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稚拙さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[64438]2008年4月7日
稚拙
[64154]2008年3月29日
稚拙
[63617]2008年1月31日
稚拙
[62919]2007年12月23日
稚拙
[62835]2007年12月14日
稚拙
[62737]2007年12月1日
稚拙
[62495]2007年11月12日
稚拙
[62035]2007年10月18日
稚拙
[61090]2007年9月8日
稚拙
[60913]2007年8月30日
稚拙

[64438] 2008年 4月 7日(月)09:32:12稚拙 さん
食堂
[64207] 白桃 さん
(中略)
「新浦安まで深夜便を増発。眼がさめたらもう、ご自宅。南砺千円。」っていう文句に騙されてしまいました。
(中略)
しょうがないから乗ったろうやナイカ、と千円を渡すと、
「お客様、最終便に限りシンウラまで千五百円です。」
そんなん、アリか!!!

東京都にあるとある食堂で、メニューに出ていた食事を食べていざ会計になって、請求金額がメニューに出ていた金額より高い。店員は、
「あ、それはランチタイム用の料金で、今はランチタイムでないのでXXX円です」
と言った。腹が立ったのでその食堂には二度と行ってません。
[64154] 2008年 3月 29日(土)18:06:18稚拙 さん
だれも困らないんですか?
[64012] geo さん
 明日はダイヤ改正ですね。駅で改正後の小さな時刻表をもらったのですが,今までとかなり時刻が変わっていて驚きました。
 全国的には,大阪で『ほぼ全ての駅名に“JR”付き』おおさか東線の開業の他,多くの新駅が開業しますし,かなり大きな改正だと思います。

北陸本線の「高月」駅が「近江高月」になるかと思ったら、そのままでしたね。変更するいいチャンスなんですけどね。
1本の列車が、同じ読み方の別の駅に2回停車するっていうのは高槻と高月だけですよね。

北斗星やカシオペアが、宮城県の白石と、札幌の近くの白石を通過しますが、停車しませんし。

大阪や滋賀の人は、誰も困らないんでしょうか?
[63617] 2008年 1月 31日(木)09:47:04稚拙 さん
規則性
2008年おめでとうございます。

2007年の大みそかは、紅白歌合戦を米米クラブまで見たところでテレビを消して寝てしまい、起きたらもう元日朝4時でした。

そう言えばたいてい元日は実家にいるけど、元日に実家にいなかった時ってどれくらいあるかななと思ったら、西暦が10で割り切れる年にほとんど実家にいないことに気がつきました。

2000年は2000年問題対応のため元日は出勤でしたから、会社近くのアパートにいました。

1990年は修士論文が遅れていたので、大学院近くのアパートで論文を書いていました。

1980年は中学3年でしたから、元日午前0時は同級生たちと神社におまいりしていました。

その他の年は90%以上の確率で実家にいるのに、10で割り切れる年だけほとんど実家にいないのです。

ということで、もし再来年の元日に実家にいれば、実に40年ぶりに10で割り切れる年の元日午前0時に実家にいることになります。もっとも1970年は、幼稚園に入園する3ヶ月前ですので全然記憶はないのですが。

みなさんも、「○月○日にどの都道府県にいたか」を各年で思い起こしてみたらどうでしょうか。

規則性があるかもしれません。

ぼくの場合、元日以外ですと、2月14日は1998年と1999年連続で福岡から羽田行き航空機に乗っておりますし、11月2日は1996年と1997年連続で寝台特急はやぶさに乗っています。

なにしろ、「かくされた規則を発見する」ということは、十番勝負にも通じるものがあると思うのですので、十番勝負の訓練になると思うのです。
[62919] 2007年 12月 23日(日)10:56:23稚拙 さん
都道府県道
[62838] 紅葉橋律乃介 さん
 わたしは今まで、正式名称が「○号線」で、地名が通称だと思っていましたが(道道では)、他の都府県道は「○号線」が設定されていないのでしょうか?

少なくとも群馬県では20数年前は、番号がついていたのは国道だけで、県道以下は番号はついてなかった、ついていたとしても地図には載っていないと記憶しています。
番号がついたのは最近のことだと思います。

都道府県によって違う・・・のではないかと思いますので、北海道では昔むかしから番号がついていたとしてもおかしくないでしょう。

[62844] miki さん
なるほど...分かりました。
ですが、都道府県道の一部または全部が国道に昇格するか、他の都道府県道と合併(?)して欠番になった(あるいは番号がずれた)という事もありますよね。

どうやって全国の県道の番号を調べたらいいのかわかりませんが、もしかしたら市町村合併が微妙に影響している場合もあるかもしれませんね。
たとえば市町村合併により中核市になったり政令指定都市になったりして、その影響で市道が県道になったりとか、県道が国道になったりとか。
[62835] 2007年 12月 14日(金)18:20:01稚拙 さん
遅レス14
[62709] miki さん
市町村の合併などでよく都道府県道が名称変更する事があります。
(中略)
それについてどう思われますか?

