[115579] 伊豆之国さん
どうやら現在「道の駅」がある辺りになるようで、
「道の駅 くにさき」が開業したのは2004年8月です。
(開く)国東半島で初、「道の駅」開業 県内で16カ所に /大分 (朝日新聞 2004年8月31日)
(閉じる)国東半島で初、「道の駅」開業 県内で16カ所に /大分 (朝日新聞 2004年8月31日)
国東町小原の国道213号沿いに、国東半島で初めての「道の駅」ができた。
「道の駅くにさき」で、宿泊設備のあるサイクリングターミナルと農産加工品直売所「夢咲茶屋」、水産物直販所兼レストラン「銀たちの郷」、特産品販売所「黒津之庄」の既存4施設周辺が「駅」となった。駐車場は49台分ある。照山俊一・国東町長は「低迷する地域経済の突破口に」と期待している。
国土交通省によると、道の駅は県内で16カ所になった。
しかしながら、サイクリングターミナル駐車場には2003年の段階で既に店が開業しております。
(開く)特産物販売の2施設が開店 国東町 /大分 (朝日新聞 2003年11月4日)
(閉じる)特産物販売の2施設が開店 国東町 /大分 (朝日新聞 2003年11月4日)
国東町小原の町サイクリングターミナル駐車場に1日、県漁協くにさき支店運営の水産物直販所「海鮮会館・銀たちの郷(さと)」と町商工会の特産物販売所「黒津之庄」が同時にオープンした。
恵まれた海や里の資源を生かして食事もできる施設を――と、2年がかりで建設。海鮮会館は鉄骨2階建てで、事業費1億円の8割以上は国や県、町の補助。レストランでは、国東沖の魚介類をふんだんに使った海鮮丼(800円)やタチウオ重(850円)に人気が集まった。黒津之庄は鉄骨平屋建てで、土産物中心。
町では隣接の農産加工物直売所「夢咲茶屋」を加え、24時間利用のトイレも整備して来夏には国土交通省の「道の駅」の登録を受けるという。
一方、大分空港ホテルの方はその2ヶ月前には存在しています。
(開く)●講演とシンポジウム「国東半島・宇佐の文化を世界文化遺産に (朝日新聞2003年9月25日)
(閉じる)●講演とシンポジウム「国東半島・宇佐の文化を世界文化遺産に (朝日新聞2003年9月25日)
28日日曜午後1時、国東町小原の大分空港ホテル。稲葉信子・東京文化財研究所企画情報研究室長が「世界文化遺産の現状と展望」をテーマに講演。シンポは飯沼賢司・別府大教授ら6人のパネリストが議論。主催は国東半島・宇佐の文化を守る会。問い合わせは国東町歴史体験学習館(電話0978・72・2677)。
さらに国会図書館デジタルコレクション収録の
「大分県農林水産研究センター水産試験場事業報告 平成19年度」の方によると、2007年7月23日 午後に大分空港ホテルで研究発表がなされており、少なくとも2007年7月までは大分空港ホテルは存在したことになります。よって大分空港ホテルと「道の駅くにさき」は別の場所と思われます。
さて、ネット上の
あなたの街の情報屋さんによると、大分空港ホテルが存在したのは道の駅の北側となっています。ただしそこの
GoogleMapのリンク先は、株式会社テオリックの工場となってしまっています。
【↑訂正:2011年7月28日のtwitter投稿として
観光ホテルを改装して工場に。超ミクロな部品の製作に長けている、テオリック。
なる文を発見しました。よって「あなたの街の情報屋さん」に残されていた位置情報は正しかったようです。テオリック自体、歴史の新しい会社のようで、
2011年11月の「武蔵テクノロジーセンター休止、設備、人員を本社に集約」に先立ち、本社を大分空港ホテルの跡地に移したようです】
ただ、Google Earthなどと比較すると、そのさらに北側の
現在更地となっているところに、大分空港ホテルがあったのではないでしょうか?
