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YTさんの記事が5件見つかりました

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[116598] 2025年 12月 29日(月)17:45:48YT さん
レジャー施設の入場者数
[116576] 菊人形さん

YTさんも降りらることがあれば、あまりの変りぶりにさぞ驚くことになるかと思います。

年に数回、小田急線で向ヶ丘遊園の前を通過していますが、稲城に引っ越してからの数年間で驚くほど街並みは変わりましたね。ただそこまで再開発するのなら、登戸~向ヶ丘遊園間も何とか複々線化できなかったのかな?とも思います。まあ小田急の複々線化事業はもともと東京都内は公的資金の援助があったのかもしれませんが。

[116492] 海辺を飛ぶ鳥 さん

ゴンドラ スカイシャトルは、稲城市の飛び地(自治体の飛び地コレクション)の上空を通る影響で、都県境を3回越えていて、とても気になる存在ですがまだ乗ったことがないので、来年までの目標にしましょう。

稲城市民にはよみうりランドのジュエルミネーションへの無料招待券が配られるので、昨日家族と行きました。東京都の飛び地があるのは、丁度立体駐車場の建物がある前後ですね。

ところで自分は[116485]

よみうりランドについては、最近は観覧車の建て替えや、野球練習場の拡大、水族館の新設など、割と景気の良い話が続いてはいるのですが、数年前にはコロナで経営に大打撃を受けてはいるはずであり、突然廃園になる将来もあるかも知れません。

と書きましたが、具体的にどの程度の観客数なのだろうとふと思いました。どうやら自己申告のデータを毎年集めている『月刊レジャー産業』なる雑誌があるようですが、こちらの雑誌はちょっと手が届く値段ではなく、身近では国会図書館に行かないと閲覧できないようです。これだけのためにちょっと図書館に行くのは大変なので、あくまでもプレスリリースと別掲載の『レジャー施設の入場者数ランキング(2024年度)』から入場者数200万人以上をピックアップしてデータをまとめたところ、以下の通りになりました。。

(開く)レジャー施設の入場者数ランキング(2024年度):出典:綜合ユニコム株式会社『月刊レジャー産業資料』

上の内、括弧で示しているのは、プレスリリースに業種が載っていなかったものです。まあ元となる雑誌をきっちり読んでまとめたわけではないので、抜けがあるかも知れません。

千葉県にありながら東京~の名前を冠する某レジャー施設は別格ですが、想像していたよりよみうりランドには集客力があったようです(一応某レジャー施設を除くと、遊園地のカテゴリーでは1位)。そして上野動物園は立地が良いので、多分パンダがいなくなってもやっていけるのではないでしょうか?

都内の動物園としては、昨日狼が逃亡したところの方が展示は充実しているはずなのですが、天王寺動物園(3位1,697,555人)、旭川市旭山動物園(4位1,396,180人)、東武動物公園(5位1,242,898人)よりも下のようです。公式サイトで確認したところ、多摩動物公園の昨年度の入場者数は884,626人で、上野動物園とは大分差がありました。
[116485] 2025年 12月 8日(月)13:02:25【1】訂正年月日
【1】2025年 12月 8日(月)18:41:27
YT さん
向ヶ丘遊園の思い出など
[116429][116471] しおらぁめんさん
[116449] 菊人形さん
[116461] 海辺を飛ぶ鳥 さん
[116462] 伊豆之国 さん
[116464] メークイン さん
[116481] MasAka さん

[110405]でも過去の私の居住歴を紹介しましたが、私は人生の大部分を川崎市麻生区(麻生区成立前は多摩区の一部)で過ごしてきた人間ですので、遅ればせながらこちらの話題に反応することにします。

[116461] 海辺を飛ぶ鳥 さん
僕自身は生まれた時にはモノレールが廃止された後だったのですが、

[116471] しおらぁめん さん
「向ケ丘遊園」というところは2002年に閉園していたんですか?初めて知りました…

正直この辺の書き込みで衝撃を受けました!そうですよね・・・向ヶ丘遊園が閉園してからもう20年以上経ってるから、その後に生まれた人がいてもおかしくないですよね。向ヶ丘遊園は小田急が経営母体なので、向ヶ丘遊園が閉園すると聞いた時には自分はまさかとショックを受けました。

自分が小学校に入る前、5歳までに何度か自宅に近い向ヶ丘遊園に遊びに行ったのですが、どういうわけか遊園地の中で何を楽しんだのか、まったく記憶に残っていません。ただはっきり記憶に残っているのが、向ヶ丘遊園から向ヶ丘遊園正門までのモノレールからの街並みの景色です。別に私は鉄成分はそんなに濃くはないのですが(兄はNゲージにハマっていたが、自分は駅名を少々覚えるレベル程度)、遊園地内の遊具の記録よりもモノレールからの街並みの記憶ばっかり残っているのは、まあ地理好きの素養が当時からあったからでしょうか?

