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Issieさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77633]2011年2月12日
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[77622]2011年2月9日
Issie
[77617]2011年2月7日
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[77422]2011年1月13日
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[77385]2011年1月10日
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[77347]2011年1月5日
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[77318]2011年1月4日
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[77149]2010年12月31日
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[77124]2010年12月27日
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[77121]2010年12月27日
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[77117]2010年12月26日
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[77077]2010年12月21日
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[77039]2010年12月18日
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[77024]2010年12月12日
Issie
[77012]2010年12月11日
Issie
[77007]2010年12月10日
Issie

[77633] 2011年 2月 12日(土)02:01:08【1】Issie さん
Re:駅から遠い市役所
[77632] ソーナンス さん
こういった市役所から駅が遠い市のパターン

5.もっと近くに駅のあった鉄道が廃止された

というものもあるように思われます。
リストに挙がっているものの中では

1位南九州市知覧駅鹿児島交通知覧線1965年廃止
2位曽於市末吉駅国鉄志布志線1987年廃止
3位登米市佐沼駅仙北鉄道登米線1968年廃止
4位志布志市安楽駅国鉄志布志線1987年廃止
5位嘉麻市臼井駅JR上山田線1988年廃止
6位栗原市築館駅仙北鉄道築館線1950年廃止
8位篠山市篠山駅国鉄篠山線1972年廃止
11位杵築市杵築町駅大分交通国東線1966年廃止廃止時は「杵築市駅」かも
14位倉吉市打吹駅国鉄倉吉線1985年廃止開業時~1972年の駅名は「倉吉駅」
16位能美市本寺井駅北陸鉄道能美線1980年廃止
20位大田原市大田原駅東野鉄道1968年廃止
25位尾花沢市尾花沢駅山形交通尾花沢線1970年廃止
26位桜川市雨引駅筑波鉄道筑波線1987年廃止
31位藤枝市藤枝本町駅静岡鉄道駿遠線1964年廃止
34位下関市唐戸停留所山陽電気軌道1971年廃止軌道(路面電車)

…あたりが,これに当たるのではないかと。
もちろん,これらの中には市になるずっと前に鉄道が廃止されたものも多いのですが,ま,鉄道が健在だったら今頃は…,ということで。

 
[77622] 2011年 2月 9日(水)21:06:25【1】Issie さん
Re:多摩丘陵
[77621] k-ace さん
「多摩丘陵」交差点・バス停

バス停の名前は,しばしばとても大雑把ですからねぇ。
なぜこんな名前がついているのか,もちろん私も知りません。なので,周辺情報を。

私がここを通る路線バスに初めて乗ったのは,(家族が)多摩ニュータウンに越してきた30年近く前のことでした。当時は,多摩センター駅から八王子駅までバス路線が通じていて,それに乗ってみたのですね(ちなみに,当時は京王相模原線も小田急多摩線も多摩センターが終点でした)。当時,すでに絹ヶ丘・北野台の大規模な宅地造成は完了していましたが,丘陵上の造成地から浅川沿いの旧市街へ下りる幹線道路はまだ整備が完了しておらず,北野駅方面へは「多摩丘陵」バス停のある野猿街道の古く細く曲がりくねった道しかありませんでした。

このバス路線,今は終点が南大沢駅に付け替わっていたかと思いますが,元々は合併前の旧由木村中心部と八王子駅を結ぶ路線で,かなり早い時期から運行されていたものです。絹ヶ丘の宅地造成は1970年代のことではないかと思うのですが,それ以前は近くの都立長沼公園や町田市との境の御殿峠周辺のような丘陵地帯でした。
1960年代末頃の景観を想像するに,たぶん,北野駅の近くに形成された古いタイプの住宅地が終わり,未開発の丘陵地帯に入っていく境目に当たるのが多摩丘陵バス停の辺りではなかったのか。で,バス停を設置するのはいいけれど,名前を付けるのに都合のいい目ぼしい目標物がないので,まあ「多摩丘陵」でいいや,なんて風に決まったんじゃないか…。そんな光景を想像してしまいます。
いや,もっとちゃんとした理由があるかも知れませんよ。

交差点の方は,バス停が先にあって,そのあとから信号機付きの交差点になったんじゃないかなぁ。そもそも,信号のある交差点に一々名前を付けるようになったのは,そんなに古い話ではありませんよね。
たった40年前には,まだ信号のある交差点の方が珍しかったんだから。
[77617] 2011年 2月 7日(月)23:38:09Issie さん
関内駅南口前
[77611] k-ace さん
駅に一番近い市役所・町村役場・特別区の区役所

横浜の市役所(←横浜市は「市庁」と呼んでいる)が,かなりの線いってると思いますよ。
何しろ,根岸線の関内駅南口の海側出口を出たら,線路(高架橋)に並行する歩行者専用街路を横断して,確か十数歩で市役所の中に入れたはずです。
もっとも,市役所の「正面玄関」は,少し離れたところにありますが。

千葉市役所も,モノレールの「市役所前」駅のそばですね。ただし,モノレールという性格上,地平面へのアプローチが長く,また市役所の敷地にはいってから庁舎内に入るまでの距離も少しあります。

ついでに市区町村ではありませんが,地下鉄大江戸線の「都庁前」駅は,名前の通り“都庁前”です。
[77601] 2011年 2月 5日(土)10:48:38Issie さん
上から読んでも,下から読んでも
[77598] oki さん
ここの海苔屋さん

山本山。そう言えば最近,あまりCMを見かけないような。

でもやっぱり,「中巻き」というのがイメージわきません。
細巻きの方に近いのか,太巻きの方に近いのか。

[77599] グリグリ さん
とろろ昆布やおぼろ昆布を巻いたおにぎり

我が家には,おにぎりを昆布で巻く習慣はありません。ただ,私の住んでいた埋立地の団地は,全国から移り住んだ余所者の集合体ですから(もちろん,大部分は関東甲信越+東北。むしろ,地元の千葉県は少数派),小学校の同級生がそういうおにぎりを持ってきた記憶があるような,ないような。
目の前の海で海苔を養殖して,国道沿いの漁家の庭先で海苔を干していた,まさに海苔の産地だったわけですが,別に産地だから,というわけではありませんよね。もともと,昆布を薄く削ったもの,というものがマイナーな食べ物だったのだろうと思います。
私,とろろ昆布とおぼろ昆布の違いがわかりません。

[77597] 桜トンネル さん
おにぎりを買うと「温めますか?」と聞かれる

できたその場で食べるとき以外,おにぎりや弁当というものは本来,冷めているものだと思うのですけどね。冷めて食べてもおいしくなきゃ。
おにぎりの海苔も,湿気を十分吸ってしっとりとしているもの。
コンビニで売っている,海苔を別パックにして食べる直前にご飯に巻いてパリッとした状態で食べる,というのも,それはそれで悪かないけど,やっぱり海苔がしっとりして,表面がきちんと塩辛くないと,おにぎりらしく思えません。ついでに,梅干しも甘くなんかなくていいから,余計な味のついていない,ちゃんと塩っぱい梅干しが食べたいです。
[77596] 2011年 2月 5日(土)00:08:11Issie さん
one hundred peanuts
[77595] 右左府 さん
節分に落花生をまく

私,落花生の産地の近くに住んでいたわけですが,産地にはそういう習慣はないんじゃないかなぁ。
「信」のお寺の前の町に住んでいた頃,学生寮の豆まきで落花生を蒔いていたけど,当時も今も私には「大豆の代用品」という感覚しかありません。