【↑訂正:ここは江藤酸素株式会社の敷地とされていますが、どうやら大分空港ホテルがあった場所は、ここのすぐ南側、道の駅のすぐ北側の、現在株式会社テオリックの本社がある場所のようです。】
なお「大分空港ホテル」で新聞のアーカイブを検索すると、なんか1989年11月7日に発生した日蓮正宗・寿福寺住職の誘拐事件で、身代金の受け渡しに指定されたホテルという、予想外の歴史が出て来ました。
(開く)住職誘拐、6億円要求 日蓮正宗総本山大石寺に脅迫電話 無事保護/大分・別府 (読売新聞 1989年11月9日)
(閉じる)住職誘拐、6億円要求 日蓮正宗総本山大石寺に脅迫電話 無事保護/大分・別府 (読売新聞 1989年11月9日)
◆2犯人を逮捕◆
大分県別府市緑丘町一組、日蓮正宗・寿福寺住職玉沢研済さん(60)が七日午後行方不明になり、同日夕から同寺や静岡県富士宮市の同宗総本山・大石寺などに、男の声で「住職をら致した。六億円を羽田から大分空港に運べ」などと身代金を要求する電話が計十三回かかった。大分県警は捜査本部を設置、要求通り現金を大分空港に運んだうえ、八日午後八時五十二分、空港から西へ約十キロの同県東国東郡安岐町の電話ボックスから出て来た不審な男を発見、犯行を認めたため、同夜身代金目的誘拐容疑で逮捕した。さらに自供から同町内でトラック内に押しこめられていた玉沢さんを無事保護、同乗していた男を逮捕した。二人のうち一人には約三千万円の借金があることがわかった。国内では戦後三番目の高額身代金要求で、航空機で現金運搬を指示した広域誘拐犯罪は初めて。
捕まったのは、同県武蔵町小城五七五の一、農業桝永康典(39)と同県安岐町吉松二二七一、会社代表川野健司(34)。桝永は創価学会員で玉沢さんとは顔見知り。
調べによると、二人は、六日午後、玉沢さん宅に電話で「杵築市北杵築の矢野伸一」と名乗って七日に「地鎮祭」を予約。七日午後二時半ごろ、一人が青色ピックアップトラックで迎えに行き、そのまま玉沢さんをら致した。
同日午後五時半、玉沢さん宅に「ブラックタイガーの組織のものだ。黙ってきけ」と最初の電話がかかり、妻、志保子さん(53)がいたずらと思って切ったところ、同六時には「命がないぞ」、七時半には「住職をら致していることはわかっているな。今から本山と連絡をとる」などと脅迫電話があった。
その一方、午後六時二十分ごろには大半の信徒が創価学会員の大石寺にも「ブラックタイガーというものだ。寿福寺住職をら致した。五億円用意しろ」と電話があり、その後身代金を六億円に増額した。
午後八時四十分には、「八日午後四時四十分、羽田発大分行き全日空便に六億円を持って乗り、大分の到着ロビーで待て。運ぶ人は創価学会副会長と本部勤務の部長クラスの女で運転できる者」と受け渡しを指示。
さらに八日午後一時過ぎから三回にわたって身代金を全日空便で運ぶよう脅迫してきた。このため、大石寺側は金融機関から六億円を調達、
創価学会の竹入央迪(ながみち)副会長(51)と警視庁捜査一課の篠原みどり巡査長(33)がジュラルミンケース三個に詰めた現金を持ち全日空機に乗り込み、五時五十五分、大分空港に着いた。
桝永らはこの直後に受付カウンターに電話して竹入さんらを呼び出し、空港近くのホテルの広告看板の下に置いた袋に現金を詰めかえるよう指示。その後、大分空港ホテルにチェックインした竹入さんらに電話をかけてきたことなどで行動範囲が絞られた。
調べに対し、桝永は「農協などに約三千万円の借金があり、そのうち九百万円の返済を迫られていた。創価学会ならいまは金が余っていると思った」、川野は「六日に桝永から五千万円くらいの金が入る仕事がある。ある人を迎えに行ってもらうだけでいい。二千万円くらいやると誘われた」と供述。借金返済に困った桝永が川野を誘い込んだとみている。