また当時の自宅のより近くにはよみうりランドがあり、こちらも小学校に入る前に何度か行った記憶があるのですが・・・どういうわけかこちらも、遊園地の外側を走っているモノレールに乗った記憶と水族館の暗闇が怖かった記憶(多分3歳の頃と思われる)しか残っていません。ただ5歳の時に「もう一度モノレールに乗りたい!」と思っていたら、いつの間にかモノレールが廃止されてゴーカート?みたいなものになっていて、ショックを覚えた記憶もあります。

小学校に入ってからは学校行事で毎年よみうりランドのスケート場に行きました。このスケート場は、夏にはプールになっていましたが、いつの間にかスケート場の経営は終了してしましました。一方向ヶ丘遊園の方も、小学校の行事で何度か園内に行きました。さすがに小学校に入ってからの記憶はバッチリ残っていますが、学校の行事ではモノレールには乗らず、小学生は全員駅から遊園地まで歩かされ、ガッカリしました。中学以降、しばらく遊園地とは無縁でしたが、大学生になってから一度、友人と一緒に向ヶ丘遊園のスケート場に行ったことがあります。この時自分は久々にモノレールに乗りたいと言いましたが、友人たちからは「歩くに決まっているだろ」と相手にされず、結局モノレールには乗りませんでした。運転免許を取ったのは多摩川を挟んだ狛江市内の教習所でしたが、路上演習で多摩川を渡り、モノレールの下の地形をよく走りましたが、その時も「モノレールに久々に乗ってみたいな・・・」と思いつつ結局20年以上乗らぬまま過ごしました。そしてある日突然、向ヶ丘遊園モノレール線は廃止されてしまいました。

原因は向ヶ丘遊園モノレール線が採用していた、ロッキード式といわれる特殊なモノレールの規格にありました。ロッキード社がモノレール事業から撤退してしまったことにより、向ヶ丘遊園モノレール線は完全なメンテナンスができなくなってしまったのです。そのような中車両に亀裂が見つかり、運行が再開されることなく廃止になってしまったのです。当時は大学院生で忙しい時期でしたが、乗れる時に乗っておけば良かったと後悔しました。私の頭に残っているモノレールからの窓の外の風景は、結局5歳の時からアップデートされませんでした。

それでもまさか小田急が向ヶ丘遊園を廃園にするとは想像していませんでした。日本の遊園地はディズニーランドが出来てから来客が減り、各地での廃止に繋がったと言われております。しかしながら私なんぞはディズニーランドが出来たころには、「ディズニーランドのような幼稚な所なんかよりも科学博物館や恐竜展の方が知識欲を満たせるし絶対楽しい!」などと主張するイヤな小学生に成長し、現在に至るまで一度もディズニーランドには行ったことがありませんし、ディズニーの影響力の強さを実感しておりませんでした。向ヶ丘遊園の場合は、確か90年代後半には怪獣ブースカのPRが成功して一時期入園者数が回復したみたいなニュースを見た記憶はあるのですが、まあモノレールの廃止が向ヶ丘遊園の廃園の直接的な決定打だと思います。

それにしても小田急は旧称である「稲田登戸」を復活させず、なぜ「向ヶ丘遊園」という駅名を維持しているのでしょう?そういえば駅の南側の山には「稲田登戸病院」という総合病院がありましたが、この病院も地権者の拒否で廃止され更地になり、現在ではマンションになっています。向ヶ丘遊園の南側にはかつてダイエーがあり、そこが地域のショッピングの中心でしたが、新百合ヶ丘の開発が進んでからは大分寂れたと聞いております。駅の北側は、学生街なので飲み屋はそこそこありますが、市役所・図書館までの道が狭くて危なかった記憶はあります。なんか町の周辺はパチンコ屋だけは充実していたような?ここ10年間は向ヶ丘遊園で降りていないので町の様子の変化を把握しておりませんが、向ヶ丘遊園~登戸までは大規模な再開発で町の風景が様変わりし、今はどうなっているのでしょう?

