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千本桜さんの記事が10件見つかりました

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[96483] 2018年 9月 16日(日)10:13:29千本桜 さん
Re:島のDID
[96482] 白桃さん

今、長野県にさしかかったところなんですが、ここも結構複雑で面白い県であります。が、複雑なだけに少々疲れますので、本日は気分転換のため、単純な島のDIDに言及することにします。
長野県は疲れますね。特に佐久市。でも、佐久市を避けてDIDは語れない。岩村田、野沢・中込、臼田に加え、北中込や佐久平まで参入して、自治体内での地区間競争が激しいようです。小諸市の商業をぼろぼろにしてしまった佐久市。これを、どのように捌いてくださるか楽しみです。

表で唯一、島名とDID所在地名を隠しているAを推理してください。一番意外なところかも?
Aは八丈島(八丈町)で、三根地区と大賀郷地区に跨がって広がる市街地ではないでしょうか。島嶼部の人口集中地区は、最大の沖縄県石垣市から最小の山口県橘町まで、どれも港を中心に、海にへばりついて展開しています。しかし、八丈町だけは雰囲気が異なりますね。なぜか海にべったりではない。主産業が漁業や海運業でなかったからと解釈してよろしいのでしょうか。ずいぶん昔のことですが、八丈島の地形が絵になりそうなので、ちぎり絵で地図を描いたことを思い出しました。
[96448] 2018年 9月 1日(土)07:50:09千本桜 さん
船迫(ふなばさま)はなぜ「ふなばさん」と発音されるのか
[96445] 白桃さん
旧町の名前を明らかにしていないのは、勿体ぶっているわけでも、クイズにしたいわけでもありません。
クイズにしたいわけではないとおっしゃいますが、どうもクイズっぽいので挑戦します。
SuperA町=大河原町、旧B町=船岡町、旧C町=槻木町、旧D町=宮内町、旧E町=赤湯町、旧F町=飯坂町
これで正解でしょう。ただし、旧B町(船岡)の数値には旧C町(槻木)の船迫地区の人口が含まれています。船迫は藩政期から明治22年まで船迫村、明治22年から昭和31年まで槻木町大字船迫、昭和31年以降は柴田町大字船迫を名乗っていました。しかし、東半分は槻木の市街地に近く、西半分は船岡の市街地に近いため、昭和43年に西半分を大字船迫から分離し、大字本船迫として船岡管内に組み込みました。

ところで、「船迫」は「ふなばさま」と読むのですが、昔の人は「ふなばさん」と発音していました。私の同級生は今でも「ふなばさん」と発音します。なぜ「ま」が「ん」になるのか不思議です。ほかにも地元では、成田(なりた)を「なんだ」、上町(かみまち)を「かんまち」と発音します。このように「ま」「り」「み」などが「ん」になるのは全国的なものかもしれませんが、なぜなのか不思議でなりません。
[96432] 2018年 8月 23日(木)20:40:19【1】千本桜 さん
55年間DIDを形成する町
[96429] 白桃さん
2015年国勢調査まで途切れることなくDIDが存在しているのは、岩内ではなく浦河である。

昭和の大合併と平成の大合併で都市らしからぬ自治体が「市」を名乗るようになりました。そのようななか、いまだに「町」を名乗っているけれど、1960年国勢調査から2015年国勢調査まで途切れることなくDIDが存在しているの下記の32町に敢闘賞を差し上げてください。

八雲、倶知安、岩内、余市、栗山、遠軽、美幌、新ひだか、大河原、大洗、大泉、小川、大磯、二宮、松田、真鶴、湯河原、下諏訪、笠松、武豊、忠岡、王寺、湯浅、海田、坂、多度津、松前、水巻、芦屋、苅田、志免、門川。

見直しをした結果、亘理、琴平、須恵を削除し、大泉を追加しました。
[96400] 2018年 8月 19日(日)01:21:51千本桜 さん
Re:夏休み旅行記クイズ
[96394] シノレパシクソさん
楽しい旅をされて良かったですね。クイズに挑戦します。

