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キーワード「大隈」を含む記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[4898]2002年11月15日
深海魚
[4408]2002年11月2日
夜鳴き寿司屋
[2660]2002年8月19日
miki
[2659]2002年8月19日
かつ
[885]2002年2月13日
Issie

[4898] 2002年 11月 15日(金)01:06:10深海魚[雑魚] さん
いなさんへ
[4888]
>県境を3回またぐケースは、JR三江線にもありました。
作木口-宇都井では江の川が県境をなしていますしね。1975年の全通前は、旧三江南線が
終点の口羽付近のみが少し島根県に入り込んだ格好で、何となく琴線を擽る様な立地でした。
南北線の未開通区間に中央脊梁山脈の分水嶺が横切っていると思えば、終始江の川流域を
走っていた訳で、川の中流域のみ未開通という状況が特異に感じられました。

三江線が全通した前年に予土線として延長開業した旧宇和島線も、終点の江川崎付近のみ
高知県域に突き出た格好でした。鹿島臨海鉄道が 85年に水戸に乗り入れる以前の鹿島線も
またしかり。一方、元々は中間駅だったのが、大隈線と志布志線の廃止で該当事例となった
日南線志布志も挙げられます。廃止線ですと、宮原線肥後小国など、色々ありますね。

>栗橋(埼玉)~古河(茨城)~野木(栃木)
こうした事情から、古河界隈では経済的に埼玉志向が強く (古河税務署の一部業務内容は
大宮税務署に集約された時期があるそうです。) 茨城県への帰属意識は大きくない様です。
県都水戸への移動ですと、道路事情も今ひとつ不便ですし。

>矢岳(熊本)~真幸(宮崎)~吉松(鹿児島)もそうでした
元々地元のローカル移動需要が希薄な山奥の峠越え区間にあって、急行が廃止された今日、
将来性はどうなのか、とも思います。

[4890]
>「ご無礼します」
我々の地元で言うところの 「ごめんなんしょ」 の如きかな。(笑)

[4893]
>いちどで一杯にして運んでしまおうという、本数は少なく立ち席は当たり前だった。
ただしこの発想は、「多層建」 と同様、一箇所でダイヤに異常が発生すると、全体に影響が
及ぶ確率が高いですね。コンピューターが無かった時代は、「スジ屋」 ことダイヤグラムの
策定担当者のアドリブ対応には、職人技のごときが求められたのでしょうね。

>上井あたりで夜が明けて、
「上井」、現在の倉吉ですね。陸蒸気反対で山陰線から取り残された街への救済策として
開業した倉吉線の中心街の駅 「打吹」 が当時 「倉吉」 と名乗っていたそうですね。丁度
「尻内→八戸」 「八戸→本八戸」 の事例と符合します。
[4408] 2002年 11月 2日(土)00:36:37夜鳴き寿司屋 さん
明治以前の人口ランキング
先日、中公新書「遷都」(八幡和郎著)のなかに現在の都道府県に近い形での人口ランキングが載っておりましたので、ご紹介します(単位:万人)

西暦ーーーーーーー700年ーーー 1600年ーーーーー1----1721年-----
       (飛鳥時代)-----(関が原の合戦)---(享保年間)
旧国名
蝦夷-------------ー?ーーーー 1-------- 2----
陸奥---------------24ーーー 73------- 236---
出羽---------------9ーーーー 34------- 105---
常陸-------------- 19ーーー- 26------- 85---
下総、上総、安房--- 27ーーー- 47------- 128---
下野-------------- 9ーーーー 22------- 67---
上野-------------- 13ーーー- 23------- 68---
武蔵-------------- 15ーーー- 71------- 228---
相模-------------- 8ーーーー 12------- 38---
甲斐-------------- 4ーーーー 12------- 35---
信濃-------------- 8ーーーー 27------- 83---
越後・佐渡-------- 7ーーーー 42------- 123---
越中-------------- 5ーーーー 13------- 38---
加賀、能登-------- 7ーーーー 14------- 43---
越前、若狭-------- 10ーーー- 17------- 54---
伊豆、駿河、遠江--- 22ーーー- 30------- 82---
尾張、三河-------- 17ーーー- 48------- 117---
美濃、飛騨-------- 18ーーー- 33------- 74---
伊勢、志摩、伊賀--- 16ーーー- 36------- 81---
紀伊-------------- 7ーーーー 20------- 62---
近江-------------- 12ーーー- 32------- 72---
大和-------------- 31ーーー- 40------- 50---
山城、丹後-------- 14ーーー- 61------- 83---
丹波-------------- 4ーーーー 16------- 34---
播磨、淡路、但馬--- 21ーーー- 42------- 107---
摂津-------------- 10ーーー- 86------- 97---
河内、和泉-------- 13ーーー- 47------- 55---
備前、備中、美作--- 23ーーー- 33------- 104---
因幡、伯耆-------- 12ーーー- 11------- 31---
備後、安芸-------- 16ーーー- 28------- 82---
出雲、石見、隠岐--- 16ーーー- 19------- 54---
周防、長門-------- 11ーーー- 21------- 57---
讃岐-------------- 11ーーー- 14------- 40---
阿波-------------- 6ーーーー 13------- 41---
土佐-------------- 5ーーーー 15------- 42---
伊予-------------- 9ーーーー 20------- 60---
筑前、筑後-------- 20ーーー- 23------- 68----
豊前-------------- 5ーーーー 10------- 30----
豊後-------------- 6ーーーー 21------- 63---
肥前-------------- 6ーーーー 25------- 73---
対馬、壱岐-------- 3ーーーー 2-------- 4---
肥後-------------- 12ーーー- 25------- 74---
日向-------------- 4ーーーー 9-------- 25---
薩摩、大隈-------- 9ーーーー 13------- 31---
琉球国------------ ?ーーーー ---------------
-(合計人口)---- 523------ 1227----- 3128