無事保護された玉沢さんは、発見された時、法衣姿。トラックの後部座席で口を粘着テープでふさがれており、病院に運ばれた。手首にすり傷がある程度だったが、血圧が高まっているため入院した。
(関連記事社会面に)
[おことわり]読売新聞社は玉沢研済さんの生命の安全を第一に考え、事件発生以来、報道を差し控えてきました。玉沢さんが無事に保護され、犯人も逮捕されたので報道することにしました。
そんな大分空港ホテルですが、親会社は
複数のゴルフ場を経営する大洋株式会社だったようです。そう、これもバブル崩壊が関わっています。大洋株式会社は、後に「大洋緑化」と名前を変えていますが、あのジャンボ尾崎とも関連する訴訟に連帯保証人として名前が登場します。
(開く)ジャンボ尾崎氏に支払い命令 経営するゴルフ会社、借金8億円 (朝日新聞 2002年7月31日)
(閉じる)ジャンボ尾崎氏に支払い命令 経営するゴルフ会社、借金8億円 (朝日新聞 2002年7月31日)
プロゴルファーの尾崎将司氏が経営する会社の借金をめぐり、「世紀東急工業」(東京都港区)が尾崎氏らに8億円余の支払いを求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。尾崎氏らは口頭弁論に出席せず、反論もしなかったため、金沢秀樹裁判官は請求通りの支払いを命じた。
訴えられたのは、尾崎氏のほか、ゴルフ場経営会社「大洋緑化」(東京都港区)と、尾崎氏が社長を務める「ザ・ジャンボ尾崎ゴルフクラブ」(同区)。このうち大洋緑化は事実関係を争い、訴訟が続いている。
判決などによると、ジャンボ尾崎ゴルフクラブは千葉県にゴルフスクールとゴルフ場を開設する予定で、91年に金融機関から約8億円を借り入れた。世紀東急工業が金融機関に債務保証し、同社に対しては尾崎氏個人と大洋緑化が連帯保証していた。しかし、弁済期の昨年末になっても返済されなかった。
<尾崎将司氏の話> 事業を企画した者として関係者に申し訳ないことをした。残された債務については誠実に対応したい。
そして2004年2月10日に、大洋緑化は会社更生法申請を行います。
(開く) 大洋緑化が会社更生法申請 ゴルフ場営業は継続 (朝日新聞 2004年2月10日)
(閉じる) 大洋緑化が会社更生法申請 ゴルフ場営業は継続 (朝日新聞 2004年2月10日)
関東一円などでゴルフ場を経営する「大洋緑化」(東京都港区)が10日、会社更生法の適用を東京地裁に申請し、財産の保全管理命令を受けた。同社の負債総額は1100億円。グループ17社の負債総額は1800億円。保全管理人には清水建夫弁護士が選ばれた。ゴルフ場の営業は継続する。
国内に14コース、海外に4コースを経営し、3万5千人に及ぶ会員をもつ国内有数のゴルフ場経営グループ。バブル経済崩壊後に売り上げが低下したという。
同社は、プロゴルファーの尾崎将司氏の経営する会社の借金を連帯保証していたため、土木会社から債務の履行を求めて訴えられ、東京地裁で裁判が継続している。
これに対し、アメリカの「ローンスター」という投資ファンドが大洋緑化を買収し、大洋緑化が所有していた14のゴルフ場の存続は決定しますが、同じ大洋グループに所属していた大分空港ホテルについての情報は出て来ません。
なお「ローンスター」の子会社として「ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ」というのがあるのですが、これは自分が昔よく使っていたビジネスホテルの「チサンホテル」が2002年に会社更生法申請した際に「ローンスター」が買収し、それを母体としてローンスターが子会社化したもののようです。ただ2008年5月14日に、ソラーレホテルズが大分県内に新たに2軒のホテルを開発し「大分県へ初進出」とプレスリリースを出しているので、じゃあ、2004年に買収された大洋緑化の大分空港ホテルはどうなったのでしょう?
