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むっくんさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[83139]2013年4月19日
むっくん
[83023]2013年3月24日
むっくん
[82890]2013年2月15日
むっくん
[82836]2013年2月1日
むっくん
[81945]2012年10月12日
むっくん
[81944]2012年10月12日
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[81931]2012年10月9日
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[81910]2012年10月6日
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[81869]2012年9月19日
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[81839]2012年9月14日
むっくん

[83139] 2013年 4月 19日(金)12:25:54むっくん さん
市制施行の要件(vol.2)
かつて[75438]拙稿で市となるための要件(人口要件)をまとめました。

[75438]においては、
S18 内務省での市制施行の内規改正
人口5万人以上(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による
と書きましたが、これを

S18.4.17 内務省発地第36号(市制施行詮議内規)
人口5万人以上で都市的形態を具備するものと認められること

S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)
人口3万人以上で都市的形態を具備するものと認められること
へと追記・修正します。


なお、
S18.4.17 内務省発地第36号(市制施行詮議内規)
S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)
の詳細は以下の通りです。
#S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)につきましては、新潟県市町村合併誌(上巻)(編:新潟県総務部地方課、発行:新潟県、S37.12.27)1021頁の記載によりました。

S18.4.17 内務省発地第三六號
市制施行詮議内規
一、市制の施行は其の豫定地域に於ける現住人口五萬以上なることを要すること
二、市制の施行は其の豫定地域に於ける住民の業態、市街地の形成、都市的施設其の他各般の事項に付概ね都市的形態を具備するものと認められることを要すること
(備考)
(1)住民の業態に付ては商工業的業態の戸数が全戸数の六割以上を占むるものなること
(2)市街地の形成に付ては中心市街地に於ける連たん戸数全戸数の六割以上を占むるものなること
三、前二項の基準に該当せざるも特に大工場の設置等に依り近く前二項の基準に達する見込確実にして且新興都市として都市計画的見地等より都市的建設を圖るの要あるものは特に之を詮議することを得ること


S21.12.2 内務省発地第二九一號
市制施行詮議内規
一、市制の施行は、その豫定地域における、現住人口が三萬以上であることを必要とすること
二、市制の施行は、その豫定地域における住民の業態、市街地の形成、都市的施設その他各般の事情について、概ね、都市的形態を具えるものと認められることを必要とすること
(備考)
(1)住民の業態については、商工業その他都市的業態の戸数が全戸数の六割以上を占めるものであること。
(2)市街地の形成については、中心市街地における連たん戸数が全戸数の六割以上を占めるものであること。
[83023] 2013年 3月 24日(日)18:20:29むっくん さん
鹿児島(2題)
[83018]グリグリさん
A. 郡名由来と思われるもの(誕生時に存在した郡名と完全一致)
鹿児島市(鹿児島郡 山下町, 他計50町村…)★
鹿児島市は郡よりも郷の方がより適切ではないでしょうか。少なくとも明治時代前半では鹿児島県においては郷という考えが生きており、郡はあまり存在感がありませんでした。

[83021]白桃さん
本日の選抜高校野球大会で、鹿児島県志布志市の尚志館高校が、大和広陵高校に見事な逆転勝ちをしましたが、アナウンサーがしきりに「大隅半島から初の甲子園出場、しかも初勝利」などと何度も言っていたのが気になりました。
(中略)
何故「大隅地方から初の甲子園出場」と言わなかったのでしょうか。
これは、志布志のある南諸県郡が大隅国ではなくて、日向国所属であったからではないでしょうか。
[82890] 2013年 2月 15日(金)18:32:24むっくん さん
続・天保郷帳での記載について
以前YTさんが[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて天保郷帳の複製本(編:史籍研究會、1984)(YTさんはこの本のことを『原本』と表記されています)とその『解読篇』についての詳細をまとめられていました。

そして[79622]拙稿にて村数の差異について推測を述べ、[79623]YTさんにおいて確認をして頂きました。その続きです。

[76919]YTさん
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
和泉國泉郡8938,432.6906008931,077.9622007,354.728400
和泉國南郡6730,120.0766006737,289.234600-7,169.158000
和泉國日根郡7656,414.3006007656,599.871000-185.570400
---------
この三ヶ所についてもおそらく天保郷帳の編集の際のミスであろうと以前から推測していました。
そこで天保郷帳(和泉国)及び天保国絵図(和泉国)とを比較し、以下に、誤りと考えられるところを挙げます。