[77591] 千本桜 さん
この辺りでは栃木と違ってかんぴょう栽培している家はあまりないはず

たびたび表明している通り,私の母方の田舎が越後のチャーザァ村(の少し奥)というわけで,何でも新潟県は栃木県と並ぶユウガオの栽培地域だそうで,田舎に行くたびにユウガオの入った味噌汁を出してもらいました。そういう意味で私には“干していないユウガオ”の方が,“干したかんぴょう”よりもなじみの深い食材なのですが,東京近辺ではマイナーな食べ物のようですね。
[77590] 2011年 2月 4日(金)20:06:23Issie さん
海苔巻き
[77589] oki さん
東京に出てきた頃は、お店に太巻と細巻しか並んでいないのを見て、通常の巻き寿司より太いのを太巻、細いのを細巻と呼ぶのだと思いこんでいました。

あっ,これ,よくわかんない。
河童巻きや鉄火巻きのような細巻きと,でんぶや卵焼きを巻いた太巻きとの間の「中間の巻き寿司」ってのがあるのかしら。

そういえば,久しく かんぴょう というものを見ていません。
子どもの頃は,「海苔巻き」(←「巻き寿司」とは言わない)と言えば「かんぴょう巻き」がデフォルトで,アラカルトというか,“変わり寿司”として「河童巻き」や「鉄火巻き」なんかがあるんだと思っていました。「ネギとろ」なんて,昔は聞いたこともなかった海苔巻きが出てくる一方で,いつの間にか かんぴょう巻き を見ることが減ってしまいました。お寿司屋さんの出前にも入ってないですよね。

いや,かんぴょう もさることながら,その原料である夕顔の実もあまり見ないなあ。

ところで,昨日2月3日は旧暦の1月1日,旧正月。
惜しいなあ。立春の今日が旧正月だったら美しかったのに。
月の暦(旧暦)のサイクルと,太陽の暦(立春,春分など)のサイクルが,たまたま一致して(…と言っても,このサイクルは決まっていて,別段「たまたま」ではないのだけど)「月の暦の正月」≒「太陽の暦の新春」となったわけだけど,立春=旧正月 となるのは何年おきなんでしょうね。…計算が面倒。
[77587] 2011年 2月 4日(金)00:01:43Issie さん
転用に次ぐ転用
今晩の「ブラタモリ」は,いつになく鉄分が多めでした。ま,今シリーズは昨年度のシリーズに比べて鉄ネタが多いのですが。
なるほど,「牛込駅」の駅舎はあそこにああいうふうに建っていたのか…。

[77586] スナフキん さん
どこまでを「復活」とするか

私としてはやはり,保存鉄道やアトラクション的なものではなく,「完全な鉄道」として「本来の役割」で営業している路線,としたいところです。その点では,一旦廃止した路線の形態を転換(軽便鉄道→新交通システム)した上で“復活”した西武山口線も,(法律上の扱いに関わらず,実態として)西武の遊園地群を結ぶアトラクション的な存在で,私的には「アウト」かな。
逆に旧土電安芸線は,まさに「ストライク」。

北丹鉄道や頸城鉄道

北丹鉄道は由良川沿い,というよりも,ほとんど河川敷内と変わりないような,かなり条件の悪い所を走っていましたよね。そのままでは「国鉄」の完全な路線とするには無理だったのでは…。
頸城鉄道は信越線の黒井駅から浦川原に向かってほぼ東に進んでいましたが,ほくほく線は一旦ずっと北の犀潟まで進んでそこで信越線と分かれ,わざと北の丘陵に突っ込んで豪雪地帯をトンネルでやり過ごしています。どちらも以前に走っていた鉄道ルートとは違ったところを走っています。

湖西線が江若鉄道のルートの大部分をなぞっていることは,よく知られていますね。
最近,むかし鉄道雑誌の“P誌”に掲載された記事を復刻編集したものを読んで知ったのですが,湖西線への転用がらみで江若鉄道には「国有化」への期待があったようなことが書かれています。けれども,戦前の「鉄道省」ではなく,“公共企業体”である国鉄の時代,しかも1960年代後半となれば,それはやはり時代錯誤ではないか,と今から見れば思えます。

路線の転用と言えば,これも知られていることだろうと思いますが,京都・伏見間での二重転用の例があります。
京都の東山を突き抜けるトンネルを掘ることなどとてもできなかった明治時代,東海道線は当初,逢坂山を越えたあと山科の谷の南の方を迂回して伏見稲荷の前を通って北上し,何とか「七条ステーション」に到達。後にこの京都駅から東寺の東側を通って伏見,木津方面へ奈良鉄道(現JR奈良線)が開業しています。
大正になってようやく東山トンネルを掘ることができるようになって,大津と京都をほぼ直線で結ぶ現在の東海道線のルートが1921年に開業。それに合わせて,伏見稲荷前の旧東海道線ルートが奈良線に転用され,廃線となった東寺前の奈良線旧ルートは奈良電気鉄道に払い下げられ1928年に新装開業。これが現在の近鉄奈良線。1928年というタイミングは,「御大典」がらみなのですね。
“多い”というほどではないにしても,“使われなくなった”線路敷を別の路線に転用するという例はままありますが,こういう二重の転用はそうはないように思います。
[77584] 2011年 2月 3日(木)22:09:06Issie さん
消える電車,よみがえる電車
鉄道の廃線に関わる話2題。

長野電鉄屋代線(屋代-須坂)は乗降客の減少による赤字の累積が進み,沿線3市による活性化協議会でも委員の投票によりバス代替を受け入れて,同線の廃線が決まった,というニュース。
元は「河東線」の名前で 屋代-須坂-信州中野-木島 間を結んでいたこの路線。長野や湯田中に乗り入れる路線の方が後からできたんですよね。でも,やがてはこちらがメインとなり,「木島線」となった信州中野以北の区間は既に廃止。須坂以南も「屋代線」となって,細々と運行されていたのですが,とうとう“引導”を渡される時が来た,ということでしょうかね。
もともと沿線の主邑である松代は,長野との間を“縦”に直結するルートの方がメインであって,屋代-松代-須坂を“横”に結ぶ流れはあまり太くないし…。思えばもう四半世紀前,国鉄の昼行急行削減・特急格上げ政策による上野からの直通乗り入れ列車の廃止と,屋代駅を介した貨物の連絡運輸の廃止とで既に役割の大半を終えていたわけで,今まで生きながらえてきたことを良しとすべきなのかもしれません。
それでも四半世紀前には長野の「地下鉄」と松代を直接結ぶ新線をつくろう,なんて構想が語られたりもしたんですけどね。

一方,広島では2003年に廃止された可部線の末端区間の一部を復活させようという動きがあるのだとか。元は非電化のディーゼル区間であって,本当のところは電車が「よみがえる」のではなくて「伸びる」というお話。
よみがえるのは廃止された46キロのうち2キロほど。全体からすれば1割にも満たないわずかな区間ですが,それにしても一旦完全に廃止された鉄道がよみがえる,というのは少なくとも最近は聞かなかったような気がします。
[77554] 2011年 1月 30日(日)11:15:02【1】Issie さん
山口県は九州北部
[77553] 白桃 さん
「オーストラリアってアジアなの?」

