[27501]で 両毛人 さん が,
[27527]で 月の輪熊 さん が日光国立公園の名称に尾瀬を加えてもよかろうに,と記述されています。ずっと気になっていましたが,ちょうど両毛人さんが尾瀬に行ってこられたとのこと,以下「日光国立公園の名称変更」について書いてみます。
現在ある28の国立公園のうち,指定後に名称が変更となったものを当初指定順に記せば,
雲仙(天草),霧島(屋久),阿蘇(くじゅう),十和田(八幡平),富士箱根(伊豆),大山(隠岐),秩父多摩(甲斐),足摺(宇和海),利尻礼文(サロベツ)の9つです。
各々( )内が追加された地域名です。このうち,区域拡張を伴わないのは,秩父多摩甲斐国立公園のただ一つです。これについては
[27527]で 月の輪熊 さん がご指摘になったとおりです。
では,日光国立公園を見てみましょう。昭和9年に「国立公園第1期生」として当初の区域指定を受けて以降,大きく区域が変化したのは昭和25年に那須・塩原区域を加えた時だけです。つまり,尾瀬は当初から日光国立公園に含まれていました。
しかも,昭和初期の日本山岳会の会報を見ると,当時は「奥日光の尾瀬」という言葉が当たり前のように使われていたのがわかります。例えば,尾瀬を奥日光と呼んだ人の中には武田久吉博士がいます。尾瀬を広く一般に知らしめた人です。当時のアクセスは日光からが主だったようなので,こういうことになったのでしょう。
また,追加で取り込まれた那須・塩原地域については,大正~昭和期の国立公園選定にあたっても調査の対象とされたものの,実際には指定が見送られ,拡張に際しての昭和22年の審議会でも「準国立公園(後の国定公園)」という言葉が使われるほどに「日光に比べれば劣った地域」と扱われていました。実は武田博士はこの審議会の委員にもなっています。
つまり,日光があくまでも唯一の巨人であって,その他の地域は付帯のもの,という考えがあり,そのため日光国立公園の名称が変更にならなかった,といいますか変更する機会もなかったのだと言えるでしょう。
それほどまでに「日光」は大きな存在だったのですが,その後様々な要因によって相対的地位が低下し,現在に至ったわけです。様々な風景地が“発見”され,個別の地名が舞台に踊り出してきて「日光」の意味する地域が狭まってきた現在,最早一般的に「日光」という地名からイメージするのは「現在の日光市域の大部分」でしかないでしょう。
ですから「日光国立公園」の改称を求める意見には「ごもっとも」とうなずきたくなってしまいます。とはいえ私個人としては国立公園の名前は「日光」のままがいい,と根強く思っているのですけれどね・・・。
蛇足
現在,一般的には「いろは坂」を登り切ったらそこから「奥日光」だ,と言われているようです。しかし,私が学生のころは「竜頭の滝」が表と奥の境でした。つまり中禅寺湖までは表日光で戦場ヶ原からが奥日光だと。このように地域呼称は常に変化しているわけですが,それにしても尾瀬まで奥日光とは・・・。他に呼びようがなかったということなのでしょう。ちなみに日光国立公園の南隣には「前日光県立自然公園」というのがあります。これで奥・表・前と来たわけですが,残念ながら「裏日光」というのは聞きませんです(強いて言えば奥鬼怒温泉郷でしょうか)。
※ 恥ずかしいけど愛郷精神あふれる誤記を訂正