泉郡となっているが、南郡と考えられるところ(天保郷帳の21コマ左側~24コマ右側の合計24村)
土生村、尾生村、上松村、下松村、額原村、小松里村、下池田村、中井村、福田村、鳥羽村、新井村、小瀬村、永吉村、久保村、半田村、作才村、西之内村、別所村、沼間村、岸和田村、津田村、堀村、嶋村、貝塚村

南郡となっているが、泉郡と考えられるところ(天保郷帳の26コマ左側~29コマ右側の合計24村)
春木川村、大沢村、父鬼村、大野村、坪井村、佛並村、下宮村、小野田村、鍛冶屋村、唐國村、内田村、春木村、松ノ尾寺村、久井村、若樫村、内畑村、観音寺村、寺門村、和気村、和気郷庄、小田村、今福村、寺田村、箕形村

南郡となっているが、日根郡と考えられるところ(天保郷帳の29コマ左側~31コマ右側側の合計16村)
五門村、紺屋村、野田村、小垣内村、小谷村、久保村、土丸村、大木村、畠中村、石才村、橋本村、堤村、地蔵堂村、王子村、七山村、大久保村

日根郡となっているが、南郡と考えられるところ(天保郷帳の35コマ左側~37コマ右側の合計16村)
三田村、包近村、中村、稲葉村、積川村、河合村、相川村、塔原村、箕土路村、両大路村、大町村、池尻村、今木村、田治米村、新在家村、摩湯村

おそらく、上記の箇所を修正することで和泉国の箇所における、『解読篇』と『原本』の石高差がなくなるものと考えられます。
[82836] 2013年 2月 1日(金)12:32:27むっくん さん
滋賀県ホームページ
本年の初書き込みです。本年もよろしくお願いします。

>Hiro_as_Fillerさん

滋賀県の公式ホームページのURLアドレスが本日より以下に変更されましたのでお知らせします。

http://www.pref.shiga.lg.jp/
[81945] 2012年 10月 12日(金)18:15:10【1】むっくん さん
境界変更での人口異動(その2)
前稿[81944]の続きです。
[81944]及び本稿の目的は境界変更(小)における人口異動の有無です。そこで(I)~(VI)の各法令の下で、境界変更にて人口異動がどのように公告されてきたかを具体的事例と共に見ることとします。

まずは(I)の具体的事例ですが、これは法令の本文からも分かるように、人口異動について公告されてはいません。


次に(II)の具体的事例です。
# 1902(M35).7.31境界変更 大阪府北河内郡諸堤村, 中河内郡北江村(微)→北河内郡諸堤村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報明治35年7月31日第1808号(PDF)2コマの大阪府告示第157号(M35.7.31)です。
大阪府告示第百五十七号
町村制第四條に依り中河内郡北江村の内寝屋川北岸以北大字鴻池二千八十八番地ノ一、二千八十八番地、千三百二十五番地、千三百二十六番地、千三百二十七番地、千三百二十八番地及千三百二十九番地以西の部分を北河内郡諸堤村に編入す
明治三十五年七月三十一日 大阪府知事 高崎親章

又、この境界変更による人口が大阪府公報明治35年9月25日第1824号(PDF)9コマの大阪府告示第199号(M35.9.25)に記載されています。
大阪府告示第百九十九号
明治三十五年七月三十一日府下中河内郡北江村の一部を北河内郡諸堤村に編入し両郡の境界変更の処分を為したる日の現住人口左の通
明治三十五年九月二十五日 大阪府知事 高崎親章
中河内郡___十万五千二十四人
仝郡北江村__二千二百三十六人
北河内郡___七万九千九百二十五人
仝郡諸堤村__千六百七十人


次に(III)の具体的事例です。
# 1908(M41).11.1境界変更 大阪府泉南郡樽井村, 日根野村(微)→泉南郡樽井村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報明治41年12月17日号外(PDF)7コマの大阪府告示第625号(M41.12.17)です。
大阪府告示第六百二十五号
明治四十一年十一月一日泉南郡日根野村より仝郡樽井村に飛地せる土地全部を仝郡樽井村に編入せり
明治四十一年十二月十七日 大阪府知事 高崎親章

