建設は容易だと思います。

現在、福井県・京都府・大阪府では北陸新幹線の環境アセスメントが令和元年11月に終わり、ルート選定に焦点は移っています。先日の京都新聞では
しかし、京都への負荷はあまりに大きい。
福井から南丹市、京都市などを縦断するにあたり、路線の大半を占める約60キロは用地買収が不要な「大深度地下」(地表から40メートル以下)を貫くという。
京都盆地の地下は、琵琶湖の8割近くの水量が眠る「水盆」ともいわれる。地下水を利用した食、観光、伝統産業など京の経済や暮らしを潤している。
周辺河川を含め、大深度工事は影響予測が難しい。他府県では水枯れや陥没事故が相次ぐほか、長期工事で出る大量の残土の処分も深刻な問題になり、住民生活を脅かしている。
とあります。ルート上にある京都丹波高原国定公園区域図でも大なり小なりの影響はあり、南丹市美山地区ではトンネル建設による残土をおそらく1日150台の大型ダンプで搬出をすることになると想定されることより、既に反対運動が起こっています。

また、京都市内でもトンネル建設をするとすれば、現実的には堀川通の地下になるのでしょう。とするならば、北陸新幹線のホームは現在の京都駅の西250mの位置になるでしょうし、利便性としては少々疑問符が付きます。そして過去の京都中心部での地下トンネルの事例では、昭和38年の阪急京都本線の大宮-河原町(現:京都河原町)への延長工事の際にも洛中の複数の井戸水は枯れましたし、平成元年の京阪鴨東線の三条-出町柳延伸の際にはせき止められた地下水が京都大学の敷地内で溢れたりもしました。下手をすると伏見の酒造りにも影響が出かねないでしょう。
このような状況ですので、おそらく第二京阪道路沿いとなる京都府南部はさておき、京都府北部及び中部のルート選定は相当に厳しいことになるのでしょう。

敦賀駅-東小浜駅付近-京都駅付近-新大阪駅の北陸新幹線延伸ルートの費用対効果は暫定的に1.08(国土交通省平成28年11月11日資料5コマ、京都新大阪間は北回りルートで駅なし)と試算され、正式決定された北陸新幹線延伸ルートの費用対効果はコロナ前で1.05(国土交通省平成29年3月7日資料3コマ、京都新大阪間は南回りルートで京田辺市北西部にある松井山手駅付近を経由)と試算されています。
京都新聞
 費用対効果も甚だ疑問だ。国土交通省が17年に示した大阪延伸費用は2・1兆円。資材費や人件費の高騰で4兆円を超えるとも見られる。現に各地の整備新幹線コストは膨張が続く。
(略)
 当初試算では、便益の見込みを建設費などで割った費用対効果は1・1と辛うじて効果超としたが、もはや絵に描いた餅ではないか。
とある通り、今後の展開次第では費用対効果が1を下回り、決定されたルートで建設されるかが微妙な状況となりつつあります。
私個人としては、敦賀止まりとなるか、リニア開通と同時期での①米原ルート(滋賀県負担分を大阪府と京都府が肩代わり)への変更の2択も有り得るのではないかと思います。
[110186] 2024年 3月 13日(水)21:11:40【2】訂正年月日
【1】2024年 3月 14日(木)11:10:03
【2】2024年 3月 14日(木)17:22:43
むっくん さん
Re5:変遷情報の見直し(その2)
[110185]の続きです。

ここから本論に入ります。

(1)北海道得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域、(2)北海道北方領土の区域、(3)東京都伊豆諸島、(4)東京都小笠原諸島、(5)鹿児島県大島郡十島村のうち上三島、(6)鹿児島県大島郡十島村のうち下七島、(7)鹿児島県大島郡(十島村を除く)、(8)沖縄県本島地方、(9)沖縄県宮古郡、(10)沖縄県八重山郡を同列で記載できるかを考えます。

