[48946]inakanomozartさん
京都市中心部の住所(所在地)はこの方式で十分なような気がします。
第一、ごまんとある京都市の町名を熟知している人などほとんど存在しないし、実際町名だけ言われても普通の人はさっぱりでしょう。
ついでに、区名も省略しても、場所の特定化と言う意味では困ることはないようにも思えます。(笑)
すべておっしゃるとおりです(笑)。
ただ、「住所」の「表示」の意味ということを考えると、ちょっと違う気がします。
例えば、甲子園球場の「場所を特定」する意味では、「阪神甲子園駅の南」と言うのが万人にとってわかりやすいと思います。「兵庫県西宮市甲子園町1-82」と言われても、それがどこらへんか咄嗟にわかる人は珍しいでしょうが、だからといって、「この表記は使えない」ということにはならないでしょう。
ただ、やっぱり、京都の特殊性なのか、慣れの問題なのかはわかりませんが、通り名で呼ぶほうがはるかにわかりやすいということには、誰しも賛成すると思うのですよね。
「公式的な表記」と「わかりやすい表記」は分けて考えたほうがいいのでしょうかね。
「カミ」を分かりやすく「ウエ」と表示したというより、京都市の職員でさえ町名をよく分かっていない証拠のように思えるのですが・・・・
町名の読み方について、京都市のスタンスは、「一般的な読み方は示せるとしても、地元等で、それと違う読み方をすることを否定はしない」という感じだと思います。「上本能寺前町」についても、実際、「かみ」と読む人と「うえ」と読む人がいるのかも知れませんが、自分とこの所在地の読み方ぐらい内部で統一できないものかと思います。
話はちょっとそれますが、「488番地」と言うと町の大きさに比べ番地が大きすぎると思い、地図サイトであちこち検索してみると、京都の番地は町ごと(いわゆる地番区域)に1番地から付けられているのではないようです。
ということは、例えば南北の通りの北方に基準地があって、そこから1番地、2番地と付けられているのでしょうか?
たもっちさん、気が向いたら教えてください。(たとえ、気が向かなくてもお願いします。)
これを読んだ時、ずばり、「気が向かないなぁ」と思いました(笑)。半分本気で京都市の地名を調査中(?)の88さん(
[48948])に任せてしまおうかと思ったり。でもそこまでお願いされては応えないわけには行きません。
まず、住宅地図で少し地番を拾ってみたところ、確かに、隣接する町の間で地番が連続していると思われるところがたくさん見つかりました。もう少し詳しく見ているうちに、何となく察しがついてきました。どうやら、「元学区」が地番区域になっているようです。そこで、市役所周辺の、「柳池」「銅駝」の2つの元学区について、各町の地番を調べてみました。なお、地番は地図サイトの住所検索から拾ったもので、枝番が無視されているなど、必ずしも正確ではないと思われますが、およその目安として見ていただければと思います。
柳池
町名 | 主な地番 | その他 |
等持寺町 | 1~36 |
虎石町 | 38~57 | 90,240 |
柳八幡町 | 65~80 |
油屋町 | 83~100 |
福長町 | 102~123 | 24 |
松下町 | 125~140 |
守山町 | 156~177 |
俵屋町 | 181~199 |
尾張町 | 202~238 | 273 |
上白山町 | 239~265 | 231 |
中白山町 | 268~289 | 51,555 |
下白山町 | 290~312 |
丸屋町 | 314~338 |
大文字町 | 340~356 |
亀屋町 | 370~406 |
山本町 | 408~443 |
妙満寺前町 | 444~469 | 494 |
上本能寺前町 | 470~491 |
下本能寺前町 | 492~522 |
天性寺前町 | 522~541 |
姉大東町 | 542~560 |
菊屋町 | 561~574 |
東八幡町 | 585 |
御池大東町 | 593~596 |
橘町 | 604~649 | 663 |
晴明町 | 650~682 | 606 |
丁子屋町 | 683~700 |