又、この境界変更による人口が大阪府公報明治42年1月18日第2440号(PDF)7コマの大阪府告示第17号(M42.1.18)に記載されています。
大阪府告示第十七号
明治四十一年十一月一日府下泉南郡日根野村は樽井村境界変更の処分を為したる日の現住人口左の通
明治四十二年一月十八日 大阪府知事 高崎親章
泉南郡
日根野村__弐千九百弐人
樽井村___千八百八十壱人


次に(IV)の具体的事例です。
#44 1924(T13).4.1 境界変更 三重県飯南郡松阪町, 港村の一部→飯南郡松阪町
を見てみます。

廃置分合規定は三重県公報(大正13年2月12日第1150号)(PDF)3コマの三重県告示第69号(T13.2.12)です。
三重県告示第六十九号
町村制第三條に依り大正十三年四月一日より飯南郡港村の区域中大字鎌田、松阪、石津、荒木、郷津、高町屋、大口の七大字を飯南郡松阪町に編入す
大正十三年二月十二日 三重県知事 田子一民

又、この廃置分合による人口が三重県公報(大正13年5月23日第1178号)(PDF)4-5コマの三重県告示第266号(T13.5.23)に記載されています。
三重県告示第二百六十六号
大正十年八月二十七日内閣告示第五号及び大正十年十月二十一日三重県告示第三百四十三号告示の人口は大正十三年四月一日飯南郡松阪町及同郡港村の境界変更に依り左の通異動せり
大正十三年五月二十三日 三重県知事 千葉了
三重県総計__一、〇七三、一一四人
_______(二、二五一)
飯南郡合計__八七、九〇七
飯南郡松阪町_二五、二二四
同郡港村___二、七五六
備考 本表括弧内の数字は総現在人口中部隊艦船又監獄内に在りたる人員を示す


次に(V)の具体的事例です。
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府布施市, 中河内郡加美村(微)→布施市
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡加美村, 布施市(微)→中河内郡加美村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡巽村, 加美村(微)→中河内郡巽村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡加美村, 巽村(微)→中河内郡加美村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府布施市, 中河内郡巽村(微)→布施市
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡巽村, 布施市(微)→中河内郡巽村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報昭和12年9月27日第1393号(PDF)1-5コマの大阪府告示第1062号(S12.9.27)です。
大阪府告示第千六十二号
昭和十二年十月一日より布施市、中河内郡加美村及同郡巽村市村界を左の通変更す
昭和十二年九月二十七日 大阪府知事 池田清
(略)

又、この境界変更による人口が大阪府公報昭和12年10月8日第1398号(PDF)1コマの大阪府告示第1092号(S12.10.8)に記載されています。
大阪府告示第千九十二号
昭和十二年十月一日より実施の布施市、中河内郡加美村及同郡巽村市村境界変更に係る市制町村制施行規則第一條の規定に依る布施市及中河内郡加美村の人口左の如し
昭和十二年十月八日 大阪府知事 池田清
布施市_____九五、八九八人
中河内郡加美村_七、一〇九人

#人口異動が布施市と中河内郡加美村の間でのみしか行われなかったため、布施市と中河内郡加美村のみの記載となっています。


最後に(VI)の具体的事例です。
# 1957(S32).4.1 境界変更 大阪府箕面市, 茨木市(微)→箕面市
を見てみます。

廃置分合の根拠規定は総理府告示第161号(S32.3.30)です。
地方自治法第7条第1項の規定により、大阪府茨木市大字粟生間谷1の1から174まで、701から859までの区域を箕面市に編入する旨、大阪府知事から届出があつた。
上記の境界変更は、昭和32年4月1日からその効力を生ずるものとする。

又、この境界変更による人口が大阪府公報昭和32年4月22日第4395号(PDF)2コマの大阪府告示第294号(S32.4.22)に記載されています。
大阪府告示第二百九十四号
昭和三十二年四月一日から茨木市大字粟生間谷の区域の一部を箕面市に編入したので、地方自治法施行令(昭和二十二年政令第十六号)第百七十七条第一項第二号の規定による茨木市及び箕面市の人口は、次のとおりである。
昭和三十二年四月二十二日 大阪府知事代理 山村庄之助
茨木市 五九、一三七人
箕面市 二九、二五九人