ポツダム宣言を受諾して1945(S20).9.2に降伏文書に調印したときに、日本国は主権を失いました。その後、占領政策及び領土確定の一環として連合国は日本国に対してSCAPIN-677(S21.1.29)を1946(S21).2.2に要求します。この際、(1)(2)の区域はソ連の管轄下におかれ、(3)~(10)の区域はアメリカ合衆国の管轄下におかれ、日本国施政権範囲外(事実上日本国管轄外)になりました。SCAPIN677第6項により法的に確定したわけではありませんが、ソ連は(1)(2)の区域を自国領土に編入してしまいました。その後、内務省告示第12号(S21.2.28)で(5)の区域が日本国管轄に戻り、SCAPIN-841(S21.3.22)で(3)の区域は日本国のままとなるという修正がなされます。そして日本国は連合国48ヶ国(アメリカ合衆国等)とサンフランシスコ平和条約を締結し1952(S27).4.28に発効し、日本国は主権を回復します。
条約第5号(サンフランシスコ平和条約)第三条に基づき、(3)~(10)の区域はアメリカ合衆国の完全なる管轄下に入りましたが、あくまでも信託統治委任を国連に求めるまでとの制限付きでした。アメリカ合衆国は信託統治委任を求めなかったため、(4)及び(6)~(10)の区域は日本国の潜在的主権が認められることになり、順次日本国に返還されることになりました。
他方ソ連はサンフランシスコ平和条約を締結しておらず、その後の条約第20号(日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言))(S31.12.12)でも国交を回復したのみで、将来的に歯舞群島及び色丹島の返還をする、との記載があるだけで、領土問題の最終的解決はしておりません。一方、日本国はサンフランシスコ平和条約にて(1)の領有権を放棄していますので、国際的にこちらの効力は及びます。その後、ソ連の法的地位をロシア国が引き継いで現在に至ります。現在は、日本国とロシア国が領土問題の確定をしていないために、(1)の法的領有権ですら完全に確定していません。


初めに、現在の記載内容で不十分な項目を一部追加変更した上で、(ア)単なる事実と、(イ)主権のない時代での国際的な法的効力を伴わない事実と、(ウ)国際的な法的効力を伴う事実、とに分類しつつ都道府県別に記します。

北海道出来事種別
1945(S20).8._得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域をソ連が占領(ア)
1945(S20).8.28
-1945(S20).9.5
北方領土の区域をソ連が占領 6村と1村の一部地域(ア)
1946(S21).2.2得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域が事実上日本国領土外になる(イ)
1946(S21).2.2北方領土の区域が事実上日本国領土外になる 6村と1村の一部地域(イ)
1952(S27).4.28得撫郡, 新知郡, 占守郡の領有権放棄(ウ)

東京都出来事種別
1945(S20).3.26東京都硫黄島村の区域をアメリカ合衆国が占領 小笠原諸島1村(ア)
1945(S20).11.東京都小笠原諸島の区域から日本人がいなくなり、自治体は法律上の存在となる 小笠原諸島5村(ア)
1946(S21).2.2昭和21年(1946年) 2月2日 東京都 伊豆諸島及び小笠原諸島が事実上日本国領土外になる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村,小笠原諸島5村(イ)
1946(S21).3.22昭和21年(1946年) 3月22日 東京都 伊豆諸島は日本国のままとなる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村(イ)
1946(S21).11.父島大村に欧米系帰化人が帰島。東京都小笠原諸島は完全にアメリカ合衆国に占領したまま 小笠原諸島1村(ア)
1952(S27).4.28小笠原諸島が正式に米国統治下になる 小笠原諸島5村廃止(ウ)
1952-1968年小笠原諸島では日本人は居住しているが自治体は不存在(近代自治制度はない)(ア)
1968(S43).6.26昭和43年(1968年) 6月26日 東京都 小笠原諸島が日本に復帰し、地方自治法の適用 小笠原諸島1村設置(ウ)

鹿児島県出来事種別
1946(S21).2.2大島郡が事実上日本国領土外になる/米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村(イ)
1946(S21).2.2昭和21年(1946年) 2月2日 鹿児島県 大島郡が事実上日本国領土外になる/米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村(イ)
1946(S21).2.2大島支庁(1946.2.2~1946.10.3)の設立(イ)
1946(S21).2.28昭和21年(1946年) 2月28日 鹿児島県 大島郡十島村のうち上三島は日本国のままとなる 大島郡1村の一部地域(イ)
1946(S21).10.3臨時北部南西諸島政庁(1946.10.3~1950.11.24)の設立(イ)
1950(S25).11.25奄美群島政府(1950.11.25~1952.3.31)の設立(イ)
1951(S26).4.1沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府と並立して琉球臨時中央政府(1951.4.1~1952.3.31)の設立(イ)
1952(S27).2.10昭和27年(1952年) 2月10日 鹿児島県 大島郡十島村のうち下七島が日本に復帰し地方自治法が適用 大島郡1村(イ)
1952(S27).4.1沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府、琉球臨時中央政府に代わり、琉球政府(1952.4.1~1972.5.14)の設立。(イ)
1952(S27).4.28奄美群島が正式に米国統治下になる/奄美群島において従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村(ウ)
1953(S28).12.25奄美群島が日本に復帰し地方自治法が適用 大島郡1市5町14村(ウ)

