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蘭丸さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[8127]2003年1月24日
蘭丸
[8037]2003年1月22日
蘭丸
[7883]2003年1月18日
蘭丸
[7877]2003年1月18日
蘭丸
[7721]2003年1月15日
蘭丸
[7623]2003年1月12日
蘭丸
[7615]2003年1月12日
蘭丸
[7566]2003年1月11日
蘭丸
[7337]2003年1月4日
蘭丸
[6816]2002年12月22日
蘭丸

[8127] 2003年 1月 24日(金)13:35:37蘭丸 さん
Re:中核市の要件
[8068]utt さん
蘭丸さまの意見におおむね同意ですが、しかし、
 いえいえ、これ([8037]前半部分)は私の「意見」などではなくて、法律論としての中核市の面積要件条項の「立法者意思」を解説させていただいたまでです。

 たしかに、現実には固定資産税収入は地価や企業の立地状況などと密接な関連性があり、個々のケースにはさまざまな状況があります。ですが、法律としては、一定規模の面積を保有することが一定規模の固定資産税収入につながるという、あくまで「一般論」としてこのような条件を付しているのです。
 また、中核市の面積要件は、これのみで中核市の要件を満たすわけではなくて、同時に人口30万以上という条件も必要とされています。市民税など、人口に比例する市町村税収入にも一定の規模があり、その上で、一定規模以上の固定資産税収入があることが望まれるのです。人口と面積2つの要件は、2つ揃って意味を成すわけです。

 自治法が中核市指定の要件として想定していることは、要約すると、自治体の「規模」と「行財政能力」ということになります。実は、これは政令指定都市の指定の際に検討される事柄でもあります。この2つの要件を、政令指定都市の指定の際の基準(総務省の内規による運用基準)より緩くしたものが中核市の要件です。
[8037] 2003年 1月 22日(水)08:07:52蘭丸 さん
中核市の面積要件の意図
[8003]てつ さん
[8012]合併研究家 さん
 中核市の面積要件が意図するところは、一定の面積を有し、中核市としての行政事務遂行に充分な財政能力のある市を指定するためです。
 面積が、ある程度広いということは、そこからの相当程度の固定資産税収入が見込めます。ですから、人口とともに面積が要件とされるわけです。ただし、政令指定都市の法律上の要件でもある人口50万以上となれば、住民税収入が多くなりますから、必ずしも面積要件が必要ではなくなるのです。

 では、なぜ、100平方キロ以上かといえば、現在の政令指定都市の中でもっとも面積の小さい川崎市の面積が約142平方キロであることが考慮されたためです。
 ですから、合併研究家 さんの
現存の政令指定都市の平均面積を参考にして決められたようです。
は、誤りではないかと思われます。現在の政令指定都市12市の平均面積は約500平方キロですから、中核市の要件「100平方キロ以上」とは関連しません。

 また、てつ さんの
同じ人口なら、狭い面積で人口密度が高いほうが都市の性格に合うのでは
というご指摘ですが、
 そもそも、地方自治法が何ゆえ政令指定都市や中核市、特例市という一定規模以上の市に対する特例を設けているのかといえば、規模の大きな自治体には、その規模による特殊性により、一般的な自治体よりもより広汎な行政事務を管掌することが望ましいからです。大都市ともなると、多様な行政需要が生まれ、また、同時に行政の効率化も一般の自治体以上に求められてきます。
 それに加えて、一定の都市規模ならば相当程度の行財政能力があり、一般的な自治体以上の行政事務の処理が可能となってきます。

 そういった、大都市行政の観点と地方分権の思想とが相まって「大都市等に関する特例」という発想が生まれてくるわけです。それに、現在は市町村合併の推進という要素がリンクしてきます。さいたま市や新・静岡市をはじめとして、こういった特例を受けようとして市町村合併をするケースが全国各地に見られます。

