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白桃研究所長による人口テーマ専門誌

マチあわせて・・・(複数の町が絡む合併の詩)

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記事数=7件/更新日:2024年11月24日

♪待っちあわせて歩く銀座~は、山内賢と和泉雅子が歌った、ベンチャーズの「二人の銀座」。
勿論この特集は、そのヒット曲とは全く関係ありません。白桃は「街歩き」は好きですが、大東京の銀座のようなところではなく、周囲が農山村地域の中心にあって、周囲よりは華やいでいる街、DIDが無くなっていても良い、少々マチくたびれていても良い、小一時間も歩けば大体の様子がわかる、そんなところが好ましい。
で、特集の主旨に戻りますが、既存の市が絡まないで複数の「町」が絡む合併を取り上げます。町村合併の多くは「村」が絡みますが、この特集にあたっては、郡部の小都会?育ちの白桃は「村」を上から目線で無視します。もちろん、「市」に対しては「排除」の姿勢で臨みます。
「白桃市町村人口研究所」も、だんだん独りよがりの自己陶酔、末期的症状をきたしています。(^^;

★推奨します★(元祖いいね)


[112677] 2024年 11月 7日(木)17:41:26白桃 さん
「町」が「町」を編入した廃置分合、その1
「町」が「町」を「編入」するという廃置分合は34件しかありません。この数は、「市」が絡まないで複数の「町」が関係する「新設合併」に比べて極めて少ないのです。ま、そりゃぁ、当然と言えば当然でしょうが…
事例が少ない、ということもありますが、ものすごく興味深い事例が有りますので、以下に纏めてみました。
(1)「町」が「町」を編入し、やっぱり「町」だったケース(27件)
事例編入日編入後の町名編入した町(人口)被編入町1(人口)惜敗率被編入町2(人口)惜敗率
19000401津山町津山12,330津山東3,54028.71
19141001岡崎町岡崎30,508広幡2,9649.72
19240131入江町入江4,588江尻7,363160.48 3,19269.57
19290410花巻町花巻川口9,842花巻4,01940.84
19340801多治見町多治見11,829豊岡7,25761.35
19350401八屋町八屋5,237宇島3,63069.31
19370320桑名町桑名28,361西桑名8,93031.49
19380401飾磨町飾磨22,118妻鹿4,13718.70
19390401相生町相生11,272那波4,44639.44
19510401小松島町小松島26,233立江4,58217.47
19531116石岡町石岡25,769高浜4,35816.91
19541210大沢野町大沢野9,741大久保3,63437.31
19550401成羽町成羽9,167吹屋2,89431.57
19550415富岡町富岡35,489桑野5,79816.34
19560701豊浦町豊浦17,014小串5,52532.47
19560901広陵町広陵10,783箸尾4,76044.14
19560930能都町能都13,556鵜川5,42640.03
19560930鳳来町鳳来15,441海老3,26221.13
19560930筑邦町筑邦13,515大善寺5,44340.27
19570331養父町明神8,844養父3,47539.29
19570718三田町三田27,653相野6,01421.75
19580225笠間町笠間26,111稲田7,61029.14
19590101入善町入善26,724舟見3,69713.83
19591001西条町西条17,638寺西5,30030.05
19600111那智勝浦町那智勝浦18,951下里44,4723.47
19600401高松町高松9,401真金2,50926.69
19610401矢掛町矢掛18,952小田3,00815.87
※コメント前に上表の説明
惜敗率:(編入された町の人口)÷(編入した町の人口)×100
・・・勝負事でもないので、惜敗とか完敗とか関係ないのですが、選挙も終わったばかりで分かり易いかな…
(人口):編入直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの。
事例①は1898年「日本帝国人口統計」、②は1913年「日本帝国人口静態統計」、③1920年国勢調査、④1925年国勢調査、
⑤・⑥1930年国勢調査、⑦・⑧・⑨1935年国勢調査、⑩~⑭1950年国勢調査、⑮~㉖1955年国勢調査、㉗1960年国勢調査
では、
①津山町(岡山県津山市)
編入した津山も編入された津山東も、岡山県では希少な「生まれながらの町」(あと一つは高梁町)です。面白いことに、津山は後年、「津山東」という全く同名の町との新設合併によって市になるのです。
②岡崎町(愛知県岡崎市)
27事例の中で、編入された広幡町の惜敗率が最も低い。ま、大関にも成ろうかとする実力関脇と幕尻の合併ですから「編入」もやむを得ないところか?
③入江町(静岡県静岡市)
なぜ「編入」になったのか、それを考えると眠れなくなる最も不可解な事例です。江尻は東海道の宿場町で、旧清水市域の中で「白桃の(明治の)名邑ランキング」でも清水より上位にある「名邑」なのです。その江尻から辻が分立するのですが、江尻は分立した辻町とともに入江町に編入される…ちょっと待ってください、江尻は辻を分立してもなお、入江の人口をかる~く上回っていたのです。それが、なぜ「編入」という形になったのでしょうか?。本当に解せない。江尻と辻を編入した入江も、2週間も経たずして清水と合併、清水市となるので、江尻・入江問題はもうどうでも良いのでしょうか???
④花巻町(岩手県花巻市)
花巻川口町が花巻町を編入して花巻町となった。文字で書くとナンカややこしい話ですが、現在の花巻市の三冠(本源・前身・最古)因子町である「里川口」町が改称したのが「花巻川口」町であることを認識していれば、スジの通った話になります。
⑤多治見町(岐阜県多治見市)
多治見町に編入された豊岡町ですが、その場所は多治見駅あたりです。
⑥八屋町(福岡県豊前市)
