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菊人形さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[92066]2016年12月8日
菊人形
[92048]2016年12月6日
菊人形
[91960]2016年11月19日
菊人形
[91900]2016年11月3日
菊人形
[91834]2016年10月24日
菊人形

[92066] 2016年 12月 8日(木)00:07:58【3】菊人形 さん
Re:菊人形さんへの質問
[92049] 白桃さん
○○市の旧△△村にはそういうものが全くないよ、というのをご存知であれば是非ご教示ください。


訪問した時期がバラバラなので、訪問後に“統合”などで廃止された所もあるでしょうけど、私が知り得るものは以下となります。

◇ 秋田県八峰町  (八森町/峰浜村)
ここはどちらの支所が無くなったのか、扱いが難しいです。
“旧”峰浜村役場庁舎は、合併して八峰町になってから半年後の2006年10月に火災で焼失し、今年7月に再訪した際も門柱は残っていますが跡地は空き地のままでした。近くのJR沢目駅付近に集落はありますが、「峰浜支所」らしきものは確認できません。
また、“旧”八森町役場庁舎も当初は八峰町役場として使われていましたが、2009年に峰浜村と八森町の中間付近(住所から“旧”峰浜村内)に新庁舎が建ちましたその後、時期は不明ですが“旧”八森町役場も解体され、現在は空き地になっています。JR八森駅付近にも「八森支所」らしきものはありませんでした。
なので、合併した両町村の中間に新庁舎を建てて集約したようです。

■ 茨城県潮来市  (牛堀町)
 私が訪問した2005年には“旧”牛堀町役場庁舎を「牛堀出張所」として使用していたのですが、2009年3月で閉所となったようです。窓口業務は1kmほど離れた「かすみ保健福祉センター」に移転しています。

◇ 静岡県富士市  (富士川町)
 “旧”富士川町役場は解体され、跡地に「富士川まちづくりセンター」が建っています。ここで住民票などが取れるようなので、支所扱いになりますかね。ちなみ、富士市内には26か所の「地区まちづくりセンター」があるようです。
 なお、富士川町の編入によって富士市は一つの市なのに、富士川を境にして電気の周波数が50Hz/60Hzと違うことになりました。目に見えるものではないですけど。

■ 三重県紀宝町  (紀宝町)
 2006年に鵜殿村と合併して新たな紀宝町となり、“新”紀宝町役場は“旧”鵜殿村役場庁舎となりました。“旧”紀宝町役場庁舎は「分庁舎」となりなしたが、2008年に業務を終了しています。

■ 兵庫県西脇市  (黒田庄町)
 西脇市との合弁後に、“旧”黒田庄町内に支所は設置されなかったようです。

■ 和歌山県橋本市 (高野口町)
 合併後しばらくはあったようですが、その後閉庁されたようです。“旧”町役場庁舎は解体済みで駐車場になっています。隣の公民館内に、住民票などの自動交付機があったと記憶しています。

■ 和歌山県みなべ町  (南部川村)
 “旧”南部川村役場庁舎は解体済み。近くに支所らしきものはありません。

◇ 岡山県真庭市  (八束村)
 合併して真庭市になった他の町村には支局や出張所があるのですが、八束村にはありません。その代り、“旧”八束村内には「蒜山地域局」ができています。なので、ここは除外になるかと思います。

■ 広島県世羅町  (世羅町)
 ここは有名ですが、新しい世羅町の役場庁舎は“旧”甲山町役場庁舎を使用しています。あまりに近過ぎる“旧”世羅町役場庁舎は解体され、跡地は幼稚園になっています。

■ 佐賀県白石町  (福富町/有明町)
 新制白石町となりましたが、“旧”福富町内に「福富支所」らしきものはありません。また、旧有明町役場庁舎は現存していますが、「白石町交流館」に転用されています。この近所にも「有明支所」らしきものはありません。白石町のホームページにもありませんでした。

以上ですが、また発見したら書き込みます。

★おまけ★
静岡県由比町は合併して静岡市になりましたが、“旧”由比町役場は「静岡市清水区役所蒲原支所由比支所」と何やら不思議な名称になっています。

★追伸★
[92055] hmtさん
私が最も感動したこと。
それは30年前の「陸の孤島」時代に 酷い船酔いに苦しめられながらも訪れた高校生が 落書き帳メンバーとして活躍しており、しかも3年前にも国道231号で 再訪を果していることでした。


感動していただき、ありがとうございます(笑)。
ただ悲しいかな、当時撮ったはずの写真も見当たらず、脳内にかすかな記憶しか残っていないのがとても残念です。
なので何か残っていないか、正月休みに実家の天井裏を捜索することを決心した次第です!

