[4818] 雑魚さん
仙台駅西口を出て、ペデストリアンデッキに面して入口のあるアイエ書店は、よく行っていましたよ。今では、程無いところにあるイービーンズ内のジュンク堂書店が仙台一の規模を持つ書店だと思います。
私が愛読する司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズ26巻「嵯峨散歩、仙台・石巻」の中に、以下のようなくだりがあります。
司馬氏は、宿泊先のホテルで朝食を注文し、窓の外に見えるペデストリアンデッキの景観に好感を抱いています。
(以下、引用)
私は、体をうごかして、この景観を楽しもうと思い、朝食の注文をしたまま、ホテルの玄関を出、すぐそばにある階段をへて宙空の路面へのぼった。歩くと、ここちよい。上に街があるという感じである。つまりべつのビルにこの宙空歩道が接している。たとえばその路面のレヴェルのまま本屋さんの入口が開口していた。自然、店内に入って本棚をながめるうちに(以下略)
紛れも無く、司馬氏が入った店こそ、この「アイエ書店」であると思われ、更に言うと宿泊していたのは仙台ホテルではないかと推察されます。
仙台が「杜の都」と呼ばれるようになったのは、1910年代頃であったといわれています。それには、藩政時代から受け継がれた市街地の屋敷林の緑に加えて、市街地外縁部の青葉山や八木山、鶴ヶ谷付近の丘陵地の緑が、市街地の借景として重要な役割を果たしていたといえます。古くは、仙台駅前からもこういった市街地内部の緑地や周辺の山の緑が望まれ、そういった風情が、仙台をして「杜の都」と言わしめた最大の要因だったのです。
戦後は、空襲や市街地化に伴い市街地内部の緑地が減少したのに加え、八木山や鶴ヶ谷の市街地近隣の丘陵地がことごとく団地として開発されてしまいました。今、仙台を訪れると、青葉通や定禅寺通のケヤキ並木が「杜の都」の象徴として旅行者を迎えてくれますが、もちろんこれらの街路樹は戦後の都市計画の産物なので、現在の「杜の都」の象徴とはいえ、「杜の都」もともとのオリジンではないのです。仙台は、政令指定都市の中でも道路の街路樹率の低い都市であると聞いたことがあります。
かつての「杜の都」仙台を味わいたい方にお勧めの散歩スポットをご紹介します。
(1)青葉区片平
仙台高等裁判所、市立片平丁小学校、東北大学本部の西に、広瀬川に沿って南東に伸びる道路が「片平丁」と呼ばれる街路です。裁判所や小学校の敷地が、かつては仙台藩の重臣の邸宅跡で、今でも往時を偲ばせるゆたかな緑が残っています。また、ところどころ広瀬川の眺望に優れた場所があり、青葉山丘陵の緑や広瀬川の清流も味わえます。八木山方面へのバス通りとなっているため車の量は多いのですが、ゆたかな都市景観の残る、仙台市街地では一押しのスポットです。
(2)青葉区上杉(かみすぎ)
仙台駅西口を西に進み、程なく南北の通り「愛宕上杉通」に行き当たります。この道を北へ、国道45号線、定禅寺通を横断して更に歩くと、右手にNHK仙台放送局が見えてきます。このあたりから、上杉地区になります。この「かみすぎ」という少々珍しい読み方をする地名は、もともと「上杉山」が正しい言い方で、字の通り、杉の木の豊かな都市近隣の緑地の卓越した地域でした。今でも、北四番丁通に面したところにある勝山公園や、宮城教育大学付属中学校付近に杉林が残り、かつての仙台市中の緑の豊かさに思いをいたすことができます。今では、閑静な高級住宅地の趣で、どこか懐かしい雰囲気のある町です。
(3)青葉区台原(だいのはら)森林公園
仙台市営地下鉄台原駅を下車すると、目の前にこんもりとした豊かな森が現れます。これが、団地開発の嵐の中、この地域で唯一残されたかつての丘陵の緑の残骸、「台原森林公園」です。地下鉄の次の駅旭ヶ丘まで歩けば、心ゆくまで杜の都の雰囲気を堪能できます。
なお、仙台市営地下鉄は、台原~旭ヶ丘の区間で西側が開口し、この豊かな森が車窓から見える構造になっています。この粋な演出も、ぜひ経験してみてください。
最後に
仙台の大学は、ご指摘の東北大学、宮城教育大学以外の大学も、すべて丘陵の上にあるんですよ。市街地付近に居住地を確保できる学生はごく少数で、たいていの学生が住む場所は八木山や北山など、丘陵地にあるリーズナブルなアパートになります(条件の良い地域の物件はすでに上級生によって占拠されていることが多く、新入生の多くがこの不便さを味わいます)。私の周囲では、仙台に好印象を持つ学生は多くありませんでしたが、このあたりも影響しています。仙台が坂が多い町かどうかのお話は後ほど。