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千本桜さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[83136]2013年4月19日
千本桜
[83053]2013年3月31日
千本桜
[82958]2013年3月2日
千本桜
[82909]2013年2月19日
千本桜
[82899]2013年2月16日
千本桜
[82898]2013年2月16日
千本桜
[82530]2013年1月5日
千本桜
[82529]2013年1月5日
千本桜
[82422]2013年1月2日
千本桜
[82420]2013年1月2日
千本桜
[82291]2012年12月5日
千本桜
[81889]2012年9月27日
千本桜
[81887]2012年9月26日
千本桜
[81882]2012年9月24日
千本桜
[81874]2012年9月22日
千本桜
[81841]2012年9月15日
千本桜
[81835]2012年9月12日
千本桜
[81441]2012年8月14日
千本桜
[81281]2012年8月9日
千本桜
[81277]2012年8月8日
千本桜

[83136] 2013年 4月 19日(金)00:19:45千本桜 さん
津軽の旅
[83132] 白桃さん
まわったのが、深浦、鰺ヶ沢、小泊、十三、五所川原・・・アレレ、少し違ったかな???

それは「よされ節コース」の正しい順路です。津軽海峡には行きませんでしたか。オプションで「あいや節コース」に乗ると、「津軽海峡 雪が舞う あいや あああ あー」となります。土の臭いがぷんぷんする津軽の旅を楽しまれた御様子で何よりです。
[83053] 2013年 3月 31日(日)11:38:48千本桜 さん
花見山
名残雪でしょうか、少し肌寒くて綿アメみたいな雪が舞っています。この十日間に葬式と法事が4回も相次いで、喪服が普段着になってしまいそう。我家の人口もピーク時の20年前に比べて66.667%減少し、老?夫婦2人暮らしになりました。そういう個人的な事情には関わらず、春は毎年確実にやって来るもので、白石川の土手の一目千本桜にも「お花見ぼんぼり」が設置され、桜まつりの準備が着々と進んでいます。

おととい、福島に行ったついでに花見山に寄ってみました。ロウバイは終わりかけて、ハクバイとレンギョウが満開でした。案内係のオジさんに見頃はいつですかと尋ねましたら、「4月10日ごろです。きょうは700人きました。」と言っていました。花見山は入園無料で、何時でも、どこからでも入り込めるのに、700人って、どうやって数えたのだろう。個人的な評価ですが、南東北地方の三大桜名所は、白石川堤の一目千本桜、三春の滝桜、そして福島の花見山だと思います。福島の現状を思うと気持ちが沈んでしまうのですが、花見山は梅、桃、桜、そのほか色々な花が咲き乱れる桃源郷です。どうか、皆さんも花見山を見物しに行って、福島を元気づけてやって下さい。
[82958] 2013年 3月 2日(土)12:04:56千本桜 さん
Re:“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ
[82937]で白桃さんが挙げた“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ、興味深く読ませて頂いています。特に関心があるのは東根vs村山です。東根と村山を母都市と衛星都市に見立てるのは無理がありますが、それを承知で当てはめるなら、50年60年前は村山が母都市で東根が衛星都市でしたね。それが今では、東根が母都市で村山が衛星都市かと思えるまでに立場が逆転してしまいました。まだ、都市施設が郊外に転出しないで市街地の中に集積していた時代を懐かしみ、下に昭和のデータを掲出します。

昭和45年国勢調査と昭和47年事業所統計調査報告をリンクしたもので、人口集中地区を地域単位とした産業別従業者数の統計です。かつて北村山郡に属していた村山市(楯岡)、東根市(東根、神町)、尾花沢市(尾花沢)の市街地の戦いに、何故か大内町(三本松)と大河原町(大河原)の市街地までが参戦した6つのDIDによる都市間競争です。いずれの市街地も、市にしては田舎的で、町にしては少し都会的なところがマニアの心をくすぐります。なお、下の表組では“電気・ガス・水道・熱供給業”と書くのは長過ぎるので、省略して“電気ガス”にしました。