さて、以上の事例から私が思いつく問題点は3つです。

一つ目は人口の記載された都道府県の告示より、どのようにして厳密な人口異動数を算出されるのでしょうか。少なくとも私にはその方法が思いつきません。

二つ目は(II)の内務省令第五十八号(M32.12.26)が施行される以前は人口異動の有無について知る手段が無いということです。仮に私の挙げた一つ目の問題点が解決できたとしても、境界変更(小)の記載に際して(3-a)人口異動ありと(3-b)人口異動なしを判別出来る資料がそもそも無い、という年代が存在します。

三つ目は、境界変更(小)の記載に際して(3-a)人口異動ありのものに限定する場合ですと、どのように記載するか判断できないこともあるということです
一例として今回の(V)の具体的事例が挙げられます。この事例において、市区町村変遷情報に記載するにあたって

1937(S12).10.1境界変更布施市布施市, 中河内郡 加美村(微)
1937(S12).10.1境界変更中河内郡加美村中河内郡 加美村, 布施市(微)

と書くのが適切か、それとも

1937(S12).10.1 境界変更 布施市 布施市, 中河内郡 加美村(微)

と書くのが適切か、それとも

1937(S12).10.1 境界変更 中河内郡加美村 中河内郡 加美村, 布施市(微)

と書くのが適切かが分かりません。
[81944] 2012年 10月 12日(金)18:08:42むっくん さん
境界変更での人口異動(その1)
[81919]グリグリさん
(3-a)(3-b)の人口異動数を変遷情報に記録したいと考えています。
果たして、グリグリさんの野望は実現可能なものなのでしょうか。取りあえず法令を調べてみました。

最初に人口についての法令の沿革です。

初めて人口について触れたのが
(I)内務省令第三号(M23.7.14)
市町村の人口は毎年十二月末日調査の現在数に依り翌年官報を以て告示し之を市制町村制に記載する最終調査の人口とす 但告示の後市町村を廃置分合し又は其境界を変更するときは次回の告示を為す迄の間其処分を為したる当時の調査に依るものとす
です。

これは
(II)内務省令第五十八号(M32.12.26)
明治二十三年内務省令第三号左の通改正す
市制第百三十條及町村制第百三十五條に規定せる市町村の人口は内閣統計局に於て調査し官報を以て報告する最近の人口に依る 但該報告ありたる後市町村を廃置分合し又は其の境界を変更したるときは次回の報告あるまでの間其の処分を為したるときの現在に依り其の人口は府県知事に於て之を調査し管内に告示すべし
と改正されます。

次に
(III)内務省令第二十二号(M40.8.31)
府県郡市町村の人口及府県制第五條第三項郡制第五條第四項議員配当の件左の通定む
第一條 府県制市制町村制に規定せる府県市町村の人口は内閣統計局に於て官報を以て報告する最近の人口に依る
2 前項人口調査の期日以後市(府県制第四條第二項但書の区とも以下同じ)町村を廃置分合し又は其の境界を変更したるときは関係市町村の人口は府県知事に於て之を調査し管内に告示すべし 此の場合に於て其の処分市町村全部の区域に係るものゝ人口は内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したるものに依る 其の分割を為し新たに市町村を置きたるとき及市町村の一部を割きて他の市町村に併合し又は境界変更を為したるときは其の分割したる各部の人口は処分を為したる当時の現在に依る
第二條 前條第二項の場合に於て二箇以上の府県郡の境界を渉るときは其の府県郡の人口も之を告示すべし其の人口は前條第二項告示の市町村人口と内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したる郡市町村の人口とを集計したるものに依る
第三條 町村を変じて市と為したるときは府県知事に於て其の市及郡の人口を告示しべし 其の人口は内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したる旧町村の人口を以て市の人口とし其の他の町村人口を集計したるものを以て郡の人口とす
第四條 府県郡を廃置分合し若は其の境界を変更したるときは前三條の例に依る
(中略)
附則
第七條 本令は公布の日より之を施行す
と改正されます。
このとき分かるのが廃置分合に関係した市町村の人口です。