なお私は現在では稲城市の住民となり、よみうりランドのゴンドラが見える場所に住んでおります。よみうりランドも経営母体がいくら読売新聞社とはいえ、新聞社は鉄道会社以上に衰退しつつある産業です。よみうりランドについては、最近は観覧車の建て替えや、野球練習場の拡大、水族館の新設など、割と景気の良い話が続いてはいるのですが、数年前にはコロナで経営に大打撃を受けてはいるはずであり、突然廃園になる将来もあるかも知れません。

[116464] メークイン さん

たまに小田急線に乗っていると、向ケ丘遊園駅のところにモノレールが走っているのを気づく程度でした。
私が初めて行ったのは、2018年の文化の日の祝日に、川崎市立日本民家園が無料で入れるから行ってみたという感じです。
ついでに同じく生田緑地にあるバラ園と、枡形山展望台(都心方面の展望もあります)に行った感じです。

向ヶ丘遊園が現役だった頃は、登戸駅から遊園地のジェットコースターの全貌を見ることができました。登戸駅乗換で待っている間、駅からジェットコースターの動きを見るのが楽しみでした。

また川崎市内の小学生だった頃、生田緑地の民家園やプラネタリウム、あるいは枡形山展望台にも学校の行事で何度も行きました。現在岡本太郎美術館が立っている辺りは、かつて大雨が降った時の斜面崩落実験を行った際、大量に生き埋めになって死者を出すという大事故が起こったところであり、そこも小学生の学習の対象でした。さすがに七三一部隊については小学生では習いませんが、明治大学生田キャンパスにかつて登戸研究所があったことについては親や兄から聞かされました。

生田緑地のプラネタリウムは少々狭いのが残念ですが、プログラムの内容はなかなか充実していて、少なくとも池袋や押上にある、雰囲気ばっかりのプラネタリウムよりかは学習にお勧めです。

なお私と藤子・F・不二雄ミュージアムとの悲しい経緯については[115507]に言及した通りです。

【訂正】岡田太郎→岡本太郎
岡田太郎って誰だよ・・・
[116458] 2025年 12月 4日(木)12:11:58【1】訂正年月日
【1】2025年 12月 4日(木)12:12:58
YT さん
美濃・三河に分布する広見(弘見)について
[116424]文字 さん
[116451]Amanda さん

しかし、愛知・岐阜の広見に関しては大した一族も見つからず(『姓氏家系大辞典』曰く、『美濃に廣見莊ありて、武藏等に此の氏存す。』とのこと。情報はこの2行のみ)なかなか苗字由来とも考えにくいです。

地名に関しては、『角川日本地名大辞典』や『日本歴史地名体系』に情報が集約されています。

『角川日本地名大辞典』の方に岐阜県関市の広見の語源が掲載されていました。

長良川支流武儀川の下流域に位置する。地名の由来は展望のきく地の意か。地内には条里制の遺構がある。

ただこういう語源というのは検証しようがなく、古くは宮武外骨による吉田東伍の『大日本地名辞書』の批判が知られております。事典の方でも「~か。」と断定しておらず、話半ばにきいておいた方が良いでしょう。

なお武儀郡広見は、室町時代には「弘見」と記載されていたようです。そして「宇多弘見荘」(うたひろみのしょう)というのが平安末期には成立していました。以下、『日本歴史地名大系』の解説によると

皇室領庄園で「宇多院 弘見庄」と分けて記されることもあった。庄域は現在の武芸川町宇多院から関市広見に至る武儀川流域に比定される。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂領目録(島田文書)に「宇陀私(弘)見庄」とみえ、正月元旦に使用する御簾二間・御座二枚などが一年の課役とされている。なお京都長講堂領となって以後、当庄の年貢絹二〇疋は二月彼岸用途に充てられている(岐阜県史)。領家職は楊梅忠行から娘の按察局(近衛家実の妻)、さらに按察局の子鷹司兼平(鷹司家の祖)へと相伝され、以後、鷹司家に伝領され(正応六年四月日「鷹司兼平譲状案」鷹司家文書)、応永年間(一三九四―一四二八)まで同家領であった(同一四年三月日「長講堂領目録写」八代恒治氏旧蔵文書)。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」によれば、宇多院段銭として一貫文を預所と思われる広橋家が納めている。当庄の地頭は鎌倉後期頃には二階堂氏であったと思われるが、観応二年(一三五一)には足利義詮が「美濃国武義庄内野所・安弘見・加藤郷」などの地頭職を勲功の賞として土岐頼忠に宛行っており(同年九月二〇日「足利義詮袖判下文」土岐文書)、「安弘見」は当庄の弘見をさしているとも考えられる。年月日未詳の六条殿修理料支配状写(八代恒治氏旧蔵文書)によると、長講堂修理の際、当庄は楊梅面の部材の一部を割当てられており、応永一八年五月三日の比丘尼明輪先達檀那売券(真長寺文書)には檀那在所の一つとして「弘見」があげられている。