沖縄県出来事種別
1945(S20).6.23沖縄群島(島尻郡, 国頭郡, 中頭郡, 那覇市, 首里市)の区域をアメリカ合衆国がほぼ占領 2市3町43村(ア)
1945(S20).8.20沖縄群島にて沖縄諮詢会(1945.8.15~1946.4.26)の設立(ア)
1945(S20).9.2那覇市, 首里市, 島尻郡, 中頭郡, 国頭郡では市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 2市3町43村(イ)
1945(S20).12.8宮古支庁(1945.12.8~1947.3.21)の設立。宮古諸島が市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 1町4村(イ)
1945(S20).12.28八重山支庁(1945.12.28~1947.3.21)の設立。八重山諸島が市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 1町3村(イ)
1946(S21).2.2沖縄県が事実上日本国管轄外になる 3市5町50村(イ)
1946(S21).4.24沖縄諮詢会に代わり、沖縄民政府(1946.4.24~1950.11.3)の設立(イ)
1947(S22).3.21宮古支庁に代わり、宮古民政府(1947.3.21~1950.11.17)の設立。(イ)
1947(S22).3.21八重山支庁に代わり、八重山民政府(1947.3.21~1950.11.6)の設立。(イ)
1950(S25).11.4沖縄民政府に代わり、沖縄群島政府(1950.11.4~1952.3.31)の設立(イ)
1950(S25).11.7宮古民政府に代わり、八重山群島政府(1950.11.7~1952.3.31)の設立。(イ)
1950(S25).11.18宮古民政府に代わり、宮古群島政府(1950.11.18~1952.3.31)の設立。(イ)
1951(S26).4.1沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府と並立して琉球臨時中央政府(1951.4.1~1952.3.31)の設立。(イ)
1952(S27).4.1沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府、琉球臨時中央政府に代わり、琉球政府(1952.4.1~1972.5.14)の設立。(イ)
1952(S27).4.28沖縄県が正式に米国統治下になる/従来の市制町村制が正式に適用外となる 3市5町50村(ウ)
1953(S28).1.12米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村(イ)?(ウ)?
1972(S47).5.15沖縄県が日本に復帰し地方自治法が適用 10市6町38村(ウ)
1972(S47).5.15潜在的に存在した沖縄県に権能が復活し地方自治法が適用 1県(ウ)

参考:沖縄県公文書館HP所蔵資料目録、鹿児島県大島支庁令和4年度奄美群島の概況第1章総説(PDF)4コマ

上記で記載できるものは、基本的には(ウ)のみです。東京都及び鹿児島県及び沖縄県においては(ウ)で法的に確定しているため、説明が困難なところでは何の問題もなく(ア)(イ)を加えることが出来ると考えます。
しかしながら、北海道においては法的に未確定ですので、説明が困難なところにおいて(ウ)に加えて何の問題もなく記載可能なのは事実たる(ア)に限定されると考えます。

それでは変更案です。記述としてしっかりしているのが鹿児島県ですので、ここでの記述に一貫性を持たせたいと思います。
1952(S27).2.10 昭和27年(1952年) 2月10日 鹿児島県 大島郡十島村のうち下七島が日本に復帰し地方自治法が適用 大島郡1村
では詳細情報が記載されているのに対し、同じく日本国に復帰としている
1953(S28).12.25 奄美群島が日本に復帰し地方自治法が適用 大島郡1市5町14村
では詳細情報が記載されていませんので、こちらにも詳細情報を記載した方が良いと思います。