宇島町を編入した八屋ですが、市制施行の際、市名が「宇島市」になることに旧八屋町住民が猛反対したことで、「宇島市」は4日間の短命に終わったよう。宇島駅も宇島地区ではなく八屋地区にあったりと、ここもなかなかややこしいところです。
⑦桑名町(三重県)
西桑名町を編入した桑名町も2週間足らずのうちに桑名市となります。
⑧飾磨町(兵庫県姫路市)
妻鹿町を編入した飾磨は、その後、飾磨市となります。インスリンを打ちながら、麻雀を打っていた飾磨出身のあの方はアノ世でもマージャンやってるのかな?
⑨相生町(兵庫県相生市)
那波町を編入した10日後に「おお(あう)」から「あいおい」になります。どっちにしろ、ア行変態活用で済む風変わりな街です。
⑩小松島町(徳島県小松島市)
小松島に編入された立江ですが、町制施行は小松島よりも早いのです。
⑪石岡町(茨城県石岡市)
常陸の府・「常府」で知られる石岡ですが、市になるのは、高浜町を編入した約三ヵ月後です。
⑫大沢野町(富山県富山市)
26年も早く町になっていた大久保を大沢野が編入するのです。
⑬成羽町(岡山県高梁市)
ベンガラの街吹屋も、陣屋町成羽も同じ1901年に町制施行なのですが、吹屋のほうが少々早かったのに、時の流れには勝てませんでした。
⑭富岡町(徳島県阿南市)
私のイメージでは、富岡は合併によって雪ダルマ式に人口を増やした街です。約50年前、相生から岡山に通っていた地理学研究室の友人と富岡の街歩きをしました。三本松よりチョットばかり繁華だったかな…。
⑮豊浦町(山口県下関市)
ここも、編入された小串町の方が編入した豊浦町より町制施行が30年も早いのです。
⑯広陵町(奈良県広陵町)
現・広陵町の本源因子町/前身因子町は編入した広陵町の前身である馬見町ですが、最古因子町は編入された箸尾町で、ここも下剋上の編入合併と言えるでしょう。
⑰能都町(石川県能登町)
現在の能登町の人口は、鵜川町を編入する前の能都町の人口とほぼ同じになっています。
⑱鳳来町(愛知県新城市)
「海老固め?」する半年前に「鳳来町」と名を変えた、この町の中心ってどこだったんでしょうね。前身の大野町ではなく、長篠村か鳳来寺村あたりではなかったのか???ブッポウソーと鳴く、鳳来寺山のコノハズクに訊いてみたいです。
⑲筑邦町(福岡県久留米市)
筑邦町の前身である荒木町より、編入された大善寺の町制施行は10年早かった。
⑳養父町(兵庫県養父市)
花巻の事例と同じように、養父町を編入した明神町が養父町を名乗り、そればかりか、すーっと後に、八鹿町などと合併して養父市となる。本当にややこしいのですが、真相はヤブの中にはありません。
㉑三田町(兵庫県三田市)
相野町を編入した三田町、このときの三田町は旧・三田町と旧・三輪町ほかが合併した後の町です。余談ですが、三田市の前身因子町は、白桃ルールによって三輪になっています。自分で作ったルールですから文句が言えませんが、三田の惜敗率が90%近いので、比例復活にでもしようかな。
㉒笠間町(茨城県笠間市)
㉓入善町(富山県入善町)
㉔西条町(広島県東広島市)
かつて、西条家を飛び出した寺西(当時は村)を呼び戻したのです。
㉕那智勝浦町(和歌山県那智勝浦町)
㉖高松町(岡山県岡山市)
編入した高松町には「水攻め」で有名な備中高松城があり、編入された真金は吉備津神社があるところ。5年間も岡山に居ながら、それぐらいの知識しかありません('◇')ゞ。オマケに、行ったことがあるのは吉備津神社だったのか、吉備津彦神社だったのか、はたまた、それが、岡山に居たときなのか、仕事(視察)で行ったのか覚えていません。(^^;
㉗矢掛町(岡山県矢掛町)
岡山で行われたオフ会の前日に矢掛の街を歩きました。なかなか、それなりの街でした。
・・・つづく
[112694] 2024年 11月 11日(月)21:14:23白桃 さん
「町」が「町」を編入した廃置分合、その2&事務連絡
[112677]の続きです。
(2)町が町を編入し、同時に市になったケース(7件)
編入市制日編入後市名編入した町(人口)編入された町(人口)惜敗率
1954.03.31那珂湊市那珂湊23,065平磯10,60445.97
1954.04.01富岡市富岡17,563一ノ宮4,55825.95
2001.04.01潮来市潮来25,841牛堀6,10323.62
2003.08.20田原市田原36,981赤羽根6,15116.63
2004.10.16常陸大宮市大宮27,126山方8,04829.67
2005.01.21那珂市那珂45,983瓜連9,08619.76
2005.08.01神栖市神栖48,575波崎39,05180.39
上表でお分かりの通り、数少ない7件のうち、5件が茨城県です。以前から不思議に思っていたのですが、茨城は「編入好き」なんでしょうか?
那珂市の「最古因子町」は瓜連、神栖市の「最古因子町」は波崎です。瓜連はともかく、波崎が神栖に「編入」されるなんて、いまだに理解に苦しんでいます。
【事務連絡】
本日10月1日現在の推計人口が出揃いましたので、データをオーナーにお送りしています。
[112703] 2024年 11月 14日(木)02:46:54【1】訂正年月日
【1】2024年 11月 15日(金)09:21:45
白桃 さん
複数の「町」が関係する町(村)新設合併:その1
個人的関心事になりますが、しばらく「複数の『町』が関係する(「村」は絡んでも「市」は絡まない)新設合併」を見ていきます。
この新設合併を、まず、
A.合併と同時に「市」となった事例
B.合併しても「町」のままであった事例
に二分類しておきましょう。
Aは249事例、Bは264事例もあります。物凄く多いです。一個一個見ていってたら、白桃の存命中に終わりそうもありません。(^^;
よって、いくつかのテーマ(or 切り口?)毎に代表事例を見ていきたいと考えています。
一回目は
◎「最も多くの町が関係した新設合併」
なんですが、このシリーズに度々登場するはずの白桃造語?の説明を。
「前身町」・・・・合併直前の国勢調査等で最も人口が多かった「町」(※合併時に最多人口であった町と異なるケースあり)
「惜敗率」・・・・(合併時の当該町人口)÷(合併時の前身町人口)×100
「合併時人口」・・合併直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの。(殆どのケースが、合併直前の国勢調査等に記載された人口となっています)