 何も、地方自治法は“都市の箔付け”とか“都市のランキング”とかいうような意図でこのような制度を設けているわけではないのです(ただ、結果的に“都市の箔付け”になっている面は否定できませんが)。この点に誤解があると、市町村合併と地方分権とに関わりあいのあることが見えなくなってしまいます。
[7883] 2003年 1月 18日(土)20:21:44蘭丸 さん
「横浜都」or「神奈川都」構想について
[7871]ヒロオ さん
だからすべて区でいいのではないでしょうか。
 もし、「都」の全域を「区」とすると、それは見かけ上は「市」と変わりないのではないでしょうか。そもそも、東京都がなぜ「都」なのかといえば、本来、広域自治体である「東京府」と基礎自治体である「東京市」が存在するはずのところに、23特別区の区域については、大都市行政の一体的・総合的運用のために「府」が「市」の権能も兼ねたほうが望ましいとする発想から出発しています。その「府」(広域自治体)と「市」(基礎自治体)を統合したものが「都」です。多摩地域の一般的な市町村と、「府」が基礎自治体の役割を兼ねる地域とを区別するために「区」なる称号が付くわけです。

 ですから、横浜市+川崎市の「横浜都」あるいは「神奈川都」の全域を「区」にした場合、広域自治体である「都」が地域によっては基礎自治体の役割も務めるという構図が出現しません。
 それならば、「都」という概念を引っぱってくるまでもなく、地方自治法で当初想定されていた「特別市」制度を復活させたらどうでしょうか?都道府県から独立し、都道府県と同様の行政権限を具えた「市」に、一般的な市と同様の存在の「区」を置く。という具合に。

 私は、どうも「特別地方公共団体」である「特別区」は、特殊な状況における特殊な行政システムであるという観念があるものですから、このように考えます。しかし、「区」しか包括しない「都」つくったとしても、現状の政令指定都市の「市」と「行政区」の関係よりも「区」の独立性は高まるという帰結にはなりますが...。

 それでも、「区」のみの場合は、あやふやな「都」と「特別区」の関係よりもスッキリした「特別市」と「自治区」の関係のほうがわかりやすいと思います。
 もし、現行の神奈川県をまるごと「都」に移行した場合には、「都」と「特別区」のシステムがふさわしいかと思いますが。
[7877] 2003年 1月 18日(土)19:31:15【3】蘭丸 さん
「市」の要件緩和の意義
[7690],[7802]ken さん
 私も、おおむねこのようなご見解に近い考えを持っています。今、敢えて「市」「町」「村」を区別する意義は何かと問われれば、合併を促進するための“ツール”である。そういうことになるかと思います。
 現行の合併特例法で、町村合併にともなう「市」の新設について、連檐戸数(中心市街地戸数)を問題にしないようになったことには大きな意味があると私は思います。これまで、「市」の呼称は、少なくとも一定の市街地を抱える自治体を、町村と見分けるために用いられてきたはずです。“少なくとも”と言ったのは、昭和の大合併によって、大都市圏を除いては、ほぼ全国的に「市」が相当程度の農林漁業地域を含むことが一般化したからです。しかし、明治時代に「市」(あるいは、その前段階の「区」)の概念を確立した当初は、もっと狭義に、市街化した地域そのもの「市」とする意図であったはずです。これは、戦前の市の数や所在地を一瞥すれば容易に推測できます。

 ところが、現在の合併特例法で、平成16(2004)年3月31日までに合併すれば、「人口3万以上」のみで「市」になれるとになりました。例えば、人口3千人の「村」が10村合併しても「市」になれるし、人口1千人の「村」が30村合併しても「市」になれる(ちょっと極端な例ですが)というわけです。もはや、「市」が市街地を含んだ自治体であるという概念は通用しません。

 仮に、A県にx郡とy郡があり、ともに人口規模が似通っていて3万5千程度あるとします。そして、x郡では、早くから合併への取り組みがなされ、住民もおおむね賛成し、つい先日、合併を実現して「x市」になり、y郡では、合併をめぐる村同士の主導権争いで、一向に合併に向けた具体的な動きが取れずに膠着状態にあるとします。こういった状況が生じた場合、両者の地域性に本質的な相違はあるのだろうか?「市」になったx郡と「村」のままのy郡ではどこがどう違うの?という素朴な疑問が湧いてきます。
 もう、こうなったら、両者の違いなんて「市」と「村」で名称にくっつく接尾語が違うだけ、それも“単に”違うだけなんです。では、どうして接尾語が違ってくるのかといえば、「平成の大合併の際に合併したか、していないか」だけです。呼称が異なる積極的理由なんて何もないのです。
 人口3万以上の「町村」もごろごろありますから、「量」や「規模」の違いとも言えません。

