[74311] 山野 さん
[74315] じゃごたろ さん
[74316] hmt さん
話題になっている、かつて柿崎町の飛地であった柏崎市上輪、蕨野等ですが、調べてみると、とても奇妙な編入経緯を経ていることが分りました。
関係する地域の、近世村(天保国絵図)時点からの変遷を示すと次のようになります。
近世村 | 明治大合併 | 1901(明治34)年 | 1956.12.19 | 1957.01.01 | 1989.04.01 |
上輪村 | 米山村 | 米山村 | 柏崎市 | 柿崎町 | 柏崎市 |
上輪新田村 | ○ | ○ | ○ | → | ○ |
笠島村 | ○ | ○ | ○ | → | ○ |
青海川村 | ○ | ○ | ○ | → | ○ |
鉢崎村(現在の米山町) | 鉢崎村 | ○ | ○ | → | ○ |
(高畔) | ○ | ○ | ○ | 柿崎町 | ○ |
大平村 | ○ | ○ | ○ | → | ○ |
大平村のうち蕨野村 | ○ | ○ | ○ | 柿崎町 | ○ |
小萱村 | ○ | ○ | ○ | 柿崎町 | → |
大清水村 | ○ | ○ | ○ | → | ○ |
大清水村のうち竹ヶ花村 | ○ | ○ | ○ | 柿崎町 | → |
関係しているのは8村(+枝村など)ですが、明治大合併期には、上輪村~青海川村の4村が合併して米山村、鉢崎村以下の4村が鉢崎村を形成します。
蕨野村、竹ヶ花村(現在は竹鼻)は天保国絵図では枝村になっていますが、明治合併期には大平村、大清水村に含まれていたようです。また、鉢崎村(現在の柏崎市米山町)の中心集落は日本海沿いに位置していますが、高畔の集落はそこからオガチ川を遡った場所にあり、近世の高畔は鉢崎村の小名だったと考えられます。
米山村と鉢崎村は1901(明治34)年に合併し、新たな米山村が誕生します。そして、この米山村全域が、1956年12月19日に柏崎市に編入されます。ここまではよくある話です。
ところが、編入直後の1957年1月1日、大字上輪、小萱の全域と、大清水、鉢崎、大平の各一部が分離し、柿崎町に編入されているのです。われらが「市区町村変遷情報」では、次のように記述され、
1957.01.01 境界変更 中頸城郡 柿崎町 中頸城郡 柿崎町, 柏崎市の一部
詳細な注記が入っています。
88さんの注記では、大清水、鉢崎、大平の各一部は多数の「字」からなっていますが、現在の大字名などから、近世村段階で上記の表のような位置づけにあった地域、と考えて構わないと思います。
この、大字上輪等の柏崎市からの分離、柿崎町への編入は、非常に奇異に感じられます。柿崎町に隣接する小萱、竹鼻はともかく、上輪、蕨野は完全な飛地。高畔も小萱に接してはいますが、接触部分は山間地で、盛んな交流があったとは思えません。
歴史的に見ても、近世において上輪は上輪新田の親村であり、蕨野、高畔も大平、鉢崎の一部でした。明治以降も、米山村や鉢崎村の一部として隣接地域と密接な関係があったと考えられます。それがどうして柿崎と飛地合併したのか、しかも柏崎への編入から2週間もたたない時に、というのはよく理解できないところです。
さすがに、この飛地合併に無理があったのか、小萱、竹鼻を除く上輪、蕨野、高畔の3地域は柏崎市に再編入されていますが、それはじゃごたろ さんが確認してくれたように1989年4月1日で、飛地編入から30年以上後のことになります。
30年以上たってから出戻るなら、どうして柿崎に出て行ったのか、その理由が知りたいところです。