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終戦後の沖縄に生まれた市とは?

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記事数=10件/更新日:2003年1月18日/編集者:オーナー グリグリ

第二次大戦後の沖縄において、漢那市(かんな)、福山市、惣慶市(そけい)、宜野座市などの「市」が存在していたのではないかという話題がありました。この「市」の正体についての議論を集めました。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90]2000年12月29日
グリグリ
[91]2000年12月30日
Issie
[1188]2002年4月4日
琉球の風
[1260]2002年4月15日
紅葉橋律乃介
[1272]2002年4月17日
グリグリ
[1288]2002年4月18日
miki
[4680]2002年11月8日
般若堂そんぴん
[4985]2002年11月17日
般若堂そんぴん
[6099]2002年12月8日
eternal
[6113]2002年12月8日
夜鳴き寿司屋

[90] 2000年 12月 29日(金)21:48:27オーナー グリグリ
>> Issieさんへ
Issieさん、お世話になっています。
HPを改めて見させていただきましたが、情報量のすごさはさすがですね。
高校の地理の先生と言うことで何となく納得しました。また、色々参考にさせて下さい。とくに、1日だけの市については悩んでいます。

それから、沖縄にあった市で消滅した市は、首里市と真和志市とコザ市だけだと思うのですが、漢那市(かんな)、福山市、惣慶市(そけい)、宜野座市、高松市、古知屋市(こちや)、知念市、高江洲市(たかえす)、前原市(まえはら)、瀬嵩市(せだけ)、平安座市(へんざ)、田井等市(たいら)、久志市(くし)、辺土名市(へんとな)、胡差市(こざ)もあったという指摘を以前受けています。本当でしょうか?

ところで、Issieさん、新潟で生まれて千葉で育ち現在は神奈川ですね。
私は、石川で生まれてうろうろした後、横浜から千葉に移っています。
現在は佐倉市に住んでいます。ちょっと余談でした。
[91] 2000年 12月 30日(土)01:39:33Issie さん
敗戦直後の沖縄の「市」
>グリグリさん,こんばんは。

敗戦そして占領直後の1945年中に正式な(あるいは“正常な”)地方自治体としての「市」だったのは那覇市と首里市,9月に「市」に昇格した石川市だけと考えています。
確認はしていないのですが,「漢那市」以下のものは地方自治体ではなくて(少なくとも正常な自治体ではなく),地上戦で住まいを追われ,米軍の占領下に置かれた(本土のように生易しいものではなく)住民を収容したキャンプに設置された自治組織の名前なのではないでしょうか。
要するに「難民キャンプ」という不正常な状態のものですから,米軍が必要と見なして占拠してしまった部分を除いた土地が住民に「返還」されれば,もとの正常な地方自治体に戻ることになるのだと思います。
ところで,占領下の沖縄は当然「日本国憲法」も「地方自治法」その他の本土の法律は適用されていないのですよね。基本的には本土の法律に準じたものが制定されたようですが,いろいろな点で本土と違っていることも多かったようです。具体的にどのような制度であったのか,そのあたりも確認してみたいなと思っています。
[1188] 2002年 4月 4日(木)13:35:50琉球の風[てつ] さん
二年ごしの
過去(2000年)の質問の中に、沖縄県で消滅した幾つかの市に関する質問が
ありました。私の知っている限りの事をお答えします(遅いけど)。
1945年、沖縄戦に伴う難民収容所が宜野座村に設置され、同村人口は
10数万人に膨れ上がりました。そこで宜野座村を六分割し、漢那(かんな), 福山(ふくやま),惣慶(そけい),宜野座,古知屋(こちや),高松の六市が誕生
しました。具志川村(現・具志川市)は同様に収容所設置で1945年5月に
高江州(たかえす)市になり9月に前原(まえはら)市に改称。知念村も
同様な理由で市に昇格、琉球政府も設置され首都として機能したが、
高台に建設された庁舎が台風で倒壊、政府は那覇に移転された。
尚、これらの市は全て収容所解散後は一年ほどで村に戻されました。
唯一、石川市だけは収容所設置により、沖縄市(旧美里村)から分離、
市制施行し収容所解散後も強固に姿勢維持を続けた。各地の炭鉱街が
人口の少ない市のランキングに軒を連ねるまでは、石川市がワースト1でした。そのときの人口は1万6000人でした。
[1260] 2002年 4月 15日(月)16:38:48紅葉橋律乃介[もみじばし銀治助] さん
沖縄の「市」
1945年4月1日より、米軍の管理下に。
48年、米軍政府の「町村制」。
53年、琉球政府の「町村制」。