前置きが長くなりました。そろそろ本題に…
A事例で、「最も多くの町が関係した新設合併」は2005年4月1日に市制施行の栗原市と登米市で、関係した町数は9です。
(下表で、「合併時人口」は2000年国調人口、増加率は、2000年国調人口~2020年国調人口)
栗原市合併時人口惜敗率2020国調人口増加率---登米市合併時人口惜敗率2020国調人口増加率
築館(前身町)15,86613,180-16.93 迫(前身町)23,04019,741-14.32
若柳14,71492.74 11,434-22.29 中田17,03573.94 15,243-10.52
栗駒14,16489.27 9,859-30.39 米山11,17048.48 8,528-23.65
一迫9,51759.98 6,736-29.22 南方9,48441.16 8,288-12.61
金成8,33452.53 6,284-24.60 東和8,71837.84 5,760-33.93
志波姫7,54547.55 6,536-13.37 豊里7,48032.47 6,332-15.35
瀬峰5,51534.76 4,145-24.84 石越6,43827.94 4,588-28.74
高清水4,47028.17 3,484-22.06 登米6,02426.15 4,532-24.77
鶯沢3,21820.28 2,079-35.39 津山4,38019.01 3,025-30.94
ともに宮城県、市制施行日も一緒、市名も郡名から、こりゃぁ、さぬき市VS東かがわ市以上の熾烈なバトルですな。今更ながら…

