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一度消滅した市町村名の復活例は?

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記事数=8件/更新日:2002年12月24日/編集者:あっちゃん

合併などにより一度なくなった自治体名が、別の場所で同じ名前の自治体として復活した事例を集めてみました。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1302]2002年4月20日
あっちゃん
[1303]2002年4月20日
miki
[1304]2002年4月21日
Issie
[1305]2002年4月21日
ケン
[1306]2002年4月21日
深海魚
[1321]2002年4月23日
Issie
[3370]2002年9月27日
ありおりはべり
[3371]2002年9月27日
まがみ

[1302] 2002年 4月 20日(土)21:47:29あっちゃん[実は小学生] さん
質☆問
質問なんですが、一度消滅した市町村の名前を、
他の市町村が使っても法律的にはいいんでしょうか?教えて下さい。
[1303] 2002年 4月 20日(土)22:05:54miki さん
>1302
多分OKだと思います。
守山市を例に挙げますと、初めは愛知県にありましたが、名古屋市に合併されてしまいました。(63.2.15)
その後、滋賀県に守山市ができていますからね。(70.7.1)
[1304] 2002年 4月 21日(日)09:19:42Issie さん
市町村名の使いまわし
名前についての規程は「法律」上にはないはずです。もっと下のレベルの「規則」や「通達」あたりにはあるかもしれませんが。あるいは単なる総務省(←自治省←[略]←内務省)での慣習かもしれません。

ともかく,現在では同時に同一の「市」が生まれそうになると総務省(自治省)の指導が入ります(鹿島市/鹿嶋市のように)が,いったん消滅したものなら問題はないでしょう。

埼玉県入間地方の西武新宿線入曽駅あたりは1954年7月1日に入間川町その他と合体して「狭山市」になるまで「入間(いりま/いるま)村」と呼ばれていました。
この入間村が消滅した後,今度はすぐ隣りの西武池袋線沿線の武蔵町(1956年9月30日に豊岡町その他が合体して成立)が1966年11月1日に一瞬「入間町」と改称した直後(同時に)市に昇格して「入間(いるま)市」となりました。
というわけで,「入間」という名前の自治体は12年の時をへだてて,西武新宿線沿線から西武池袋線沿線の地名へと移動したのでした。

「入曽」駅を「入間」駅と改称していたら大変ややこしいことになったでしょうね。
[1305] 2002年 4月 21日(日)10:20:44ケン さん
一度消滅した市
ほかにもありました。
八幡市は初め福岡県にありましたが、北九州市に合併され、その後京都府に八幡市が誕生しました。
入間の件ですが、狭山市に入間川があって、入間市に狭山台と狭山が原があります。
[1306] 2002年 4月 21日(日)12:26:36深海魚[雑魚] さん
>>1305
市名重複の回避は、監督省庁の慣習の類と聞いた事が有ります。
八幡ですが、京都の方は「やわた」で、福岡県の方は「やはた」で
良かったでしょうか。余計な事ですが岐阜県のそれは「はちまん」。

入間、狭山の件とは趣が異なりますが、愛媛県松山市に在るのが
松山東高、埼玉県東松山市に在るのが松山高との事例も有ります。
共に旧制時代は松山中学を名乗って居ました。
[1321] 2002年 4月 23日(火)23:55:57Issie さん
湘南村
「湘南市」がもし誕生したとするなら,これもまた過去の自治体名の使いまわしです。
前にも話題にしましたが,1955年まで県内北部の津久井郡に「湘南村」がありました。4月1日に川尻村,三沢村中沢地区と合体して「城山町」となり現在に至ります。
津久井郡は神奈川県内の地域区分では「県北」とされるのですが,この場合の「湘南」は“相模南部の海岸”という意味ではなくて,“相模川の南”という意味です。何でも,この辺りの相模川の風景を中国の湘江にたとえたらしい。
実際,上流に相模ダム(相模湖)と城山ダム(津久井湖)ができて川の水量が減ってしまうまで,戦前にはこの辺りは東京からお手頃な景勝地で,現在の相模原市の田名地区の相模川沿いは「水郷田名」と呼ばれ,小田急の鶴川から支線(別会社だけど)が作られかけたことがあります。
横浜線の淵野辺から途中まで開通寸前まで行ったけど,昭和恐慌の影響で挫折しました。
[3370] 2002年 9月 27日(金)11:19:27ありおりはべり さん
消えた都市の復活?
広島県高田郡(八千代町・吉田町・美土里町・高宮町・甲田町・向原町)での
広域合併の話が少なからず進んでいます。
新市名として「高田市」という選択肢も当然でてくるかと思います。

ところが、「高田市」自体は消滅しましたが、新潟県に存在していました。
一度消滅した市名が、再度復活するということはあるのでしょうか?

陸前高田市・大和高田市・豊後高田市は
過去に高田市があったから旧国名がついているわけで、
後発部隊に、本家(?)の名前がつくってのは、どんな気分なんでしょうね。
[3371] 2002年 9月 27日(金)12:34:03まがみ さん
Re: 消えた都市の復活?
[3370]
ありおりはべりさん、はじめまして。

> ところが、「高田市」自体は消滅しましたが、新潟県に存在していました。
> 一度消滅した市名が、再度復活するということはあるのでしょうか?

結論から言えば、あります。今までに2例ありました。

まず「八幡市」
1917(大正6)年3月1日に市制施行した福岡県八幡(やはた)市。
官営八幡製鉄所で有名な八幡のことです。
この八幡市は、1963(昭和38)年2月10日、門司、小倉、若松、戸畑の各市と合併して
北九州市となりました。いまの北九州市八幡東区と北九州市八幡西区の区域が、
おおむねこの八幡市の区域と考えてよいです。

その後、1977(昭和52)年11月1日に、京都府八幡(やわた)市が市制施行しました。
こちらは今も存在しています。

ちなみに、福岡県八幡市がまだ存在していた1954(昭和29)年3月31日に市制施行した
滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市は、区別するために旧国名「近江」を冠していますね。


もう一例は「守山市」
1954(昭和29)年6月1日に市制施行した愛知県守山市がありました。
この「守山市」は、1963(昭和38)年2月15日に名古屋市に編入され、
名古屋市守山区となっています。

その後、1970(昭和45)年7月1日に滋賀県守山市が市制施行。
こちらは現在もあります。


旧国名がつかない市が存在しないのに、旧国名がつく市が存在するのは、
(本家がいないけど後発部隊がいるというような状況かな?)
「高田市」のほか、「若松市」もそうですね。

福岡県若松市・・・1914(大正3)年4月1日市制施行
1963(昭和38)年2月10日合併により北九州市に。いまの北九州市若松区。
福島県若松市・・・1899(明治32)年4月1日市制施行。
1955(昭和30)年1月1日、会津若松市に改称。
つまり現在は「若松市」はありません。


# 久々に長~い書き込みしました

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