「オセアニア」だけで地域大会を開こうとしても難しそうですからね。だから本当は「アジア plus」。

自治体名以外にも、地域が関係する事柄へのネーミングは難しいものですね。

本当に。分けるのも,くっつけるのも,名づけるのも大変です。

ちなみに,「かっこいい」かどうかは別にして,私も「南アルプス市」,大好きですよ。「北杜市」も「北斗市」も,どちらもいいなあ。
「安曇野市」も好きなのですが,振り仮名の方で「現代仮名遣い」のルールから逸脱する「づ」を「正しい」とする表記には個人的には賛同できないのだが…,まあ,いいでしょう。
※ややこしい話ですが,私が賛同していないのは「あづみの」という表記を「正式な表記」として“行政が定めている”点です。私自身は“旧かな表記大好き”ですから,実は「あづみの」という表記を好もしく思っています。ただ,現代仮名遣いのルールにしたがって「かずさ(上総)」「こうずけ(上野)」という表記が行われているのに則るならば,「安曇」は「あずみ」と表記されるべきで,行政がわざわざそれに反するのはどうかと個人的には思います。
蛇足ながら,「吾妻」の場合は「あ+つま」と分解できるから連濁原則により「あづま」と表記する,と強弁できなくもないのですが(ただし,現代語に「あ」という“独立した単語”がないので,本来この言い訳は成立しません),「曇」(ドン)という音に「づみ」という読みをあてはめた「安曇」の場合は,“初めから濁っている”ので「頭痛」「地震」が「づつう→ずつう」「ぢしん→じしん」と書き替わったように,「あずみ」と表記すべきもので,これは「現代仮名づかい」の適用で「とうきやう」が「とうきょう」(東京),「おほさか」が「おおさか」(大阪)と書き替わったように,自動的に行われたはずのものです。
けれども繰り返し,「あづみ」「あづま」「あづさ」という表記の方が私自身は好きです。

[77546] ぺとぺと さん
石川県市制条例

神奈川県の現行の条例(都市としての要件に関する条例,昭和29年条例第44号)では,こうなっています。

----------------------------------------------------------------------------
(3) 公立又は私立の図書館、博物館、公会堂、公園等の文化施設を有すること。
----------------------------------------------------------------------------

すでに「映画館」はありません。
「博物館」という名前の施設も藤沢市にはなかったような。ただし,よく知られている「水族館」や「植物園」があって(ただし私立),これが広い意味での「博物館」にはなりますね。藤沢市で特筆すべきことは「文書館」があって,これは全国市町村に先駆けた先進事例なのですが,ほかの分野は貧弱で何ともチグハグです。

言い忘れた。
「山口県は九州北部」というのは,天気予報の区分です。
[77542] 2011年 1月 29日(土)00:33:06【1】Issie さん
Re:藤沢市が
[77541] 笠津前浜 さん
シネコンは除くようですね

そのシネコンも,今のところはありません。
辻堂駅北口の再開発で,今年の秋にはシネコンが出店するようなのですが。
藤沢市に映画館がない,という話の前段には,それまで唯一残っていた(古いタイプの)映画館が昨年の夏に閉館してしまった,というお話があります。

映画館は,銭湯とともに街中から急速に消えているものの一つですね。そう言えば,以前は町田駅の近くにあったはずの映画館が,いつの間にかなくなっていて驚いたことがありました。一応,市の南はずれのショッピングモールにシネコンがあるので,藤沢市よりもわずかに人口の多い町田市が「映画館のない最大の市」にはならなかったわけですが。

私は学生時代からあまり映画を見に行く人ではなくて,ごくたまにしか映画館まで足を運ぶことがないのですが,やはりしょっちゅう行くには高いですよね。でも,高く設定しなければ経営を維持できないようになっているのでしょう。その,スパイラル。
朝日新聞の記事には,どうもシネコンも飽和状態にあるようなことが書いてありました。
「映画」という媒体をめぐるシステム全体が,かなり厳しいのかもしれませんね。出版や新聞という紙メディア,あるいはレコード(←という言葉は,もはやほぼ死語ですが)という媒体の状況も合わせて,“時代の変わり目”にいるのかもしれませんが,寂しさの前に,いまは不安を感じています。

※追記
私は今,秋葉原の石丸電気のCDショップがこの3月で大幅縮小される,というニュースに大変ショックを受けています。
この20年ほど,最盛期にはビル3館で営業していたものが数年前にビル1館に集約されて「あれっ?」と思ったのですが,とうとう電器売場などがある本店ビルの1フロアに吸収されてしまうのだとか。
このお店は,私が高校生だった頃から折に触れて利用してきたのですが,最近メジャーなCDショップとは違って,歌謡曲とかフォークとか,アイドルとか,つまり「J-POP以前」のジャンルが充実していて重宝したものです。新しい売り場も覗いてみたのですが,DVDもあるわけだし,あの規模では期待できないな。
さて,4月からはどこにCDを買いに行きましょうか。
[77531] 2011年 1月 27日(木)00:06:23Issie さん
きれえやで,かっこええ,ピンクの戦車やでぇ
[77528] ころすけ さん
街のイメージとか印象ではなく、単純に市名のみで日本一かっこいい市名はどこでしょうか?

横綱 氷見市(富山県)

「氷見市」の,どこが,どのようにかっこいいのでしょう?
そして「由利本荘市」以下がランクアップされた理由は? なぜ,あんな順番でならんでいるのでしょう? 北の方がかっこよくて,南の方はそうでないのか? いっぱい市があるのに1つもランクアップされない北海道は,かっこよくないの?
別に「氷見」に恨みはないけれど,このリストから外れた市の人は怒っちゃいますよ。だって,理由がわからないから。

つまり,何の基準も示されずに「かっこいい」と言われても,何をどのように答えていいいのかわからない。そもそも,「かっこいい」というのは思いっきり“主観的”なものであって,いかなる客観性もない。私には ころすけ さんがリストアップされた12市の名前のどこがかっこいいのか,全くわかりません。

「かっこよさ」は人それぞれ。特別な思い入れのある人にとっては,その市の名前が一番かっこいいのだろうけれど,ほかの人には別にかっこよくも何ともない,なんていうようなものじゃないかと思います。
というわけで,

皆さんは、どう思いますか???

といわれても,困ってしまうなぁ…。
[77482] 2011年 1月 18日(火)23:27:04Issie さん
ナマコの入り江
テレビ朝日の「世界の車窓から」。
関東ローカル以外では同じ時間帯に他番組が放送されていたり,放送されていても時期がずれていたりするものですが,関東ではこれからシベリア鉄道に乗るようです。
(昨日,じゃまなサッカー中継があったのでチャンネルを合わせなかったのですが,オーストリアの旅は先週で終わったのですね。)

とうわけで,今日・明日は「東方を征服せよ」という意味のウラジオストク。ちなみに,ロシア領化される前の中国名は「ナマコの入り江」。
私がソ連に行った頃は外国人が入れなかった町ですが,やっぱり行ってみたいところではありますね。私がシベリア鉄道に乗ったのはもう20年前。この番組が以前にシベリア鉄道に乗ったのは確か15年ほど前だったと思うのですが,まあ,どんな姿になっているのか。
毎晩,楽しみではあります。
[77479] 2011年 1月 18日(火)22:17:08【1】Issie さん
あはれせうじよよ
[77477] 白桃 さん
某国営放送の歌謡番組

あたしも見てました。残念なことに,“懐メロコーナー”はお風呂に入っていて,寸での差で見逃してしまったのですが。
実は私,あるコーラスグループの一人が亡くなって,もう“4人”で歌うことがなくなってしまったことに大変ショックを受けています。メンバーの年齢を見ると,やむを得ないこととは思うのですが,一番若い方ですからね…。
だから,

ご本人が歌われてました

というのには,たいへん感慨深いものがあります。

念のため、シラフです。

あたし,酔っ払っています。
[77459] 2011年 1月 16日(日)11:37:19【2】Issie さん
S, A, G, A, 佐賀!
何気なくテレビを見ていたら,CMに テツandトモ が出ていました。久しぶり。もったいないなぁ…,「平成の牧伸二」になれるかと期待していたのに。

問.次の各都市の中で,2000~2005年で最も人口が増えたのはどこか。また減少したのはどこか。
 A:愛知県豊田市  B:長崎市  C:兵庫県西宮市

…というような意味の問題がセンター試験「地理B」に出題されていました(実際の問題文は少し違います)。

そう。センター試験ですねぇ。実際の受験生の皆さんがこれを読む頃には,試験は終わっているはずですが。
私がセンター試験ならぬ「共通一次試験」を受けたころは,共通一次の日は東京近辺の雪の特異日などと言われたものです。正しくは,雪が降りそう,雪が舞う,積もらない程度に雪が降る…,というものですが。実際,私が受けた時は“2回とも”千葉大構内に雪が舞っていた記憶が(←“2日とも”という意味ではないので,念のため)。
昨日,東京は寒い曇天だったけど,雪は舞ったかな?

