[94063] ekinenpyou さん
明治39年、帝国議会における鉄道国有法審議に関する詳細な議事録を紹介していただき、ありがとうございます。
そして、同時にご紹介いただいた南海鉄道の『開通五十年』(昭和11年)に記された
阪堺鉄道開業当時の難波界隈も 興味深く読ませていただきました。
難波の名産であった葱【注】の畑に作られたという難波駅。南海線の前身・阪堺鉄道による用地買収は、私鉄でありながらも「公用土地買上規則」による評価で行なわれたことなど、政府の手厚い保護があったことを知りました。
予定地内の人家立退料として記された地名が「六番町」と「難波村」でした。
【注】ねぎ
だから、葱を使った料理のことも「なんば」という。しかし、この説には
疑問もあるようです。
六番町とは、大阪に市制が施行される前の 郡区町村編制法による大阪府4区の一つ「南区」にあった
難波新地六番町を指し、私が
[83142]のタイトルとして記した
「なんば」が まだ「大阪」でなかった頃
が不正確な表記であったことは ご指摘の通りです。
難波新地も元は難波村でしたが、明治初期に大阪の市街地が拡大して難波新地一番町から六番町への再編成となったようです。
なお、難波村の方は
大阪府西成郡の4つ目に記されており、明治22年の町村制施行によって新制度の
西成郡難波村 になりました。
# ふりがなに用いられた「ば」という文字が読めますか? 現在では殆ど使われていない
変体仮名です。
買収地価や立退料が六番町と難波村とで差が付けられてないところをみると、難波駅建設当時には市街地と郡部の区別がつかないほどになっていたのかもしれません。
西成郡難波村の大阪市編入は明治30年。
変遷情報を見ると「西区に編入」となっています。難波新地の南区とは異なる区になったのでしょうか?
その後 浪速区への編入や境界変更があり、南区だった難波駅の住所も 現在は中央区になっています。
hmtマガジン
市街地乗り入れに成功した鉄道の冒頭では、1972年の初代新橋駅を「例外的に市街地に入り込んだ 形」と書きましたが、市制施行よりもずっと前の明治18年に「区部(市街地)の鉄道駅」となっていた難波駅も、市街地駅の先駆として特筆に値する存在なのかもしれません。
難波という地名も、駅施設の所在地も市街地と郡部との境界に跨っていますが、「駅の住所」は確かに大阪市です。
[94063]ekinenpyouさんクイズの答えに付け加える蛇足
この記事で挙げていただいた
明治32年の官報附録 全国各鉄道停車場名称及位置並哩程表の時点になると、大阪市の第一次市域拡張後なので、「大阪駅」の所在地であった曽根崎村も 既に北区に編入されています。
大阪市域拡張図(1)