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うるうさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[39633]2005年4月11日
うるう
[39489]2005年4月7日
うるう
[39041]2005年3月28日
うるう
[39030]2005年3月28日
うるう
[35817]2004年12月17日
うるう
[35816]2004年12月17日
うるう
[35815]2004年12月17日
うるう
[35789]2004年12月16日
うるう
[35773]2004年12月15日
うるう
[35747]2004年12月14日
うるう

[39633] 2005年 4月 11日(月)13:54:13うるう[229] さん
十番勝負初挑戦!
まず簡単そうなとこから。

問八:二戸市
[39489] 2005年 4月 7日(木)23:59:54うるう[229] さん
国勢調査の人口データ
[39456] ぴょん さん

第一回の国勢調査からの市町村別人口データ

著作権についてはあまり詳しくないので、大きな声で言っていい事なのかはわかりませんが、私の場合、約2年かけて少しずつコピーしました。とりあえず昭和15年と昭和22年のデータ(地元の県立図書館では修復中といわれました)以外はすべてそろっております。ただやはり結構な金額がかかってしまいますし、それからそれをエクセルにデータ入力するのも骨の折れる作業です。正直、コピーはあんまりお勧めできないですね。かといって他に妙案も思いつかないのですけれど。

♯私の行為が著作権上問題ある行為でしたら、この書き込みをすぐにでも消してください。
[39041] 2005年 3月 28日(月)11:28:17うるう[229] さん
曇天
これから杜の都仙台へ足を運ばなければならないので取り急ぎ申し上げます。

[39040]有明つばめ さん

熊本県玉名郡は3つに分断されていませんよ。

そうですね。詳しい地図で確認したら玉東町と菊水町は500メートルほど接しておりましたね。ご指摘ありがとうございました。ヤフーの地図でささっと目を通した程度なので、まだほかにも3つに分断されてたりする郡や、実はつながっている郡があるかもしれません。。
[39030] 2005年 3月 28日(月)01:41:26うるう[229] さん
郡考
ふとある県の地図を見ていて、郡が3つに分断されているところを偶然見つけました。こりゃ珍しいかなと思い、全国にいくつ位あるかなと思ってちょっと調べてみました。(飛び地や島などは原則として考えてません)

秋田県北秋田郡
福島県相馬郡
東京都西多摩郡
埼玉県大里郡
群馬県多野郡
長野県上伊那郡
岐阜県加茂郡
大阪府泉南郡
高知県幡多郡
熊本県玉名郡
沖縄県国頭郡

平成の大合併でできた郡の分断が多いのかなと思いましたが、意外と少なかったり。平成の大合併で分断されたのは北秋田郡くらいでしょうか。多くのところは、昭和の大合併で誕生したものです。調べてみれば以外にあるものですねぇ、なんて特にこれ以上掘るものも見当たらないので自己完結します。駄文失礼しました。
[35817] 2004年 12月 17日(金)03:20:21うるう[229] さん
取手市の人口減少
[35814] 軒下提灯さん

なぜ取手市は人口減少したのでしょう

すみません。原因は私にはわかりませんでした。
しかし取手市・藤代町ともに1995年~2000年の人口増加率がマイナスであり、かつ、取手市は県下2番目、藤代町は県下9番目に人口密度が高い自治体であるので、人口が飽和状態に近かったのではないかと推測してます。
取手市のホームページの「統計とりでデータ」によりますと平成6年から社会動態での人口減少が始まっていますし、バブル崩壊による都心回帰の結果の人口減少ではないでしょうか。
[35816] 2004年 12月 17日(金)03:02:27うるう[229] さん
大潟村
[35805] 花笠カセ鳥さん

何も知らないと一瞬「誤植」かと思ってしまうでしょう。他の市町村と二桁以上違うのですから。
私も、図書館で「昭和45年国勢調査報告第1巻」を見て、人口増加率の桁数の多さにひどい誤植だなと思ってしまいました。でもよくよく計算するとそれは確かに事実で、数字の羅列を見てニヤニヤする怪しい人になっていました(笑)


これはレスではありませんが…
「昭和40年国勢調査報告第1巻」で、大潟村の面積が「―」となっていました。全域が「水面境界未定」とされ、秋田県の面積には含まれていますが、大潟村はまだ八郎潟の水面境界未定区域に入っていて“統計的に”面積がない村だったようです。

※「昭和40年国勢調査報告第1巻」の面積の出所は建設省国土地理院の「昭和40年全国都道府県市区町村別面積調」でした。書き込む直前に思い出しました。
[35815] 2004年 12月 17日(金)02:37:28うるう[229] さん
アイヌと強制連行
[35788] 紅葉橋瑤知朗さん

千島、樺太の略史やアイヌの説明どうもありがとうございました。

得撫郡・新知郡は、最後まで人口は数十人でした。どうして誰も住んでいなかったのかは分かりませんが、地図で見るところ、かなり中途半端な位置にありますね。
得撫島や新知島は今でこそよい漁場が近くにあることが知られて価値のある島なのかもしれませんが、当時は、大陸からも遠い僻地にある価値のない島だったのかもしれませんね。

「千島アイヌ」と呼ばれる民族がおりました。
「千島アイヌ」と呼ばれる民族がいたんですね。初めて知りました。いったい彼らはどこへ行ってしまったのでしょうかね。やはり「強制連行」でしょうか。だとしたら彼らは哀れでなりません。
[35789] 2004年 12月 16日(木)00:49:57うるう[229] さん
いばらき
[27834] 2004年5月2日(日) 12:53:55 白桃さん
非常に亀レスですが、アーカイブスで見てて気が付いたんでひとつ指摘を。
磯原村 (→町→北茨城市) 10,265
この磯原村は「北中郷村」ではないでしょうか?大正14(1925)年1月1日に町制改称して磯原町になるまではこの村でした。おそらく「磯原村」は存在してないはずです。