 今回の市の成立要件の緩和は、それだけの意義を含んでいます。そして、この特例が意図するところは、「とにかく合併」である。私はそう見ています。本質的な違いはないのに、一般的に「市」と「町村」の間に“格の違い”や“ステイタスの違い”があると信じられていることを利用し、「市」への移行のハードルを低くすることによって、その“格の違い”の克服を簡単にしておき、郡部での合併欲求を高めようというのがこの特例の狙いです。
 そんな口車に乗せられて、合併して「『市』への“昇格”を目指す」なんていうことは、本質的にはまったくナンセンスなことです。「市」となったところで、微々たる行政権限の移管があるだけなんですが...。
 [7810]そゆーず さんのご指摘のように、行政権限の変化というよりも、このような“ラベル”の貼り替えのために郡部での合併気運が誘発されている面は否定できません。というより、現在、合併協議を進めているほとんどの「町村」は、程度の差こそあれ、このような意図で合併を目指していると言っていいでしょう。「市」になることにともなう行政事務の拡大は、ないよりはあったほうがましではありますが、だからといって、慌てて合併するようなことは、少なくとも地方自治の本旨とはいささかずれているような気がします。それに、「市」への移行にともなう変化は、実際には行政権限の変化というよりも、行政組織上の変化ととらえたほうが妥当ではないかと思われます。

 ですが、その一方で、自治体が単独で「市」に移行する場合は(こういうケースでは、当該自治体は相当程度市街化・都市化している)、地方自治法の規定通りに人口5万以上、連檐戸数6割以上、その他の要件を必要としており、現状では「市」の成立要件について、ダブルスタンダードの、とてもチグハグな状況にあります。

 ken さんのおっしゃるように、このへんで「市」「町」「村」の区別の是非や、あるいは新しい基礎自治体の呼称の創出などが必要なのではないかと私も思います。
 このままの状況で、全国的に合併が進行すると、実際問題として広大な農山村・漁村地帯を含む市(場合によっては、全域が農山村や漁村である「市」)や、反対に相当程度市街化・都市化した「村」や「町」が続々と出現する可能性があります。
 それなのに、結果だけ異なる意味のない区別(町村合併への功労に対するメダル程度の意味はあるかもしれません)を今後も続けていくことは、ただの惰性でしかないだろうと私は思います。
[7721] 2003年 1月 15日(水)18:38:03【1】蘭丸 さん
東京都解体・再編
[7689]ken さん
>1.「東京」都、と「東京」府、同名の都道府県が出来てしまう。
>2.例の淀橋区の角筈に先ごろ出来上がったバブルの「バベルの塔」をどう処分いたしましょう。

 おっと、大変なことを忘れていました。
 同名の都道府県はまずいですから、この場合は、やはり東京府に当たる部分を別の県名にするべきです。この点、ken さんご提示の『解決案』は、思わず唸ってしまう名案ですね。私の住む北区は、実際に川口市、戸田市などに親近感を持っています(北区出身の2世、3世がこれら地域に新居を確保する例がけっこう多い)から、この「足立県」構想は現実の生活実感として違和感を感じません。同様に、「葛飾県」「豊島県」「多摩県」etc....も、交通網の配置などからして、ほぼ住民の生活圏に一致しているように思います。
 「東京23区」と一口に言っても、現実の生活感覚からすると、中心部と周辺部との間に同一の「都市」としての一体感はあまりないように思います。現実の「東京23区」は、中心部の首都機能集積地区と周辺の住宅地とが機能分化していて、それぞれに異なる行政システムが必要な気がします。このへんで、「東京35区」以来の特別区の領域観念の呪縛を解き、その区域・範囲から解放された自由な行政区画の変更と行政システムの再検討が必要ではないかと私などは思います。
 都心の千代田区、中央区などと周辺の足立区、練馬区、江戸川区などを見比べると、どう見ても両者の間に地域性の隔たりがあるような気がします。また、東京には副都心と呼ばれる副次的な中心地が複数存在するせいもあり、そのことが「都市」としての一体感のなさをさらに助長しているように感じられます。私は、個人的には現行の「23区」という括り方には、どうも違和感を感じてしまいます。