そんなわけで,昨日の「地理B」の問題をざっと眺めてみました。最近は,某予備校が pdf 形式で問題を配信してくれるのでいいですね。新聞の不鮮明かつ小さい紙面で地図を見せられても,読み取れません(最近,30cmくらいのところがよく見えなくて…)。

まあ,今年もオーソドックス,というところでしょうか。ほぼ満遍なく,重箱の隅をつつかない程度に細かめの問題が出ています。
地形図の読図を含めた問題。昔はわざわざ地名を書き換えて出していたものですが,学習指導要領で地域調査が重視されるようになって,具体的な地域をストレートに出すようになりました。で,今年の対象地域は 佐賀県。
1966年には佐賀城の南側はまだ田んぼだったんですねぇ…。地図の上では,まだ藩政時代の面影が残っているようにも見えます。最後の問題,有田焼の知識なんかもあると役に立つかもしれませんね。

…冒頭の2人に対して,はなわ はうまく生き残っているよな,と思う今日この頃。
[77422] 2011年 1月 13日(木)21:41:53【1】Issie さん
あき
[77418] 山野 さん
ところで、土佐国である高知県に何故「安芸市」及び「安芸郡」があるのかと。その由来は?

[77421] 雲雀山 さん
壬申の乱の頃に土地を治めていた豪族”安芸氏”からとったようです。

「安芸郡」について言えば,これはたぶん逆です。
該当のページをよく読めばわかるように,「安芸氏」がこの地を治めていたのは“中世”です。通常,日本史で“中世”という場合は鎌倉時代(早ければ平安時代末)から室町・戦国時代までを指すのが習慣です。で,ここでは戦国大名の 長宗我部氏 に滅ぼされた,とありますね。
「壬申の乱」は一般に“古代”と呼ばれている時代でも前の方の 672年 のできごとです。
土佐の 安芸氏 が“言い伝え”の通りに壬申の乱に敗れた 蘇我赤兄 の子孫かどうかわからず,あるいはハクづけのために“捏造”した話かもしれないのですが,いずれにせよ,中世のある時期,この地域で勢力を拡大した豪族がその支配圏の地名である 安芸郡 から「安芸氏」を名乗った,あるいは,そう呼ばれるようになった,ということでしょう。
たぶん,「安芸氏」よりも「安芸郡」の方が先にあった。

では「安芸郡」の地名がいつからあったかというと,少なくとも7~8世紀に律令制下の国郡が編成される過程(それこそ,壬申の乱の前後ですね)で,「土佐国」の中に「安芸郡」が編成されているようです。
で,「あき」という地名自体は,瀬戸内の「安芸」とは関係なく,それ以前からあったらしい。

「大野郡」という郡は,飛騨・越前・美濃・豊後 の各国にありました。まあ,素直に「大きい野原」というほどの意味でしょうから,これはどこにでもありそうな地名ではあるでしょうね。実は,飛騨国大野郡 と 越前国大野郡,また 越前国大野郡 と 美濃国大野郡 はそれぞれ隣接しているのですが,これは元々「大・大野郡」として存在していたものが 飛・越・濃 3国に分割されたというよりは,元々“野原”について与えた地名を“山”まで広げて行ったら,偶然隣接してしまった,ということだと思われます(この「大野郡」については,結構以前に話題になったことがあります)。

「海部郡」という郡も,尾張・紀伊・阿波・豊後 の各国にあります。現在,尾張(愛知県)では「あま」,阿波(徳島県)では「かいふ」,豊後(大分県)では「あまべ」と読み,紀伊(和歌山県)の 海部郡 は 名草郡 と合併して「海草郡」となっていますが,古代ではいずれも「あま」と呼んでいたようです(ただし,阿波国海部郡 は古代は 那賀郡 の一部で,中世になって独立したようです)。
尾張の 海部郡 は,中世以来分割されていた「海西郡」「海東郡」を再統合して1913(大正2)年に“復元”されたもので,その時にわざわざ大昔の「あま」という読み方を持ち出したものですが,別の読み方もあったことは近隣地域出身の「かいふ」元首相を見ればわかりますね。
「あま(海士・海女)」という言葉が現代語にも残っていますが,古代の部民制では漁撈や航海などの海上作業を生業とする人々が「あまべ」という職能集団に編成されました。各地の沿岸地域に「あまべ」が配置され,律令国郡を編成するに当たって各「あまべ」の本拠地を中心い編成された郡が「海部郡」なのだろうと思います。
そして,中央(大和)にはこうした各地の「あまべ」を統括する集団がありました。壬申の乱の一方の当事者である 大海人皇子(天武天皇) は,その名前からこうした中央の「あまべ」集団と深い関係があったと考えられています。

※ちなみに,兄の 天智天皇 は元々の名前を 葛城皇子 と呼び,それはかつての有力氏族であった 葛城氏 と関係のあるものと考えられています。そして,彼は「大兄」の皇子でした。それに対して,弟の名は職能集団に由来する 大海人皇子。たとえ両親が天皇(舒明 と 皇極/斉明)であっても,「大海人」とはいかにもランクが低い。日本書紀の記述とは違って,そもそも 大海人皇子 には初めから皇位継承の芽などなかったのでは…,などという説が最近はあるようです。ま,天武天皇とは要するに壬申の乱に勝利した“叛乱軍の総帥”であって,彼(と彼の後継者)が編纂させた「日本書紀」には当然に“粉飾”がある,という前提のお話です。

話戻して,
そんなわけで,各地の 海部郡 はお互いに関係がありそう。

古代の海上集団としては「あずみ(阿曇/安曇)」という部族も知られています。元は現在の福岡市周辺を本拠としていたものが,古代の始まり頃に全国各地に移住したらしい。
で,彼らが移住したとされる先々に「あずみ(<あづみ)」「あつみ」などという地名が成立した。そのうちの幾つかは律令国郡編成の過程で 郡 となり,それがたとえば,三河の「渥美郡」であったり,美濃の「厚見郡」であったり,信濃の「安曇郡」であったり,さらには出羽の「飽海郡」もこれと関係がある,などと言われます。
実際,信州・安曇野の 穂高神社。奥宮が上高地にあって,北アルプスの穂高岳もこれと関係があるわけですが,ここの祭神は“山の神様”である前に“海の神様”ですね。

というように,全国には“同じ名前の郡”のグループがいくつかあって,その中にはお互いにとても深い関連のあるものもあれば,偶然の一致と思われるものがある。
では「安芸郡」はどうか,というと,よくわからない。

「あき」という名前そのものの語源については様々な“憶測”が語られているのですが,たいていはアテにならないので,ここでは話題にしません。
ともかく,瀬戸内の「あき」の方は,すでに律令以前の段階で「阿岐国造」というものが見られます。その支配領域をもとに「安芸郡」が編成され,さらに周囲の各郡を合わせて管轄する国府をこの郡内に置き,その国を「安芸国」と呼ぶことにした。
一方,四国の「あき」の方でも,そのように呼ばれている地域に「安芸郡」が編成されたけれども,こちらはもっと広い平野部を支配拠点とした「都佐国造」の領域をもとに編成された「土佐郡」に国府が置かれたので,その「土佐国」に含まれることになった。
そんなわけで,ずっと古い歴史をさかのぼってみたら 安芸国安芸郡 と 土佐国安芸郡 の間にもしかしたら何か関連があるのかもしれませんが,とりあえずはお互いに別個の存在であったと考えておくのがいいのかもしれません。