次に
(IV)内務省令第九号(T3.6.23)
府県郡島嶼市区町村の人口及び府県制第五條第三項郡制第五條第四項議員配当の件左の通定む
第一條 府県制市制町村制明治四十四年勅令第二百四十四号及本令に規定せる府県郡島嶼市区町村の人口は内閣統計局に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て市区町村の廃置分合、境界変更を為し又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは関係市区町村の人口は左の区別に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の区域に現住者なきときは此の限に在らず
一 市区町村の廃置分合にして市区町村全部の区域に係るときは内閣統計局に於て官報を以て公示し又は本令の規定に依り府県知事の告示したる関係市区町村の最近の人口を集計したるもの仍市区町村の廃置分合前の日に属する最近の人口を内閣統計局に於て官報を以て公示ありたるときは更に其の公示に係る関係市区町村の人口を集計したるもの
二 前号以外の場合に於ては府県知事の調査したる市区町村の廃置分合、境界変更又は所属未定地編入を為したる日の現在人口
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる為関係市区町村の人口に異動ある場合に之を準用す
第二條 前條第二項第二号及び第三項の告示を為すときは府県知事は同時に府県郡島嶼の人口を告示すべし其の人口は郡島嶼に在りては町村の人口を集計したるものとし府県に在りては郡島嶼市区の人口を集計したるものとす
第三條 府県島嶼を廃置分合し若は其の境界を変更したるときは前二條の例に依る
(中略)
附則
本令は大正三年七月一日より之を施行す
と改正されます。
このとき分かるのが廃置分合に関係した市町村の人口です。

次に
(V)内務省令第18号(府県制施行規則)(T15.6.24)
第一條 府県制第五條及び本令第三條に規定する人口は内閣に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て府県、市、区、従前郡長又は島司の管轄したる区域の境界に渉りて市区町村の廃置分合、境界変更を為したるとき又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは府県、従前郡長又は島司の管轄したる区域の人口は左の区別に依り、市区の人口は市制町村制施行規則第一條第二項乃至第四項の規定に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の区域に現住者なきときは此の限に在らず
一 従前郡長又は島司の管轄したる区域に於ては市制町村制施行規則第一條の規定に依る町村の人口を集計したるもの
二 府県に在りては市制町村制施行規則第一條の規定に依る市区町村の人口を集計したるもの
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる場合に之を準用す
4 前三項の人口中には部隊艦船又は監獄内に在りたる人員を含まず。
第二條 府県の廃置分合又は境界変更ありたるときは前條第二項及び第四項の例に依る
(中略)
附則
本令中議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行し其の他の規定は大正十六年度より之を施行す
内務省令第19号(市制町村制施行規則)(T15.6.24)
第一條 市制町村制に規定せる市区町村の人口は内閣に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て市区町村の廃置分合、境界変更を為し又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは関係市区町村の人口は左の区別に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の地域に現住者なきときは此の限に在らず
一 一市区町村又は数市区町村の全部の区域を以て一市町村を置きたる場合又は一市区町村若は数市区町村の全部の区域を他の市区町村の区域に編入したる場合に於ては関係市区町村の人口又は之を集計したもの
二 前号以外の場合においては、当該市区町村の人口を廃置分合、境界変更ありたる日の現在に依り府県知事の調査したる人口に按分して算出したる当該地域の人口又は其の人口を関係市区町村の人口より控除したるもの
三 所属未定地を市区町村に編入したるときは編入の日の現在に依り府県知事の調査したる其の地域の人口を関係市区町村の人口に加算したるもの
四 前三号の規定に依る人口の告示ありたる日以後に於て市区町村の廃置分合若は境界変更又は所属未定地編入前の日に属する最近の人口を内閣に於て官報を以て公示ありたるときは更に其の告示に係る人口を基礎とし前三号の規定に依り算出したるもの
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる場合に之を準用す
4 前三項の人口中には部隊艦船又は監獄内に在りたる人員を含まず。
(中略)
附則
本令中議員選挙に関する規定は次の総選挙より、財務に関する規定は大正十六年度より、其の他の規定は大正十五年七月一日より之を施行す
と改正されます。
#内務省令第九号(T3.6.23)を廃止させた法令は内務省令第19号(市制町村制施行規則)(T15.6.24)の方です。