 東京都解体後の都庁舎の処遇案は、私もいいアイデアだと思います。今の都庁舎は、東京都という県(広域自治体)の庁舎であると同時に23特別区という市(大都市)の庁舎でもあり、そういった関係であんなに立派な建物をつくって、その「格」の違い(本当はそんなもの存在しないんですが)を世に知らしめようということなのかもしれませんが、「東京都解体」となればそんな必要はなくなるでしょうから。

>ただし台東区は東京都に含める。

 そうでした。上野や浅草が地盤沈下を起こしているからとて、この区を除外するわけにはいきませんね。寛永寺、浅草寺を擁し、大江戸の歴史とともに歩んできたこの区は、将来も「東京都」あるいは「東京市」の一員なっていただき、“TOKIO”の歴史を伝える街としての役割を果たして欲しいですね。
[7623] 2003年 1月 12日(日)17:23:50蘭丸 さん
東京特別区の改革・再編
[7409]ヒロオ さん
[7425],[7439]ken さん
[7582]松戸 さん

 私も、全国的に市町村合併の動きの盛んなこのご時世で、東京特別区だけがその潮流に取り残されていることが、とても不自然に思えてなりません。過去には東京都の内部団体であった特別区ではありますが、今では基礎的な地方公共団体として、曲がりなりにも「自治体」の体裁を整えているわけですから、「“特別”区」とはいえ、いつまでも治外法権でいるわけにはいかないと思います。

 しかし、実際に、成立当初とはまったく別の姿になってしまった東京23区の処遇をどうするかということになると、どのように手を付けていいのか窮してしまうのが現実です。それでも、東京23区が、大都市行政の一手段として「特別区」であることを考えれば、何らかの改革や再編が必要なことは事実だと思います。

私が考える都区制度の改革方法は次のようなものです。

1.東京都を廃止し、東京府および東京市(23区部分)を復活させる。
2.特別区の千代田、中央、港、新宿、文京の中心部5区を切り離し、新たに特別区として、それ以外を市に移行させる。(「特別区」という形態を首都機能集中地区に限定する。)あるいは、中心部のみで東京市を形成し、周辺を東京市とは別の複数の市に移行させる。
3.東京都を、23区あるいは中心部5区のみとして、その他を別に東京府とする。(東京都が府県と市の両方の機能を備える特殊な構造を廃止する。)
4.東京都、東京市いずれの概念も採らず、現在の23区の区域を全面的に(複数の)市に移行する。それによりできた市が政令市や中核市に移行することや、他市と合併することは、他の市と同様に当該市の自由な判断で行われる。
5.現行の東京都-特別区の関係はそのままにして、人口分布の実態に合った区の再編を行う。

これでも、まだまだ小手先の改革案でしかないと思います。私は、ken さんのような進歩的な発想を試みると、どうもうまくまとめられなくなってしまいそうなので、とりあえず、この程度のことしか考えられません。

●特別区再編の場合の(妄想)試案
世田谷区世田谷区、太子堂区、駒沢区、成城区、玉川区
練馬区練馬区、大泉区、石神井区、光が丘区
大田区大森区、蒲田区、洗足区、丸子区
江戸川区小岩区、瑞江区、船堀区、葛西区
足立区千住区、大師区、竹の塚区、花畑区
杉並区杉並区、荻窪区、高井戸区
板橋区板橋区、志村区、高島区
葛飾区金町区、高砂区、堀切区
江東区深川区、城東区
品川区品川区、荏原区
北区飛鳥区、赤羽区
中野区中野区、鷺宮区
新宿区牛込区、淀橋区
千代田区+中央区  千代田区

これらは人口データを参照したわけではなく、単に地図上で適当にまとまりのある地域を区分したものです。ほんのお遊びということでご了承ください。ただ、現行の区から分割後の区は、一応、1区当たり15万人をおおよその基準としています。

 それにしても、今の23区の人口集積は異常といってもいいでしょう。仮に、この試案で特別区トータルの数を出すと、実に49区に上ります。
[7615] 2003年 1月 12日(日)07:59:25【2】蘭丸 さん
「東北訛り」「関東訛り」
[7580]般若堂そんぴん さん
>蘭丸さんの「東北地方の方言」という括り方は日本に於いて一般的な考え方であることは承知しております
>が,かなり乱暴なものに思えてなりません...