A市の中心、A駅へ。県庁所在地であるこの市は観光名所が多く、
A:格安バスツァーでA市を観光した時のことです。A市の中心街に差し掛かると、同乗のオバサマたちが「仙台より大きな町ね」と、言い始めたのです。私にはそのように見えなかったのですが、そのように見える人たちもいる。そういうレベルの都市ですね。
やはりB(施設名)が有名ですよね。三本の指に入る○○ですが、
B:高松や熊本も名乗り出て5本の指にしてくれとか、鹿児島も便乗して指6本にしてくれと主張するかも。
Cは市内の至るところで使われており、それだけで高級さを感じられます。
C:高級すぎて緊迫した雰囲気が感じられます。
D藩主、
D:その名は、まり子。
E家のすごさを感じました。
E:その家系を継いだ御方の旧別邸が鎌倉の長谷にあります。今はとある施設になっていて有料で観覧できます。
すぐそばにあるAF美術館(市名+F)に行こうとしたのですが、
F:伊東市には、それより一世紀さかのぼったものがあります。
市内を流れる大きなG川を渡ってすぐ、
G:その川の畔に、ゆう子さんと温子さんがいました。どちらがお好みですか。
渡ってすぐ、H(観光地名)に。
H:京都祇園の花見小路みたいな所ですね。山形市には昭和レトロな花小路という裏寂れた盛場があります。
I県
I:この県と同名の町が福島県にあります。
J市の中心駅を通過するのには驚きでした。
J:その駅に「谷」を付すとユーミン。
最初の停車駅はK市のK駅。
K:人口で県下第二の座をJ市に奪われてコマっているようですが落胆しないで。実質第二の都市はK市です。分かっている人は分かっているんです。
県境を超えてL県
L:なんとなく裕福そうな県名ですね。
M市の駅
M:あわや「金津」と答えそうになりました。
駅前にはNが置かれていました。
N:その置物は、動いたり吠えたりするようです。
ローカル線のOに乗り換え、
O:大きなお寺まで鉄道が走っていた頃の話です。自転車旅行で京善駅近くの小さな社に野宿しました。当時の日記には7月8日(火)雨、朝食インスタントラーメン、昼食なし、夕食インスタントラーメン、アイスキャンデー20円と書いてあります。インスタントラーメンは飯ごうで煮て食べます。さらに、その大きなお寺に関しては「無料駐車場が無いのは、ずるい」と記録しています。細かいことは忘れてしまいましたが、あの大きなお寺さん、無銭状態で自転車旅行している私から自転車駐車代を取ったのだろうか。自動車でもないのに。また、京善集落に関しては「機織り(家内工業)が盛ん」と書いてあります。いま読み返してみると「へぇ~、そうだったのか」と懐かしくなります。
終点のP駅へ。
P:その駅がある市と同名の町が岡山県にもありましたが、平成の大合併で消滅しています。

シノレパシクソさんへ質問
問題文には「M駅からローカル線のOに乗り換え」とありますが、これは「L駅からローカル線のOに乗り換え」の誤りではないでしょうか。
[96357] 2018年 8月 5日(日)08:15:39千本桜 さん
クイズに挑戦
[96354] ekinenpyouさん
クイズに挑戦
越前高田(JR九頭竜線)
こんな感じの回答でいいですか?


[96355] 伊豆之国さん
この県で最古参のE市
ローカル私鉄が分岐するH市
地名の字面や発音したときの音の響きから、その土地をイメージするのが好きです。どことなく洗練された音の響きを持つE市に対し、なんだかゴチゴチガチガチの響きを持つH市ですが、どちらも好きな市名です。

旧J町にある駅で下車
その駅舎はコンクリート造りでないといいのだが。

M町の駅で対向列車と待ち合わせ
若い頃に読んだ紀行文によると、その町の町並みは「どこがヘソだか分からない」のだそうです。海と山とに挟まれて細長く伸びる町並みですが、どこがヘソだか分かりましたか?