次に(V)の二つの法令は内務省令第二十九号(地方自治法施行規則)にて廃止され、人口に関する法令は新たに
(VI)政令第十六号(地方自治法施行令)(S22.5.3)
第百七十六條
地方自治法第二百五十四條公示の人口の調査期日以後において、都道府県又は郡(北海道にあつては支庁長の管轄区域本省中以下これに同じ)の境界にわたつて市町村の廃置分合若しくは境界変更があつた場合、都道府県又は郡の境界にわたつて所属未定地を市町村の区域に編入した場合若しくは市町村の境界が確定した場合、郡の区域内において市の設置があつた場合若しくは町村が市となつた場合においては当該区域に現住者がいない場合を除く外、都道府県又は郡の区域の人口は左の区分により都道府県知事の告示した人口による。
一 郡にあつては、地方自治法第二百五十四條又はこの政令第百七十七條の規定による町村の人口を集計したもの
二 都道府県にあつては、地方自治法第二百五十四條又はこの政令第百七十七條の規定による市町村の人口を集計したもの
2 前項第一号の規定は、郡の区域をあらたに画し又はこれを変更した場合に、同項第二号の規定は、都道府県の廃置分合又は境界変更があつた場合にこれを準用する。
第百七十七條 地方自治法第二百五十四條の公示の人口の調査期日以後において、市町村の廃置分合若しくは境界変更があつた場合、所属未定地を市町村の区域に編入した場合、又は市町村の境界が確定した場合においては、当該区域に現住者がない場合を除く外、関係市町村の人口は、左の区分により都道府県知事の告示した人口による。
一 数市町村の全部の区域を以て一市町村を設置した場合又は一市町村若しくは数市町村の全部の区域を他の市町村の区域に編入した場合においては、関係市町村の官報公示の人口を集計したもの
二 前号以外の場合においては、当該市町村の官報公示の人口を廃置分合、境界変更又は境界確定のあつた日の現在により都道府県知事の調査した人口に比例して算出した当該区域の官報公示の人口若しくはその人口を集計したもの又はその人口を関係市町村の官報公示の人口に加え若しくは関係市町村の官報公示の人口から差し引いたもの
三 所属未定地を市町村に編入したときは、編入の日の現在により都道府県知事の調査した当該区域の人口を関係市町村の官報公示の人口調査の結果による人口に加えたもの
2 前項の規定は、地方自治法第百五十五條第二項の市の区をあらたに画し、又はその区域を変更した場合にこれを準用する。
(中略)
附則
第一條 この政令は地方自治法施行の日から、これを施行す
と制定されます。

その後政令第十六号(地方自治法施行令)は幾度の改正を経て、現在に至っています。

次稿で(I)~(VI)の具体的事例を見てみることとします。
[81931] 2012年 10月 9日(火)12:59:55むっくん さん
境界変更(小)での市区町村変遷情報への記載方法
[81919][81928]グリグリさん
[81919]の(3-a)までの境界変更データを変遷情報に追加しました。2005年10月2日以降2010年10月1日までの2005年から2012年の間の人口異動を伴う組替え要因と人口組替にリストされている7件(総務省告示単位では8件)と、それ以降2011年10月1日までの境界変更データで人口異動が有りそうなものを抽出しました。
さっそく市区町村変遷情報で確認してみました。
今回追加された事例は、従前は「近世村の範囲未満の部分」であるからこそ記載されていなかったものと思われます。そこで、従前の編集方針([75399]88さん)に従いますと“○○村(市,町)の一部”は“○○村(市,町)(微)”と記載する方が適切であると考えます。

一例として青森県の
141 2007(H19).9.1 境界変更 南津軽郡藤崎町 藤崎町, 青森市の一部
を挙げますと、これは
141 2007(H19).9.1 境界変更 南津軽郡藤崎町 藤崎町, 青森市(微)
と修正することとなります。
[81910] 2012年 10月 6日(土)11:55:58むっくん さん
Re:Re:境界変更情報
[81908]88さん
私もいまいちグリグリさんの真意が分かりませんが、[56539]での88さんの記述を参考にしてグリグリさんの考えておられるところを推測しました。