 私も、実際に「東北方言」という単一の方言があるなどとは思っていません。東北地方にも地域によってさまざまな方言が存在し、それらは外部とまったく関わりがないわけではなく、少なからず関東や関西の影響を受けていることは事実だと思います。特に、海沿いは古くから海運が発達し、東北地方と上方とで方言や民謡に影響関係があることは、浅学な私でも承知しているつもりです。

 しかし、似通った傾向を持つ方言の大まかな括りとしての「東北訛り」「東北方言」は、決してフィクションではなく、実際にも有効性のある区分であると私は思っています。これは、一般に浸透しているステレオタイプな括り方を引用してのものではなく、方言の研究者の間で了解されている(東北地方の方言には互いに共通項が多いという)一定の学説からそう思うわけです。
 また、件の学生時代の実体験からもそう感じます。もちろん、福島県=東北地方ではありませんが、私にとって、ほぼ同時期に関わった同年代の人々の中で、訛りを体現しているのは、関西(関西方言にも「関西弁」として単一には括れないバリエーションの広がりがあります)と東北の出身者に多い、という印象が学生時代の経験から培われたことは事実です。そして、社会人としての今の日常でも、「東北訛り」を感じることが時々あります。私の直属の上司は仙台出身ですが、時折平板なアクセントが聞かれます。
 十中八九、東北出身者に訛りがあるというわけでもなく、また、訛りがあるからといって、話し方の随所にそれが現われてくるというわけでもありません。しかし、他地域出身者と比べて東北方面出身の方々からアクセントやイントネーションの違いを感じることが、少なくとも私の実際の経験上、多いのは事実なのです。

 私の感覚では、アクセントやイントネーションの相違が、「訛り」を感じる大きな要素です。そして、同類のアクセント、イントネーションを地域分けした場合、関東と東北の間に境界(もちろん、くっきり分けられるわけではありません)が存在し、新潟県は大部分が関東のアクセントのエリアに入るということは、方言研究者の間では、ほぼ定説化しているようです。

 般若堂そんぴん さんご指摘の「新潟って訛りないの?」の言葉は、本当に新潟県に訛りが存在しないなどと思って発した言葉ではありません。東京に居ても、実際に田中真紀子前外相や林家こん平師匠といった人たちが「新潟訛り」で話す場面をテレビで見て、新潟にも方言や訛りがあることは充分承知しています。また、過去には渡辺美智雄元外相の例のように「関東」の一角を占める地域(栃木県)の訛りを聞くこともあったりして、関東だからといって必ずしも標準語のアクセントではないことも存じています。同様に、吉幾三、千昌夫、田中義剛といった芸能人を通じて東北には東北の訛りがあることを知り得るわけです。
 さらには、渋谷や原宿に集まる「東京モン」の言葉には、アクセントの平板化の傾向が明らかに見て取れ、標準語の基となったはずの「東京方言」(「江戸弁」とはまたちがう)のアクセントすら変容しているという現実もあります(若者の間で話されている言葉が「東京方言」に当たるのかという問題もありますが)。

 それから、[7566]で私が言う「面白味」とは、英語のinterestingのような意味を意図したもので、決してfunnyの意味ではありません。もしかすると、この言葉が誤解を招いてしまったのかもしれません。この点、もっと慎重であるべきだったと反省いたします。

 誤解していただきたくないのは、私がある種の差別意識を持って、東北地方と新潟県、あるいは関東地方との差異を論じているのではないということです。歴史的に「みちのく」は独自の文化圏を形成していたということを、高等学校程度で学ぶ史実に基づいて書き、また、新潟県は東北地方というよりも関東地方に近いということの現代的な状況証拠を書き連ねたまでで、それ以上の意図を含んではいません。それゆえに、「畿内から見た場合、心理的に」「だったと思われます」と書いたわけです。こういった書き方をした意図を、ぜひ、汲んでいただきたいと思います。