訂正1、2:富士市の記述を訂正
訂正3:橋本市/みなべ町の記述を訂正
[92048] 2016年 12月 6日(火)00:05:03菊人形 さん
雄冬
[92042] MasAkaさん
雄冬(おふゆ):石狩市浜益区雄冬/増毛郡増毛町雄冬


MasAkaさんの書き込みを見て改めてGoogleマップで見ると、雄冬の南側一部は石狩市(旧:浜益村)なんですね。ストリートビューで「ここから“増毛町”」と「ここから“石狩市浜益区”」の案内板が確認できます。案内板がずれているのでどこが境界か判りにくいですが、推測だと石狩市側には工場らしきものはありますが、民家は無いみたいです。

[91960] 菊人形
最後の方で「30年前に船で雄冬に行った」と書きました。当時高校生であった私は、北海道ワイド周遊券とユースホステルを使って、20日の周遊券期限をフルに使った道内旅行を2回しました。インターネットが無い時代で、どこで聞いたか覚えていないのですが、「陸の孤島、雄冬」という場所を知りました。手元にある昭和47年のJTB時刻表には載っていませんが、昭和58年頃の時刻表では航路で繋がった雄冬が載っていたように記憶もあるのですが…。
増毛から日帰りで雄冬に行ったは3月でした。冬の日本海を漁船のような定期船で渡りましたので、酷く船酔いしたことだけが記憶に残り、雄冬の印象は「何もなく静かな港町」ということぐらいしか覚えていません。

それから時が経ち、3年前の夏に国道231号を留萌から石狩に向けてレンタカーで走りました。増毛を過ぎて「よくぞこんな所に道路を通したものだ」と思いながらハンドルを握り、僅か20分ほどで雄冬に着きました。明るい晴天で、30年前に「船でようやく辿り着いた寒くて暗い雄冬」という印象はなく、北海道ならどこにでもありそうな静かな漁村でした。しかしここから先の雄冬から石狩市に向かう道中は長いトンネルが続き、かなり厳しい地形であることが容易に判ります。ここを陸路で抜けるとしたらどれだけ迂回しなければならないか見当もつきません。

そんな雄冬が増毛町と浜益村(当時)に跨っていたことを初めて知りました。境界線は人間が決めたもので、何らか理由があって一部が浜益村になったのでしょうが、境界が決まった頃に雄冬と浜益村中心部と陸路で繋ぐのは無理だったでしょう。となると移動は船だけなので、漁業の関係で漁船の避難地や繁忙期の番屋などで、浜益側の住民が使っていたとかなのでしょうか。
[91960] 2016年 11月 19日(土)00:26:41【1】菊人形 さん
たまには鉄の話を
9月の杖立オフ会で何名かの方に「11月に行く予定」と話したのですが、先日予定通りに廃止まで1ヶ月を切った留萌本線の一部区間、「留萌-増毛」間のさよなら乗車をしてきました。YASUさんをはじめとしていくつかアドバイスをいただいたので、気合を込めて行ってきました(笑)。

行く数日前に、11月としては珍しいほどの大雪となり、運行への影響も心配しましたが、無事に廃止予定区間を3往復(も!)することができました。
これから乗りに行く方が居るかもしれないので、状況報告などを。