これからすると、上位15位までの順位は下記の様になります。
西暦700年人口順位
大和-------------- 31
下総、上総、安房--- 27
陸奥-------------- 24
備前、備中、美作--- 23
伊豆、駿河、遠江--- 22
播磨、淡路、但馬--- 21
筑前、筑後-------- 20
常陸-------------- 19
美濃、飛騨-------- 18
備後、安芸-------- 16
伊勢、志摩、伊賀--- 16
出雲、石見、隠岐--- 16
武蔵-------------- 15
山城、丹後-------- 14
尾張、三河-------- 17

意外な事に現在の都道府県にあてはめると奈良県、千葉県、岡山県のランキングになります。


西暦1600年
摂津-------------- 86
陸奥-------------- 73
武蔵-------------- 71
山城、丹後-------- 61
尾張、三河-------- 48
下総、上総、安房--- 47
河内、和泉-------- 47
越後・佐渡-------- 42
播磨、淡路、但馬--- 42
大和-------------- 40
伊勢、志摩、伊賀--- 36
出羽-------------- 34
美濃、飛騨-------- 33
備前、備中、美作--- 33
近江-------------- 32
現在の都道府県にあてはめると大阪府、京都府、愛知県、千葉県ですね。


西暦1721年
陸奥-------------- 236
武蔵-------------- 228
下総、上総、安房--- 128
越後・佐渡-------- 123
尾張、三河-------- 117
播磨、淡路、但馬--- 107
出羽-------------- 105
備前、備中、美作--- 104
摂津-------------- 97
常陸-------------- 85
信濃-------------- 83
山城、丹後-------- 83
伊豆、駿河、遠江--- 82
備後、安芸-------- 82
伊勢、志摩、伊賀--- 81

現在の都道府県にあてはめると、東京都、千葉県、新潟県、愛知県といったところでしょうか?

ちなみに明治維新後の1873年の人口は

北海道---- 12.......青森県---- 44.........岩手県---56
宮城県---- 56.......福島県---- 73.........秋田県---58
山形県----64........茨城県----83.........千葉県---104
栃木県----51.......群馬県----53.........埼玉県---85
東京府----109.......神奈川県-54..........山梨県---- 36
長野県---- 93........新潟県----144......... 富山県----62
石川県---- 67........福井県----53..........静岡県----97
愛知県----22........岐阜県----76.........三重県----78
和歌山県--56........滋賀県----57.........奈良県----42
京都府----79.......兵庫県----131.........大阪府----101
岡山県----95.......鳥取県----36..........広島県----113
島根県----63.......山口県----83..........香川県----57
徳島県----59.......高知県----53..........愛媛県----78.......
福岡県----103......大分県----68..........佐賀県----48
長崎県----67........熊本県----95.........宮崎県----36
鹿児島県---93.......沖縄県-----17

でしてベスト10は新潟県、兵庫県、愛知県、広島県、東京府、千葉県、福岡県、大阪府、静岡県、岡山県の順番で新潟県が日本の人口ナンバーワンでした。この推計人口が正しいかはわからないですが、歴史的な地域の盛衰が読み取れ、興味深いです。
[2660] 2002年 8月 19日(月)21:04:50miki さん
>2659
>飛び地の話題が出ていましたので…
>鹿児島市の飛び地も桜島の大隈半島側にありますよね。
おおくま半島?
正しくは「大隅半島」ではないでしょうか?
[2659] 2002年 8月 19日(月)17:49:25かつ さん
飛び地
飛び地の話題が出ていましたので…
鹿児島市の飛び地も桜島の大隈半島側にありますよね。
あと大隈半島には小さな飛び地がたくさんあります。
宮崎では最近川をはさんだ対岸に飛び地がある町が
境界線変更をして,対岸の町に編入されました。今まで水道供給などで
かなり不便をしいられていたようです。飛び地にはこういった行政サービスの
不便なところがあるんのではないでしょうか??