柳池学区はおよそ、北は二条、南は三条、西は柳馬場、東は河原町の各通りに囲まれ、市役所北側の榎木町を除く、右上が欠けた長方形の範囲です。ただし、京都の町割の特徴として、町同士が通りで分けられるのではなく、背割りになっているので、学区界も通りではありません。
(学区の区割りについては、
こちらもご参考に。)
学区の範囲が確認できたら、地図と上の表を見比べてみてください。
1番地は柳馬場通二条下るの等持寺町にあります。以下、柳馬場沿いに三条手前の油屋町まで南下します。次は、東隣の富小路通りに移り、福長町から北上し、二条手前の俵屋町まで行きます。以下同様に、東隣の麩屋町を南下、その東隣の御幸町通りを北上、その東隣の寺町通りを南下して、天性寺前町まで、ジグザグに縫うように続きます。この後は、姉小路通りに沿って東から西へ、御池通りを西から東へ、押小路通りを東から西へ(ここは町が橘町のひとつだけですが)、二条通りを西から東へとジグザグに進み、丁子屋町で最後です。
これだけの範囲が、地番設定上はひとつの区域とみなされているということになりそうです。
銅駝
町名 | 主な地番 | その他 |
行願寺門前町 | 2~17 |
藤木町 | 18~44 |
常盤木町 | 45~66 |
榎木町 | 67~102 | 450 |
東椹木町 | 104~128 |
梅之木町 | 130~147 |
橘柳町 | 148~169 |
西革堂町 | 170~206 |
角倉町 | 207~228 |
大文字町 | 227~244 |
末丸町 | 246~284 | 541 |
鉾田町 | 285~310 | 542,543 |
指物町 | 311~339 |
清水町 | 340~364 |
一之船入町 | 366~384 | 535,538 |
下丸屋町 | 390~426 |
恵比須町 | 424~448 | 30,534,540,584 |
樋之口町 | 451~477 |
西生洲町 | 478 |
東生洲町 | 481~490 | 38,533 |
上樵木町 | 490~503 |
上大阪町 | 515~532 |
銅駝学区は、中京区の北東隅にあり、およそ、寺町、二条、河原町、三条の各通りをつないだ線が学区界になります。
こちらも、学区北西端の行願寺門前町からスタートです。寺町通りに沿って南下して榎木町まで行った後は、隣の新烏丸通りに移るのですが、こちらはジグザグではなくて、また北端の東椹木町から南下します。その次も新椹木町通りを南下。その次はまた少しイレギュラーで、北東隅あたりの大文字町、末丸町、鉾田町、指物町をぐるりと回ります。その後は、河原町通り沿いに三条あたりの恵比寿町まで南下。それから、木屋町通りに沿って、二条の樋之口町から三条の上大阪町まで南下して終了。なお、末丸町、鉾田町の500番台の地番は土手町通り沿いに固まっているようで、ここらへんも何かルールがありそうな気もします。
番号の付け方については、細かい点では相違もありますが、基本的には、通りに沿って順番に付けているという点は共通していることが推測されます。つまり、inakanomozartさんの予想は、かなりいい線を行ってるんじゃないかと思います。
と、極めてテキトーな調査ですが、こんなもんでいかがでしょうか(笑)。
ちなみに、「元学区」という言葉は京都以外の方は聞いたことがないかもしれません。僕も詳しいことはよく知らない(汗)のですが、語源的には、読んで字のごとく「かつての小学校区」を指すもののようです。今では、統廃合等によって、現実の通学区とは一致していないようですが、依然、自治連合会等の単位として大きな意味合いを持っているそうです。
お願いついでにもうひとつ、京都市役所は建物が御池通りに向いている気がするのですが、もしそうだとしたら「寺町御池」より「御池寺町」の方が正確なような気がするのですがどうでしょうか?
実は、あの建物は西側の寺町通り向きが正面なんですよ。
すいません、ウソです(笑)。
実感としていちばんしっくり来るのは、「御池通河原町西入る」ですよね。何で「寺町通御池上る」なんでしょうか。何か歴史的な経緯がありそうな気がしますね。それこそ、市役所の建物が建つ以前に遡るような。いや、知らんけど(笑)。