[116429][116471] しおらぁめんさん
[116449] 菊人形さん
[116461] 海辺を飛ぶ鳥 さん
[116462] 伊豆之国 さん
[116464] メークイン さん
[116481] MasAka さん
[110405]でも過去の私の居住歴を紹介しましたが、私は人生の大部分を川崎市麻生区(麻生区成立前は多摩区の一部)で過ごしてきた人間ですので、遅ればせながらこちらの話題に反応することにします。
[116461] 海辺を飛ぶ鳥 さん
僕自身は生まれた時にはモノレールが廃止された後だったのですが、
[116471] しおらぁめん さん
「向ケ丘遊園」というところは2002年に閉園していたんですか?初めて知りました…
正直この辺の書き込みで衝撃を受けました!そうですよね・・・向ヶ丘遊園が閉園してからもう20年以上経ってるから、その後に生まれた人がいてもおかしくないですよね。向ヶ丘遊園は小田急が経営母体なので、向ヶ丘遊園が閉園すると聞いた時には自分はまさかとショックを受けました。
自分が小学校に入る前、5歳までに何度か自宅に近い向ヶ丘遊園に遊びに行ったのですが、どういうわけか遊園地の中で何を楽しんだのか、まったく記憶に残っていません。ただはっきり記憶に残っているのが、向ヶ丘遊園から向ヶ丘遊園正門までのモノレールからの街並みの景色です。別に私は鉄成分はそんなに濃くはないのですが(兄はNゲージにハマっていたが、自分は駅名を少々覚えるレベル程度)、遊園地内の遊具の記録よりもモノレールからの街並みの記憶ばっかり残っているのは、まあ地理好きの素養が当時からあったからでしょうか?
また当時の自宅のより近くにはよみうりランドがあり、こちらも小学校に入る前に何度か行った記憶があるのですが・・・どういうわけかこちらも、遊園地の外側を走っているモノレールに乗った記憶と水族館の暗闇が怖かった記憶(多分3歳の頃と思われる)しか残っていません。ただ5歳の時に「もう一度モノレールに乗りたい!」と思っていたら、いつの間にかモノレールが廃止されてゴーカート?みたいなものになっていて、ショックを覚えた記憶もあります。
小学校に入ってからは学校行事で毎年よみうりランドのスケート場に行きました。このスケート場は、夏にはプールになっていましたが、いつの間にかスケート場の経営は終了してしましました。一方向ヶ丘遊園の方も、小学校の行事で何度か園内に行きました。さすがに小学校に入ってからの記憶はバッチリ残っていますが、学校の行事ではモノレールには乗らず、小学生は全員駅から遊園地まで歩かされ、ガッカリしました。中学以降、しばらく遊園地とは無縁でしたが、大学生になってから一度、友人と一緒に向ヶ丘遊園のスケート場に行ったことがあります。この時自分は久々にモノレールに乗りたいと言いましたが、友人たちからは「歩くに決まっているだろ」と相手にされず、結局モノレールには乗りませんでした。運転免許を取ったのは多摩川を挟んだ狛江市内の教習所でしたが、路上演習で多摩川を渡り、モノレールの下の地形をよく走りましたが、その時も「モノレールに久々に乗ってみたいな・・・」と思いつつ結局20年以上乗らぬまま過ごしました。そしてある日突然、向ヶ丘遊園モノレール線は廃止されてしまいました。
原因は向ヶ丘遊園モノレール線が採用していた、ロッキード式といわれる特殊なモノレールの規格にありました。ロッキード社がモノレール事業から撤退してしまったことにより、向ヶ丘遊園モノレール線は完全なメンテナンスができなくなってしまったのです。そのような中車両に亀裂が見つかり、運行が再開されることなく廃止になってしまったのです。当時は大学院生で忙しい時期でしたが、乗れる時に乗っておけば良かったと後悔しました。私の頭に残っているモノレールからの窓の外の風景は、結局5歳の時からアップデートされませんでした。