右手に干拓地に広がる稲穂の波を眺めつつ、R市の駅へ。
その駅に着いた頃は疲れて果てて、旅も飽きたことでしょう。
[96314] 2018年 7月 20日(金)21:10:55千本桜 さん
クイズに回答いただきありがとうございます
[96301] 白桃さん
白桃さんは水沢から「水沢アキ」を連想されたようですが、私は群馬県水沢観音の門前で食べた「水沢うどん」が浮かんできます。

[96303] pタウンさん
それはあの出来事以前に海側に行ったものであって、ここで挙げてあるような内陸の都市は全く行ったことが無いのです…
あの出来事以前に岩手県の海岸風景を見ておいて良かったですね。あの長い距離に亘って美しい風景が連続する様子は圧巻でしたが、あの出来事でどうなってしまったのだろう。風景の傷が癒えたなら、いつかまた陸中海岸へ行ってみたいと思います。

[96304] hmt さん
hmt誕生当時の首相ですが、その出身地は知りませんでした。
三つの記念館を見学して感じたのですが、水沢の三偉人の中では斎藤実の知名度が一番低いようです。しかし斎藤実記念館は、暗殺されたときの弾痕が残る鏡台や、血痕の付いた衣服なども展示してあり、胸にずしりと来るものがあります。

[96305] シノレパシクソさん
ところで、現在○○を含んでいる市の中でDIDがあるのは在来線の〇〇駅周辺だけですね。
そのとおりです。現在、奥州市のDIDは水沢の市街地だけです。しかし、第一回DID調査の昭和35年には、江刺市の岩谷堂にも人口5,015のDIDがありました。

川の対岸に新幹線の駅もありますがDIDとは無縁です。もっとも、この辺りは○○の領域ではなく、○○の半分程度の人口を擁す「お隣さん」の領域な気がしますが。
いいえ、新幹線水沢江刺駅は江刺市ではなく水沢市の領域です。水沢市は昭和29年、胆沢郡の1町3村(水沢町、姉体村、佐倉河村、真城村)と、江刺郡の2村(羽田村、黒石村)が合併して誕生しましたが、水沢江刺駅は旧羽田村の領域に設置されています。また、旧姉体村は大谷翔平の出身地です。

商業都市として発展し、県南内陸部の流通の中核を担っていたそうです。
県南内陸部では一関、水沢、北上、花巻が優劣つけがたい都市間競争を展開しています。昭和40年代の都市規模を個人的手法で算出したものがあります。それによると、水沢を100とした場合、花巻95、一関90、北上60となります。北上は水沢や花巻の陰に隠れて少し小ぶりの都市でしたが、その後、急速に成長。今では北上が一番大きな都市になっているようです。しかし、岩手県の行政機構を見ると、一関地区、北上地区、花巻地区を包含する県南広域振興局は水沢に置かれているので、今も水沢がかろうじて第二県都の座を保持していると言えなくもない状況です。
[96313] 2018年 7月 20日(金)21:01:08千本桜 さん
クイズ「ここはどこでしょう」の答は水沢です
[96299] クイズ「ここはどこでしょう」の答えは「水沢」で、Aは高野長英、Bは後藤新平、Cは斎藤実でした。
 