最近は都道府県道は「主要地方道前橋古河線」などの地名をつけた名前でなく、国道と同じように番号つきで「2号線」とかいう正式名称がつきましたから、市町村合併ではその「番号」は変わらないのではないでしょうか。

とは言っても、ふだんぼくやまわりの人たちは、国道は番号で呼びますが、都道府県道は番号つきの正式名称では呼びませんね。地名入りの「通称」で呼びます。

たとえば、主要地方道前橋古河線なんかは伊勢崎の人は太田県道と呼んで、太田の人は伊勢崎県道と呼ぶ、というふうにです。ですから正式名称が変わっても、通称はおそらく変わらないでしょう。

都道府県道とは話が変わりますが、ぼくはふだん場所を認識するのに、たいていもよりの鉄道の駅で認識しています。

だから駅が描いてなく、道の名前しか描いていない地図なんか見ると場所がわかりません。

だからそんなときは、地名をマピオンで検索して、検索結果に駅がない場合縮尺を小さくして、駅が出てきたら再び縮尺を大きくして場所を認識しています。

もし駅が近くにない時でも、場所の特定には目立つ建物や信号などからどちらに進むかで説明するので、めったに道の名前を使うことはありません。道路で商売しているタクシーやトラックの運転手はどうしているのか気になります。

ついでに言いますが伊勢崎を通っている国道17号バイパスのことは、「上武国道(じょうぶこくどう)」と言い、17号などと呼ぶことはありません。

なぜなら、この道はもともと国道は354号としかつながっておらず、あとになって深谷市経由で熊谷市の17号につながり、反対側も前橋市の50号とつながったわけですから、いまだに17号とつながっているという感覚がわかないんです。

ぼくにとって国道17号とは、あくまで本庄市と高崎市を通る道のことです。17号が伊勢崎市を通っているなんて信じられません。


あ、主要地方道前橋古河線っていうのは、ニューイヤー駅伝が桐生市を通らず旧新田町を通っていたころ、新田町区間で通っていた道のことです。

事故で亡くなったオツオリ選手が通った道です。
[62737] 2007年 12月 1日(土)13:24:21稚拙 さん
遅レス13
[62561] 2007 年 11 月 18 日 (日) 14:42:28 アルバトロス さん
RE:戸籍調査?
(中略)
昔、ある方を訪ねて場所が分からなくなった時、交番で聞いたら調査票の綴りを出して確認してくれたことがありました。

昔ある人の住所を知ろうと交番できいたら、警察官は電話帳で調べていました。約20年前、電電公社がNTTになってすぐのことでした。

しかも同姓同名が多くて結局わかりませんでした。さらに、その人は電話帳に名前を載せていないことがあとでわかりました。

電話帳に名前を載せないなんて、なんて不親切な、と思いました。振り込め詐欺もない時代のことでした。
[62495] 2007年 11月 12日(月)14:16:39稚拙 さん
遅レス12
[62315] 2007 年 10 月 31 日 (水) 19:00:35【3】 日本人 さん
今月最後
(中略)
Wikipedia:オタク
おたくとは、社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である。
とのことらしく、ファンは
Wikipedia:ファン
ファン(fan)は、特定の対象に対する応援者、愛好者のこと(fanatist:狂信者の略)。
らしいです。

なんでも「狂信者」っていう意味を含んでいるのがいやで、愛好者のことをファンでなくエンスージアジスト(略してエンスー)って言おうとしている人がいるらしいですが、フライトアテンダントやスリジャヤワルダナプラコッテ並みに言いにくいことばですから、たぶんE電並みに根付かないでしょうね。
[62035] 2007年 10月 18日(木)14:25:17稚拙 さん
遅レス11
[60904] 2007 年 8 月 29 日 (水) 22:18:34 小松原ラガー さん
4市増 + 思い出の四つ角・・・

小松原ラガーです。
(中略)
え~と、先日京都に行って参りました。で、発見。[60710] 千本桜 さんのクイズにもあった
>>K:四条河原町
>>(四つ角のどちらでデートの待ち合わせをするか?それが問題だ。)
ですが、20年ばかり前の話を・・・。実は、私の学生の頃は四条河原町の交差点は
北東 化粧品屋、雑貨屋など
南東 阪急百貨店
南西 高島屋
北西 ユーハイム
となっており、待ち合わせ場所に使う時は「阪急百貨店側」とか「高島屋の前」とか、交差点のどちら側かを指定して待ち合わせることになります。

「待ち合わせ」で、とあることを思い出しましたので書いてみます。

ぼくが仙台に住んでいたころ、「藤崎」というデパートで待ち合わせすることになりました(男複数名とです)。
藤崎は、「一番丁」と「中央通り」というおもに歩行者用の道路の交差点の南東側にありました。

