[99336] むっくん さん
山形県東置賜郡高畠町に関する件ですが、数年前に山形県庁内にある行政情報センターで確認した明治28年12月12日山形県告示第262号は
東置賜郡高畑村ヲ高畑町ト改稱ス
同郡赤湯村ヲ赤湯町ト改稱ス
であって、市制町村制施行時から「高畠」ではなく「高畑」であったのです。
そして
郡市町村廃置分合一覧表には明治三十八年九月二十五日許可で、高畑町から高畠町へ改められたとありますが、一方で『高畠町史』下巻p678には次のように記述されています。
(八)高畑町を高畠町と改称
現高畠町地域の当時の町村は、高畑町・二井宿村・屋代村・亀岡村・糠野目村の一町五か村であったが、そのうちの高畑町は地域的にも歴史的にも行政的にも名実ともに実績をもち、ここに明治三八年一月を迎えた。そして種々の論議のなかに、同年一月十三日を期して高畑町より高畠町への改称を県より認証されるのである。その改称の要因については、本章第五節 補筆・特筆の第一項「行政地名検証-高畑と高畠」を、くれぐれも熟読玩味して、歴史の真実を、固有行政地名の重大性を体得されたいのである。
その詳細については同書を参照していただきたいと思いますが(国会図書館デジタルコレクションの
図書館送信資料にあります)、上述の1905(明治38)年1月13日が「高畠町」の成立日であるとされていますので、
1889(M22).4.1で高畑村
1895(M28).12.12に高畑村を町制施行して高畑町
1905(M38).1.13に高畑町から高畠町へ改称
が正当であると思われます。