[7573]Issie さん
>なお,文法や単語の面では,「否定の“ン”」「理由の助詞“すけ”(<さかい)」などのように関西方言の>影響も見られます。

 映画『蔵』で、この「すけ」がよく出てきたのを思い出しました。用法からいうと関西の「さかい」に似ているなぁと思いながら見ていた覚えがあります。こういったことから、新潟県は関西~北陸の影響も確実に受けていることがわかりますね。
[7566] 2003年 1月 11日(土)09:27:44【1】蘭丸 さん
関東甲信越地方
 ようやく本年初の本格的書き込みができました。
 「新潟県は何地方か」が物議を醸しているようですね。私も、以前の書き込みで同様の事柄に言及したことがある者として発言させていただきます。

[7532]NSK さん
>このような地形による閉鎖性が、近隣県との交流を阻んでいると思います。

 本当にそうでしょうか? たしかに、自然地理的な視点からのみ見た場合は、「閉鎖的地形」で当たっているかもしれませんが、人文地理的、社会経済的な視点から見た場合、新潟県は「閉鎖的」ではないと思います。

 新潟県は、地勢的に東京と日本海側(北陸、新潟、山形、秋田)を結ぶ線上に位置し、実際にも関越自動車道、上越新幹線という大動脈が通っています。さらに言えば、上信越自動車道も、正式には「関越自動車道上越線」です。
 この2つの陸上幹線ルートは、単に新潟県と東京とを結んでいるわけではありません。関越自動車道は長岡で北陸自動車道に接続し、その先は日本海沿岸東北自動車道が延伸の予定です(新潟県内の一部区間はすでに供用中のようです)。また、上越新幹線は越後湯沢で北陸方面への特急「はくたか」と、新潟で東北方面への特急「いなほ」と接続しています。特に、北越急行線+北陸本線は東京-北陸間を連絡する一大幹線ルートとしての役割を担っています。
 こういった高速交通網は、なにも田中元首相の一存で建設されたものではなく、実際に、上越新幹線が構想された当時の上越線は、すでに過密状態で、何らかの方法での線増が必要でした。その幹線としての実態から、一時は高崎線+上越線を「上越本線」にする計画もあったようです。
 以上のようなことから、新潟県と東京との関わりにおいては、一定の古さをともなった密接な関係があると思います。

 新潟県は、自然地理的には外部から遮断されてはいますが、社会実態からは決して閉鎖的ではないと思われます。とはいえ、開放的かといったらそうでもない印象はありますが...。

[7496]越後系下総人 さん
[7506]utt さん
[7521]Firo さん

 新潟県を東北地方に含める考え方は、たしかに過去には存在したようです。しかし、現在、「東北」と言う場合、大多数の人は明らかに奥羽地方のことを指していますから、この区分けは定着し得なかったということになります。

 越後系下総人 さんご指摘の緯度による観点ですが、私はこのような論拠にはあまり説得力を感じません。なぜなら、福島県と新潟県が同緯度にあるといっても、ちょうどこのあたりは本州の幅が広がり始める部分に当たり、新潟県を東北地方に含めた場合、ずいぶん裾が広がってしまい、いささか不自然な感じがするからです。

 また、新潟県と東北地方との文化的「つながり」ですが、私はそれほどないのでは?と考えます。
 理由はいたって単純明快です。それは、古代から東北地方は「みちのく」であり、新潟県は北陸とともに「越の国」あるいは「こしぢ」であった歴史的事実からです。少なくとも前九年の役、後三年の役などがあった当時までは、畿内から見た場合、心理的に「越の国」は蝦夷征討の最前線としての「内地」であり、対する「みちのく」は征服すべき「外地」という位置付けだったと思われます。
 その後の歴史を見ても、上杉謙信は鶴岡八幡宮で「関東管領」上杉家を相続したように、関東と新潟県との関わりは東北との関わりよりも濃かったと言えます。謙信の史実は、単に越後に落ち延びた山内上杉氏を継承したといえばそれまでですが、鶴岡八幡宮でその儀式が執行された点は興味深い事実だと思います。