■事前準備
出発前の事前学習として、家で時刻表を見ながら行程を確認。当初は留萌12時17分発に乗って増毛まで1往復できれば良いと考えていたのですが、オフ会で『混雑するかも』との助言がありました。なので、留萌に宿泊して空いているであろう朝1番(6時50分発)で増毛まで往復して、朝一で『さよなら乗車』することにしました。これで昼の列車が大混雑で乗れなくても大丈夫です。頑張れば留萌14時21分発で増毛をもう1往復してから旭川に戻っても、羽田行の最終便に間に合ったのですが、せっかくなので早めに移動し、旭川で飲むことにしました。あとは、乗車券の運賃などを確認。旭川-増毛間は僅かに100Kmに足りません。留萌に行った翌日に増毛に行くので、往路は旭川から留萌までと留萌-増毛の2枚に分けて、復路は増毛から旭川まで1枚を行きの旭川駅でまとめて買うことにしました。

■行ってから判ったお得な情報
当日、予定通り旭川駅みどりの窓口で3枚の切符を購入したのですが、隣のおじさんが「12月4日の留萌本線フリーパス」らしきものを買っています。「何だ?それは!?」と貼られている案内を探すと、留萌本線フリーパス(2600円)が販売られていることを知りました。11月1日から12月4日の最終日まで販売されている、深川ー増毛間の1日フリー乗車券です。私は「今日は留萌までで、明日頑張っても廃止予定区間は2往復しかできないから、料金はそんなに変わらないや」と思っていたのですが、結果として3往復できたので、フリーパスを使った方が、600円安くできたことになります。実際、このフリーパスを使っている方は多かったです。

気を取り直して改札口へ。すると今度は違う貼り紙を発見!ここには留萌線の臨時列車のお知らせが!。なんと廃止予定の12月4日までの土日祝(11/23~12/4は毎日)に旭川ー増毛ー留萌ー増毛ー旭川のルートで臨時列車が走るとのこと。臨時列車のおかげで定期列車と組み合わせて、廃止予定区間を3往復できました。同じ日程で頑張れば5往復出来たのですが、上述の通り飲み時間を確保するためにやめました。臨時列車は途中駅ノンストップでしたが、定期列車よりも臨時列車の方が空いていました。なお臨時列車は二両編成でしたが、11/23から最終日までは三両編成になるようです。増毛駅のホームの長さで足りるのだろうか・・・。

行く方であれば知っているとは思いますが、フリーパスと臨時列車のリリースはこちら

■一日目
この日は留萌まで移動。午後の便で旭川空港まで飛び、連絡バスで旭川駅へ。
旭川駅は新しく立派な駅に生まれ変わっていて、隣にAEONモールが併設されています。次の列車まで1時間ほどあったので、AEON内を一巡り。開店したばかりのようで人が多く賑わっていましたが、大部分が車での来店なのでしょうね。
普通電車で深川まで行き、キハ54単行の増毛行きに乗り換えます。深川出発時の乗客は20人ほど。秩父別と石狩沼田で降車がありましたが、他の駅では乗降無し。10名の乗客を乗せて留萌へ向かいます。19時過ぎにすっかり暗くなった留萌に到着。私を降ろしたキハ54は、すぐに増毛に向かって出発して行きました。
駅からは雪道を10分程歩いて宿泊先のホテルへチェックイン。着いてすぐにネットで調べた近所の居酒屋へ行って痛飲。(←ここは値段良し、味良し、サービス良しで大当たりのお店でした!)
10時過ぎにホテルに戻り、翌日に備えて早めに就寝。

■二日目
<1往復目>
6時に起床。外は雨。6時半前にホテルを出て歩いて留萌駅へ。6時50分の増毛行きに乗車します。キハ54の単行に乗客は15名ほど。瀬越で2名乗車し、後は終点まで乗降無し。途中で徐行区間があり、少し遅れて増毛に到着。写真を撮って折り返し7時35分発で留萌へ帰ります。最後部でスピードメーターを見ていると、この区間での最高速度は65Kmでした。8時過ぎに留萌に戻り、コンビニで朝食を仕入れて一旦ホテルに戻って休憩。