合計鉱業建設製造卸小売金融保険不動産運輸通信電気ガスサービス公務
楯岡3,98203397401,051287938616720434
東根1,26001962294647164242480
神町3,85201001075991244814942572,464
尾花沢3,014033576197617231671551471
三本松4,27101341,7839482833140841519124
大河原4,007322136441,427251945610782183
鉱業から公務までの合計、つまり非農林水産業の事業所従業者数が最も多いのは三本松で4,271人。三本松をトップに押し上げているのは製造業のようです。2位は大河原で4,007人。大河原を2位に押し上げているのは卸売小売業です。町が1位2位を占めて市が後塵を拝するあたりが市制町村制の嫌らしさであります。

町の後塵を拝する楯岡、東根、神町、尾花沢の面々のうち、従業者合計1,260人の東根は数値が低すぎて都市失格でしょう。当時は東根が村山市楯岡の都市勢力下にあったわけで、それが今では逆転し、村山市が東根市の商圏下に従属しているのですから大きな地域変化です。楯岡が北村山地方随一の商都で賑わった昔を思えば、今は寂れた楯岡に“なかにし礼”の♪石狩挽歌がオーバーラップしてきます。

同じく東根市の神町も都市失格でしょう。従業者合計3,852人は楯岡に肉薄した数値ですが、その64%を公務(具体的には自衛隊駐屯地従業者)が占めているのが難点です。建設業、製造業などの第二次産業や自衛隊駐屯地の集積は、都市の中心性を太らせる肥になるかもしれませんが、中心性そのものの“現れ”ではないと思うのです。上記の表の中で中心性が感じられる数値は、金融保険業の楯岡287人、三本松283人、大河原251人。卸売小売業の大河原1,427人。運輸通信業の大河原456人、三本松408人、楯岡386人。サービス業の大河原782人、楯岡720人などです。

何だか結論に至ることができず、書き込みに時間が掛かりすぎています。もう時間がありません。何を言いたかったかというと、早い話が、昼間人口が夜間人口を上回っていても、中枢機能の集積に厚みがなくて中心性の弱い都市は、ちょっと物足りない。それを言いたかっただけなんです。
[82909] 2013年 2月 19日(火)22:49:31千本桜 さん
Re:地理の入試問題・補足
[82901] みかちゅう さん
「この地図が2万5000分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」という問題が定番です。簡単だとは思いますが、こちらもぜひ挑戦を。

等高線間隔が10mで、しかも50mラインの等高線が計曲線として描かれているから2.5万分の1地形図である。ツーカーの仲なら、これで通じ合えるはずですが、入試の解答となると不十分なんでしょうね。等高線を10m間隔で描くことや、50mラインを計曲線で表すことが2.5万分の1地形図特有のものであることを立証しなければならない。この設問は2.5万分の1地形図と5万分の1地形図の比較を求めているのでしょうね。つまり、5万分の1地形図の等高線間隔は20mであり、50mラインの等高線は補助曲線として描かれることがあっても、主曲線や計曲線として描かれることはありえない。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図である。こんなふうに解答すれば良いのでしょうか。

ところで、2.5万分の1地形図を縮小編集して5万分の1地形図を作ると、寸法は縦横2分の1、面積は4分の1になります。4分の1の広さの中に2.5万分の1地形図と同量の情報は描けませんから、情報の取捨選択が行われます。河川や島などは、小さな物でもなるべく省略せずに5万分の1地形図に描き移しますが、等高線は1本おきに間引かれて本数が半分になります。独立建物は大幅に間引かれて3分の1程度に激減します。

ここから先は架空の話です。受験生の智津男君は集落の戸数を調べるのが大好きで、調査結果を地形図に書き入れては各地の集落のあれこれを想像していました。そんなことを重ねているうちに、戸数100戸程度の集落なら、2.5万分の1地形図では独立建物が90個ほど描かれ、5万分の1地形図では30個ほどに減少することを、誰に教わるわけでもなく感覚的につかめるようになっていました。

そんな智津男君に渡された入試問題は、「この地図が2万5千分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」というもので、地形図の一部分が掲載されていました。集落おたくの智津男君は、自然地形よりも先に山の麓の小さな塊村に着眼しました。その塊村状の集落は六本木と注記してあります。智津男君は集落おたくですから、六本木の戸数が50戸であることは以前から知っていました。掲載してある地形図で独立建物を数えると、六本木集落には44個の独立建物が描画してありました。そこで智津男君は次ぎのように解答しました。
「六本木集落の戸数は50戸である。50戸程度の集落の場合、2.5万分の1地形図に描画される独立建物は45個前後であり、5万分の1地形図では15個前後になるのが一般的である。問題の地図で六本木集落の独立建物の数を確認したところ44個であった。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図だと判断しました。」
智津男君のこの解答は、どんな採点を受けるのでしょうか。
[82899] 2013年 2月 16日(土)11:55:24千本桜 さん
Re:香川県内の従業地・通学地に関する“人口収支”
[82895] 白桃 さん