次に東京都です。
1952(S27).4.28 小笠原諸島が正式に米国統治下になる 小笠原諸島5村廃止
小笠原諸島5村がどこなのか分かりませんので、これの詳細情報(大村, 扇村袋沢村, 沖村, 北村, 硫黄島村)を付け加えた方が良いです。後は問題ないと思います。
本論と関係はありませんが、小笠原諸島概況1967年(編・出版:東京都総務局行政部地方課、1967)p.21に昭和15年4月1日現在の小笠原諸島の行政区画が記載されていました。そこで、
2 1940(S15).4.1 新設/村制 大村 大村, 父島列島(父島を除く), 聟島列島, 西之島
3 1940(S15).4.1 新設/村制 扇村袋沢村 扇村, 袋沢村
4 1940(S15).4.1 新設/村制 沖村 沖村, 母島列島(母島を除く)

2 1940(S15).4.1 新設/村制 大村 大村, 兄島, 弟島, 孫島, 西島, 瓢島, 人丸島, 聟島, 媒島, 嫁島, 北の島, 鳥島
3 1940(S15).4.1 新設/村制 扇村袋沢村 扇村, 袋沢村, 東島, 南島
4 1940(S15).4.1 新設/村制 沖村 沖村, 姉島, 妹島, 姪島, 平島, 二子島, 丸島, 鰹鳥島, 向島
へと修正をお願いします。なお、この時点で北硫黄島, 南硫黄島, 南鳥島, 沖ノ鳥島, 西ノ島は小笠原支庁直轄でした。

続いて沖縄県です。
まずは
1945(S20).9.2 市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 2市5町50村

1945(S20).9.2 那覇市, 首里市, 島尻郡, 中頭郡, 国頭郡では市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 2市3町43村
1945(S20).12.8 宮古諸島が市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 1町4村
1945(S20).12.28 八重山諸島が市制町村制に変わり事実上米国軍政府下での市制町村制となる 1町3村
と訂正します。
そして
1946(S21).2.2 沖縄県が事実上日本国管轄外になる 3市5町50村
1972(S47).5.15 沖縄県が日本に復帰し地方自治法が適用 10市6町38村
は鹿児島県との対比で、詳細情報を記載した方がよいと思います。また、上述の(注21)の記載ですが、例えば
1972(S47).5.15 潜在的に存在した沖縄県に権能が復活し地方自治法が適用 1県
と記載した方がよいのかもしれません。少なくてもアメリカ合衆国の支配下では、自治体として存在していたのは市町村のみでした。
#市区町村変遷情報という名称なので、これは範囲外でしょうか。仮にこの記載をすると、行政区画であった都道府県が自治体になる過程、つまり府県制を施行した旨の記載も47都道府県ですることになります。参考情報として以下に記載します。[62662]88さんを参考にしました。
(開く)(参考情報)
また
1 1946(S21).6.12 村制 島尻郡南大東村 南大東島
2 1946(S21).6.12 村制 島尻郡北大東村 北大東島, 沖大東島

1 1946(S21).6.12 村制 島尻郡南大東村 「島尻郡」 南大東島
2 1946(S21).6.12 村制 島尻郡北大東村 「島尻郡」 北大東島, 沖大東島
へと変更をお願いします。勅令第13号(M29.3.7)で大東島は島尻郡所属となり、内務大臣から己第515号(M33.9.11)として閣議にかけられてラサ島が沖大東島との名称を附されて島尻郡所属となっています。
参考:沖縄県史 第13巻 (資料編 3 沖縄県関係各省公文書 2)(編・出版:琉球政府、1966)pp.739-742


最後に北海道ですが、法的に領土問題が確定していません。よって例外となりますが、暫定的に現状維持とするのが良いと思います。
[110185] 2024年 3月 13日(水)21:11:33むっくん さん
Re4:変遷情報の見直し(その1)
[110129]グリグリさん
日本国領土外と日本国領土が鹿児島県と東京都について適用していますが、北海道や沖縄県についても鹿児島県や東京都と同じレベルで(詳細情報として)記載すべきではないかと思っています。
まずは、北海道と東京都と鹿児島県と沖縄県での出来事を詳細に時系列順に並べてみます。沖縄県については沖縄県史第8巻 (各論編7沖縄戦通史)(編・出版:琉球政府、1971)、沖縄県史第10巻 (各論編9沖縄戦記録2)(編・出版:沖縄県教育委員会、1974)を参考にしています。