<2往復目>
10時にチェックアウトして、再び留萌駅へ。増毛駅の硬券入場券などを買って10時43分の臨時列車で再び増毛へ。臨時列車はキハ40の二両編成。銀色のキハ54より、キハ40の方が個人的には好きですね~。
車内はボックスシートに丁度一人ずつ座っている程度。なので、最前部のロングシートに座りました。この列車は増毛までノンストップ。途中で徐行運転があって、数分遅れで増毛着。増毛駅では応援のJRの方が切符を回収していました。切符に無効スタンプ押してもらい、記念にもらいました。
駅付近を15分ほどウロウロして同じキハ40で留萌に戻ります。この列車では途中で車掌による検札がありました。なので、端末機で乗車券を買いました。これも留萌到着後に無効印を押して記念に持ち帰ります。11時40分過ぎに留萌に戻り、駅前のラーメン屋で昼食と+ビール。

<3往復目>
12時17分の定期列車で3度目の増毛へ向かいます。深川からキハ54三両で留萌に来て、前二両が増毛行き、後ろ一両は深川に戻る運用です。二両共に座席はびっしり満席。ただし通路には余裕があったので、増毛までドア脇に立って外を見て過ごしました。やはり少し遅れて増毛駅に到着です。
増毛駅では折り返し列車に乗るお客さんが長い列を作って待っていました。増毛駅に着くと、お客さんが全員降りたのを確認して一旦ドアを閉め、その後乗車となる運用が徹底されています。荷物を置いたままにして席を確保する方がいるなどのトラブルがあったのでしょうね。

臨時列車が無ければ、この折り返し列車で旭川に向かうところでしたが、臨時列車のおかげで1時間ほど増毛でフリーな時間が取れました。雨が降っていましたが、最北の酒造所(国稀)や、駅近くの増毛町役場などブラブラできました。駅に戻り待合室で売っていた甘海老汁(100円)をいただきます。これは美味しかったですが、人気があるので、折り返し時間で買うのは競争に勝つ必要があります。

いよいよ私としては最後の列車となる13時53分発臨時列車になります。当然キハ40二両です。最後にキハ40に乗れてお別れできるのも、臨時列車のおかげです。ボックスシート席争いで負けて(ほとんど一人利用ですが)、ロングシート着席となりました。最後の増毛ー留萌間は、増毛のスーパーで仕入れたビールを飲みながら過ごしました。留萌駅で交換した14時21分発の増毛行きは、混雑していました。

この臨時便列車は旭川まで直行します。途中停車駅は深川駅のみで、往年の急行「るもい」号のようです。深川に向かう途中で晴れてきて、虹がキレイに見えました。旭川に着くとリサーチしておいた居酒屋で飲み、旭川空港発20時の便で帰京しました。

■おまけ
先ほどもテレビで報道していましたが、JR北海道は赤字路線の大幅見直しを発表したようで、留萌本線の深川-留萌間も廃止の予定とのこと。予定通り廃止されていったとした場合の北海道の鉄道路線網を想像すると、なんだか気が重くなります。30年以上前に「北海道ワイド周遊券」を使って20日間フルで道内を回ったことがとても懐かしく思えます。

■おまけ2
私が最初に増毛に行った時は、更に漁船のような定期船に乗り換え、揺れでひどく酔いながら、当時道路が通じていなかった雄冬に向かったのでした。なので、当時の増毛の記憶があまり無いのです。
[91900] 2016年 11月 3日(木)15:54:28【1】菊人形 さん
新庁舎情報(2016年)
[91847]グリグリさん
他にも未対応の庁舎移動データがありましたらお知らせください。


まだ未訪問の所ばかりで、ほとんどがインターネットからの情報とはなりますが、今年(2016年)新しくなった市区町村庁舎は以下の通りです。
この中で訪問したのは、秋田市・潟上市・稲敷市の3か所しかないので、抜けや誤りがありましたら是非教えてください。

移転月市区町村新庁舎位置 (旧庁舎との位置関係)
1月埼玉県比企郡川島町平成の森公園脇 (北へ約1Km)
1月神奈川県茅ケ崎市隣接
3月山梨県南巨摩郡早川町隣接
3月沖縄県島尻郡座間味村建替
4月福島県西白河郡泉崎村県道75沿い (東へ約500m)
5月※秋田県秋田市隣接
5月※秋田県潟上市県道56近く (南東へ約2.5Km)
5月栃木県下野市国道4沿い (北へ約1Km)
5月※茨城県稲敷市県道231沿い (北西へ約2Km)
5月岐阜県本巣郡北方町近隣地(南西へ約100m)
6月千葉県浦安市隣接
7月兵庫県朝来市隣接
9月福島県石川郡石川町R118沿い (北へ約1Km)
10月福島県相馬市近隣地 (国道115対面)
10月富山県射水市大島中央公園脇 (北西へ約1Km)
10月大阪府守口市国道1沿い (南西へ約200m)
11月北海道札幌市白石区地下鉄東西線白石駅直結 (西へ約500m)