B事例では、1901年11月1日新設の長岡町と2004年8月1日町制施行の新上五島町で、関係した町数は5です。
(下表で、合併時人口は、長岡町:1898年「日本帝国人口統計」に記載の人口、新上五島町は2000年国調人口。新上五島の増加率は2000年国調人口~2020年国調人口)
長岡町合併時人口惜敗率-----新上五島町合併時人口惜敗率2020国調人口増加率
長岡(前身町)9,780有川(前身町)7,5645,037-33.41
長岡本8,22784.12 上五島7,36897.41 5,069-31.20
草生津3,25333.26 新魚目4,99666.05 3,195-36.05
千手2,99130.58 若松4,29956.84 2,453-42.94
2,29023.42 奈良尾3,33244.05 1,749-47.51
長岡町は約4年半後に市制施行となっています。新上五島の前身町である有川は、第50代横綱・佐田の山の出身地ですが、今は、上五島に苦戦しているようで…
[112719] 2024年 11月 17日(日)00:40:39【1】訂正年月日
【1】2024年 11月 17日(日)00:52:27
白桃 さん
複数の「町」が関係する町(村)新設合併:その2
[112703]に続いて今回は、
◎「前身町と合併時人口No.2町の合計人口」
に焦点をあて、
「A」・・・合併と同時に「市」となった事例
「B」・・・合併しても「町」のままであった事例
それぞれの合計人口上位&下位を見ていきたいと思います。
ま、謂わば、合併時人口ダブルス戦です。(と言うことにして、関係するすべての町の合計人口にしなかった理由をウヤムヤにする。)
※以下の表中の人口は、「合併直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの」です。
なお、今回のテーマには直接関係しないのですが、町名の後に、「因子町」([102175])の印を付けております。
☆:本源・前身・最古因子町
◎:本源・最古因子町
◇:前身因子町
△:直系因子町
(印のない町は「因子町」を「修了」した町です。また、今回の「因子町」は、あくまでも合併後の自治体におけるもので、現行の自治体におけるものではありません。)
(1)「A」の合計人口上位(6万人以上)
合併年月日合併後市名2町合計人口前身町合併時人口No.2町合併時人口
2006.03.20北名古屋市78,078師勝☆43,888西春△34,190
1943.11.03田川市70,225伊田◇39,585後藤寺◎30,640
2010.03.23姶良市67,579姶良44,671加治木◎22,908
2010.03.22あま市62,438甚目寺☆38,563美和△23,875
1958.05.01阿南市62,374富岡41,34321,031
1937.04.01布施市62,214布施48,696小阪△13,518
5位の阿南市の場合、富岡も橘も、この新設合併以前に合併を重ねており「因子町」ではありません。しかも、橘町の場合は、「前身町」は旧・橘町ではなく、新野町(阿南光高←新野高、高校野球ファンにとっては有名?な町)です。
6位の布施市の場合、「前身町」の布施は、単独でも市になれたろうに…
(2)「A」の合計人口下位(1万5千人未満)
合併年月日合併後市名2町合計人口前身町合併時人口No.2町合併時人口
1954.07.15珠洲市10,172宝立◇6,627正院△3,545
1954.07.01山梨市11,982加納岩☆6,441日下部△5,541
1955.01.01陸前高田市12,011高田☆6,461気仙△5,550
1954.05.03加須市12,253加須◇7,908不動岡△4,345
1942.12.01鈴鹿市12,408白子☆7,572神戸△4,836
1952.04.01大船渡市12,486大船渡◇8,008盛◎4,478
1954.04.01甘木市13,689甘木☆11,692秋月△1,997
1954.06.01新見市13,940新見☆7,596上市△6,344
1954.01.01大田市14,008大田☆7,584久手△6,424
1954.03.31竹田市14,710竹田11,306玉来△3,404
堂々?の1位である珠洲市の◎(本源&最古因子町)は飯田で、多核というよりは「タコ足」市と言って良いでしょう。震災前から人口激減の珠洲ですが、「中心」がはっきりしないと言う点に、その一因があると考えています。
4位の加須も意外です。不動岡には「県下最古の高校がある」って、そこの卒業生が自慢?していました。
(3)「B」の合計人口上位(3万人以上)
合併年月日合併後町名2町合計人口前身町合併時人口No.2町合併時人口
1906.12.15横須賀町55,774横須賀☆36,956豊嶋△18,818
1971.04.25富津町37,140富津19,473天羽17,667
1956.09.30柏原町33,362柏原24,405国分△8,957
1971.01.01東予町32,308壬生川23,222三芳△9,086
1925.04.01鶴見町32,174潮田◇16,949鶴見◎15,225
1929.04.01平塚町31,777平塚☆21,758須馬△10,019
1958.04.01高岡町31,088高岡23,184宇佐7,904
1955.04.01宮之城町30,145宮之城☆21,580山崎△8,565
ダントツ1位の横須賀の合併時人口は1903年「日本帝国人口静態統計」に拠ります。それにしても、この時点で「市」になれなかったのか不思議も不思議…。
5位の鶴見町は後に横浜市に編入されますが、「鶴見区」として名前を残します。
(4)「B」の合計人口下位(5千人未満)
合併年月日合併後町名2町合計前身町合併時人口No.2町合併時人口
1901.11.01高浜町2,680宮川☆1,730椎谷△950
1955.01.01相模湖町3,530与瀬☆2,974小原△556
1906.04.01新川町3,897新川☆2,106桃栄△1,791
1901.11.01両津町4,188湊☆2,131夷△2,057
1897.04.01加納町4,688東加納☆3,463西加納△1,225
1956.09.30長門町4,873長窪古☆3,170長久保新△1,703
2位の相模湖町の「前身町」である与瀬は、町村制施行時に「與瀬驛」としてスタートしました。「駅」・「宿」は「町」と同格と見做しており、よって、現在の相模原市の「●(最古因子町)」となっています。
3位の新川町の△桃栄町は、清須市の「代表駅」である名鉄須ヶ口駅あたりあった「町」であり、「須ケ口」は「清須の入り口」という意からして清須市の玄関、いや、市役所もあるので中心になるのかナ???
[112747] 2024年 11月 21日(木)12:54:03白桃 さん
複数の「町」が関係する町(村)新設合併:その3
祝・「落書き帳」25歳&「未開マガジン」オープン🎇(控え目の絵文字一個)