年月日出来事
1944(S19).6.
-1944(S19).8.
徴用されなかった小笠原諸島全島民が本土に引揚げ(注1)
1944(S19).8.東京都小笠原支庁及び小笠原諸島5村役場が本土に移転(注1)
1945(S20).3.26東京都硫黄島村がアメリカ合衆国に占領される(大本営発表では1945(S20).3.17玉砕)
1945(S20).3.29沖縄県慶良間諸島(島尻郡渡嘉敷村, 座間味村)がアメリカ合衆国に占領される
1945(S20).4.5読谷村に米国軍政府を設立(注2)
1945(S20).4.21沖縄県伊江島(国頭郡伊江村)がアメリカ合衆国に占領される
1945(S20).6.23沖縄県沖縄諸島(島尻郡, 国頭郡, 中頭郡, 那覇市, 首里市)がアメリカ合衆国に占領される
1945(S20).6.30沖縄県久米島がアメリカ合衆国に占領される
1945(S20).8.15日本国がポツダム宣言受諾を表明
1945(S20).8.20米国軍政府が住民代表で構成する諮問機関「沖縄諮詢会」を設立
1945(S20).8.北海道得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域をソ連が占領
1945(S20).8.28
-1945(S20).9.5
北海道国後郡 泊村, 留夜別村, 色丹郡 色丹村, 紗那郡 紗那村, 択捉郡 留別村, 蘂取郡 蘂取村, 花咲郡 歯舞村の一部
(珸瑶瑁水道にある貝殻島及びそれ以東の諸島部)の区域(以下では、北方領土の区域と記す)をソ連(現:ロシア)が占領
1945(S20).9.2日本国が連合国との間で降伏文書に署名し第二次世界大戦が終結
1945(S20).9.13沖縄県に地方行政緊急措置要綱を公布(施行は次期総選挙の時より)
1945(S20).10-11.東京都小笠原諸島から軍隊及び島民は全員本土に引揚げ。
1945(S20).12.8沖縄県宮古諸島が米国軍政府下に入る
1945(S20).12.28沖縄県八重山諸島が米国軍政府下に入る
1946(S21).2.2北海道得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域が事実上日本国領土外になる(注3)。ソ連は得撫郡, 新知郡, 占守郡
の区域及び北方領土の区域を同日付で自国領土に編入する 千島列島3郡及び北方領土6村全部区域と1村一部地域
1946(S21).2.2東京都伊豆諸島及び小笠原諸島が事実上日本国領土外になる(注3)
大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村,小笠原諸島5村
1946(S21).2.2鹿児島県奄美群島・トカラ列島が米国軍政府下に入る(注3)大島郡5町16村
1946(S21).2.2沖縄県が米国軍政府下に入る(注3)3市5町50村
1946(S21).2.28鹿児島県大島郡十島村のうち上三島(竹島,黒島,硫黄島)は日本国のままとなる(注4) 大島郡1村の一部区域
1946(S21).3.22伊豆諸島は日本国のままとなる(注5) 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村
1946(S21).4.22沖縄諮詢会が再編され、沖縄民政府が設立(注6)
1946(S21).11.本土に引揚げた欧米系帰化人が帰島(注1,7)
1950(S25).9.1奄美・沖縄・宮古・八重山の各群島に設置されていた沖縄民政府等が、順次、四つの群島政府に再編(注8)
(実際に再編された日付は後述の鹿児島県・沖縄県を参照のこと)
1951(S26).4.1琉球臨時中央政府が設立(注9)
1952(S27).2.10鹿児島県 大島郡十島村のうち下七島が日本に復帰し地方自治法が適用(注10) 大島郡1村の一部区域
1952(S27).4.1琉球政府が設立(注11)
1952(S27).4.28北海道得撫郡, 新知郡, 占守郡の領有権放棄(注12)
1952(S27).4.28東京都小笠原諸島が米国管轄下(注13)になる(注14)/小笠原諸島5村廃止
1952(S27).4.28奄美群島(北緯二十九度以南)が正式に米国管轄下(注13)になる(注14)/奄美群島(ただし十島村を除く)に
おいて従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村
1952(S27).4.28沖縄県が正式に米国管轄下(注13)になる(注14)/従来の市制町村制が正式に適用外となる
1952(S27).4.28小笠原支庁及び小笠原諸島5村役場廃止(注15)
1953(S28).1.12沖縄県に米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村
1953(S28).12.25奄美群島(北緯二十九度以南)が日本に復帰し地方自治法が適用(注16)(大島郡1市5町14村)。
1956(S31).12.12日本国とソ連の国交回復(注17)
1968(S43).6.26東京都 小笠原諸島が日本に復帰し、地方自治法の適用(注18,19) 小笠原諸島1村設置。
1972(S47).5.15沖縄が日本に復帰し地方自治法が適用(注20,21)沖縄県10市6町38村
沖縄が日本に復帰して潜在的に存在した沖縄県に地方自治法が適用

