[78466]の続きです。
●四谷区
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「河」橋谷町一丁目, 鮫「河」橋谷町二丁目, 元鮫「河」橋町, 元鮫「河」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「の一部」, 内藤新宿一丁目「の一部」, 内藤新宿添地町「の一部」
は#34、#28との関係上もあり、
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「ヶ」橋谷町一丁目, 鮫「ヶ」橋谷町二丁目, 元鮫「ヶ」橋町, 元鮫「ヶ」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 「市谷片町」, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」
ではないでしょうか。
まず
府令第25号(PDF)(M22.4.11)1-2コマより四谷区外より編入されたのは南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」だけだと分かります。
次に、
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「市谷片町」は四谷区ではなくて牛込区となっています。
しかしながら
東京府甲第107号布達(PDF)(M13.9.27)で市谷片町は牛込区より四谷区へ編入しています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.現在では「市谷片町」は四谷区にあります。
そして
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも「市谷片町」は四谷区にあり、M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入とあります。
「河」or「ヶ」については(3)と(4)の記載にある「ヶ」としました。
●牛込区
市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「砂」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 「市ヶ谷片町」, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市「ヶ」谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 「牛込」下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「南豊島郡 牛込早稲田村」, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」
は
市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」, 「南豊島郡 牛込早稲田村」
ではないでしょうか。
まず、
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより牛込区外より編入されたのは南豊島郡 牛込早稲田村だけだと分かります。
次に
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「佐」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町と「ヶ」があります。そして「市ヶ谷片町」もあります。また「牛込」下戸塚町と「牛込」の記載があります。ただし、「牛込改代町」, 「牛込水道町」は“仝”との記載が無いので南豊島郡ではなくて牛込区ということが分かります。
しかし
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。33コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。また「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では四谷区に「市谷片町」あり(M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入)。381~382コマで市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。また「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。383コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。384コマで「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
「砂」or「佐」については(3)と(4)の記載にある「佐」としました。
●小石川区
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽一丁目, 音羽二丁目, 音羽三丁目, 音羽四丁目, 音羽五丁目, 音羽六丁目, 音羽七丁目, 音羽八丁目, 音羽九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町, 高田豊川町, 雑司ヶ谷町, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村, 雑司ヶ谷村「の一部」, 巣鴨村「の一部」, 高田村「の一部」
は#47、#46との関係上もあり、
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町「(本)」, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町「(本)」, 高田豊川町「(本)」, 雑司ヶ谷町「(本)」, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより小石川区外より編入されたのは北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」だけだと分かります。
また、
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)のいずれでも音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目と「町」があります。
●本郷区
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町「一丁目」, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 「本郷」龍岡町, 湯島一丁目, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村, 日暮里村「の一部」
は下谷区、#42との関係上もあり、
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 龍岡町, 湯島一丁目, 「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより本郷区外より編入されたのは北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」だけだと分かります。
次に
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では本郷本富士町, 「本郷」龍岡町となっています。
しかしながら、
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では本郷本富士町, 龍岡町となっています。
また
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも本郷本富士町, 龍岡町となっています。
「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」の有無ですが、本郷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…63町
東京府統計書明治16_17年M16_17…63町
東京府統計書明治18年M18…63町
地方行政区画便覧M19.1.…63町
東京府統計書明治19年M19…65町
東京府統計書明治20年M20…65町
東京府統計書明治21年M21…65町
となっています。
明治19年頃に2町が増えていますが、これは
東京府令第9号(PDF)(M19.8.14)にて湯島二丁目、湯島三丁目が増えたものと考えられます。
●下谷区
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 「上野公園地」, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「の一部」, 谷中村, 金杉村「の一部」, 下駒込村「の一部」, 下谷竜泉町, 千束村「の一部」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「の一部」
は本郷区、浅草区、#40、#36、#42との関係上もあり、
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町「(本)」, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」
ではないでしょうか。
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2-3コマより下谷区外より編入されたのは北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」だけだと分かります。
#坂本村or阪本村ですが、(1)を最優先に採用という方針に従い、(2)の阪本村ではなく(1)の坂本村という表記に従いました。
「上野公園地」の有無ですが、下谷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…71町
東京府統計書明治16_17年M16_17…69町
東京府統計書明治18年M18…69町
地方行政区画便覧M19.1.…69町
東京府統計書明治19年M19…68町
東京府統計書明治20年M20…68町
東京府統計書明治21年M21…68町
となっています。
明治16年頃に谷中七面前町、谷中片町が合併で消滅したために71町から69町へと減少しました。その後、明治19年頃に1町が減少していますが、これは上野公園地が町ではなくなったからと推測しました。
次稿へ続きます。