本題に入る前に…「境界変更の諸相」というのを見つけました。「境界変更」に関する貴重な論文だと思います。また、事例として1950年4月1日の伏黒村(一部)→保原町、1957年4月10日の金沢市(一部)→野々市町、の2つが取り上げられており、個人的には非常に参考になるものでした。関心のある方は、どうぞご覧ください。
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さて今回は
「前身町と、それ以外の構成町の人口の拮抗or隔絶」に焦点をあて見ていきます。(「拮抗」の対義語が「隔絶」?…どうも違和感があり、「格差が大きい」ぐらいにしときましょう。)
その指標としては「惜敗率」を活用します。
なお、今回はダラダラと長くなりそうなので
「A」・・・合併と同時に「市」となった事例
「B」・・・合併しても「町」のままであった事例
の「A」だけにし、「B」は次回に回します。
※以下の表中の人口は、「合併直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの」です。
また、今回も町名の後に「因子町」([102175])の印を付けております。
☆:本源・前身・最古因子町
◎:本源・最古因子町
@:本源・前身因子町
◇:前身因子町
△:直系因子町
(印のない町は「因子町」を「修了」した町です。また、今回の「因子町」は、あくまでも合併後の自治体におけるもので、現行の自治体におけるものではありません。)
(1)前身町とNo.2町の人口の拮抗:トップ10
合併年月日合併後市名前身町人口No.2町人口惜敗率
1950.01.01日南市油津☆11,558飫肥◇11,558100.00
2004.11.01北杜市長坂@9,252高根△9,21899.63
2005.02.01能美市根上◇15,426寺井15,30899.24
2003.04.01南アルプス市白根19,247櫛形18,92098.30
2006.01.10下野市南河内◇20,873石橋20,49498.18
2004.02.01本巣市糸貫☆11,799真正△11,55697.94
2005.03.20うきは市吉井17,209浮羽△16,83697.83
2005.10.11牧之原市相良25,656榛原24,98997.40
2005.07.07清須市清洲19,122新川18,55697.04
2005.01.01高島市安曇川14,489今津13,92196.08
何と言っても、油津・飫肥の「がっぷり四つ」、タマリマせん。「前身因子町」が二つ、というのは他にありません。