坂出~宇多津~丸亀~多度津を見ていると、ドルトムント~エッセン~デュイスブルクを連想します。それはさておき、昼夜間人口比率では坂出の強さと丸亀の弱さが気になります。もし、産業を1次、2次、3次に分類し、3次産業における坂出と丸亀の昼夜間人口比率を算出したら、どんな結果になるのでしょうか。
[82898] 2013年 2月 16日(土)11:00:44千本桜 さん
Re:地理の入試問題から
[82892] みかちゅう さん
この地図を見て、「東側に書かれている水面は湖である」と分かる理由を説明しなさい。

にまんさんの回答は大人の含みがあってお洒落ですね。標高数値に着眼されているのでしょうが、私も同じ考えです。高校生にとっては難問だと思いますが、正解率が何パーセントになるのか気になります。
[82530] 2013年 1月 5日(土)14:21:43千本桜 さん
十番勝負
問E:神戸市
[82529] 2013年 1月 5日(土)11:55:43千本桜 さん
十番勝負
十番勝負への参加は久しぶりなので、一般コースは出題傾向など勝手が分からなくなっています。入門コースに参加しても良いのでしょうか。もし、だめな場合は削除して下さい。

問A:防府市
問B:陸前高田市
問C:大田原市
問D:二戸市
問F:四万十市
問G:南砺市
問H:札幌市
問J:陸前高田市
問K:陸前高田市
[82422] 2013年 1月 2日(水)17:45:53千本桜 さん
テキトーですが遊びながら商圏調査
毎年のことですが、元日の新聞には初売りの折込みチラシが大量に入って来ます。今年は71枚入ってきました。内訳は洋服の○山など衣料品店の広告チラシが11枚、ケー○ーD2などホームセンターが8枚、カ○チ薬品などドラッグストアが6枚、ド○モなど携帯電話関連が6枚、タ○ホームなど住宅関連が6枚、ほかに食品スーパー5枚、自動車販売店5枚、家電販売店4枚、メガネ店4枚などが主なところです。

このうち、家電販売店はY電機とKデンキが一騎討ちの様相を呈しています。双方とも四六全版に相当する大きな広告チラシを折込んで、常に戦っている感じ。見ていてウンザリです。でも、Y電機もKデンキも仙南地域内に店舗があるから、まだ良しとします(どちらも大河原町に所在)。

問題は住宅関連です。6枚のチラシのうち仙南地域に店舗があるのは1枚だけで、残りの5枚は地域外の名取市に店舗を構えています。ホームセンターについても同じ状況です。商圏人口1万人程度の町にも出店するホームセンターコ○リが、小型な店舗を白石市、角田市、川崎町、村田町、柴田町、蔵王町、丸森町、亘理町、山元町に出店。さらに、3万~5万人の商圏人口を見込むホームセンターが大河原町、白石市、柴田町、角田市に大型店を出店。最大規模は大河原町のケー○ーD2で約5,000m2です。ところが平成20年、大河原町のケー○ーD2より4倍も大きなホームセンターが名取市に2店オープン。店舗面積約20,000m2のスーパー○バホームと約24,000m2のム○シです。この2店が名取市に店舗を構えて仙南地域に広告チラシ攻勢を仕掛けてきます。

もっと凄いのは店舗面積約55,000m2の巨大SCイオンモール名取エアリです。私の友人(すでにオジイちゃん)は孫を連れてイオンモール名取エアリに行くのが楽しみなんだって。それなのに私は、仙南地域にのしかかってくる名取の影に怯えてはらはらしています。損な性分。