(開く)ソラーレホテルズ、大分市・別府市などにロードサイド型ホテル「チサン イン」を建設 (日経新聞, 2008年5月14日)
(閉じる)ソラーレホテルズ、大分市・別府市などにロードサイド型ホテル「チサン イン」を建設 (日経新聞, 2008年5月14日)
ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:A.G. ヴィリリ、 http://www.solarehotels.com)は、本年夏より、大分県大分市および別府市、香川県高松市、北海道函館市において、ロードサイド型ホテル「チサン イン」の建設をそれぞれ開始します。大分県での開発は当社としては初めてとなります。
「チサン イン 別府」は、大分自動車道・別府インターチェンジから約400m、別府湾が一望できる眺望の良い高台に誕生します。温泉地として名高い別府市は年間約1,176万人(2006年度)の観光客を有しており、近隣にはレジャー施設が多く点在しています。また、同エリア周辺には、西日本最大級のコンベンションホールで、県外からも多数の集客を誇る「ビーコンプラザ」、さらには豊富な温泉を利用したリハビリテーション施設や療養型病院が多く、観光レジャーおよびビジネス利用に加え、病院施設関係者の需要も見込んでいます。
とりあえず、2004年に大分空港ホテルの経営母体である「大洋緑化」が倒産しかけたところを「ローンスター」が買収し、少なくとも2007年までは大分空港ホテルは存続していたようです。ただし2008年に「ローンスター」側が大分県にチサン インの初進出などと言っているので、おそらく2008年頃までには大分空港ホテルは閉鎖されたのではないでしょうか?【追記:テオリックに関するtwitter投稿により、閉鎖時期は2007年7月~2011年7月の間ということになりました】閉鎖された時期がはっきりわからないのは、大分空港ホテルが最終的に外資系になってしまったので、外に向かって宣伝する必要もないと考えられたのではないでしょうか?
【追記】
新宮荘の方は1964年4月1日に石川県羽咋郡志雄町の町営の施設として営業を始めた公的な国民宿舎で、1994年1月25日廃業のようです。
1974年出版の
石川県志雄町史の方では、「国民宿舎を作って観光客が増えました」的なことしか書かれておりませんが、廃業の経緯についてははっきりは分かりません・・・・が、
ホテル旅館 : hotel ryokan management 37 (4) (2000年)の方で、国民宿舎が時代のニーズから取り残され、一部は廃業に至った的な内容の実例として間接的に「新宮荘」が挙げられています。こちらの雑誌は国会図書館に行かないと読めませんが、検索ワードからの文章を再構築すると以下のような文章になります。
能登とぎ荘は73年開業。地上2階地下1階建てで、大広間と客室28室を備える。富来湾が一望できる高台にあって、安価で手軽な宿泊施設として人気を呼び、当初は年間1万5000人の宿泊客があった。しかし、86年度1万585人、同87年度1万1101人、88年度1万1079人と宿泊者数は減り続け、98年度は約8000人まで落ち込んでいた。開業からこれまでの利用総数は約35万人。建設以来27年が過ぎ、建物の老朽化が進むと同間取りなどが、少人数を主とする現代の旅行ニーズに合わなくなってきたことから、能登には現在9ヵ所の国民宿舎があるが、いずれも経営は苦しい状態。なかにはリニューアルするところもあるが大半は経費を極力抑え、施設改修への設備投資を控えている。 94 年に志雄町の国民宿舎新宮荘が閉鎖している。とぎ荘の跡地利用については検討中だが、同町では新たな宿泊施設の建設を計画している。
こちらは老朽化と客足が遠のいたことによる廃業で、あくまでも公的な町営旅館ですし、スキャンダルはないと思います。新聞には全く引っかかりません。