これだけじゃあまりにつまらない記事になるので、茨城県の2005年国勢調査人口上位20傑を予測してみました。

2005年国調2000年(組替)==2000年国調
1水戸市264,722261,562==1水戸市246,739
2つくば市200,656191,814==2日立市193,353
3日立市200,613206,589==3つくば市165,978
4ひたちなか市153,399151,673==4ひたちなか市151,673
5古河市146,619146,452==5土浦市134,702
6土浦市135,458134,702==6取手市82,527
7筑西市113,652116,120==7龍ヶ崎市76,923
8取手市111,984115,993==8牛久市73,258
9龍ヶ崎市98,67395,956==9下館市65,034
10牛久市76,72473,258==10鹿嶋市62,287
11鹿嶋市64,31362,287==11古河市58,727
12常陸太田市60,32661,869==12結城市52,774
13坂東市57,69358,673==13石岡市52,568
14那珂市55,58555,069==14北茨城市51,593
15守谷市53,89650,362==15守谷町50,362
16石岡市52,96452,568==16神栖町48,575
17結城市52,82852,774==17総和町48,007
18神栖町52,66548,575==18阿見町46,922
19鉾田市51,65650,915==19那珂町45,983
20稲敷市49,94051,284==20岩井市43,421

 2005年の国勢調査人口は(推計人口-2000年国勢調査人口)/43でひと月あたりの平均人口増加数を求め、それを60で乗じました。市町村名は推定です。市町村合併情報から今のところ実現する可能性の高そうなものを集計しました。参考までに2000年の国勢調査の上位20傑も掲載します。市町村数は2000年は20市48町17村、2005年は29市18町6村となっております。

 表を見ると、つくば市と日立市が逆転しちゃってます(汗)しかもその差43人。あくまでこれは推測ですので実際の国勢調査では日立市が2位を守りきるか、はたまたつくば市が日立市を抜くかが見物です。
 上位10市は大きな変動もなく「隣町を編入」という感じの合併が多い気がしました(水戸市・土浦市・龍ヶ崎市など)。ただ筑西市や古河市では、いくつかの市町村で合併して母体となる市の人口が筑西市では2倍弱、古河市では約2.5倍にそれぞれ大きくなっています。
 10位以下に目を移すと複数の町村が合併してできた市がいくつか見られます(那珂市・鉾田市・稲敷市など)。茨城県で4万人をこえる町は神栖町・阿見町だけとなる見込みです。

 はてさて、あと10ヶ月半後には国勢調査が行われます。どれだけ期待を裏切られる結果になるか楽しみです(笑)
[35773] 2004年 12月 15日(水)02:34:26うるう[229] さん
直接民主制と0人村
[35748] いっちゃんさん

はじめまして。こちらこそよろしくお願いします。

人口の少なさで言えば(中略)宇津木村も負けていません。その数58人。うち有権者が29人で、議会は置かずに有権者による村民総会で物事を決めていたそうな。
こんなところにも人口の少ない村があったのですね。それにしてもたった60年前に直接民主制の村があったなんて驚きです。人口が少ないからこそできた理想(必ずしもそうとはいえないのかも)の民主主義の形ですね。


[35770] 紅葉橋瑤知朗さん

ちょっと反則ですが、千島列島得撫郡は33人、新知郡は12人となっています(いずれも村は設定されていません)。
私もその記述を見たんですが、さすがにここはもう日本ではないなと思って省きました(笑)当時は根室支庁だったんですね。てっきりここも外地の一部かと思ってました。1200平方キロメートルもある得撫郡に33人しかいないとは…シベリア並みの人口密度の低さですね。アイヌやロシア人はこの島にいなかったのでしょうか?単に人口にカウントされなかったのだけなのか、それとも迫害されたのか、もともとは無人島だったのか…。


さらに、阿寒郡蘇牛村は0人で、統計データでは省かれています(のち舌辛村)。
これははじめて知りました。統計データで省かれた村っていうのもあるんですね。この村も葉朽村と同様に二級町村制が施行されるときになくなったのでしょうか?
[35747] 2004年 12月 14日(火)05:37:10うるう[229] さん
人口の少ない村
[35713] 白桃さん

やっぱり即答でしたね。そうです、秋田県大潟村です。
大潟村は昭和39(1964)年10月1日に新設され、開村から1年しかたっていない昭和40年(1965)の国勢調査で16人を記録。その5年後の昭和45(1970)年には入植も進み1640人まで人口が増え、昭和49年(1974)に最終の入植があって以降は、昭和50(1975)年に3273人となり、その後増えもせず減りもせず現在に至ります。

このほかに(三宅村を除いて、)人口の少なかった自治体といったら昭和10(1935)年の神奈川県足柄下郡芦之湯村で62人でしょうか。いくら戦前とはいえ、たった62人で村は成り立っていたのでしょうか。。
他にも、大正9(1920)年の北海道浦河支庁葉朽村ではわずか30人しかいなかったようです。この村、当時はまだ戸長役場制度の中の1村で、おそらくは戸長役場は存在しなかったと思われます。大正12(1923)年4月1日に複数の村とともに高江村(後の新冠町)という名で1級町村制が施行されるまでの間存在したようです。


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