大河原町民の購買力を狙っているのは、どの市町に所在する店なのか。元日の折込みチラシ71枚について、店舗の所在地別に分類してみました。ただし、仙台市以北は無視して県南部の市町のみです。例えば、Y電機は大河原町にのみ出店していますから大河原町に1点。ユニ○ロは大河原町と名取市に出店していますから大河原町に1点、名取市に1点。墓石の紫○堂は柴田町と亘理町に店がありますから柴田町に1点、亘理町に1点。このようにして採点した結果、大河原町40点、名取市34点、白石市18点、柴田町15点、角田市15点、岩沼市11点(以下省略)となりました。やはり名取市が多いですね。

でもユニ○ロのように大河原町と名取市に店がある場合、大河原町民の購買力を狙っているのはユニクロ大河原店のはずで、ユニクロイオンモール名取店ではありませんから名取市を消さなければなりません。このように大河原町に出店し、更にほかの市町にも出店している店については、ほかの市町を消して行きます。

その結果、大河原町に店を構えて大河原町を狙っている店は40店。名取市に店を構えて大河原町を狙っている店は15店。柴田町に店を構えて大河原町を狙っている店は10店。白石市に店を構えて大河原町を狙っている店は8店。角田市に店を構えて大河原町を狙っている店は6店になりました(以下省略)。やはり名取市の商勢力が大河原町にのしかかっているようです。と言うより、仙南地域=大河原商圏全域に名取商圏が覆い被さっている状況です。

こんなテキトーな調査などしなくても「県の消費購買動向調査報告書を見れば解決することだろう」などと、堅いこと言いっこなしよ、お客さん。テキトーでも自分の手を費やしたものは結構な意義があるんだから。
[82420] 2013年 1月 2日(水)08:01:25千本桜 さん
新年おめでとうございます
[82418] グリグリさん
昨年私が撮影した写真集も掲載しておりますのでご覧いただければ幸いです。
拝見いたしました。どれも素晴らしくて美しい! 特に(紅葉風景シリーズ)浅間山の写真が印象的でした。
(花と昆虫シリーズ)ハイビスカスの次ぎの花
これは何の花でしょうね?
シクンシ(使君子)の花だと思います。
[82291] 2012年 12月 5日(水)20:16:14千本桜 さん
宮城県南部のイメージは豪雪地帯なんでしょうか
ネットで仙南地域のことをあれこれ調べていたら、下記の記述が目に入って仰天!
県南部の大河原、白石市周辺は、福島県との県境で山が多く、積雪量も多く厳しい寒さのため、豪雪地帯に指定されています。
これは地域の捉え方が大雑把過ぎると思う。白石市の山間部は豪雪地帯かも知れませんが、大河原町、柴田町、角田市などは雪が少ない地域です。私はクリスマスまでには冬タイヤにはきかえようと思っていますが、いまだに普通タイヤなんです。

さらに、記事は次のように進みます。
県北部の栗原、大崎、登米、古川地域は、日本海側の気候となり豪雪地帯です。
気候に関しては無知ですが、登米市あたりが日本海側の気候で豪雪地帯とは初耳です。結局、この記事は地域の捉え方が大雑把過ぎるんですね。

ちなみに、全国積雪寒冷地帯振興協議会による「豪雪地帯及び特別豪雪地帯指定図」では、このような区分になっています。
[81889] 2012年 9月 27日(木)18:38:58千本桜 さん
浜千軒
[81888] 來々軒さんへ
浜千軒(鹿島市)追加注文です
[81887] 2012年 9月 26日(水)06:42:31【1】千本桜 さん
榊町と霧多布
[81883] YT さん
仮に「浜中」という町場が存在したのなら、それは榊町のことということになります。

やはり榊町の可能性が高いですね。霧多布が榊町に取って代わるのは、もう少し後になってからなのでしょう。小学校の設置も榊町の方が先のようです。ところが、来年3月に榊町小学校は霧多布小学校に統合されるようです。発生して膨らんで、萎んでいつかは消えて行く集落の一生。じんと来ます。榊町と霧多布の関係を見ていたら、そんな感情が湧いてきました。