さて、「収容所」の「市」ですが、角川「地名大辞典」によると、確かに16ありました。
45年9月、「地方行政緊急措置要綱」により、「収容所」に市制を施行。市役所や市長も選ばれたとか。
・越来村に「胡差市」(こざ)~12月消滅
・羽地村に「田井等市」(たいら)~11月末消滅
・金武村に「漢那市」(かんな)~46年8月消滅→宜野座村
・金武村に「福山市」(ふくやま)~9月25日宜野座市へ合併
・金武村に「惣慶市」(そけい)~同上
・金武村に「宜野座市」(ぎのざ)~46年消滅→宜野座村
・金武村に「古知屋市」(こちや)~同上
・金武村に「高松市」(?)~9月25日古知屋市へ合併
・国頭、大宜味、東村に10月1日「辺土名市」(へんとな)~46年消滅
・知念、玉城村に「知念市」(ちねん)~46年6月消滅
・糸満町に「糸満市」(いとまん)~46年消滅
・久志村に「瀬嵩市」(せだけ)~46年1月5日消滅
・久志村に「久志市」(くし)~同上
・与那城、勝連村に「平安座市」(へんざ)~46年2月21日消滅
・勝連、宜野湾、具志川、美里村に「高江洲市」(たかえす)→「前原市」(まえはら)に改称、46年4月消滅
・美里村に「石川市」(いしかわ)、現存

以上、左側の町村名は当時のもの。日付が無い物は45年9月に設置といいます。

また、「昇格」したわけではなくて、一箇所に人口が集中したので、別に「自治体」を作ったのではないでしょうか。
元の市町村に帰還が終了すると、自然に消滅したということです。
[1272] 2002年 4月 17日(水)00:08:08オーナー グリグリ
Re:沖縄の「市」
> もみじばし銀治助 さんへ

沖縄の「市」の詳しい情報をありがとうございました。
雑学ページに反映したいと思います。といっても注釈ですが。

石川市は唯一の生き残りなんですね。しかもちょっと強引な残り方なんですね。まぁ、石川県出身なので関係ないとは言えちょっと気になります。
[1288] 2002年 4月 18日(木)11:06:22miki さん
>1260
ほとんどの収容所の市制施行日ですが、詳しくは45.9.26ですよ。
石川市の市制施行日と同じですからね。
[4680] 2002年 11月 8日(金)21:26:25般若堂そんぴん さん
沖縄,終戦直後の「市」
「東かがわ市」についての新聞の切抜きを探していたら,終戦直後の沖縄における市に関する一枚のコピーが出てきました.米沢市立図書館でコピーしたものですが,何という本なのか分かりません.アーカイブに載っている投稿のものと少々異なっているので,引用します.

1945年頃の本島12市と人口・市長
1945年9月12日,米軍政府は回状第208号を公布して16市を設定し,市を単位として市長選挙と市会議員選挙を行われた(ママ).16市とは右図の本島12市に粟国,伊平屋,慶良間列島,久米島の各市である.当時の本島12市の位置と人口,市長は右図のようであるが,軍政府は10月1日付で軍政地区を変更し,10月末にはその軍政地区への住民の移動計画を指示し,住民の元居住地への移動が始まった.ちなみにその地区は,知念,糸満,,(ママ)胡差,前原,石川,宜野座,久志,田井等,辺土名,粟国,久米島,慶良間,伊平屋の13市である.