また上の『日本歴史地名体系』の方では、「安弘見郷」(あひろみのごう)を武儀郡広見に比定していますが、『角川日本地名大辞典』の方では「安弘見郷」について以下の説明があり、恵那郡旧蛭川村内に「武義庄」の飛び地があったと比定しています。

南北朝期~戦国期に見える郷名。美濃国武儀郡武儀荘のうち。観応2年9月20日付の足利義詮袖判下文で「武義庄内野所・安弘見・加藤郷等」が土岐頼忠に勲功の賞として宛行われており,永徳3年7月25日付の土岐頼高宛足利義満袖判下文にも同地が見えている(土岐文書)。その後元亀3年11月9日山村三郎左衛門尉に武田信玄は「安弘見三百貫」の知行を宛行っている(山村文書)。中津川市の旧蛭川村に安弘見神社があり,同地の付近に推定される。

「広見」という地名は少し離れた可児郡(現可児市)にも広がっており、明治22年には同じ岐阜県内に2つの「広見村」が成立していた時期がありました。可児郡の広見もおそらく武儀郡の広見と同様、もとは「宇多弘見荘」由来と思われますが、そのことへの言及は『角川日本地名大辞典』にも『日本歴史地名体系』にもありません。

一方愛知県豊田市の広見も、かつては「弘見」と書かれていたようです。

南北朝期~戦国期に見える郷名。三河国加茂郡高橋荘のうち。貞和5年の年中祭礼記に弘見郷,弘見方あるいは単に弘見と記されている(猿投神社文書/豊田市史6)。次いで貞治3年3月3日の上葺勧進帳断簡によれば,猿投神社の上葺に際し弘見郷が1貫150文を負担している(同前)。戦国期に入り,大永4年正月11日の松平信長下地売券に「ひろミのみなくち」が記される(高月院文書/豊田市史6)。猿投神社八講牒の天正14年分の裏書に織田信雄の検地に関連して弘見は猿投神社領として認められた(猿投神社文書/同前)。正林寺伝記に天正年間広見城主中条将監秀正が,自分の名「正」をとり正林寺を開基。天正5年広見城落城の時自害とある。広見城址は丘陵の山腹にある。当地は瀬戸と猿投を結ぶ交通の要衝にある。

以上をまとめると、岐阜県関市(美濃国武儀郡)の広見は『角川日本地名大辞典』では語源が「展望のきく地」と考察されているが、根拠は多分語感以上のものはない。少なくとも平安末期には皇室領として美濃国武儀郡を中心とする地域に「宇多弘見荘」が成立した。室町時代以降には「安弘見郷」が存在したが、これは武儀郡内とする説と、恵那郡内にも飛び地があったとする説があるが、いずれも確固たる証拠があるわけではない。明治以降に成立した可児郡広見村などもおそらくは「宇多弘見荘」がらみの地名と思われるが、正確な関連は不明。隣の愛知県豊田市にも、南北朝期以降「弘見郷」が成立したが、先行する「宇多弘見荘」との関連は不明。ただしいずれも姓氏由来ではない。いずれも平安時代~室町時代には「広見」ではなく「弘見」と行政文書に書かれており、「広見」と書かれるのは江戸時代以降。

これは私見ですが、鎌倉武士の多くの氏は地名由来ですし(熊谷、比企、足立)、基本的には姓氏由来の地名よりも、地名由来の姓氏の方が多いのではないでしょうか?
[116295] 2025年 11月 21日(金)16:04:07YT さん
2025年9月30日付の竹島の住民登録人口
[116283]グリグリさん
参加資格:26歳以下の方限定(メンバー以外も参加可能)。自称26歳以下の方もOK、ただし26歳以下に責任を持ってください。^^;

落書き帳が誕生した時、YTはある年齢でした。
落書き帳が26周年を迎えた時、YTはある年齢の倍の年齢になりました。
さて、YTの現在の年齢は何歳でしょう・・・などという問題は出題しません!

実は子供が旅人算とか流水算とかを習う時期になったらこの手の問題を出してやろうかななどと考えていたのですが、タブレット学習のiPadが勝手に親の誕生日に年齢を通知するので、すべてがおじゃんになりました!

