[6099]eternal さん
>今回の合併特例では、市制時の人口が3万人を割っていても、2000年国調で合併町村の合計が3万を超えていれば>市制は可能なのでしょうか?
>過去の市制特例の時の状況も知りたいです。
直前の国勢調査時に合併する町村の合計が3万人超えていれば市制は可能です。今度岐阜県に誕生する「飛騨市」もその特例で現在3万人以下で市制は可能ですし、他にも合併が実現した場合には該当するケースもあります。過去には北海道の羽幌町が国勢調査(1970年実施)の数字をごまかして3万人にして市になろうとした事件もありました。
[3442] を参照してください。
>また、沖縄の石川市は一度も3万人を突破したことはないのでしょうか?
>占領下での市制なので特殊事情なのでしょうが、地区を分離したといったことはあったのでしょうか
落書帳アーカイブの「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に説明がありますが、第二次世界大戦終結時に沖縄県で市制していたのは那覇市と首里市の2つでした。しかし沖縄全土が戦場になり居住地を失った難民を収容するキャンプが宜野座村に設置され人口が十数万人に膨れ上がり、その難民管理のために宜野座村を六分割し、漢那(かんな), 福山(ふくやま),惣慶(そけい),宜野座,古知屋(こちや),高松の六市を設置し。具志川村にも高江州(たかえす)市が設置されるなどしました。
それらの市は難民収容所の解散後は元の村に戻されたのですが、石川市だけは収容所が引き続き設置され、美里村(ゴザ市、現在の沖縄市)から分離、市制施行し収容所解散後も石川市として存続していました。
そのため、石川市は一時的に難民収容所設置のため人口が増加し難民収容所の管理のために市制され、その後も元に戻される事もなく市制が存続しました。また沖縄は米軍占領下の「琉球政府」の統治下であり日本の他の市とは生い立ちが異なります。難民収容所設置時の正確な人口はわからないですが、現在に至るまで石川市が人口3万人を越えた事が無いのはそのためです。