(注1)小笠原諸島概況1967年(編・出版:東京都総務局行政部地方課、1967)による。その後、昭和19年9月14日付内務次官通達「離島における住民の引揚げに伴う市町村行政の運営に関する件」に従い、1949(S24).3.に最後まで残っていた各村役場職員6名は東京都小笠原支庁職員となる。昭和19年の日本軍命令による総引揚時には7711人が居住。
(注2)米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)公布により奄美群島以南の南西諸島地域における日本政府の行政権を停止して米国軍政府が統治すると宣言。
(注3)SCAPIN-677(PDF)(S21.1.29)による。(和訳はこちら。)
(注4)内務省告示第22号(S21.2.28)による
(注5)SCAPIN-841(S21.3.22)による。
(注6)海軍軍政府指令第156号「沖縄中央政府の創設」(S21.4.22)による。沖縄民政府は、沖縄群島における住民側の最高執行機関と位置づけられますが、軍政府副長官の監督のもとにあり、あくまでも行政組織です。その後、奄美・宮古・八重山の各群島にも沖縄群島における沖縄民政府類似のものが設立されました。
(注7)欧米系帰化人とは明治15年までに帰化を完了して日本国籍を取得したものの子孫又はその配偶者で全部で135名。その内129名が1946(S21).10.15に浦賀から帰島し、父島の旧大村の区域に居住しました。
(注8)軍政府布令第22号「群島政府機構に関する法」(S25.8.4)が公布、1950(S25).9.1施行による。内閣官房HPNo.3 軍政府布令第22号「群島組織法」も参考になります。
(注9)米国民政府布告第3号「臨時中央政府の設立」(S26.4.1)により、立法・司法・行政機関を備えた琉球臨時中央政府が各群島政府と並行して暫定的に設立
(注10)政令第380号(昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿児島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令)(S26.12.21)及び政令第13号(鹿児島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令)(S27.2.4)による。
#昭和26年政令第380号はSCAPIN-677/1(昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」)に基づきます。
(注11)米国民政府布告第13号「琉球政府の設立」(S27.2.29)により、今までの暫定政府に代わり琉球列島全域を管轄する琉球政府が設立。琉球列島米国民政府の布告、布令及び指令に従うため、これも行政組織です。
(注12)条約第5号(サンフランシスコ平和条約)(S27.4.28)第二章第二条(C)による。
(注13)ただし、アメリカ合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度を国連に提案するまで
(注14)条約第5号(サンフランシスコ平和条約)(S27.4.28)第二章第三条による。
#ソ連が信託統治制度理事会に拒否権を持っているため、実現の可能性は極めて低かった。
(注15)条約第5号(サンフランシスコ平和条約)(S27.4.28)発効による。
(注16)条約第33号(奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定及び関係文書)(S28.12.25)、法律第267号(奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)(S28.11.16)、政令第400号(奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律の施行期日を定める政令)(S28.12.24)による。
(注17)条約第20号(日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言))(S31.12.12)による
(注18)条約第8号(南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)(S43.6.12)、法律第83号(小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)(S43.6.1)、政令第二百十二号(小笠原諸島の復帰に伴う村の設置及び現地における行政機関の設置等に関する政令)(S43.6.24)による。
(注19)後述
(注20)条約第2号(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)(S47.3.21)、法律第129号(S46.12.31)による。
(注21)後述