最近チェックしてませんが
飛び地研究所 http://tobichi.pos.to/というHPもありますよ。
皆さんご存知かとは思いますが…
[885] 2002年 2月 13日(水)01:13:41Issie さん
国府
すでに述べられているように,「府中」というのは多くの場合,かつてそこに国府が置かれていたことにちなむ地名です。
東京都府中市は武蔵国府,広島県府中市は備後国府,広島県府中町は安芸国府。もちろん,山口県防府市は周防国府だし,下関市長府地区は長門国府。
ただし,甲斐府中≠甲斐国府 のような例もありますが。

そのまま「国府」という地名であることもあります。この場合「こくふ」と読むだけでなく,「こふ」や「こう」と読むこともあります。岐阜県吉城郡国府町(飛騨),鳥取県岩美郡国府町(因幡)のように,そのまま市町村名となっていることもありますが,千葉県市川市国府台(こうのだい:下総)や愛知県稲沢市国府宮(こうのみや:尾張)のように他の要素との複合地名になっていることもよくあります。ただし,神奈川県小田原市の「国府津(こうづ)」の場合は,ここに国府があったのではなくて,もう少し東の中郡大磯町国府地区に相模国府が置かれていました。名前からすると,国府の外港という位置付けだったのかな。
あるいは「国府」に近い言葉で「国衙(こくが)」という地名であることもあります:山梨県東八代郡御坂町国衙(甲斐国府)。
私の印象では,「国衙」が国府の庁舎などのような建物や施設を指す具体的なイメージがあるのに対して,「国府」にはもう少し抽象的な地方支配のための機構というようなニュアンスが感じられるのですが,どうでしょうか。

国府関連の地名には,有名な国分寺にかかわるものもありますね。
そのものずばりと「国分寺」という場合(武蔵,下野など)もあれば,「国分」という形であることもあります。「国分」の場合,大隈(鹿児島県国分市)の場合のように「こくぶ」と読むことが多いのですが,下総(千葉県市川市)のように「こくぶん」と読むこともままあります。

一方,神社関連では「総社/惣社」という地名があります。
これは律令制下で各国に赴任した国司には任国内の重要な神社を巡回してお参りをする任務があったのだけれども,その手間を省くためにそれらをまとめて国府の近くに“総合神社”を置いたことによります。「惣(総)社」という名前自体が,そういう意味ですね。
これは「そうじゃ」または「そうざ」と読みます。
岡山県の総社市は備中(あるいは吉備全体?)の,群馬県前橋市のJR上越線の駅名になっている「群馬総社」は上野のそれぞれの惣社にちなむものです。

国分寺・国分尼寺もたいていは国府の近くに置かれましたから,多くの国では「府中/国府」「国分(寺)」「惣社(総社)」という地名がお互いに隣接した地域に集中することが多い(ただし,いつでも3つ揃うとは限らない)のですが,国府が移転した場合には3つのうちのどれかが元の国府の位置に取り残されることがあります。
相模国分寺は大磯に移転する前に国府が置かれていたあたりの海老名市国分にありました。
信濃の場合には,はじめに国府のあった上田市に国分寺が,移転後の国府所在地である松本市に惣社があります。

美濃の場合,国府・国分寺は現在の不破郡垂井町付近に置かれました。国府単独というよりは,すぐ近くの近江との国境付近に設置された不破関との関連と思われます。
で,ここではやはり「関」(江戸時代の関所とは若干,機能や概念が違いますが)のイメージの方がはるかに強かったからか,国府・国分寺関連の地名は残らず,「関ヶ原」として大変に有名になるわけです。

なお戦前の天皇制の下では,天皇一家の家政にかかわる「宮中」に対して実際の国政全般に関わる「府中」という用語がありました。宮中を管掌するのが宮内省でありそのトップは宮内大臣(宮相)およびこれとは若干独立して天皇に直属する内大臣(内府),府中を管掌するのが政府=内閣でそのトップは言うまでもなく内閣総理大臣。そしてこの両者は建前上は厳格に区別されました。
また,「国府」という言葉は1930年代から70年代初めくらいまでは中華民国の国民政府(蒋介石政権)を指す用語でした。こちらは台湾の政権の座から国民党がすべり落ちて完全に死語になりましたが。


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