一方,「安芸市」の方は,その 安芸郡 において中世の 安芸氏 以来,郡の支配の中心であったわけで,その意味では“安芸氏に由来する”と言えるのかもしれません。
[77385] 2011年 1月 10日(月)01:43:07【1】Issie さん
Re:パスポートの申請
[77375] 白桃 さん
浦安市に住んでいる人は千葉市まで出向くわけですが

千葉(中央旅券事務所)か松戸(東葛旅券事務所)まで出向けば,受け取りだけは船橋(葛南県民センター)でできるみたいですね(千葉県の該当ページ)。葛南県民センター,その昔,私がある書類を提出しに行った時よりも,ずっと便利な所に移ったのですね。
これも昔の話ですが,千葉市の中学校に通っていた頃,足繁く通っていた千葉市中心街。市川市の高校に進学したら見事に全く出向かなくなり,今に至ります。千葉市に通っていた頃は,総武線は複線で,稲毛駅で貨車の入換をやっていたものですが。

でも何故、丸亀ではなく善通寺、三本松ではなく津田、なのでしょうか???

香川県の出先機関(県民センター)がそこにあるから,みたいですね(香川県の該当ページ)。
 ・東讃 ---津田
 ・小豆島 ---土庄
 ・中讃 ---善通寺
 ・西讃 ---観音寺
という配置は,1942年設置の 地方事務所 にさかのぼるようです。その前の 大川郡役所 は 長尾 にあったようですが,1878年の郡区町村編制法による 大内寒川郡役所 は最初 津田 にあったものが,三木郡も合併した時に 長尾 に移って,そのまま郡制による 大川郡役所 になったみたいですね(郡制施行で三木郡は山田郡と一緒になって 木田郡)。

そう言えば,私,神奈川県民になってからパスポートを作ったことがない(直近は,東京都民だった時に新宿まで申請しに行った)ので今調べてみたのですが,千葉県の場合とは逆に,申請だけなら相模原でできるけど,受け取りは横浜か厚木まで出向かなければいけないようです(神奈川県の該当ページ)。
相模原の申請窓口(神奈川県企業庁「プロミティふちのべ」ビル)なら,我が家から歩いて10分足らずなのに。
[77347] 2011年 1月 5日(水)23:48:08【3】Issie さん
…いつか「蓮(はちす)」の花と咲く
タイトルは [77318] の続きということで。

[77331] グリグリ さん
[77147]実那川蒼さんからの情報

ごめんなさい。読み落としてました。重複しちゃいましたね。

[77338] ペーロケ さん
改称?

実はこの件に関しては,自分のHPでどのように取り扱うか,考え中なところです。
が,基本的には 88 さん([77341])と同様,“手続き”を重視すべきである,というのが私の意見です。
今回の件は,「総務省告示」という文書を「官報告示」という形で一般に周知する,という手続きを経たことを何よりも重視したいと思います。
実際,自治体名等の表記の変更について,「自治省/総務省告示」という形で周知された例として1960年7月1日以降では
 ・1972年3月30日付の 鹿児島県噌唹郡→曽於郡(同年4月1日施行,昭和47年自治省告示第82号)
 ・1991年12月3日付 奈良県山辺郡都祁村(“しめすへん”の書体変更。同年10月24日施行。平成3年自治省告示第167号)
の2例があります。…というか,2例しか“ありません”。
大筋は 88 さん([77341]) の説明にある通りです。私も全く同じ認識を持っています。

「字体」の扱いについては 88 さんが [77341] で抜粋された自治省の通知がありますが,“そもそも”の「当用漢字字体表」(昭和24年内閣告示第1号)に付随して出された“内閣訓令”(「当用漢字字体表の実施に関する件」)には以下の下りがあります。

--------------------------------------------------------------------------------------
今後,各省庁においては,この表によって漢字を使用するとともに,広く各方面その使用を勧めて,当用漢字字体表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。
--------------------------------------------------------------------------------------

実は,市町村はあくまでも“自治体”であって“国の官庁”ではないことは,現行憲法・地方自治法の下はもとより,旧憲法の下でもそうであったととらえるべきなのでしょうが,それでもこの「訓令」には相当の強制力があったと理解すべきであろうと思います。「長野県諏訪郡ちの町」の例を考えれば,少なくとも「公」の分野における「当用漢字」の強制力はとても強かった。だから,「廣島市」は“当然に”「広島市」と“書き替わる”(←“受け身(受動態)”ではなく“自発態”)ものであって,告示の必要など全くない
(ところで,「廣嶋市」という表記は“公式に”行われていたのでしょうか)。
全国の自治体名が“自動的”に「新字体」に書き替わったものと思われます(現在,わざわざ“旧字体”表記を(勝手に)主張している自治体も含めて)。

一連の「国語改革」は戦前からの取り組みの歴史を踏まえて 文部省 が主管官庁となって推進されました(決してGHQが「日本の伝統を破壊する」ために押し付けたものではありません。明治以来積み重ねられた試行錯誤の到達点として,獲得されたものです)。ところが,占領終了とともに,旧内務省系の官庁が 自治庁→自治省 と整備されていく中,自治庁/自治省では公文書の表記について文部省系のそれとは若干違うルールを採用しました。たとえば,横書き文書の読点について,文部省系では「,(コンマ)」としているのに対して,自治省系では「、(点)」で表記するものとしています。
常用漢字表において「全て」という表記が“公認”されたのは実は今回の改定が“初めて”です。これまでの常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)では「全て」という表記は認められておらず,「ゼン」または「まったく(まっとう)」としか読めませんでした。けれども,自治省系では「全て」という表記はずっと以前から認められていたようで,公文書でも普通でした。
私が県庁勤務であった時に戸惑ったことの1つは,この“文部省系”と“自治省系”の表記ルールの違いであったわけですが,それはつまり,“自治省の縄張り”である地方自治体において,文部省系の表記の縛りは,最近であればあるほど強くはなかったといえそうです。それとは対照的に,検定教科書における文部省ルールの縛りは極めて厳格でありました。
一方で,その「厳格な」学校における漢字教育を受けた世代においては漢字の一点一画が極めて厳格に決められているものとの「誤解」が芽生えて,それが今回の「しんにょうの点の数」にかかわる「名称の変更」告示につながったのでしょう。
…そんなこと,蓮田市に言われる前っから,あたしゃ「蓮」の字を“一点しんにょう”で書いていますって。

過去に何度も表明しているように,私自身は今回の件は「文字(活字)のデザインの相違」に過ぎないと考えています。“二点しんにょう”であろうが,“一点しんにょう”であろうが,どちらも“全く同じ漢字”。たとえ「正字」というものがあっても,それは“明朝体活字”のお手本であって,それを筆で楷書で書けばそのお手本とされている唐代の字体が“正字体”と違う例はいくらでもある。過去に話題になった「塚」の“点”の有無もそう。「ヶ」や「ッ」の大小もそう。[77344] で にまん さんが紹介されている「葛城市」の例もそう。どちらの形の「葛」が“正しい”かなんて,およそナンセンス。
少なくとも,“手で書く”際にそのようなことにこだわる必要は全くない。ただし,個人名や私企業のような「私」の存在については,それぞれのアイデンティティは尊重されねばならず,字体の違いも最大限区別するべきだと思いますが,逆に「公」の存在である自治体の表記については個々の住民による表記を縛るものであってはならい(“ガバメント・アイデンティティ”というものがあるにしても。それ(たとえば“旧字体/新字体”とか,“ヶの大小”とか)を住民に“上から”強制してはならない。どちらが「正しい」かを決めるのは,住民の多数の“慣用”です。