 江戸時代後期の蘭学者 高野長英、その甥の子で後に東京市長となる後藤新平、そして後藤新平の1つ年下で後に内閣総理大臣となる斎藤実の足跡を訪ねて岩手県の水沢へ行ってきました。幕末から維新にかけて偉人を輩出した水沢は、出雲より小さいが浜田、益田より大きな市街地を形成しています。まず高野長英記念館へ。記念館は中心街の南に広がる水沢公園の一角にある。春は花見客でにぎわう水沢公園も今は季節外れで人の気配もなく小雨がぱらついている。まるで時間が止まったように静かだ。記念館には観光スポットの華やかさはなく、あくまでも記念館の趣である。開国を説いて弾圧されて死亡した高野長英の生涯を、学芸員が熱心に説明してくれた。記念館見学後は同じ公園内に鎮座する駒形神社に参拝して街へ出る。
 水沢の中心街は江戸期に宿場が置かれた奥州街道沿いの町並みと駅前通りだが、今回の旅の目的地はその西側に広がる旧武家町にある。駒形神社から北へ500メートルほど歩いて高野長英旧宅へ。ここは高野長英が幼少のころ過ごした旧宅で国指定史跡になっている。ただし個人宅のため屋内は非公開。そのすぐ隣にも国指定重要文化財の武家屋敷 高橋家が建っているが、こちらも個人宅のため非公開。さらに北へ500メートルほど歩いて後藤新平記念館へ到着。周辺には市役所、県の合同庁舎、裁判所などが立地している。この記念館も観光施設の雰囲気はなく、あくまでも記念館の佇まいである。ここの学芸員もすばらしい学芸員で、手の付けられないガキ大将 後藤新平の生涯と功績を、柔らかな口調で丁寧に説明してくれた。後藤新平は医師、長官、総裁、大臣、市長、学長などの肩書きを持つが、スケールの大きな計画を立てる都市計画家でもあった。
 後藤新平記念館から北へ200メートルほど進むと江戸時代後期の地理学者 箕作省吾の誕生地跡ある。この箕作省吾が著した書物は吉田松陰にも影響を与えたに違いない。腹が空いてきたので昼食。後藤新平記念館から徒歩3分の割烹料理店に入店。畳敷きに椅子テーブルを置いた個室へ案内される。この年齢になると畳に直に座るのが苦痛なので、椅子テーブルは大変ありがたい。釜飯ランチセットを注文。ご飯は水沢の特産品 南部鉄器で作った釜の中に入っている。品のある落ちついた部屋で食事をしながら、水沢に蓄積された奥の深さや層の厚みを改めて感じた。
 昼食を済ませ、吉小路吉(きちこうじ)へ進入。この吉小路こそ、偉人を輩出した水沢の神髄である。まず、今は武家住宅資料館として公開されている内田家旧宅へ。その斜め向かいは後藤新平の生家で、茅葺屋根の主屋が一般に公開されている。そこから徒歩1分の所には、昭和に内閣官房長官や副総裁を歴任した明治生まれの政治家・椎名悦三郎の生家跡がある。ちなみに、椎名悦三郎は後藤新平の甥にあたる。さらに、そこから徒歩1分で後藤新平の大叔父にあたる高野長英の生誕地に着く。高野長英生誕地は公園として整備されている。こんな狭いエリアに、江戸後期から昭和にかけての歴史が濃密に詰まっている魅力的な吉小路であるが、これだけでは終わらない。
 高野長英生誕地から徒歩3分。吉小路のどん詰まりに、内閣総理大臣となった斎藤実の生家と斎藤実記念館がある。小雨の中、記念館はひっそりしていて、ほかに入館者はいない。こちらの学芸員も熱心で、斎藤実の温厚な人柄や、凶弾に撃たれて散った彼の人生を丁寧に説明してくれた。ちなみに、斎藤実は後藤新平の1つ年下で、子供の頃、温厚な斎藤実はガキ大将の後藤新平にいじめられていたそうです。それほど大きな都市でもないのに幾人もの偉人を輩出した水沢は、萩ほどのインパクトはないにせよ、もっと世に知られてよい都市だと思います。
 もう一人つけくわえると、総理大臣になれそうでなれないままに失速した感じがする小沢一郎も水沢の小・中学校出身で、水沢の市街地に事務所を構える水沢の人。なんとも政治家と縁の深い都市です。
[96302] 2018年 7月 15日(日)20:36:17千本桜 さん
ここはどこでしょう ヒント
[96299]のクイズ「ここはどこでしょう」は、すこし難しかったでしょうか。白桃さんはクイズが解けているようですが、まだ正解は発表しないでおきます。萩は幕末維新の戦争で勝った方の藩ですが、この都市は負けた方の藩に属しています。負けて賊軍と蔑まれた藩から、A、B、Cやその他の偉人が生まれているのが何とも面白いではありませんか。この都市は一見すると南部藩(盛岡藩)に位置しているように見えますが、南部藩(盛岡藩)ではありません。もっと、みなさんに知ってもらいたい都市なので、クイズの回答をお待ちしています。