本論に入る前にまずは後述とした注19と注21についてです。
(注19)
(注7)で記載した通り、小笠原諸島が返還される前に欧米系帰化人は帰還をしていますが、欧米系帰化人以外の日本人7000名強は帰還を許されずに1968(S43).6.26の小笠原諸島返還を迎えます。欧米系帰化人以外の日本人は小笠原村成立後に小笠原村に帰還することになります。
ここで問題となるのは、欧米系帰化人は日本籍を所持している日本人ということです。それでは自治はどうなのかと言いますと、小笠原諸島概況1967年(編・出版:東京都総務局行政部地方課、1967)によれば
4.行政
米国の民政化にあるが、実質的には軍政になっている。
住民の自治組織としては相談会(コンサルティング・ミーティング)があり、18才以上の住民の中から選挙された5人の代表者がメンバーとなる。相談会は月1回米軍司令官同席のもとで開かれる。
とあり、小笠原諸島の概要昭和47年版(編:小笠原総合事務所, 東京都小笠原支庁, 東京都小笠原村 共同編集、出版:小笠原総合事務所、1972)で
米軍の監督下にCouncil(いわゆる5人委員会)が設けられ、限られた範囲の自治が認められていた。Councilの概要は次のとおりである。
(1)委員の数、選任方法および任期
委員の数は、当初7人であったが、1955年以降5人であった。委員は住民の直接選挙によって選任した。すなわち、毎年6月10日、5名連記投票の方法による予備選挙を行って10名の委員候補者を選出し、6月20日に本選挙を行って当選者を決定することとしていた。任期は7月1日から1年間であった。
(2)権限
Councilは、生産物の出荷、漁獲の割当、道路の補修等、住民の秩序維持に関して審議し、その権限の範囲内でLocal Ruleを制定することができた。1965年7月にはおおむね次のような内容の成文法(Ordinance of the Bonin Islands)が制定されている。
〇野生動物の保護
〇衛生および安全
〇所得税
〇労働
(3)運営
会議は原則的に月1回米軍司令部立合のもとに行われていた。
とその詳細が記載されており、これを反映させる必要があるかも問題となります。
ただ、少なくても自治体と言えるものではないので、市区町村変遷情報の収録範囲外となると考えます。そして、沖縄県や鹿児島県奄美地方と異なり東京都小笠原諸島では自治体が消滅していますので、
1952(S27).4.28 小笠原諸島が正式に米国統治下になる 小笠原諸島5村廃止
だけではさすがに記述として不十分であり、詳細情報として小笠原諸島5村とは大村, 扇村袋沢村, 沖村, 北村, 硫黄島村であることは記載すべきではないかと思っています
#郡区町村編成法の時代に遡りますと、「廃止」という変更種別は新潟県や京都府で出てきます。

(注21)
現在の沖縄県の領域においては米国軍政府(米国民政府)の支配下にあったとき、琉球政府などその下部の行政組織としてしか存在しておらず、1972(S47).5.15の時点で潜在的に存在していた沖縄県という自治体が権能を復活したとの記載も必要なのではないかとも考えます。
参考:法律第129号(沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律)(S46.12.31)
(趣旨)
第1条 この法律は、沖縄の復帰に伴い、本邦の諸制度の沖縄県の区域における円滑な実施を図るために必要な特別措置を定めるものとする。
(定義)
第2条 この法律において「沖縄」とは、硫黄鳥島及び伊平屋島並びに北緯27度以南の南西諸島(大東諸島を含む。)をいう。
2 この法律において「本土」とは、沖縄以外の本邦の地域をいう。
3 この法律において「沖縄法令」とは、この法律の施行の際沖縄に適用されていた法令をいう。
4 この法律において「本土法令」とは、この法律の施行の際本土に適用されていた法令をいう。
第2章 沖縄県
(沖縄県の地位)
第3条 従前の沖縄県は、当然に、地方自治法(昭和22年法律第67号)に定める県として存続するものとする。

次稿に続きます。
[110180] 2024年 3月 12日(火)19:53:02むっくん さん
ロータリーコレクション
[110131]あきごんさん
情報等がありましたら情報提供頂ければ幸いです。
三重県いなべ市大安町石榑南に終点ロータリーと単なるロータリー、さらにその少し東のいなべ市大安町石榑北山にロータリー、と一つの道路上に3か所連続してロータリーがあります。
参考:YouTube道との遭遇【CBCテレビ公式】【三重】レジェンド道マニアも頭を抱える謎のロータリー


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