ただ,冒頭の繰り返しですが,今回の「蓮田市」の件は手続き上,「公的」な表記について“総務省告示”という形で告示されるに至りました。何となく書き替わった「広島市」の例とは違って。この手続きは,重視してしかるべきです。
したがって,記録性を重視するならば,そのような手続きが“わざわざ”行われたことを“記録”として残しておくことは,十分に妥当なことであると思います。
[77326] 2011年 1月 4日(火)18:55:14【2】Issie さん
捕らぬ狸
[77324] 山野 さん
敢えて命名するならば「安芸府中市」でしょうか。

町の公式HPに「あきふちゅうの歴史」なんてコーナーもありますから,そのあたりが穏当ではあるでしょうね。
単独市制であるなら「さくら」や「みどり」のような新奇な地名を創作する必要はありませんよね。お隣りの山口県の例に倣って「芸府市」と言って言えなくもないけど,あまり耳慣れないし,古代の国府の有無にかかわらず近世以降の人々の感覚では「芸府=広島」でしょう。「甲府」が,本来国府のあった 笛吹市 ではないように。
北海道の広島に倣った「西府中市」は,あるか,どうか。
まさか,挙母市の真似をして「マツダ市」とか「東洋市」は,ないと信じたいけど。

ま,今の段階から“皮”の値段の算段をしてもね…。
[77318] 2011年 1月 4日(火)10:50:01【1】Issie さん
どぶに落ちても根のある奴は
今年の 総務省告示第1号 (←pdfファイル。たぶんリンクが有効なのは2月初めまで)は「市の名称変更」というものでした。埼玉県の 蓮田市 の名前を変更する,というもの。
で,何か新しい名前になるのかと思ったら,変更後も「蓮田市」なんですね。
何が変わったかというと,「蓮」の“しんにょう”の点が2つから1つになった,ということ。PCのディスプレー上では,特別なフォントを用いない限り区別できなさそうですが。

これは,昨年11月の告示で差し替えられた「常用漢字表」(平成22年内閣告示第2号)を受けてのことなのでしょう。もっとも「蓮」は常用漢字ではないので,直接には無関係のはずなのですが。
もしかしたら,これからこのタイプの「名称変更」が続くのかもしれません。

なお,蓮田市の「名称変更」は本日,2011年1月4日より有効です。
[77149] 2010年 12月 31日(金)20:44:19Issie さん
明日という日は明るい日と書くのね…
「幸い」という字は「辛い」という字に似てるわ…
なんて言ったら,この歳取りの夜には似つかわしくありませんね。なので,以下自粛。

[77141] 伊豆之国 さん
「十干」(甲乙丙‥)地名の宝庫

さすがに,10分の8番目までは回ってきませんかね。
ひとつ前の「庚(かのえ)」だと,庚申信仰にちなんだ地名が多いし,次の「壬(みずのえ)」も「壬生」なんて形でよく見かけますけどね。
だからやっぱり,本来の意味の「からい」「つらい」に期待しましょうか。

…今,テレビを視ずにベートーベンを聴いています。ベタですが。
[77139] 2010年 12月 31日(金)09:42:50【2】Issie さん
百年
明日の今頃はイベントの解答で埋まっていそうなので,今年のうちに。

明けて2011年は,実は「大正百年」です。
「明治百年」のときにはいろいろなイベントがあったりしたようですが(子どもなのでおぼえていない),今回はあまり話題にならないようですね。明治天皇の誕生日(明治節)は「文化の日」に姿を変えて残っているし(現行憲法的には「憲法公布記念日」),何を記念したいのか,「昭和の日」などというものも作られてしまいました。なのに,大正天皇の誕生日(8月31日)は,ほとんど誰も祝っていません。命日は,全く別の趣旨で勝手に盛り上がっていますけどね。
短い,というだけ以上に,扱いの淡白な「大正」。
けれども,明治年間に形の整った「近代日本」の“熟成”が進んだのが「大正」です。
このページに関連したものでいえば,9年(1920年)の「第1回国勢調査」。初期の頃に話題になっていた,戦前の教育制度がほぼ完成するのも大正年間で,旧制高等学校や高等専門学校の配置もほぼこの時期に固まりました。14年(1925年)には「普通選挙法」が成立,この時に導入された衆議院議員選挙の「中選挙区制」は,東京・大阪の都心部を除いて,ほぼそのまま1993年の小選挙区制導入まで続きました。
鶴見沖が埋め立てられて京浜工業地帯の造成が始まるなど,その後の重化学工業化が始まるのも,この時期。
「明治」や「昭和」ばっかり話題にするけれど,短くても実はとっても中身の濃い「大正」。

ついでに戦前の二大政党制の枠組みができあがるのも大正年間です(紆余曲折がありますが)。昭和に入って,両政党は相互にあまり程度の高くない政争と自党内の内紛を繰り返して“自滅”しました。今の二大政党,どうも「戦前昭和の二大政党制の失敗」とよく似た道を通っているようで…。

ところで,2011年の干支は「辛卯」。「卯」の方は話題になっているので,「辛」の方に注目すると,実は「辛亥革命」(1911年)からちょうど百年。革命政権は明けた1912年1月1日に 中華民国臨時政府 を南京に樹立してこの年を「民国元年」としたので,2011年は「民国百年」でもあります。
ちなみに,革命政権は成立してすぐに太陽暦を採用したのですが,「民国元年1月1日」の段階でまだ存続していた北京の清朝は旧暦(太陰太陽暦)で「宣統3年(辛亥)11月13日」。宣統帝(溥儀)が退位して清朝が滅亡するのは1912年2月12日ですが,旧暦ではまだ宣統3年の12月25日。清朝は(旧暦による)「壬子=宣統4年」を迎えることができなかったのですね。

その「辛(かのと)」。「卯」の方は既にリストアップされているのですが,「辛」のつく地名はどれくらいのあるのでしょう。
熊本の「辛島町」というのが,すぐ頭に思い浮かぶのですが…。

[77134] hmt さん
「業平橋」はそのまま存在し続けているようです。

その通り,運河ではなくなっても“溝”はそのまま残っているで,橋もそのまま存在します。
ちょうど,運河がそのまま首都高になって橋がまるごと残っている東銀座・築地周辺のように。
[77126] 2010年 12月 28日(火)01:09:42【1】Issie さん
二人の銀座・ふたたび
[77125] 伊豆之国 さん
現在の「109」の西側の大通り辺りにもアーケード街があったのですが

都南デパート,って言いませんでしたっけ?
私自身が原町田を歩くようになったのが25年ほど前なので,あまり古いことは知らないのですが,いつの間にかマラソン道路のアーケードがなくなっていてビックリしました。
次にビックリしたのが,JR町田駅の北口下からズドーンと大通りが抜けたこと。
仲見世の方は最近,入口に出店した小籠包屋が人気で,先日も東京12チャンネルの番組で紹介されて賑わっていますね。
商店街の通りの狭さと人の多さにあまり変わりはないけれど,一連の区画整理・再開発でやっぱり街の印象が変わりました。初めて原町田へ行ったときには,何て乾物屋の多い街だろう,というのが第一の印象だったのですが,今はだいぶ減っている様子で。
それでも,原町田こそが“政令指定都市・相模原”の商業中心地であることに変わりはありません。…市内にない情けなさ。