(2)前身町とNo.2町の人口格差が大きいトップ10
合併年月日合併後市名前身町人口No.2町人口惜敗率
1940.12.01小松市小松☆19,139安宅△1,96510.27
1933.10.01新宮市新宮☆25,179三輪崎△3,78815.04
1953.10.01倉吉市倉吉☆25,371上井△3,84615.16
1954.03.31湯沢市湯沢☆17,465岩崎△2,87216.44
1940.11.03土浦市土浦☆31,000真鍋△5,25116.94
1954.04.01甘木市甘木☆11,692秋月△1,99717.08
1971.04.01備前市備前28,378三石△5,26918.57
1939.11.03鎌倉市鎌倉☆29,412腰越△5,52318.78
1941.04.29西条市西条20,691氷見△3,93319.01
1951.09.01赤穂市赤穂☆28,313坂越△5,52619.52
ワンサイドゲームのオンパレードです。小松/安宅や甘木/秋月は、二町だけの合併であれば、「編入」の形をとっていたかもしれません。「そもそも、安宅や秋月が何故『町』だったのか?」と訝しむ方がいるかもわかりませんが、両町とも人口ピークは国勢調査開始前の話で、当時はそれなりの街だったのでしょう。白桃、秋月(城址)に行ったときは、三橋美智也の♪「古城」を歌いたくなりました。

(3)前身町と構成町(No.2町以外)の人口格差が大きい(惜敗率20.00未満)事例
合併年月日合併後市名前身町人口構成町人口惜敗率
1956.03.31北茨城市磯原23,486平潟△3,53415.05
2005.04.01宍粟市山崎25,971千種△4,02915.51
1937.04.01布施市布施48,696楠根△7,56915.54
2010.03.23姶良市姶良44,671蒲生△7,26116.25
1999.04.01篠山市篠山22,229今田△3,89517.52
2006.01.01伊達市保原24,521月舘4,39417.92
1999.04.01篠山市篠山22,229西紀△4,12518.56
2004.03.01対馬市厳原15,485峰△2,89718.71
2005.04.01宍粟市山崎25,971波賀△4,86018.71
2006.03.01香南市野市17,759赤岡◎3,32418.72
2005.03.31豊後大野市三重18,241朝地△3,43118.81
2005.04.01登米市23,040津山4,38019.01
1943.04.01佐野市佐野☆17,873堀米△3,54519.83
1954.03.31村上市村上15,711瀬波△3,13819.97
上記のうち、篠山は今田と西紀を、山崎は千種と波賀を、完封?しています。ともに兵庫県内陸部の街。それが何か?(笑)。
前身町のうち「因子町」は佐野だけ。因みに、現在の佐野市の場合、☆は「佐野」ではなく、「佐野」は@(本源・前身因子町)で、●(最古因子町)は「田沼」です。嗚呼、赤岡。クヤジィーです。