図示された本島12市の名称,人口,市長は次の通り.
知念市:17,914人(親川栄蔵):現・知念村
胡差市(古謝市):10,286人(仲池康之):現・沖縄市
前原市:40,183人(当銘由親):現・具志川市
平安座市:7,992人(新垣金造):現・与那城町
石川市:23,033人(横田英→東毅):現・石川市
漢那市:27,661人(新垣実):現・宜野座村
宜野座市:37,036人(安里源秀):現・宜野座村
古知屋市:19,194人(金城増太郎):現・名護市
久志市:29,027人(仲里松吉):現・名護市
辺土名市:29,497人(山城東栄):現・名護市
田井等市:55,266人(平良辰雄):現・名護市
瀬嵩市:28,680人(瀬長清→当銘由金):現・国頭村

以上ですが,書名が分かりましたら報告させていただきます.
[4985] 2002年 11月 17日(日)18:07:01般若堂そんぴん さん
沖縄の「市」情報の出典
[4680]で紹介した,終戦直後の沖縄における「市」についての記事の出典は次の通りです.
太田昌秀(監修):「写真集 沖縄戦後史」(那覇出版社,初版1986),94ページ.
[6099] 2002年 12月 8日(日)05:45:19eternal さん
3万人
今回の合併特例では、市制時の人口が3万人を割っていても、2000年国調で合併町村の合計が3万を超えていれば市制は可能なのでしょうか?
過去の市制特例の時の状況も知りたいです。

また、沖縄の石川市は一度も3万人を突破したことはないのでしょうか?
占領下での市制なので特殊事情なのでしょうが、地区を分離したといったことはあったのでしょうか。
[6113] 2002年 12月 8日(日)12:15:36夜鳴き寿司屋 さん
石川市が何故3万人を越えた事が無いのか。
[6099]eternal さん
>今回の合併特例では、市制時の人口が3万人を割っていても、2000年国調で合併町村の合計が3万を超えていれば>市制は可能なのでしょうか?
>過去の市制特例の時の状況も知りたいです。

 直前の国勢調査時に合併する町村の合計が3万人超えていれば市制は可能です。今度岐阜県に誕生する「飛騨市」もその特例で現在3万人以下で市制は可能ですし、他にも合併が実現した場合には該当するケースもあります。過去には北海道の羽幌町が国勢調査(1970年実施)の数字をごまかして3万人にして市になろうとした事件もありました。[3442] を参照してください。

>また、沖縄の石川市は一度も3万人を突破したことはないのでしょうか?
>占領下での市制なので特殊事情なのでしょうが、地区を分離したといったことはあったのでしょうか

 落書帳アーカイブの「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に説明がありますが、第二次世界大戦終結時に沖縄県で市制していたのは那覇市と首里市の2つでした。しかし沖縄全土が戦場になり居住地を失った難民を収容するキャンプが宜野座村に設置され人口が十数万人に膨れ上がり、その難民管理のために宜野座村を六分割し、漢那(かんな), 福山(ふくやま),惣慶(そけい),宜野座,古知屋(こちや),高松の六市を設置し。具志川村にも高江州(たかえす)市が設置されるなどしました。
 それらの市は難民収容所の解散後は元の村に戻されたのですが、石川市だけは収容所が引き続き設置され、美里村(ゴザ市、現在の沖縄市)から分離、市制施行し収容所解散後も石川市として存続していました。

 そのため、石川市は一時的に難民収容所設置のため人口が増加し難民収容所の管理のために市制され、その後も元に戻される事もなく市制が存続しました。また沖縄は米軍占領下の「琉球政府」の統治下であり日本の他の市とは生い立ちが異なります。難民収容所設置時の正確な人口はわからないですが、現在に至るまで石川市が人口3万人を越えた事が無いのはそのためです。

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