とまあ前置きはともかくとして、以前[113882]で大韓民国慶尚北道公表の竹島の住民登録人口をまとめましたが、日本側の国勢調査の日時に近い、2025年9月30日の住民登録人口が本日公表されていましたので、以下に竹島を構成する女島、男島の住民登録人口をまとめます。面積は『新版 日本の島事典』(2022年)によります。

島名日本の行政区分2025年9月30日
慶尚北道公表
住民登録人口
面積
(km2)
女島(東島)島根県隠岐郡隠岐の島町530.071430
男島(西島)島根県隠岐郡隠岐の島町10.093978
[115625] 2025年 10月 8日(水)18:46:28【2】訂正年月日
【1】2025年 10月 8日(水)20:39:38
【2】2025年 10月 8日(水)21:30:01
YT さん
国勢調査の対象漏れ?
[115590] しまなみ さん

実は私も楽しみにしています。生きてる間に日本総人口が素数人口になる瞬間でも見れればいいな?と。

この文章を読んでドキっとしました。今までの自分の人生で、自分が何回国勢調査で日本国の人口としてカウントされて来たか、私はこれまで意識したことはありませんでした。気付けば私が経験した国勢調査はもう既に二桁回数を超えているではないですか…

ちょっとショックです。

ところでここでちょっとした簡単な問題です。別に当たったからといっても何もご褒美はありません。

私は7月生まれですが、自分には5歳年上の8月生まれの兄がいます(要は2人とも10月1日より誕生日は前)。年齢が離れた兄弟であるためか、自分が言うのもなんですがかなり兄弟仲の良い方で、毎年暮やお盆、連休なんかの際に会い、家族同士で遊んだりしております。今年も宮城県の栗駒岳の麓(先日熊に襲われて1人死亡、1人行方不明のニュースがあったところのごく近所)で法事があった際、一緒に旅行をしております。

というわけで私よりもほぼ5歳年上の兄は、国勢調査の人口にカウントされた回数は私よりも1回多いはずなのですが、実際に兄が国勢調査の人口にカウントされた回数は、なぜか私よりも1回少ないのです。別に国勢調査の報告に不正を行ったことはありませんし、兄は今なお健在です。その理由はなんでしょうか?

なお、自分に関していえば、本来なら10月1日付の推計人口にカウントされるべきではない事態が過去に2度ありましたが、特に私(あるいは私の両親)の方から届けの変更をしてなかったため、全ての推計人口でカウントされてしまっています。


国勢調査といえば、ちょっと気になっていることがあります。現在の国勢調査では、令和7年国勢調査の概要によると

本邦内に常住している者は、外国人を含めてすべて調査の対象とするが、次の者は調査から除外する。

●外国政府の外交使節団・領事機関の構成員(随員を含む。)及びその家族
●外国軍隊の軍人・軍属及びその家族

とのことで、とくに米軍基地関連の人口が含まれていません。実は国連のDemographic Yearbookの方の年央推計人口においても、日本の推計人口に関しては、

Excluding diplomatic personnel outside the country and foreign military and civilian personnel and their dependants stationed in the area.

と記述されており、国連による日本の推計人口には外交員や軍人・軍属とその家族は含まれていません。ところが同じUN Demographic Yearbookのアメリカ合衆国の推計人口に関しては

Excluding U.S. Armed Forces overseas and civilian U.S. citizens whose usual place of residence is outside the United States. Postcensal estimates.

と書かれており、海外に駐在している米国軍属は、米国の推計人口に含まれておりません。

ということは、日本国内の米軍基地の米国籍軍人・軍人家族の常住人口は世界人口のどこにカウントされているのでしょうか?

ちなみにUN Demographic Yearbookの場合、日本以外で外国籍の軍人を含まないとの脚注があるのは、英領ジブラルタルのみです。また海外の外交官の人員を推計人口に含めないとの脚注があるのは、日本以外では2018年までのカンボジアのみです。フランスに関しては、逆に

Excluding diplomatic personnel outside the country and including members of alien armed forces not living in military camps and foreign diplomatic personnel not living in embassies or consulates.

と記述されているので、これらを総合すると、むしろ日本国内の常住する外国の外交員や外国軍人・軍属の人口をカウントしない日本だけが浮いた存在です。日本の国勢調査は世界の中では信用が高い方とはされていますが、この辺の誤差はちゃんと他の国の統計に吸収されているのでしょうか?

【文章修正】この文章を書いている最中に、近しい分野の顔をよく知っている研究者がノーベル賞を受賞しましたが、もっと身近な研究者の方は残念ながらノーベル賞の選より漏れてしまいました。


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