現状で市区町村変遷情報がどこまでを対象にするかに対しての案は大きく言って4つくらいあります。即ち
(1)廃置分合まで市町村の増減を主とし、あわせて改称、郡・区設置等を記載
(2)境界変更(大)まで実質的に「藩政村」の変遷を記載
(3)境界変更(小)まで地方自治法第7条にいう「境界変更」すべてに対応
(4)所属未定地の編入・埋立まで自治体の範囲が変わるものはすべて網羅
の4つです。
市区町村変遷情報の収録対象は、現在は(2)です。

今回のグリグリさんの提案は(3)を
(3-a)境界変更(小)までで人口異動を伴うもの
(3-b)境界変更(小)までで人口異動を伴わないもの
に分けて市区町村変遷情報の収録対象を現在の(2)から(3-a)に変更しようとするものであるというものではないでしょうか。
[81869] 2012年 9月 19日(水)18:32:53【1】むっくん さん
Re:瞬間の市
[81866]グリグリさん
[81862]hmtさんのリストに記載があり、瞬間の市に記載が無い6市(岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市、大和高田市、泉佐野市)の法的根拠を官報等で調べました。

まずは地方自治法が施行される以前の市制町村制の時の4市(岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市)を見ます。
(1) 1936(S11).4.1市制/改称 長野県諏訪郡平野村→岡谷市
この市制の法的根拠は内務省告示第82号(S11.3.7)で
内務省告示第八十二号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ長野県諏訪郡平野村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ岡谷市ヲ置ク
昭和十一年三月七日 内務大臣 後藤文夫
とあります。

(2) 1940(S15).11.10市制/改称 兵庫県武庫郡精道村→芦屋市
この市制の法的根拠は内務省告示第580号(1940(S15).11.6)で
内務省告示第五百八十号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十五年十一月十日ヨリ兵庫県武庫郡精道村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ芦屋市ヲ置ク
昭和十五年十一月六日 内務大臣 安井英二
とあります。

(3) 1942(S17).4.1市制/改称 大阪府泉北郡大津町→泉大津市
この市制の法的根拠は内務省告示第158号(1942(S17).3.20)で
内務省告示第百五十八号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年四月一日ヨリ大阪府泉北郡大津町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ泉大津市ヲ置ク
昭和十七年三月二十日 内務大臣 湯澤三千男
とあります。

(4) 1942(S17).6.10市制/改称 北海道常呂郡野付牛町→北見市
この市制の法的根拠は内務省告示第374号(1942(S17).5.27)で
内務省告示第三百七十四号
市制第三条、北海道一級町村制第一条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年六月十日ヨリ北海道常呂郡野付牛町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北見市ヲ置ク
昭和十七年五月二十七日 内務大臣 湯澤三千男
とあります。

これら4市を成立させることとした内務省告示を見ますと、名称変更の条文(市制第七條、町村制第五條、北海道一級町村制第一條で町村制第五條を準用)を使用せずに廃置分合の条文(市制第三條、町村制第三條、北海道一級町村制第一條で町村制第三條を準用)を使用しています。
市町村会議員必携(実例判例市制町村制逐条示解)(著:河本速夫、出版:自治正調協会、S12.12.18)での解説“名称ノ変更トハ”に依りますと、
村を町と為し、町を村となすも町と村とは元より町村制と云ふ同一の制度の下に置かれたものでありますから法律上其の性質を変更するものではありません只其の名称を変更するに過ぎませんが町を市と為し市を町とする場合は名称の変更ではありません。其の市又は其の町である自治団体は消滅して更に市又は町なるものが存在するものでありますから此の場合は廃置分合の手続きによらねばなりません。
とあり、上記(1)~(4)の4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。内務省告示の文章中でも
ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク
とあることより(1)~(4)の4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。
さて、変更種別が新設/市制となりますと、「市制施行日にのみ存在した市」、「市制施行日に先行して町名を改称した市」のいずれにも該当することはありえません。