それでもまさか小田急が向ヶ丘遊園を廃園にするとは想像していませんでした。日本の遊園地はディズニーランドが出来てから来客が減り、各地での廃止に繋がったと言われております。しかしながら私なんぞはディズニーランドが出来たころには、「ディズニーランドのような幼稚な所なんかよりも科学博物館や恐竜展の方が知識欲を満たせるし絶対楽しい!」などと主張するイヤな小学生に成長し、現在に至るまで一度もディズニーランドには行ったことがありませんし、ディズニーの影響力の強さを実感しておりませんでした。向ヶ丘遊園の場合は、確か90年代後半には怪獣ブースカのPRが成功して一時期入園者数が回復したみたいなニュースを見た記憶はあるのですが、まあモノレールの廃止が向ヶ丘遊園の廃園の直接的な決定打だと思います。
それにしても小田急は旧称である「稲田登戸」を復活させず、なぜ「向ヶ丘遊園」という駅名を維持しているのでしょう?そういえば駅の南側の山には「稲田登戸病院」という総合病院がありましたが、この病院も地権者の拒否で廃止され更地になり、現在ではマンションになっています。向ヶ丘遊園の南側にはかつてダイエーがあり、そこが地域のショッピングの中心でしたが、新百合ヶ丘の開発が進んでからは大分寂れたと聞いております。駅の北側は、学生街なので飲み屋はそこそこありますが、市役所・図書館までの道が狭くて危なかった記憶はあります。なんか町の周辺はパチンコ屋だけは充実していたような?ここ10年間は向ヶ丘遊園で降りていないので町の様子の変化を把握しておりませんが、向ヶ丘遊園~登戸までは大規模な再開発で町の風景が様変わりし、今はどうなっているのでしょう?
なお私は現在では稲城市の住民となり、よみうりランドのゴンドラが見える場所に住んでおります。よみうりランドも経営母体がいくら読売新聞社とはいえ、新聞社は鉄道会社以上に衰退しつつある産業です。よみうりランドについては、最近は観覧車の建て替えや、野球練習場の拡大、水族館の新設など、割と景気の良い話が続いてはいるのですが、数年前にはコロナで経営に大打撃を受けてはいるはずであり、突然廃園になる将来もあるかも知れません。
[116464] メークイン さん
たまに小田急線に乗っていると、向ケ丘遊園駅のところにモノレールが走っているのを気づく程度でした。
私が初めて行ったのは、2018年の文化の日の祝日に、川崎市立日本民家園が無料で入れるから行ってみたという感じです。
ついでに同じく生田緑地にあるバラ園と、枡形山展望台(都心方面の展望もあります)に行った感じです。
向ヶ丘遊園が現役だった頃は、登戸駅から遊園地のジェットコースターの全貌を見ることができました。登戸駅乗換で待っている間、駅からジェットコースターの動きを見るのが楽しみでした。
また川崎市内の小学生だった頃、生田緑地の民家園やプラネタリウム、あるいは枡形山展望台にも学校の行事で何度も行きました。現在岡本太郎美術館が立っている辺りは、かつて大雨が降った時の斜面崩落実験を行った際、大量に生き埋めになって死者を出すという大事故が起こったところであり、そこも小学生の学習の対象でした。さすがに七三一部隊については小学生では習いませんが、明治大学生田キャンパスにかつて登戸研究所があったことについては親や兄から聞かされました。
生田緑地のプラネタリウムは少々狭いのが残念ですが、プログラムの内容はなかなか充実していて、少なくとも池袋や押上にある、雰囲気ばっかりのプラネタリウムよりかは学習にお勧めです。
なお私と藤子・F・不二雄ミュージアムとの悲しい経緯については
[115507]に言及した通りです。
【訂正】岡田太郎→岡本太郎
岡田太郎って誰だよ・・・