記事番号「81883」へのレスであることを書き忘れたので、訂正機能を使い追加書き込みしました。
[81882] 2012年 9月 24日(月)00:27:11千本桜 さん
北海道釧路の浜中とは
[81876] YTさん
YTさんが書き出して下さいました『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口の中で、下から2番目の浜中についてお尋ねします。浜中の人口は明治15年1,227人、明治16年891人とあります。しかし、浜中といっても範囲が広く、しかも浜中と言う名の特定の集落(町場)は無かったと思うのです。現在では浜中と言えば浜中駅前の集落を思い起こしますが、当時はそこに町場らしき集落はなかったはず。すると、浜中とはどこなのか。おそらく、榊町霧多布を指していると思うのですが確たる証拠はありません。あの当時、あのあたりでは霧多布が最も町場らしい集落ではなかったかと想像するのですが・・・。
[81874] 2012年 9月 22日(土)08:01:37千本桜 さん
揺れ動く圏域
宮城県は7つの圏域に区分されます。昭和30年10月1日国勢調査人口と平成24年8月1日推計人口を基に、圏域の人口変動を見てみます。
圏域名昭和30年人口平成24年人口増加数増加率
宮城県全体1,727,0652,324,312597,24734.6
仙南圏202,592181,079-21,513-10.6
仙台圏669,4221,498,111828,689123.8
大崎圏250,980209,151-41,829-16.7
栗原圏136,19573,021-63,174-46.4
登米圏128,75383,081-45,672-35.5
石巻圏232,403197,003-35,400-15.2
気仙沼・本吉圏106,72082,866-23,854-22.4
こうしてみると、人口増加は仙台圏の一人勝ちで、仙台一極集中は明らか。昭和30年には全ての圏域が人口10万人を超えていましたが、現在は県北の3圏(栗原、登米および気仙沼・本吉)が10万人に満たない圏域になっています。小さい圏域は、大きい圏域への吸収統合にさらされます。現在、国が見直しを進めている2次医療圏にしても同じです。栗原医療圏は大崎医療圏へ統合。登米医療圏は、統合先を石巻医療圏にするか大崎医療圏にするかで検討の結果、石巻医療圏への統合が決まったようです。これは視点を変えれば、登米圏を引き込んで第2県都の座につきたい石巻と古川(現・大崎市)の都市間競争と言えなくもない。一方、県南部の仙南医療圏は代表都市・白石と中心都市・大河原が張り合って、それぞれに医療圏の核となる病院を置いています。でも、どちらも中途半端な規模に思えます。次に統合にさらされるのは仙南医療圏でしょう。ちなみに、見直し対象となる2次医療圏は、人口が20万人未満。他圏域からの入院患者の流入率が20%未満。他圏域への入院患者の流出率が20%以上の3基準全てに該当することだそうです。
[81841] 2012年 9月 15日(土)08:35:38千本桜 さん
裁判所、法務局、税務署あるのに、ホテルがない都市
[81838] 白桃さん
7.大河原から仙台
まだヒゲが生えていない頃、新しい靴下を履いて気を引き締め、気合いを入れて花の仙台へ“おでかけ”した記憶はありますが、どんなものを着ていたか憶えていません。

13.京都から博多?
京都の女性は、ぽっくり下駄を履いて“おでかけ”しそうなイメージですが、男を追って博多まで“おでかけ”するには、ぽっくりは非機能的です。どんな服装で京都から博多?まで“おでかけ”したかを知るのは阿久悠のみ。もう、阿久悠さんもこの世にいないけど。

話は変わります。裁判所、法務局、税務署がすべて立地しているのに、ホテルが1軒もない市町は全国にいくつあるでしょう。こんな風変りな町は大河原だけだと思います。それで事あるごとに、ホテルがないのは変ですよと訴えかけてきたのですが、興味のない人には何で変なのか分からないのですね。とある町会議員さんは、近くに遠刈田温泉があるからそれでいいじゃない、と言うのです。うんにゃー、そういう問題ではないだろう。あっしは都市戦略、都市政策として、変だ、危ない、と言っているのに、そのたびに歯ぎしりしっぱなしで、もう歯がボロボロなんです。ところが、そんなノホホン大河原にやっと待望のホテルができることになり、工事が始まりました。ホテルといってもビジネスホテルですが、それなりの規模のホテルのようです。これで当分の間は歯ぎしりしなくて済みそうです。ホテルがオープンしたら、自転車で5分の距離だけど泊りに行こう~。
[81835] 2012年 9月 12日(水)20:56:50千本桜 さん
村名と町場名の混用
江戸期、平村の中に金ヶ瀬と言う名の宿場町がありました。明治22年の町村制では、公称村名の平を抑えて通称町場名の金ヶ瀬が新村名に採択されました。この時、新村名を平とするか金ヶ瀬とするかで迷いはなかったか。記録がないので今となっては推測するのみですが、大きな迷いもなく金ヶ瀬村に決定したのではないかと思います。江戸期の頃より平と金ヶ瀬は混用されていたようですが、明治の頃には平より金ヶ瀬の呼称が多用されていたのではないかと勝手に推測をしています。さらに勝手な推測をすると、税を取り立てる官は地籍が大切だから公称村名の平を用い、世間的に通用すれば良しとする民は通りの良い町場名の金ヶ瀬を好んだのではないだろうか。そんなこんなを考えながら何年月日が経っただろう。