藤崎にとって中央通りは北側にあるのですが、南側は青葉通りなのです。乗用車がたくさん通る通りです。
ぼくは「藤崎の前」で待つように言われたので、「前」と言えば交通量の多い青葉通りのことだと思い、ずっと青葉通りの出口の前で待っていたのですが、しばらくして待ち合わせ相手の1人がやってきて、「藤崎の前と言ったら中央通りの出口のことだ」と言われてついていくと、ぼく以外の人はみんな中央通りの出口で待っていました。

藤崎の前が待ち合わせ場所になったのはこれが最初で最後になってしまったので、一般的に仙台で藤崎の前と言ったら大多数が中央通りの出口のことをさすのかわかりませんが、「前と言ったら南側」という常識的な考えがあてはまらない場合があるんだなと思いました。
[61090] 2007年 9月 8日(土)15:12:57稚拙 さん
Re: 地図ファンになるきっかけは何でしょうか
[60949] 2007 年 9 月 1 日 (土) 06:41:05【11】 日本人 さん
レス
(中略)
この落書き帳のメンバーに質問です。地図ファンになるきっかけは何でしょうか僕は3歳の時カーナビに初めてふれたからです。

ぼくが地図を良く見るようになったわけは、やはり「遠くに行きたい」からですね。

ですが、「日常的に電車に乗っている時期」って、それほど遠くに行きたいとも思わないんです。ぼくの場合、高校時代とか、就職して最初の2年が日常的に電車に乗っていた時期でした。そのころはそれほど遠くに行きたいとも思わず、地図もそれほど見たいとは思いませんでした。

それでも高校時代、地元になかった2万5千分の1の地図が前橋に売っていたので地元の地図を買ったりしていましたが、地元を確認するためで、遠くに行くこととは無関係でした。

電車に乗っていない時期は、むしょうに遠くに行きたくなるわけです。でもそんなに遠くに行くわけにもいきませんから、時刻表を見るわけです。でも時刻表の地図って日本列島をぐしゃっと折り曲げていて形が不正確なので、それを地図で「補完」したりするわけです。

まして学校や会社でいやなことがあると、とても遠くに行きたくなるわけです。

それから、クラスの他の人たちが自分より多く遠くに行っているのではないかと思った時、たとえば、高崎の観音様にバスで行ったときに、ガイドさんに「観音様に来るのがきょうはじめての人!」とか言われて元気に手を上げたら、ぼくしか手を上げてなかった時、そんな時に遠くに行きたくなり、地図を見たくなりますね。

あと群馬県って、養蚕が日本一ですよね。ぼくが小学校のころ、うちは養蚕農家だったんですよ。養蚕っていうのは夏休みがシーズンなんです。だからぼくは夏休みにどこにも連れていってもらえなかったんです。

だから二学期になって、クラスのやつらが大洗に海水浴に連れていってもらったなどと言っていると、「大洗ってどこなんだろう?」と思って遠くに行きたくなりますね。

だからぼくは、小学生のうちから遠くに連れていってもらっている日本人さんが、とてもうらやましいのですよ。

たとえば横川の鉄道の博物館に行くと、どちらかと言うと日本人さんみたいに遠くに行くのが大好きという子供は少なくて、いやいや鉄道ファンのおとうさんに引きずられて来ている子供が多いです。

鉄道ファンの子供の親は遠出がきらいで、子供を横川などには連れていかないのでしょうね。うまくいかないものです。
[60913] 2007年 8月 30日(木)10:06:43稚拙 さん
遅レス10
[60613] 2007 年 8 月 15 日 (水) 20:22:27 ニジェガロージェッツ さん
 昭和76年の神戸市 ― (1)
(前略)
昨年、転宅した際にダンボール箱へ押し込んでいた雑誌類を今になって整理していると「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」という懐かしい冊子が出てきました。
タイトルからは6年前の冊子のように感じられますが、実は31年前の1976(昭和51)年に当時の神戸市企画局総合調査課から発行されたものです。要するに、昭和50~51年当時に神戸市が夢見た21世紀初年の2001(昭和76)年の未来の神戸を、多くのイラストや地図を添えて描いたものです。
圧巻は巻末にある折込の地図で、ここには「えっ」と思うような所に地下鉄が通っていたりする一方、現実の21世紀の現在には存在するものが影も形も描かれていなかったり、今にしてみると随分面白い地図です。

SMAPの「夜空ノムコウ」という歌に、「あのころの未来にぼくらは立っているのかな」という歌詞がありますが、いまひとつ「あのころの未来」という言葉の意味がわかりませんでした。

しかしニジェガロージェッツさんの神戸の話を読んで、ああ、「あのころの未来」っていうのは、そういうことなんだな、とわかりました。

神戸以外にも、「あのころの未来」に相当する想像図があったら見てみたいですね。


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