この中で旧庁舎から2Km以上離れた新庁舎になった自治体は、潟上市と稲敷市です。
また1kmほど離れたのは、川島町・下野市・石川町・射水市のようです。

2015年以前に移転した庁舎で、位置が大きく変わった自治体があるかは引き続き確認してみます。

【訂正1】 大阪府守口市を追加
[91834] 2016年 10月 24日(月)22:50:05菊人形 さん
松江市と稲敷市の繋がり
先々週の土日で出雲・松江・安来に行ってきました。3年前の第10回オフ会でも松江に泊まったのですが、その時は岡山空港から松江への行き帰りを使った『役場めぐり』がメインでした。なので、松江城は城の内部に入らず外から見ただけで出雲大社にも寄れませんでした。

今回は出雲大社や、たまたま松江祭鼕行列と重なった賑やかな日に松江城、松江歴史館をゆっくり訪問できました。未乗だった一畑電鉄にも全線乗車することができました。この日は踏切事故が発生し、大社から松江へは川跡駅から先がバス代行になるとのこと。「せっかく来たのに全線乗れないや…」と諦めてたのですが、川跡駅に着いたら「このまま松江まで運転する」との案内が入り、無事“電車で”松江しんじ湖温泉駅まで運んでくれました。

泊まりは宿泊未経験市の安来にしました。あまり知らなかったのですが、港や宿場町として栄えたようで、古い建物も残り、散歩するには気持ち良い町でした。あと、安来市役所は現庁舎の隣に新庁舎を建設中です。来年(2017)の5月に完成する予定だそうです。いつか再び来ないといけなくなりました(笑)。

しかし、この訪問の数日後に、鳥取で大きな地震が発生するとは…。安来辺りも大きく揺れたのでしょうね。

島根に行った翌週の日曜日(昨日)は新しくなった土浦市役所と稲敷市役所を日帰りで訪問しました。
土浦市役所は駅前の元商業施設を改修した庁舎に、稲敷市役所は江戸崎の街から車で5分ほどの周囲に何も無い寂しい所に新庁舎が建てられていました。
新庁舎ができるまで使われていた旧江戸崎町役場庁舎は、11月末までの予定で解体作業の真っ最中でした。

新庁舎めぐりのついでに、つくば市の「谷田部郷土資料館」・「土浦市立博物館」・「稲敷市立歴史民俗資料館」にも寄りました。いずれも規模は大きくありませんが、展示物が整理されていて見やすかったです。土浦市立博物館は有料(105円)で、他の2ヶ所は無料でした。

この日最後に寄った「稲敷市立歴史民俗資料館」は、平成6年に「東村立歴史民俗資料館」として誕生し、平成8年に「東町立・・・」、平成17年に「稲敷市立・・・」と名前が変わっています。こちらの2階に展示物が、稲敷市と松江市が或る事で『縁がある』ことに教えてくれました。
さて、その『或る事』とは何でしょうか。

・・・?
・・・?
・・・?

正解は、「稲敷市(阿波崎)出身の第7代横綱『稲妻雷五郎(1802-1877)』は松江藩のお抱え力士だった」。
引退後は松江に住んでいた時期もあったようで、お墓も稲敷と松江の両方あるとのこと。ネットで調べると、「出雲が相撲の発祥地」という説もあるようですね。出雲大社の参道脇に土俵がありましたし、松江藩は相撲に力を入れていたようですね。

稲敷に行きは、天気が良かったのでたまたまこの日にしましたが、前週に行ったばかりの松江とこんな縁があったとは知りませんでした。あまりに偶然のことだったので、びっくりした次第です。

 ※私の周りの人に言っても誰も判ってくれないだろうから、落書帳に書き込んでみました…(汗)


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