続いて市制町村制等が廃止され地方自治法が施行された後のものを見ます(大和高田市、泉佐野市)。

地方自治法詳解(編・発行:内務大臣官房文書課、S22.7.15)によりますと
三 市の基準
(略)
従来町村は町村制を基礎法規としていたから町を村とし、村を町とすることは単なる名称の変更に類似し、人格の生減を伴わなかつたが、地方自治法においては、市と町村を通じて同一法律に基く地方公共団体となった結果単一の町村がそのまま市となる場合又は市が町村となる場合には、人格の生減を伴わないこととなるわけである
とあることより、従前の市制町村制の時に使用された廃置分合の規定が用いられずに、地方自治法(S22.4.17法律第67号)
第三条
3 都道府県及び特別市以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定のあるものを除く外、条例でこれを定めなければならない。
第八条
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
の規定が用いられるようになりました。
#第八条第二項は地方自治法の一部を改正する法律(S22.12.12法律第169号)によりS23.1.1以降は第八条第三項と変更されました。


(5) 1948(S23).1.1市制/改称 奈良県北葛城郡高田町→大和高田市
この市制の法的根拠の一つ目は内務省告示第395号(1947(S22).12.27)で
内務省告示第三百九十五号
地方自治法第八条の規定により、昭和二十三年一月一日から、奈良県北葛城郡高田町を大和高田市とする。
昭和二十二年十二月二十七日 内務大臣 木村小左衛門
とあります。
そして地方自治法の第三条第三項の規定により、法的根拠の二つ目として条例の存在が推認できます。また、地方自治法詳解では
五 告示
条例及び規則は必ず一定の公告式によつてこれを告示しなければならない。法規は、これを遵守すべきものに終始せしめたうえでなければその効力を生ぜず、且つ執行しないこととすることが立憲主義上当然の要請であるからである。告示の様式には別に制限はないが、従前の府県公報、市町村公報等によるべきである。
とあります。官報及び奈良県報(奈良県の公報)で名称変更の条例の存在が確認できないことより、おそらく高田町公報に名称変更の条例があるものと考えられます。
そして名称変更の条例があるならば、大和高田市は「市制施行日にのみ存在した市」もしくは「市制施行日に先行して町名を改称した市」のいずれかに該当することとなるのでしょう。

(6) 1948(S23).4.1市制/改称 大阪府泉南郡佐野町→泉佐野市
この市制の法的根拠の一つ目は総理廳告示第五十六号(1948(S23).4.9)で
総理廳告示第五十六号
町を市とする処分
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年四月一日から、大阪府泉南郡佐野町を泉(いずみ)佐(さ)野(の)市とする旨、大阪府知事から届出があつた。
昭和二十三年四月九日 内閣総理大臣 芦田均
とあります。
そして法的根拠の二つ目として名称変更の条例があり
佐野町条例第27号(佐野町を佐野市とされた場合における新市の名称変更についての条例)(S23.3.24)
昭和23年3月24日
佐野市を泉佐野市に変更する。
付則
この条例は、佐野町を佐野市とされた日から、これを施行する。
とあります。
#参考までに大阪府公報昭和23年3月29日第2999号(PDF)p1では
大阪府告示第百八十七号
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年四月一日から、泉南郡佐野町を、佐野市とし、同法第三條第三項の規定により、同日から市の名称を、泉佐野市に変更する條例を許可した。
昭和二十三年三月二十九日 大阪府知事 赤間文三
とあります。
総理廳告示からは分かりませんが、佐野町条例と大阪府告示より、大阪府泉佐野市は「市制施行日に先行して町名を改称した市」として付け加えることになるものと思われます。

訂正
【1】地方自治法(S22.4.17法律第67号)と地方自治法の一部を改正する法律(S22.12.12法律第169号)のリンク先を変更
[81839] 2012年 9月 14日(金)18:16:52むっくん さん
北埼玉郡埼玉村の読み方
[81832]グリグリさん
近代デジタルライブラリーの文献(計4件)を確認してみたところ、すべて「さいたま」でした。
埼玉県の町村制施行に際して行われた町村の廃置分合の法的根拠は、埼玉県の県令第七号(M22.3.23)です。これを、埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、発行:埼玉県、S35.4.1)により確認してみますと、276頁の武蔵国北埼玉郡のところで
名称区域/旧町村名
(略)
埼(サイ)玉(タマ)村埼玉村 利田村 渡柳村 野村
(略)
と記載されていました。
ということで、少なくとも法的には埼玉村は「さいたま」村と読んだものと考えられます。


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