 こういった歴史的経過は、その後も両者の文化的差異に多大な影響を与えていると私は見ています。代表例は方言で、福島県、山形県は東北地方の方言の影響下にありますが、新潟県は一部地域(下越の岩船地方)を除けば東北地方の影響を受けておらず、関東や関西の影響を受けているようです。
 私は、大学時代に学業やアルバイトなどで、同年代の5人の福島県出身者、同じく4人の新潟県出身者と関わった経験がありますが、福島県出身の5人中3人が関東とは異なる独特なイントネーションを持っていたのに対し、新潟県の4人からはイントネーションの差異を感じませんでした。あんまり面白味がないので、そのうちの2人には「新潟って訛りないの?」なんて聞いたこともあります。実際に方言関係の本を見ると、新潟県は関東のイントネーションの圏内にあるようです。

 それから、「県民性」が話題になっていますが、そもそもこれは「県民」性であって「地方」性ではありませんので、同じ地方に属する県が共通の「県民性」を持つ必然性なんてどこにもないと思います。同じ関東でも、神奈川県と群馬県や群馬県と千葉県の間の「県民性」の共通性はほとんどないでしょうから。

 以上のようなことから、私は新潟県を東北地方に含める考え方は、「中部地方」という区分けをすることと同じような違和感を感じます。

[7514]Issie さん
>それなら東京との結びつきのほうがずっと強い。
>だから「関東甲信越」なのですね。
>別に「甲信越」相互に結びつきがあるのではなく,「甲」も「信」も「越」もそれぞれ別個に「関東」という>よりは東京に結びつく,そういう単位でのくくり方ですね。
>無理に「東北」に入れるよりは,その方が私にはスッと来るような気がします。

 私も、このような感覚に近いものを持っています。NHKの天気予報では「関東甲信越」という括り方が実際に使われていて、私はこの区分に多少の違和感を感じていたのですが、Issie さんのこのご見解を読んで、「なるほど」と納得した次第です。単に「甲信越」ではなく「関東甲信越」であることがポイントですね。新潟県も長野県も山梨県も、厳密にいえば「中部地方」ですが、この地域区分に実質的意義がまったく感じられないことからすれば、やはり「関東甲信越」がもっともしっくり来ると言えますね。
 「甲信越」相互に関わり合がないとはいっても、信越本線を介した新潟県と長野県、中央本線を介した山梨県と長野県のつながりは存在します。
 千葉県の上総・安房(南房総)が当然のように関東に含まれてくることを思えば、まだ、この三者のほうが東京との結び付きが強く、「関東」のカテゴリーに含んでも、さほど違和感を感じません。長野新幹線開業以後、そういった感はいっそう強まっています。

 私は、年に数回スキーをするのですが(今冬もすでに神立高原と舞子後楽園にそれぞれ1回ずつ行ってきました)、苗場、ガーラ湯沢~石打丸山、上越国際などは、東京からの近さや都会的雰囲気などから、東京の植民地かと思ってしまうくらいです。〈あくまで個人的感想です。新潟県民の方、ご容赦ください。〉
 また、私は仕事柄、佐川急便をよく利用するのですが、新潟県は長野県とともに「信越」という地帯に区分されていて、料金は「関東」とまったく同じ設定になっています。例えば、北海道や鹿児島に荷物を送る場合、東京からも長野や新潟からも同一料金であり、その他の府県に宛てた場合も同様です。そして、この「関東」には山梨県も含まれています。
 とにかく、「甲信越」は東京との結び付きが強いと感じる根拠はいろいろとあります。

 長くなりましたが、新潟県は「北陸」「中部」「東北」なんかよりも「関東甲信越」である、という考え方を私も支持します。あるいは「広域関東」か、単に「関東」でもいいかと思います。
[7337] 2003年 1月 4日(土)21:00:04蘭丸 さん
新年のごあいさつ
 あけましておめでとうございます。
 遅ればせながら、新年のごあいさつをさせていただきます。今年もよろしくお願いいたします。

 昨年末は仕事に忙殺され、12月23日以降、終に書き込みをすることができませんでした。年が明けてからも、諸方面への年賀に明け暮れ、今日まで書き込みゼロという状況でした(でも、1月2日を除いては、毎日みなさんの書き込みを読んでおりました)。もう、私のことをお忘れの向きもいらっしゃるのではないかと、私は秘かに危惧しております...。