[77123] oki さん
戦後の一時期、アーケードが商店街近代化の切り札的な存在だった時代があり

私は,アーケードに“昭和30~40年代”のイメージを強く感じます。ずっと前に書き込んだことがあるのですが,時代に取り残されたような東京タワーのビルを訪れた時に感じたような。私が「昭和」という区切りで感じるイメージ。

※これも以前に表明したことがあるように,“62年と2週間”もあり,それぞれの時期も多様で一括りにできないはずの時代を「昭和」という言葉で振り返ってしまうのは,私は本来適当ではないと考えています。「昭和だよね…」って言ったとき,それは“いつの「昭和」”ですか? まさか,「バブル」じゃないですよね? 違う,戦争の時代。 いや,もっと前の「モボ」の時代。…っていう風に,同じ言葉でお互いに全く違うものを連想しあっているかもしれない。だから,やっぱり適当じゃない。
でもあえて「昭和」というなら,私には自分がよく知っている40年代後半以降ではなくて,そのちょっと前の30~40年代前半かな,って感じです。

話戻して…

銀座の場合、道路幅は広いし、日本を代表する商業地でイメージアップの必要などなかったため

まさしく“目抜き通り”である旧電車通り(四丁目で交わる中央通り(東海道)と晴海通り)にアーケードをかけるわけにはいかないでしょうが,裏に入った みゆき通り や すずらん通り なんかは大阪の心斎橋筋に対応しそうなものだけど,アーケードはかからないのですね。商店街としての性格が違うのか,文化が違うのか。

でも,仙台の中心商店街もアーケードですよね。商店街としては崩壊寸前ですが,秋田の駅前にもあります。大都市ではないけれど,熱海や清水にもあります。
大都市の「町の中心」と言うと,どうも南関東だけがスコンと抜けているような気がします。
[77124] 2010年 12月 27日(月)20:27:51Issie さん
名にし負はば
とあるところで見つけた記事ですが,
東武伊勢崎線の「業平橋」駅が,例のものの完成・開業にあわせて2012年から「とうきょうスカイツリー」駅に改称するのだとか。
…まあ,“地主”だし,営業上の観点からすれば当然ではあるけれど,何かもったいない気が。

駅名が変わるからと言って,「言問橋」も「業平橋」自体もなくなるわけではないんですけどね。
[77121] 2010年 12月 27日(月)09:49:02【2】Issie さん
アーケード
[77120] ペーロケ さん
大きな都市の中心には必ずアーケードがあるものだ

そう言えば,学生時代に初めて広島へ行って(ちょうど広島カープの優勝を祝う花電車が走っていました)地元の学生に飲みに連れて行かれた時,街の真ん中に延々とアーケードが続くのを見てものすごくビックリしたことを記憶しています。
言われてみれば,新潟の 古町 や富山の 総曲輪(そうがわ) もそうですね。少し規模が小さいですが,長野の 権堂(ごんどう) もそうです。以前は、松本の 六九(ろっく)商店街 もアーケード街でした(今は中心商店街の地位から脱落して,アーケードも撤去されているようですが)。

「言われてみれば」と書いたのは,私自身にとっては都心にこういうアーケード街があるということの方がむしろ珍しいから。
ここでいう「アーケード」とは,(少なくとも買い物時間中は)自動車を締め出して道路全体に屋根をかけるものですよね。で,それが数百メートルから数キロも続く…。
私の知る南関東3都県では,このようなアーケード街が“都心”にある,というのはあまりないように思います。

まず,東京。
都心の商店街…とは,銀座,日本橋でしょうが,…ないですね。ここにアーケードをかける,なんて言ったら大きな騒ぎになるんじゃないかしら。
新宿,渋谷,池袋などという「場末」は措いておいて,古くからの繁華街である 浅草 にはまとまったものがあります。有名な 武蔵小山 のように“郊外”には規模の大きなものがたくさんありますね(中央線や常磐線などの沿線各市は「東京郊外」の延長ということで…)。

横浜。
伊勢佐木町や元町。アーケードがかかってそうな雰囲気もありますが,かかっていません。都心を離れた 六角橋 や 横浜橋 には有名なアーケード街があります。
で,川崎にはあるんですね。都心の 銀柳街。横須賀にもあります,ちょっとだけ。
私が子どもだったころにはとても「大都市」などとは呼べなかった千葉には“全天型”のアーケードはなかったはず。ただし,国鉄と京成の千葉駅移転にともなって整備された国鉄千葉駅-京成千葉(現千葉中央)駅間の高架下商店街がそれ近い風景をしていました。

ビルの間の,せいぜい数十メートルの長さに屋根をかけて…,という小規模なアーケードなら,たとえば秋葉原などにも散在するのですが,規模の大きなものは“都心”というよりも“郊外”のもの,というのが私のイメージです。
「名ばかり政令市」の相模原にもありますよ。半世紀くらい前からある 西門商店街 と,こちらは最近(20年ほど前)できた 相模大野。どちらも,都心ではありません(…というより,相模原に「都心」など存在しない)。

ただし,車道を残したまま,雪国の雁木のように店の軒先の歩道に屋根をかけるタイプのアーケードなら珍しくありません。千葉銀座や船橋の 本町通り など,このタイプは枚挙に暇がない。けれども,このタイプのアーケードは最近は撤去される傾向にあるようで,たとえば私が学生の頃は長野駅から延々と続いていた 長野中央通り(善光寺参道) のアーケードはオリンピックの時に撤去されてしまいました。東京の神保町界隈などもそうですね。
[77117] 2010年 12月 26日(日)22:13:59Issie さん
[77111] k-ace さん
卯の付く地名

[77114] 伊豆之国 さん
「兎」の付く駅

“くさかんむり”のついた「菟」というのも「うさぎ」という字ですね。
現在の地名というよりは割と古い表記で用いられていて,兵庫県(摂津国)にあった「菟原(うばらぐん)郡」(現神戸市東部・芦屋市付近)もその1つ。京都府の「宇治」の古い表記も「菟道」ですが,こちらは小学校の名前に現在も生きています。

「兎の楽園」

人間の持ち込んだ動物が野生化,繁殖して島の主人になってしまった,というのは「環境論」的には“楽園”などと喜んでいられないことなのでしょうが,まぁ,好きな人には言うだけ野暮なのかもしれませんね。
[77077] 2010年 12月 21日(火)00:28:17【1】Issie さん
元は自動車関連工場
[77073] 白桃 さん
その市の市役所の隣には、大きなイオン(ジャスコ)があって、その隣にはよりによってイトーヨーカドーがあるのです。

ぺとぺと さんの推理([77074])のとおりであるなら,実はお隣の「なんちゃって政令指定都市」に先行事例があります。
もう20年ほど前,近くを走るJR線上に新しい駅が設置されるのに合わせた開発事業に関連して国道脇の企業グランド跡地に大規模ショッピングセンターが作られ,そこにジャスコとイトーヨーカドーが出店してきました。こちらは,どちらかというとジャスコの方がメジャーで,ヨーカドーの方はマイナーな印象を受けますが。
十数年の時を隔てて工場跡地に開設されたお題の所では,両者対等のような感じを受けますね。もっとも,私はイトーヨーカドーの方にしか行ったことがなく,その先にジャスコが出店しているなんて知りませんでした。

だからね,両方の大型スーパーが隣り合っていても,私は別にビックリしないよ,というお話でした…。

※スカイツリーの足元や,大手町の辺りから乗り換えなしで来れる市ではありますね。
[77039] 2010年 12月 18日(土)09:42:10Issie さん
サンダーバード
[77038] 大龍エクスプレス さん
新鳥栖と久留米のどちらか一方にも停車