(4)三町の人口が拮抗している(No.3町の惜敗率85.00以上)事例
合併年月日合併後市名前身町人口No.2町人口惜敗率No.3町人口惜敗率
2005.02.01能美市根上◇15,426寺井15,30899.24 辰口△14,34392.98
1955.03.31松浦市新御厨◇10,594志佐13,914131.34 調川△9,83092.79
2006.03.31南島原市有家8,847深江△8,22893.00 西有家△8,19792.65
2005.07.07清須市清洲19,122新川18,55697.04 西枇杷島◎17,21590.03
2007.12.01南九州市川辺14,809頴娃△14,12695.39 知覧△13,25689.51
2005.04.01栗原市築館15,866若柳14,71492.74 栗駒14,16489.27
1950.01.01日南市油津☆11,558飫肥◇11,558100.00 吾田※△10,28688.99
2004.03.01かほく市宇ノ気◇12,574七塚△11,27089.63 高松10,82686.10
1955.01.01陸前高田市高田☆6,461気仙△5,55085.90 広田※△5,50585.20
2006.01.10下野市南河内◇20,873石橋20,49498.18 国分寺△17,76585.11
吾田と広田に※印を付けていますが、これは合併前の国勢調査時点では「村」であった、という意味です。
ここは、いっぱい書きたいことが有りますが、松浦市に関してだけ。No.2の「志佐」の惜敗率が131.34となっているのはオカシイではないか…という疑問。これは当然で、説明を要します。
白桃は「前身町」を次のルールによって決めております。
市制施行または町制施行が行われた年月日直前の国勢調査の時点で町制施行している自治体で最も人口が多かった旧町
松浦市の◎(本源・最古因子町)の「志佐」の場合ですが、1950年10月1日国勢調査の時点では、9,776人で、新御厨はもちろん、調川(つきのかわ…難読!!!)よりも少なかったのです。が、1954年4月1日に上志佐村と合体(新設合併)して、新御厨の人口を上回ったのです。このようなケースは非常に数少ないのですが、他にもあります。そして、とある理由で、白桃は「前身町」ルールを変える意思が全くないことを言い添えておきます。
[112759] 2024年 11月 23日(土)14:43:50白桃 さん
複数の「町」が関係する町(村)新設合併:その4
「前身町とそれ以外の構成町の人口の拮抗or隔絶」に焦点をあてた[112747]では、
「A」・・・合併と同時に「市」となった事例
だけを取り上げましたが、今回は
「B」・・・合併しても「町」のままであった事例
を取り上げます。
※以下の表中の人口は、「合併直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの」です。
また、今回も町名の後に「因子町」([102175])の印を付けております。
☆:本源・前身・最古因子町
◎:本源・最古因子町
◇:前身因子町
△:直系因子町
(印のない町は「因子町」を「修了」した町です。また、今回の「因子町」は、あくまでも合併後の自治体におけるもので、現行の自治体におけるものではありません。)
(1)前身町とNo.2町の人口の拮抗:トップ10
合併年月日合併後町名前身町人口No.2町人口惜敗率
2005.03.01那賀町相生◇3,368鷲敷◎3,36099.76
1958.04.01佐土原町佐土原10,371広瀬△10,33799.67
1954.03.31日出町豊岡◇5,093日出◎5,07099.55
2004.10.01愛南町城辺9,728御荘9,65699.26
1955.02.01可児町広見◇5,324今渡◎5,28399.23
1955.03.31阿波町林☆6,030久勝△5,97099.00
1954.12.01印西町大森◇5,374木下◎5,31298.85
1958.03.31上富田町上富田☆※4,978富田川△※4,89098.23
2007.10.01屋久島町屋久◇6,948上屋久◎6,81398.06
1955.04.01岬町多奈川◇6,277深日◎6,15398.02
上記10例はどれも見事な拮抗ぶりですが、中には人口だけではなく町制施行日も近接しているのもあり、「因子町の種別」を決定するのもナンダカナ~という気になります。とりわけ、※の付いた(旧)上富田町と(旧)富田川町は同じ日に町制施行をしており、しかも、いずれも1955年国勢調査時には存在しておりません。ですから、上富田町の☆・△はあくまでも「白桃ルール」に従っただけの形式的なものです。
(2)前身町とNo.2町の人口格差が大きいトップ10
合併年月日合併後町名前身町人口No.2町人口惜敗率
2005.10.01遠軽町遠軽☆18,503生田原△2,78715.06
2005.03.01鏡野町鏡野☆11,451奥津△1,84116.08
2006.03.01日高町門別☆12,635日高△2,09516.58
1955.01.01相模湖町与瀬☆2,974小原△55618.70
2006.03.31新ひだか町静内☆22,467三石△4,79821.36
2005.10.01八雲町八雲☆17,636熊石△3,80221.56
1951.04.01中津川町中津23,451苗木△5,13921.91
2006.03.20四万十町窪川14,057大正△3,13822.32
2006.03.01白浜町白浜◇19,206日置川4,43623.10
1954.12.01伊勢原町伊勢原☆7,722大山△1,89424.53
ワンサイドゲームは北海道で目立ちます。鏡野☆は、「昭和の大合併期」誕生の「三冠因子町」としては新興の町です。一部では結構有名な山田養蜂場があります。奥津△は美作三湯のひとつ奥津温泉で有名です。
(3)前身町と構成町(No.2町以外)の人口格差が大きい(惜敗率25.00未満)事例
合併年月日合併後町名前身町人口構成町人口惜敗率
2005.10.01遠軽町遠軽☆18,503丸瀬布△2,14911.61
2005.04.01香美町香住13,998美方△2,64018.86
1955.03.31備前町備前11,991香登△2,28919.09
2006.03.20まんのう町満濃☆12,472琴南△2,86622.98
1901.11.01長岡町長岡☆9,780新△2,29023.42
1955.03.01安中町安中☆10,578板鼻△2,61324.70
遠軽☆は、丸瀬布のみならず、生田原も完封?していますから、相対的に相当な街なのでしょう。このシリーズに直接関係は無いことなのですが、現・備前市は人口の割に「因子町」の多いところ、しかも難読なんです。
☆片上、△伊部、△香登、△伊里、△三石、日生、英保…皆さん読めますか?読めない方は、市内の閑谷学校でお勉強を…(笑)。
(4)三町の人口が拮抗している(No.3町の惜敗率75.00以上)事例
合併年月日合併後町名前身町人口No.2町人口惜敗率No.3町人口惜敗率
1958.03.31脇町江原◇8,489脇◎7,75491.34 岩倉△7,58089.29
2006.03.20みやこ町豊津◇8,552勝山△7,20584.25 犀川◎7,14183.50
2006.03.06福智町赤池◇9,592金田◎8,01183.52 方城△7,94082.78
1955.03.26橘町新野◇6,800椿△5,94387.40 橘◎5,44880.12
1961.06.01南知多町豊浜8,958内海7,02278.39 師崎6,86176.59
1971.04.25富津町富津19,473天羽17,66790.73 大佐和14,89476.49
徳島県の2例は馴染深いのですが、福岡県の2例は、構成町の名前がスラスラ出てきません。(^^;
[112768] 2024年 11月 24日(日)12:28:35白桃 さん
複数の「町」が関係する町(村)新設合併:その5
このシリーズについては「白桃市町村人口研」の特集として組みましたので、ご関心のある方はそちらの方も覗いてください。
特集のタイトルは「マチあわせて・・・(複数の町が絡む合併の詩)」です。
今日は、結婚後、少々浮気(境界変更)をしたとしても、無事「金婚式」を迎えたカップルに焦点をあてました。
具体的に言えば、下の二つになります。
「A」・・・二町のみの合体で市制施行、以後、50年以上廃置分合をしていない事例
「B」・・・二町のみで合体、以後、「町」のままで50年以上廃置分合をしていない事例
繰り返しになり恐縮ですが、
※表中の合併時人口は、「合併直前の国勢調査等に記載された人口を、編入時の境域に組み替えたもの」です。
なお、今回も、町名の後に「因子町」([102175])の印を付けております。
☆:本源・前身・最古因子町
◎:本源・最古因子町
◇:前身因子町
△:直系因子町
(印のない町は「因子町」を「修了」した町です。また、今回の「因子町」は、あくまでも合併後の自治体におけるもので、現行の自治体におけるものではありません。)
(1)継続中の「A」事例
合併後市名合併年月日前身町相棒町合併時人口2020国調人口2024推計人口
調布市1955.04.01調布☆神代△34,865242,614244,558
竹原市1958.11.03竹原忠海△38,47223,99322,004
小矢部市1962.08.01石動礪中36,72728,98327,360
富良野市1966.05.01富良野山部△3662721,13119,575
東海市1969.04.01上野◇横須賀57,069113,787112,267
竹原は市制施行時点では「因子町」ではありませんが、因子町の頃の竹原と「相棒」の忠海はともに白桃撰「明治の名邑」です。