先日、旧家の奥様に誘われて蔵の中へ。蔵の中には江戸、明治、大正の文書、書類が保管してあるのですが、その中に明治12年の小学校卒業証書を見つけました。明治12年ですから平村の時代です。なのに、平小学校ではなく金ヶ瀬小学校と書いてあります。ああそれなのに、平小学校と彫られた学校印が押してあります。これはいったい金ヶ瀬小学校なのか平小学校なのか。こんな小さな卒業証書の中に、平と金ヶ瀬の混用の跡を発見した思いです。

町村制に移行する際、村名を捨てて町場名を新町村名にした例を何度か取り上げてきました。では、村名と町場名が同名の場合はどうなのか。例えば、明治22年、大河原村ほか3ヶ村が合併し、最大の村である大河原村の名を採択して大河原町になったと言うのが一般論です。でも、本当に大河原村の名を採択したのだろうか。もしかして、大河原村の中に形成された「大河原と言う名の町場」の名を採択したとは考えられないだろうか。こんなことを考えるのは野暮かな。でも、気になる。そんなこんなを考えながら歳をとっていくのだろう。
[81441] 2012年 8月 14日(火)21:21:59千本桜 さん
Re:旧矢吹町と広戸村の境界について
[81419] KTさん
現在の矢吹町東の内は、旧矢吹町と広戸村にまたがっていることが分かります。
調べていただいてありがとうございます。早速、KTさんが提示された境界線を繋いでみました。自然な流れの境界線で納得いたしました。東の内の西半分が旧矢吹町ということは、旧矢吹町大字大和久(江戸期~明治22年の大和久村)の一部だったのでしょうね。

5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)
その地形図に注記(表記)してある集落名についてお尋ねします。矢吹町に合併した広戸村の区域は現在、境町、本郷町、南町、東の内、田内、子ハ清水の6つに区分されています。しかし、昔の5万分の1地形図は集落注記の数が今より少なかったですから、その区域内に注記された集落名はせいぜい2個程度かなと推測します。もし、私が明治41年に生きていたら、そして5万分の1地形図に注記する集落名を選択する立場の人間だったなら、現在の本郷町の家屋密集地を指して「柿之内」と注記し、田内の家屋密集地を指して「田内」と注記する。この2つで集落注記はOKかなと思いました。境町、本郷町、南町、東の内、子ハ清水は注記されていないと踏みましたが、実際のところ、5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)ではどのようになっていますか。
[81281] 2012年 8月 9日(木)01:38:36千本桜 さん
鮫と湊
[81279] KTさん

江戸期には鮫が賑わい、その賑わいは明治中頃になって湊に移ったのだと思っていました。しかし、自信が無くなってきたので角川地名辞典に目を通してみました。どうやら私は覚え違いしていたようです。江戸期の内に鮫と湊の重要性は逆転していたようです。
角川地名辞典には次のように書いてあります。
天保年間になると湊へ廻船が入港するようになり、次第に八戸湊の中心は鮫湊から湊へと移っていく。
すると、八戸の外港としては鮫よりも湊の方がふさわしいのでしょうね。でも、鮫湊や湊を総称して八戸湊と呼んでいたそうで、そうなると八戸の外港は八戸?
[81277] 2012年 8月 8日(水)18:55:01千本桜 さん
八戸と鮫
現代では八戸そのものが港町として捉えられているわけですが、本来は少し内陸部に城下町・八戸の市街が広がり、その外港の役割を果たしていたのは鮫。・・・だと思います。


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