 年が改まり、この落書き帳もリニューアルされ、そろそろ本格的に書き込みを開始したいところなのですが、生業多忙につき、今しばらくお預けとなりそうです。

 それにしても、この明るく清涼感溢れる色使い、グリグリさんのセンスには敬服いたします。
[6816] 2002年 12月 22日(日)20:42:39蘭丸 さん
市町村、「昇格」「降格」「移行」
[6789]般若堂そんぴん さん

 地方自治法では、自治体(地方公共団体)相互の間に格のちがいや上位下位、従属関係などは一切存在しないことになっています。
 市町村はもちろんのこと、一般市、特例市、中核市、指定都市にもこういった関係は存在しませんし、市町村(基礎的地方公共団体)と都道府県(広域的地方公共団体)の間にもありません。あるのは事務権限のちがいと包括被包括関係(都道府県と市町村)だけです。

 しかし、実際には市町村間の移行について「昇格」「降格」と表現する慣行は、世間に広く浸透しています。先般の宮城県加美郡での合併をめぐる色麻町離脱問題を報じた東京新聞は、『「村」降格』とはっきり書いていました(それも小見出しで)。マスコミがこういった認識ですから、一般の人々が村→町→市という格のちがいがあるものと理解してしまっても致し方ないともいえます。
 人口増加や合併にともなって村から町へ、町から市へ、(一般)市から特例市へ...と規模を拡大していく実例を見る限り、一般的感覚としては、これは格のちがいだと誤認してしまうのでしょう。そんぴん さんのおっしゃるように、その逆の例がないことが、この種の誤解をいっそう普遍化させてしまっているような気がします。
 ですが、本来的には「移行」が正しいはずです。

>これは,是非はともかく,「格の違い」という暗黙の認識があることの状況証拠ではないでしょうか?

 自治体や住民にそういった意識があることは否定できないでしょうね。ただ、行政当局の思惑としては、「一度手に入れた“自由”(行政裁量の幅)を手放したくない」というほうが強いのではないかと私は考えています。
 それに、現行法制では、市や町の要件は成立要件であって存続要件ではありませんから、法令自体が市→町→村といった移行を想定していないとも言えなくもないと思われます。

 そもそも、自治法が何ゆえ市町村の区別をしているのかといえば、自治体にその規模に相応の行政権限を付与しようとしているからです。人口が集積し、市街化・都市化した地域にはそれゆえの特殊な行政需要があるはずだ、というのがもともとの考え方だったはずです。

 しかし、地方分権や市町村合併が進展するにつれ、こういった区分が実質的意義を持たなくなってきているように私は感じています。合併で誕生した自治体について、人口3万以上なら他の要件は問わず無条件で市の要件を満たすとする現在の特例は、それを端的に表わしていると思います。
 この特例は、実は重大な意義を含んでいると私は思います。

 従来の合併推進に関わる市の要件の特例は、地方自治法中の人口要件の部分について特例を設ける形式でしたが、現在のそれは「人口3万以上」のみで可とする画期的なものとなっています。すなわち、政府は市となるためには市街地を有しなければいけないという100年来の市の概念を変更したわけです。

 しかし、いっぽうで単独で市となる場合には、自治法による本来の要件を満たすことが求められていて、現在、市への移行についてはダブルスタンダードの状況にあります。この点がスッキリしないところで、地方分権の精神からすれば、単独での場合も同様に要件を引き下げて基礎自治体への分権をするべきでしょう。ですが、さしあたって市町村合併の推進のほうが至上命題ということなのでしょうか、現在のところ市の要件の根本的な緩和は検討されていないようです。
 いっそのこと、「市町村」という基礎自治体の区別自体を撤廃してもいいのではないかと私なんかは考えるのですが、それをやってしまうと人口数百の自治体と350万にも上る自治体とが見分けがつかなくなってしまう=現状満足の小規模自治体が増えて合併意欲が弱まってしまう、という懸念があるためか総務省などはこういった問題については検討していないようです。

 それでも、現実には市町村の実態が、当初自治法が想定したものとはだんだん乖離してきていることは紛れもない事実であり、今後も人口3万のみで市に移行する自治体が続々と誕生することと思います。
 宮城県加美郡では、市になるはずのところ、1町離脱で村になるかも知れないということで話題になりましたが、もうこのあたりで、特例ばかりではなく、根本的な自治体制度の見直しをするべきではないかと私は最近よく思います。


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