(2)継続中の「B」事例
合併後町名合併年月日前身町相棒町合併時人口2020国調人口2024推計人口
大鰐町1954.07.01大鰐☆蔵舘△18,2318,6657,737
大洗町1954.11.03磯浜☆大貫△20,66515,71514,681
大磯町1954.12.01大磯☆国府△21,59531,63430,833
富岡町1955.03.31富岡☆双葉△12,9132,128-
柴田町1956.04.01船岡◇槻木◎24,27838,27137,010
海田町1956.09.30海田市☆東海田△11,37729,63630,268
上富田町1958.03.31上富田☆富田川△9,86815,23615,336
鋸南町1959.03.30勝山保田△16,2056,9936,235
日野町1959.05.01根雨黒坂△9,4072,9072,557
東洋町1959.07.01野根◇甲浦◎8,8652,1941,969
大鰐、大洗、大磯…「大」の付く町は「結婚」してから70年。本当に長く硬く結ばれていますね。

(3)記録が途絶えた「A」事例
合併後市名合併年月日消滅年月日現自治体名前身町相棒町合併時人口2020国調人口
小野田市1940.11.032005.03.22山陽小野田市(新)小野田☆高千帆△46,48440,840
黒部市1954.04.012006.03.31黒部市(新)桜井生地◎32,32934,945
加世田市1954.07.152005.11.07南さつま市(新)加世田☆万世△35,65320,564
2020国調人口は、旧市域の人口です。
現在の山陽小野田市において(因子町の)小野田は@(前身・本源因子町)です。●(最古因子町)は厚狭です。
万世△の読み、「ばんせい」で、肉の万世(まんせい)とは関係ありません。万世町の前は東加世田村で、ということは、加世田市は「幼馴染」の結婚?

(4)記録が途絶えた「B」事例
合併後町名合併年月日消滅年月日現自治体名前身町相棒町合併時人口2020国調人口
高浜町1901.11.011957.04.01(柏崎市・編)宮川☆椎谷△2,680-
出雲崎町1904.04.011957.06.20出雲崎町(新)出雲崎☆尼瀬△10,255-
有田町1954.04.012006.03.01有田町(新)有田☆東有田△14,07110,802
鴨方町1955.04.012006.03.21浅口市(新)鴨方☆六条院△17,19616,710
天津小湊町1955.02.112005.02.11(鴨川市・新)天津☆小湊△12,6455,212
2020国調人口は、旧町域の人口です。
天津小湊町の結婚期間はちょうど50年だったのです。

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