他線との接続の件だけでなく,何より筑後地方の中心都市を通過するというのはあり得ないし,佐賀県にも停まるという実績を残しておきたい,という事情を両立させなくてはならない点もあるのでしょう。
駅間6キロ足らずなら両駅を統合できなかったのか,とも思うのですが,やっぱ無理だったんでしょうね。なぜ停まるのか今一つ理解できない 筑後船小屋 とは違って,鳥栖 も 久留米 も停車させるべき駅ではあります。

ところで,同じ3月の改正で北陸線の「雷鳥」で国鉄以来使用していた特急電車が引退し,これを機会に列車名を「サンダーバード」に統一するというニュースもありました。ううう~ん,こちらに統一しちゃうのか…。
某ポータルサイトのコメント欄には,北陸新幹線に「雷鳥」を,なんて書き込みがあるのですが,「雷鳥」は対京阪神の看板列車ですよね。私は北陸新幹線にはぜひ「白山」の復活を,と願っています。

※某所で見かけた,わが国の外相とロシア大統領のツーショットがサンダーバッドそっくり,という話,笑っちゃいました。
[77024] 2010年 12月 12日(日)18:17:10【1】Issie さん
蛇は嫌われているのか?
[77020] oki さん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが

町丁字レベルの行政地名としては消えてしまったかもしれませんが,もっと小さなレベルの地名では決して少なくないのでは? たとえば,谷中には「へび道」と呼ばれる街路がありますね。昔の川の跡で,蛇のようにノタくっているから。[77021](伊豆之国 さん)にも出てくる 「へび坂」なんていうのも,割とよく聞くように思います。
ただ,大字以上の地名となっているのは少ないので,「ウォッちず」のような地名検索には引っかかりにくい。

ところで,どうも「蛇は嫌われ者」という前提で話が進んでいるような気がしますが,本当に蛇は嫌われているのでしょうか。
確か,“白い蛇”はおめでたいものとして珍重する風習があったし,全国の神社の中には蛇を信仰の対象とするところが多くありますよね。「お金が貯まる」なんて言って,蛇の抜け殻を財布に入れたりしませんでした?
まあ,積極的に好かれてはいないかもしれませんが,必ずしも忌み嫌われているわけではないのでは…(「蛇蝎のように」という表現がありますが,これは漢文由来ですね)。信仰の対象として崇めつつ,「敬して遠ざけ」ているのかもしれませんが。ヤマタノオロチも,恐れられてはいても敬いの対象であり,嫌われているのではないと思います。

日本の農耕社会では蛇は少なくとも身近な存在ではあり,日常生活に非常に身近なレベルでの小地名でも「蛇」は意外に身近にあるような気がします。
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情」というのは本当なのか。むしろ,そのあとに続く「都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」という表現に現れているような,農耕を離れた都会の,もしかしたら「アダムとイブ」の説話を持つキリスト教の価値観の影響を(少なからず)受けた人々の勝手な思い込みなんじゃないかな,という気がします。

※NHKの「ブラタモリ」。少し以前に放送された「住宅」の回で,空襲にも耐えた深川の鉄筋コンクリートのアパートで毎年 田中邦衛…,もとい,アオダイショウの抜け殻を集めているおじさんが登場してきました。「ええっ,東京の真ん中の深川で?」と思ったのですが,アパートの裏側は清澄庭園なのですね。後ろに見えていた高い木(ケヤキ?)は庭園の木だったのか。

[77019] 白桃 さん
水戸黄門の主題歌

「あゝ人生に涙あり」というタイトルだそうです。
木下忠司お得意のマーチ調。現在放送中のシリーズでは 東幹久(助さん)・的場浩司(格さん) の2人が歌っています。今回,善光寺宿をあっさり通過してしまって,ちょっぴり不満。
[77012] 2010年 12月 11日(土)11:30:06【1】Issie さん
地上39階の眺め
新幹線ネタ,つづき。
考えてみれば,新幹線は既に 八戸 段階で青森県,そして“青森領南部”には到達しているのですね。今回の 新青森 延伸は,ようやく津軽(の東端) に到達した,ということ。ならば,津軽に偏っていても,まあいいのかな,と思い直してみました。

以下,こちらが本題。
昨日は,県内高校の地理教員の勉強会で野外巡検に行ってきました。対象地は武蔵小杉。
朝,東横線の新丸子駅に集合して,午前中は中原街道を歩いて“昔の小杉”を探索。ここは,今話題の「武蔵小杉」とは違って,もちろん多くの建物がビルに変わっているのだけど,結構古い建物が残っています。「本来の小杉」と「武蔵小杉」は別物なのですね。

ちなみに,このあたり「中原区」といいますが,この「中原」という地名は元からここにあったものではありません。「中原街道」という名は“川崎市の中原”を通るからそう呼ばれるようになったのではなく,徳川将軍の宿舎である「中原御殿」に由来します。で,小杉にもその「御殿」があったのですが,名前は「小杉御殿」。中原御殿があったのは現在の平塚市で,この街道がその御殿の方まで続いているので「中原街道」となった次第。
川崎市のこちらの地名は,1889年の明治の大合併で 小杉村 その他が合併して新しい村を編成するに当たり,ここを中原街道が通ることから「中原村」という呼称が採用されたことによるもの。だから,「中原区」は“交通由来地名”なのでした。

午後は“今の武蔵小杉”に行って再開発地区の中のNECの新オフィスビルを見学をしました。で,先方の御厚意で37階建てビルの屋上ヘリポートに上がらせてもらいました。屋上に出てからさらに階段を上がるので39階相当。
天気がよく,風も弱かったのでよかった。実に見事な眺望でした。ここまで上がると見る角度が変わって,距離感が地上とは全く違うものになってしまうのですね。そこで撮った写真のうちの1枚をうちのHPの表紙に貼っておきました。ただし,サイズを縮小したので,ややわかりにくくなってしまいましたが。

[77010] oki さん
今日、阪奈県境の地峡部で大和川の流れを観察していたところでは、確かに水深は非常に浅く、とても舟で下れそうにないということを改めて確認しました。

水運が主であった時代と,洪水の際にできるだけ早く水を吐くことを主題とする現代とでは川の管理のしかたが根本的に違うそうですね。同じ水量でも,かつては船を通すために一定の水深が確保されるように流れをコントロールしていたけど,今はそうではないので“普通の川”では舟下りができない,ということなのだろうと思います。
[77007] 2010年 12月 10日(金)19:33:13Issie さん
青森県東半の南部
[77006] k-ace さん
三浦さんと泉谷さんはCMで名乗っているので分かるんですが。

そうなんですか。私はテレビでは未見で,毎朝乗ってる京浜東北線電車の扉上のディスプレイに映る“無声CM”で見てるんですよ。で,あのCMにはもう1人,“若い車両整備士”もキャラクターでいるみたいなんですが,あれは誰なんでしょうね。

※CMソングも聞いていないので,私の中では八戸開業時の井上陽水(秋田開業時だっけ?)がBGMに聞こえてきます。井上さん,九州ですね。

でも、津軽に偏ってるような…。

よその地方では,「青森県=津軽」ってイメージが強いんじゃないでしょうか。
この話題,ずっと以前にもやった記憶があるのですが…,
「南部」というと,今では岩手県と反射的につながるのだけど,江戸時代の初めに 盛岡 に本拠地を移すまでは 八戸 や 三戸 が南部氏の本拠だったんですよね。さらに「津軽藩」は,その「南部」から“独立”して成立したわけで。
なのに,「青森県の“南部”」は「津軽」と「岩手県の“南部”」の間に落ち込んでしまって,何か影が薄いですね。あるいは,「南部」の一部である「下北」や「恐山」のキャラが立ちすぎているのかも。


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