[96301] 白桃 さん
某女優の写真集を見てコーフン(恥)したことを思い出します。
その気持ち、理解できます。彼女、若いときは可愛かったですからね。でも、下の名前が「うどん」だって、知ってました? 上の名前を言うと答えになるから伏せておきますが。
[96299] 2018年 7月 14日(土)20:56:09千本桜 さん
ここはどこでしょう
 江戸時代後期の蘭学者A、その甥の子で後に大都市の市長となるB、そしてBの1つ年下で後に内閣総理大臣となるCの足跡を訪ねて、とある都市へ行ってきました。幕末から維新にかけて偉人を輩出したこの都市は、出雲より小さいが浜田、益田より大きな市街地を形成しています。まず、蘭学者Aの名を冠したA記念館へ。A記念館は中心街の南に広がる公園の一角にある。春は花見客でにぎわう公園も今は季節外れで人の気配もなく小雨がぱらついている。まるで時間が止まったように静かだ。A記念館は観光スポットの華やかさはなく、あくまでも記念館の趣である。開国を説いて弾圧されて死亡した蘭学者Aの生涯を、学芸員が熱心に説明してくれた。A記念館見学後は同じ公園内に鎮座する大きな神社に参拝して街へ出る。
 この都市の中心街は、江戸期に宿場が置かれた街道沿いの町並みと駅前通りだが、今回の旅の目的地はその西側に広がる旧武家町にある。神社から北へ500メートルほど歩いてA旧宅へ。ここはAが幼少のころ過ごした旧宅で国指定史跡になっている。ただし、個人宅のため屋内は非公開。そのすぐ隣にも国指定重要文化財の武家屋敷が建っているが、こちらも某家の個人宅のため非公開。さらに北へ500メートルほど歩き、Aの甥の子であるBの名を冠したB記念館へ到着。周辺には市役所、県の合同庁舎、裁判所などが立地している。B記念館も観光施設の雰囲気はなく、あくまでも記念館の佇まいである。ここの学芸員もすばらしい学芸員で、手の付けられないガキ大将Bの生涯と功績を、柔らかな口調で丁寧に説明してくれた。このBは医師、長官、総裁、大臣、市長、学長などの肩書きを持つが、スケールの大きな計画を立てる都市計画家でもあった。
 B記念館から北へ200メートルほど進むと江戸時代後期の地理学者の誕生地跡ある。この地理学者が著した書物は吉田松陰にも影響を与えたに違いない。腹が空いてきたので昼食。B記念館から徒歩3分の割烹料理店に入店。畳敷きに椅子テーブルを置いた個室へ案内される。この年齢になると畳に直に座るのが苦痛なので、椅子テーブルは大変ありがたい。メニューはちょっと変わったものを注文。ご飯はこの都市の特産品で作った器の中に入っている。品のある床の間がある落ちついた部屋で食事をしながら、この都市に蓄積された奥の深さや層の厚みを改めて感じた。
 昼食を済ませ、とある小路へ進入。この小路こそ、偉人を輩出したこの都市の真骨頂である。まず、今は資料館として公開されている某武家屋敷へ。その斜め向かいはBの生家で、茅葺屋根の主屋が一般に公開されている。そこから徒歩1分の所に、昭和に内閣官房長官や副総裁を歴任した明治生まれの某政治家の生家跡がある。ちなみに、この某政治家はBの甥にあたる。さらに、そこから徒歩1分でBの大叔父にあたるAの生誕地に着く。A生誕地は公園として整備されている。こんな狭いエリアに、江戸後期から昭和にかけての歴史が濃密に詰まっている魅力的な小路であるが、これだけでは終わらない。
 A生誕地から徒歩3分。この小路のどん詰まりに、内閣総理大臣となったCの生家とCの名を冠したC記念館がある。小雨の中、記念館はひっそりしていて、ほかに入館者はいない。こちらの学芸員も熱心で、Cの温厚な人柄や、凶弾に撃たれて散ったCの人生を丁寧に説明してくれた。ちなみに、CはBの1つ年下で、子供の頃、温厚なCはガキ大将のBにいじめられていたそうです。それほど大きな都市でもないのに、これほどまでに偉人を輩出した不思議な都市はどこでしょう。
[96298] 2018年 7月 14日(土)20:24:46千本桜 さん
路線価クイズの解答
[96258]白桃 さん

路線価クイズにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。白桃さん、正解です。大河原税務署管内における最高路線価は長年に亘り白石市の白石駅前通りでしたが、平成30年度、ついに大河原町の国道4号通りに変わりました。いまや、大河原は白桃さんにとって三本松、岡山、浦安に次ぐ第4の故郷といったところでしょうか。つきましては、ぜひ大河原町へふるさと納税を!


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