[10664] special-weekさん
伊豆市というと下田市や賀茂郡あたりをイメージするんですが、それは私だけかな・・・?
私はこれに、網代地区を擁する熱海市および伊東市を加えて、伊東線および伊豆急線の沿線域全般を
イメージします。ちなみに往年活躍した国鉄直通の急行名は、伊豆急側が 「伊豆」、伊豆箱根鉄道側が
「おくいず」 でしたね。当時無垢だった雑魚少年は、後者を 「御クイズ」 と固く信じて疑いませんでした。
ちなみに田方平野の母なる存在である狩野川に関して、雑魚少年はここでも大歩危でした。
「♪ウサギ美味し、あの山。小鮒釣りし狩野川。」
あのノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も、京都一中時代に兎狩りを体験したそうで、(それだけ
蛋白質の供給源確保が切実な問題だったのかな。) そう考えれば、荒唐無稽な話ではない、と思うのは
私だけですかね。(笑)
[10681] まがみさん
もともと蒸気機関車が牽引していた列車が中心だったからです。
電車に比べると加減速性能にも劣る事から、表定速度を確保する意味で一定の駅間距離を置く側面も
あるでしょうね。かつて通学で旧型客車を利用していた手前、これは切実な問題かと思います。ちなみに
JRの幹線級で追加設置駅が最も多い様に感じるのは、札幌都市圏に含まれる函館線銭函-江別かな。
兵庫-西明石の線路別複々線は、やはり泣き所のようです。
関東平野に比べ平坦地の少ない地勢の下で並行他社線と競合する状況にあって、緩急接続が容易な
方向別複々線は、正に算盤勘定に聡い大阪経済圏ならではの所産かとの印象です。それにも拘わらず、
兵庫以西が列車/電車別になっているのは、快速線が一段高い所を通過する須磨海岸付近の地形や
線増後発区間ならではの土地確保難の問題が介在したのではないか、とも思います。手元の資料では、
鷹取-西明石の複々線化は 1965年ですね。兵庫以東の沿革は不詳ですが、1938年に兵庫-鷹取で
五線化された旨の記述がある点から推すに、複々線区間の終点は長らく兵庫駅だったのでしょうか。